長いお別れのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
☆☆☆★★★
原作読了済み。
映画のオープニングは原作と同じく遊園地の場面から。
原作自体が。認知症の父親と、その家族との絆を描く連作短編集の為か。ところどころで(掲載ページ数の関係か?)中途半端気味になっているのは、読んでいて少し気になったところでした。
例えば映画で、次女が昔の同級生に会う場面。
原作とほぼ同じ設定ではあるものの。原作ではただそれだけで、映画ではその後の場面をオリジナルとして追加している。
原作にて描かれていない(寧ろページの関係で描ききれなかったのか?)長女の家庭内での、冷え切った夫婦仲や息子の引きこもりに至るまでの過程。
それらの、原作で詳しく描けなかったところを映画では捕捉していて。「帰りたい!」と言っては困らせる父親と、慣れないアメリカ暮らしに疲弊する長女が、幾度も帰省する場面を。原作以上に対象させて描いていた。
オープニングでの遊園地の場面も。原作では小さな姉妹と、メリーゴーランドにただ乗るだけなのに。映画では、過去の思い出とリンクさせる事で家族の絆を強調させている。
ちなみに、原作では長女の旦那はほとんど描かれず。次女は雑誌やテレビで引く手あまたなフードコーディネーター。
父親役の山崎務のボケっぷりは流石の域だが。母親役の松原智恵子は原作以上とも言える。
原作では母親が中心に居て、その奮闘振りが凄いのだけど。クレジットの最初に次女役の蒼井優が来る事から分かる様に、映画はこの次女を映画の中心として描く。
個人的には、映画が次女目線にシフトさせ過ぎた為か?痴呆症を抱えた家庭の右往左往とする様子は、原作と比べて少しばかり薄まっている様にも見受けられた。
映画は、原作には無いところで色々と工夫がなされていて。通夜の場面での「1本!」と叫ぶ辺りや、スーパーでの事件の後に「立ってなさい!」等と怒るところに、電車内でのプロポーズ等。原作には無い認知症ゆえに周りが翻弄される様子は、なかなか味わい深い演出だったと思う。
反面で「コレはちょっとやり過ぎでは?」…と感じたのが。河原での行列や、♬上を向いて歩こう♬の場面に於ける、引きの撮影にて殊更演出しているところを主張する場面のあざとさははちょっとだけ嫌だ(-.-;)
嗚呼!そう言えば。原作では、「いやだ!いやだ!」と周りを困らせる父親に対し、「先生!先生!」と自尊心を刺激する事で何かと解決する場面が有り。それがラストシーンへと繋がって来るだけに。その「先生!」の台詞が無かったのはちょっと残念。
…等と、グダグタ言いつつも。これは原作を越えて来た秀作だと思えました。
2019年6月2日 TOHOシネマズ府中/スクリーン8
山崎さんは作品そのものを感じさせてくれる役者さん
認知症になった父を中心に長い年月を丁寧に辿って
行く話
娘二人は竹内結子と蒼井優
妻は松原智恵子
登場人物の全員が善人で優しい映画です
それでもうまくいかないことがたっくさんあって
見せ場である
メリーゴーランドのシーン美しいシーンだと思います
松原智恵子さんが良かったのよ
かわいいそして愛情深い妻であり母をうまくやってらした
作品にはまってるなと思いました
みんなで一つのものを作るということ
作品がどうであるかということが大切で
誰かが出すぎてもバランス崩れるから
次女役の蒼井優が突出してるもんがあるから
そこらへんがどうなのかなと思いながら
見てました
余談ですが気になっている
中村倫也さんがこの映画にも出ていて
蒼井優さんとかかわりあう役なんだけど
これがまた上手い
このひとほんとすごいと思う
一番好きな俳優さんの山崎努さん
彼の作品をあと何本見れるのだろうと
一つ一つ大事に見てます
厚労省とか文科省とかの教材になりそうな
良作でした
映画ってこんなシンプルになっちゃったのか。
ちょっと期待しすぎたかもしれない。
というのは、自身が近年父を、そして現在母を介護しているせいからかも。
脳梗塞のリハビリの中、亡くなった父を母は献身的に介護していた。
そして、一人になってから、その喪失感からか、母はぼんやりとした日々を過ごすことが増え、
やがて認知症の症状がでるようになった。私は近居している息子だったので、父の時同様定期的に
行き、サポートし続けている。その中で、両親のたくさんのシーンを見てきたし、今も日々刻々と進行する母の心と記憶の移ろいを、一人の人生の収め方のひとつとして受け止めている。
この映画は、認知症になった父をめぐる家族の再生&確認の物語なのだろう。しかし、それにしてもあまりにリアリティを感じさせないファンタジーさが気になる。私が是枝監督のような映画が好きな人間だからかもしれない。個人の内面にあまり踏み込むことなく、かつての家族像によりどころを求め、それぞれの不安定な現在と未来はあえて描かない。わかりやすいステレオタイプの母の設定は共感が得やすい。現在日本の至ることろで無数の同じような状況が起きている中、この物語は今苦闘する家族に何を伝えたいのか。古いタイプの映画好きには、やはりもう少しシリアスな何かを表現してほしかった。
それにしても、男たちはここでもただ仕事にまい進し、老いて世話をしてもらう存在として描かれる。女たちは「家族愛」によってそれを支え、包み込んでいく。おそらく昭和の世代にはなんなく受け入れられる設定なんだろうが、果たして次女はこの先一人残された母を抱え、どのような未来を生きていくのだろうか。本当に優しいキャラクターだっただけに、心配になる。認知症の介護は極めて社会性の高いテーマなので、やはりファンタジーだけで終わらせてほしくはなかった。やはり期待しすぎたのかな。
くりまるな! ゆーっと! ね♪
認知症の…
徐々に記憶も、感情も、遠のいていく様を
『長いお別れ ~ A Long Goodbye ~』
という言葉に置き換えても…
それは、悲しいお別れの段階だけではなく
ヒトとして、こころを豊かにしてくれる
貴重な時間のことなんだ、とわたしは思いました。
記憶や感情を失っても
ヒトがヒトである以上
けして「こころ」だけは失うことはない…
…だから、メリーゴーランドのシーンは
劇中の家族にも、皆さん鑑賞者たちにも
そしてわたしにも…
胸に刻みこまれた「心象風景」として
こころに留まり続けることでしょう…
《 家族愛 》を題材に作品を撮り続ける
中野 量太 監督の傑作がまたひとつ生まれましたね!
姉・麻里の闊達なところはお母さんに
妹・扶美の本好きで数字に細かいところはお父さんに
それぞれ似たんだろうなぁ…
と思わせる手腕はさすが!
物語を彩る “ 小物使い ” が実に効果的かつ叙情的!
でも本作において「伏線、および回収」
なんて言葉は適さないと思いました。
なぜならば、それらは
家族が共に重ねてきた時間のなかで
家族だけが獲得し、知りえる〈合言葉〉の象徴なのだから…
実際、家族を介護してる方々にしか分からない苦労
辛さというものがありますし
今後、家族が要介護になりえる不安を抱えている世代
しいては社会全体が直面する問題を描いていて
わたし自身、観ていて正直しんどかったですが…
家族からもたらされる幸せというものは
家族しか得られないものだと…
改めて本作『長いお別れ』を鑑賞して思いました。
難役をこなす山崎 努さんの思慮深さと
経験則からなる確かな演技が光る!
重くなり過ぎがちなテーマを
明るく朗らかな役どころでもって
本作に彩りを与えてくれた松原智恵子さん
家族のなかで一番
喜怒哀楽がはっきりしていて
観ていて気持ち良かった!竹内結子さん
蒼井優さんの好演にありがとう!と言いたい!
そして実生活でもお幸せに!
身につまされる
超高齢化社会なんて、6文字で表せないぐらい、世の中は高齢者であふれている。
家族が最後まで認知症の高齢者を看ることに、社会はこれほど不寛容なのか?と思い知らされる。
上映後、期せずして監督のトークショーに参加することができた。
父が「はい!」と答える演技をした山崎努さんについて、監督は「子どものように」と形容してたけど、ちょっと違うと思った。
山崎さんの演技は素晴らしい。
認知症の高齢者をとても研究されていると感じた。
「はい!」の意味は、人それぞれ違うのではないか。主人公は教師だったから。
父もまったく同じテンションで「はい!」を繰り返したけれど、これが認知症の状態像なのだと。
最後の母の覚悟も素晴らしかった。
欲をいえば、こんなハッピー家族、夫婦、姉妹、いるかな?
現実は両親のどちらかが倒れる、亡くなると相続だの、愛憎劇になるのが現実じゃない?
毒も盛り込んでほしかったかも。
老いも、忘却も、全てが日常
高齢化社会と呼ばれる今日、高齢者の認知症患者数は460万人とも言われている。家族であっても介護は楽なことはないし、自分の家族の記憶が徐々に消えてくることは言葉では言い表せない悲しみがあることだろう。私の祖母も認知症を患い、10年以上も介護施設に入所したまま人生の幕を下ろしている。晩年は面会に行っても私が誰か分からないままだった。
しかし、この作品はそんな介護の辛さや悲しさをあまり表に見せない。むしろ、父親の認知症を機に家族の絆が深まっていく様を描いていく。「長いお別れ」というタイトルは実にピッタリだ。記憶が次第に失われていく中で、ポツリ、ポツリと父親の中での記憶が蘇るも、また消えていく。それは現在の父の記憶であったり、昔の父の記憶であったりと様々。特段、2度目のプロポーズシーンには笑いながらもホロリとさせられるし、時折見せる“父親”の顔も家族の励みとなっていく。その表情、その笑顔、山崎努の演技が実に見事だ。
もちろん、介護している側も疲労が蓄積する。辛いこと、大変なことが多いのが実際であるし、この作品のように明るく振る舞える家族はごく少数であろう。しかし、これは誰にでも起こり得る話だ。自分が介護する側になるかもしれないし、介護される側になるかもしれない。だからこそ、老いることも、記憶がなくなっていくことも、ごくごく日常的なことで、悲観する必要はないのだよと本作は言っているように思える。『ペコロスの母に会いに行く(13)』もそうだったが、そういった介護の中でつながる絆の存在を伝えていくことがこれからの社会には必要なのかもしれない。ただ、ラストをあの形で締めくくるのであれば、もっと孫の存在を大きく描いて欲しかった。
それぞれ
誰もが自分ごととして考えられるテーマ
カメラ視点の変化
認知症の親と介護する家族・子供を描いた作品ですが、このジャンルでは『花いちもんめ。』(1985年)という先達する佳作があります。「おじいちゃんが壊れていく、家族の戦争が始まる」という宣伝用キャッチフレースのように、呆けが進行する社会的地位のある父親と家族との間の壮絶に泥濘化するドラマでした。
高度経済成長ピークのバブル期に、未来に先駆けた警鐘のように描出されたこの社会問題は、「アルツハイマー病」という言葉にまだ新鮮な響きがあり、センセーショナルではあっても、当時はまだそれほど深刻には受け留められなかったように感じます。
30有余年を経て、この問題が広く遍く人口に膾炙するだけでなく、高齢化が加速し実際に身の回りに多く散見さるようになった今、却って直接正面から在るがままに描くのは、露出症的な嫌いとなり、あまりに身につまされるために映画としては憚られるのでしょう。
本作は、発症から最期を迎える7年間の本人と家族を描いたドラマですが、エッセイ風に淡々と事実を綴った叙事詩であり、いわば日記のような客観的記録といえます。
本人の可笑しな所作・言動の滑稽さや大仰さは抑えられ、家族が狼狽える様も限定的に留められています。寧ろ、この7年間の妻と二人の娘の、認知症の夫・父を抱えた制約のある生活日誌という構成であり、そこにはドラマティックな筋立ては殆どありません。
寄せのカットが殆ど無いことも、被写対象を突き放してクールな目で捉えている現れです。本人・妻・娘たちの、多分抱いたであろう苦悩、悲憤、瞋恚、憎悪、困窮、絶望等の剥き出しの感情の奥底の起伏を深くは掘り下げず、即ち情緒的には一切捉えず感情を抑えて決して善悪や正邪を判断しない、やや物足りない気もする訥々とした語り口でした。
このスタンスは、脚本の重心の推移にも顕著です。
前半は全体の関係性の説明のために第三者の客観的視線であり、中盤は家族の介護の中心となり本作の主役といえる蒼井優扮する次女の視点、そして後半は妻・娘二人の各々の視点で、夫・父と己との関係性とそれによる生活の波紋を描いています。ラストは、竹内結子演じる長女の息子という、家族の中で最も遠い縁者の目線で終えており、将に家族にとって静かで穏やかな終焉でした。
それにしても、殆ど台詞がなく、動作も少なく、表情に変化もないにも関らず、フレームに入るだけで画面全部をそのオーラが覆い尽くしてしまう、呆けた夫・父役の山崎努の圧倒的存在感は印象的であり、本作の基調となっていたと思います。
ファンタジー
事前情報を取得していなかったので、認知症を鍵とした
大いに身につまされて泣ける映画だと思いこみ
泣く準備万全で臨みました。
認知症の深刻さや悲惨さがえぐく描かれるかと思いきや、
それが前面に出てくることは全くありません。
逆に、とぼけた笑いがいっぱいです。
認知症になった昇平のとぼけた言動が、
とぼけた笑いを生み出します。
さらに天然ボケともいえる明るい妻の態度も、
それに輪をかけます。
終始とぼけた笑いの続く明るい映画でした。
なので、認知症の親の介護をした経験のある人や
現在介護中の人が観たら、ふざけていると
怒ってしまうかもしれません。
認知症の親を抱える天然系の家族の中にも
いろいろドラマがあります(娘とその息子の断絶や
次女の飲食店を持つ夢など)が、認知症メインではなく
それらのドラマに認知症がアクセントとなっている
感じです。
認知症の昇平が娘たちに力を与えるというお話し
となっていて、一種のファンタジーだと思われます。
認知症の症状も7年間の間にそんなんに劇的に悪化
するとこなく、終盤までとぼけた感じの認知症を
山崎努がうますぎるくらいの演技で演じています。
ちょっとうますぎて少し引いてしまいします。
妻役の松原智恵子の天然系の演技もうますぎてこれもまた
少し引いてしまいます。
そんな中
【ネタばれ注意報】
記憶を失った昇平がもう一度妻ににプロポーズするシーン
には唯一泣いてしまいしまた。
※蒼井優はこの時もう付き合っていたのか。
※「長いお別れ」の意味(元は英語)を初めて知りました。
なんだろこの違和感…
くりまるな、ゆーとすればいいんだ
かつて中学校の校長をしていた厳格な東昇平(山崎努)。
ふたりの娘は独立し、妻・曜子(松原智恵子)とふたり暮らし。
昇平の70歳の誕生日に、長女・麻里(竹内結子)、次女・芙美(蒼井優)は久々に実家に顔を出し、一家が揃った。
が、そこで母から父が認知症を発症している旨を告げられる・・・
といったところから始まる物語で、認知症を扱ったドラマも多く、ドキュメンタリーには佳作・秀作も何本もあり、いまさら・・・感もある。
期待するところは、前作『湯を沸かすほどの熱い愛』でみせた中野量太監督の熱い演出なのだが、前作程の熱さがない。
ベテラン山崎努、実力派・蒼井優の見ごたえある演技で飽きずに観れるが、妻や長女の人物造形が類型的すぎる。
冒頭と終盤に登場する遊園地のシーンなんかは、やはり監督の演出力を感じさせるが、アメリカ住まいの長女とその息子の話など、ノーリアリティといってもいいぐらい。
とはいえ、途中、昇平が芙美にアドバイスする「くりまるな、ゆーとすればいいんだ」なんて、印象的な台詞もあり、そう悪い点も付けたくないなぁとも思います。
ラストが疑問
素直に感動できる良い作品。
役者さんもナチュラルで、心地よかった。
ラストが残念。
あの終わりはもったいない。
孫が外国人の先生と会話するところ。
あんなシーンで終わりにしてしまうな!と思った。
で、君の不登校はお祖父さんのせいではないんだよね?→はい
何で不登校だったの?
わかる方教えて下さい。
山崎務さん松原智恵子さん
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