グリーンブックのレビュー・感想・評価
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笑えてライトなのにジーンと来る映画!
本年度の米アカデミー作品賞を受賞しただけに
観やすくて、解りやすくて、メッセージ性もあって
今の時代に求められるものがギュッと詰まった作品。
人種差別問題が大きなテーマですがエゲツない暴力シーンも無く
説教くさいシーンもなく、重たい話でもない
本当にどんな年代の人が観てもジーンと来るいい映画です!!
生きてゆく上で本当に必要な強さや勇気は
争うことではなく、
誠実に生きて、挙げるべき時には声を挙げる!
それが誰が観ても伝わって来る様に作られた映画です。
多くの人に観てもらいたいな。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ドクター・シャーリーを演じたマハーシャラ・アリが良い!!
アカデミーの助演男優賞取ってるし当たり前だけどね〜
黒人というだけでなくいくつもの重いものを背負いながら
それでも黒人の地位向上のために「顔で笑って」ピアノを弾き続ける
それと、あの手元はかなり練習したのかな〜〜
見事なワンカットの演奏シーン!流石です。
主演のトニーを演じるビゴ・モーテンセン!
こんな親父いるわ〜と思わせる!
ガサツだけど結構小狡くて、でも子供や家族にとっては良い人。
今、トランプを支持してるアメリカの地方の親父って
実はみんなこんな感じではないのかな〜〜
人は良いんだけど、視野が狭い。
トニー自身もイタリア移民出身だけど、
すっかりアメリカ白人の気持ちに同化していて
異文化の人々を理解しようとしない。
よく知らないまま、偏った情報だけで異文化の人々を毛嫌いしてる。
この映画の様に、異文化の人に直接接してみたら
なんだ、結構皆んな良いやつじゃんか!と
割と素直に理解してくれるのじゃないだろうか?
人種差別と言うと大問題に聞こえるけれど
「人と人」と考えると案外簡単に解決するのかも??
ふさわしい言葉が日本にはある
「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ。」
それにしても
毎回思うけどXmas映画はXmasに観せて欲しかった!
まあ、興行的はアカデミーに絡んだ方が儲かるんだろうけど
Xmas映画には
「今年一年、人として胸張って生きて来ましたか?」みたいな
そんな問いかけを感じるので
できればやっぱり、年末に観たかったです。
@もう一度観るなら?
「年末に大人のXmas映画特集でどこかの映画館でやってくれないかな!
絶対行くのに〜〜。」
友情物語として良作な作品賞
今年のアカデミー賞の作品賞ですね!
とは言え、元々ジャズピアニストの話で好きな俳優(マハーシャラ・アリ)も出ていたので前々から注目はしていました。
ただこの作品は色々批判も多くあって、アカデミー賞が社会風刺のためのものだという事も結構言われていましたが、作品自体は観てみないと解らないので、観てきました!
結果、
普通に良い映画じゃないですか!
黒人等の人種差別を描いた社会派の側面もありますが、メインはイタリア系の主人公トニーと黒人ピアニスト、シャーリーの友情物語といった内容であったので心暖まりました。
淡々としてはいましたが、好きなシーンも多いです。
主人公を演じた俳優は二人とも素晴らしかったです。
運転手のトニー役のヴィゴ・モーテンセンはロードオブザリングのアラゴルンを演じてたくらいしか知らなかったのですが、がさつだけど腰が強い運転手が見事にはまっていたと思います。
そして、ピアニスト役のマハーシャラ・アリは本当に素晴らしかったです。
この前観た「アリータ」では全然印象に残らなかったのですが、この映画を観て改めて素晴らしい俳優だということを証明されたと思っています。
好きなシーンとしては、
フライドチキンを車の中で二人で食べるシーンやシャーリーと一緒にトニーの妻への手紙を書くシーンは友情が深まっていく印象的な場面ですし、ラストシーンも、二人がどれだけ絆が深まったかを印象づける良い場面でした。
ただ、一部でのバッシングも分からなくもないです。
というのも、人種差別の部分は表面的過ぎたと思っています。
例えば、トニーも最初は黒人に対して差別的に扱っていましたが、何故そういった事をするのかがあまりよく描かれてなかったし理解が出来なかったです。
なお、僕がこの映画を観たのは投稿の5日前なのですが、観た直後は凄く良かったと思ったのですが、今は覚えてない場面も多いです。
それが何故かを考えたのですが、少し単調なのだと思います。
淡々と映したヒューマンドラマ作品でも「グッド・ウィル・ハンティング」とかだと名シーンもあって感動しました。
「グリーンブック」も感動的なシーンはあるのですが、残念ながら涙が出る程の感動が伝わって来ませんでした。
なので、めっちゃくちゃ好きだと言うわけではありませんが、観ていて心暖まる「友情物語」として楽しむ事が出来ました。
ただ、ほぼ同時期に公開された「運び屋」の方が良かったです。
のっけから最後まで
異質の2人の何故かテンポの良い、ちぐはぐな会話が楽しくてシュール。...
異質の2人の何故かテンポの良い、ちぐはぐな会話が楽しくてシュール。お互いに理解出来ないながらも認め合う、それだけで充分に見応えがあった。
得体の知れない何かに興味を持って、素直に感じる、でも入り込まない、そんな距離感が自然で感じが良い。
どんな立場でも人種でも環境でも、平等に自然に人生を楽しむ秘訣がそこにある気がした。
力の抜けた風が心地よく吹く、そんな楽しく終わりのない旅の様な気分。2人の関係は最高に楽しい!
古典の凄い方が島唄を気軽に歌ってくれた(いや歌わせてしまったのかも!)大それた思い出が浮かんできた。
スクリーン前の我々も最高潮に楽しんだあのシーンの様に、本人も楽しんでいたならとても嬉しいなどと、いろいろな余韻に浸っている。
野蛮な正直者と教養のある嘘つき
人種を越えた友情に感動!
現代アメリカを描く
ケンチキ
最高に素敵なバディ物語
まずは、60年代のアメリカがまだこんな差別の国だったということに驚いた。60年代って、俺、生まれてるじゃん! これまでの自分は、こうした事実を、学生時代の授業でも、ニュースなどの一般常識としても、何度も何度も見聞きしたはずのこと。それなのに、映画を観てこんなに驚くとは、当時見聞きしたはずのものが、いかに身になっていないかということなのだろう。改めて、映画を観たり小説を読んだりして追体験することの価値を感じる。
さて、本編だが、「最強のふたり」もそうだが、バディムービーは、ふたりが大きく違っていることだけでなく、お互いが足りないものを補いあっていてこそ、素敵な映画となる。
この映画では、音楽家で紳士、黒人差別を無くすという目的を持つ黒人シャーリーに対して、無頼でガサツ、日々を暮らすだけのイタリア人トニーが補えるところなどあるのだろうか、全くないのでは、と思えるが… いや、是非観てください。
何を トニーが補うのか、何をシャーリーに気づかせるのか。もちろん腕っぷしもあるけれど、それだけではないですよ。
腕っぷしの点では、トニーはそれこそ文句なしだ。それは、前半から遺憾なく発揮される。
しかし、俺たちは後半で気付くことになる。俺たちは「差別?けしからん!ぶっ飛ばしちゃえ!」というシーンを、いかに好んで観て、爽快な気持ちになっていることか。 だが、この映画の中で、トニーや我々観客は、シャーリーがトニーに語る言葉で、差別を撤廃しようという活動にとって、そんな痛快シーンが、いかに無駄で、逆効果なのか、を気づかされる。
そして、この映画のもうひとつの見どころは、今でも愛に満ちているトニーの家庭だが、"手紙(文字)によって、さらに幸せを深めることができるんだよ" とトニーに気づかせてくれるシャーリー。
こういった全てのシーンが、押し付けではなく基本的にはコメディで語られる。あくまでも気づくのは観客である俺たちだよ、という押しつけない作りは、たしかにこの作品を作品賞として評価したくなる!
こういう映画をもっともっと観たい!
最後のシーンに、もちろん文句はない。素晴らしいと思う。一方で、その少し前の、トニーが「そんな呼び方をするなよ」と言うシーンがある。このシーンで終わっていたとしても、それはそれでかっこよかっただろうなあ、と思いながら、劇場を出た。
お互いが補いあう面について自分が感じたことは、公開中の今は書かないでおきます。公開終了した頃にいずれまた。
2020/4/20追記
しばらく経ったので、トニーがシャーリーを補った点について書いておきます。ここから以降、ネタバレなので、未見の方はご注意ください。
ケネディ司法長官とも友人なのに、その力を借りて留置所を出た際に、"力" による差別をなくそうとしている自分が、牢獄から出るためとは言え、"力" を行使したことを悔いてしまうほどストイックなシャーリー。彼は、そんな性格から、「ピアノを弾いていないときは、白人に取っては私はただの黒人。でも黒人たちにも受け入れてもらえない」といったように、つい孤高の立場になってしまう。そんなシャーリーに対して、明確に口に出して言うわけではないが、「そんなの関係あるか、俺たちは友達じゃないか」「迷ったら、まずやってみろや」と行動で伝えてくるトニー。二人で旅する中で、変わっていったのは、トニーだけではない。シャーリーもまた、トニーによって大きく変わった。それが、ラストシーン、つまり、"シャーリーがトニーの家を訪れる" に繋がっていったのですね。
素敵な映画だった!
作品賞の影響
深い笑い
差別意識は、ぼくにもある。
例えば、黒人の男性と握手をしたとする。その時、どんな感じだろうか?それは差別というより、違和感といったほうがいいかもしれない。だけど、その違和感が差別につながっているともいえるだろう。
この映画、初めのうちはトニーの差別意識からはじまった。黒人労働者にサンキューの意味で飲んでもらったコップをトニーは汚いものだとしてゴミ箱に捨てた。そんな夫の姿に少し呆れた様に、でも、非難せずに元の位置に返した妻がいた。そんなトニーが黒人ピアニストと2ヶ月に渡って演奏旅行する。その間、彼はどう変わったのか?変わるのか?がこの映画のテーマでもあった。
例えば、トニーを雇ったドクターシャーリー。上流階級の観客の前で演奏するのが職業になっていることに対して、トニーは毒づく。「あんたはブラックなのか?それともセレブになりたいのか?」それに対して、どっちににもなれない自分の存在に悩んでいるシャーリーがいた。
トニー自身も自分の差別意識に疑問を持ち始める。
演奏を行ってもらうVIPのシャーリーに黒人というだけで、お客のいるテーブルで食事することは許されない。トニーそんなことがあるか!と怒る。私が言ってるんじゃない。レストランのしきたり、決まりなんです、と。レストランの支配人は言う。差別を受ける相手の立場に立つことで、こんなことはいかん、あってはならないことだと気づき始めるのだ。
今までの世界と違った人との出会いでお互いに新しい自分に出会う。新しい世界と出会う。そんなことができるのも違う文化と触れ合ったからだろう。出会いというものは刺激がある。違和感といってもいいかもしれない。そのあと、どう感じ、どう整理し、どう位置づけるのか。それが教育になんじゃないかと思う。ヘイトの方に行くのか?多様性の方向性に行くのか?
差別は本人の意志よりも、その場のしきたり、ならわし、きまりに左右される。雰囲気とか、場の空気といった漠然としたものに知らず知らずによってしまうのではではないか。
そういえば、いま勤めている保育園では「差別」は全くといっていいほどない。子供達は新しい人との出会いを楽しむ。新しい先生や新しい園児は大変な人気者になる。その違和感を楽しむ園児たちの姿がそこにはある。これは一つの答えじゃないだろうか?
この映画、最後のクリスマスの日、素敵な出会いがあった。
トニーの妻とシャーリーの抱擁。
妻はすごく視野の広い夫になって帰ってきたことへの感謝と、シャーリーは2ヶ月の間、自分に与えてくれたトニーの深い愛情への感謝を込めて。
それはクリスマスの夜にふさわしい光景だった。
万人向け、分かりやすいですが。
その時代のアメリカで いかにマイノリティが窮屈な思いをして活きていたか、が描かれています。今の大統領の政策へのハリウッドの意思表示というか、本当にあったのかどうか疑わしい?LGBTの問題も絡めて。中途、二人を助けるのが民主党の某政治家なのも意味深ですね。
映画そのものは単純に愉しめるロードムービーです。脚本も及第点で・・・とはいえ、脚本賞をとるほどか、は疑問ですが(笑)。主役の二人の熱演もあり、丁々発止、二人の会話のリズムにも笑ってしまいました。
ただし 黒人ミュージシャンへの扱いのひどさは ちょうど60年代初めに来日したアートブレーキーなどのジャズミュージシャンがさんざん語ってきたことですし、一方でアメリカのショービジネス=ハリウッドも含めて・・・いかにイタリア移民が大きな力を持ってきたか、も有名な話です。この映画のラスト、クリスマスパーティーで流れてたのが やはりイタリア移民出のフランクシナトラですしね。
正直に云えば・・・この程度でアカデミー作品賞か、という憂いもあります。アカデミー賞候補の選出こそ、マイノリティへの差別だ、と喝破されたのが近日近年だったことも勘案したら。
たとえば 同じロードムービーでアカデミー作品賞を取った【真夜中のカーボーイ】とはとても比肩できないです。見終わった後の響き方が天と地ほど違います。
これは決して 映画少年だったその昔に名画座で独り心を震わせてみた頃と比べて 還暦近い今では心の琴線がさび付いてるわけではない、と思いますが。
複雑
日本人としては、ある意味単純に考えやすい映画だ。
かつてのアメリカの理不尽な人種差別に憤りを感じ、
その突破口となった2人の友情に胸を熱くする。
自らもイタリアからの移民でありながら黒人にマウントする主人公が、
雇用主と理解しあっていく姿には表面的には感動する。
一方、上流階級であるように見える黒人の主人公を慮る時、
その広がる深い闇に涙を禁じ得ない。
いい映画だったんだろうな、と思う。
この手の映画は数多い。
上記のように日本人としては単純な感想で済む。
当のアメリカ人はどのような感情で観ているのだろう。
トランプの如き大統領を誕生させておきながら、アカデミー賞?
素直に感動するだけでは済まず、複雑な感情が残る。
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