男はつらいよ お帰り 寅さんのレビュー・感想・評価
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お疲れ様でした。監督様。
お疲れ様でした。出来るだけ本音で語って頂けた事は大いに認めたいと思います。
ご苦労さまでした。
『お帰りなさい』が僕は哀愁に聞こえました。勿論、寅さんにではなく、マツタケ映画会社と製作者様への『お帰りなさい』です。だから、早く『行ってらっしゃい』を言う必要があると思います。
だいぶ計算された作品だと思う。
前作の特別編の回想部分を矛盾無く人称毎に分けたのはプロの技だと思う。脚本として過去の矛盾を払拭した良い出来である事は認めたい。また、総括の意味で続編は期待できない作りになっているのも潔い良かったと思う。
『お帰りなさい。パパ』
『どうしたんだ』
『この3日間、パパは何処かへ言ってしまっていたと感じたわ』
この言葉がこの映画のテーマだと思う。笑いなどかけらもなく。現実ばかりが、時間を作って行く。
最後の成田空港での満男から泉に対しての告白がなければ、ある意味に於いて名作だったと感じる。
さて、この叙情詩は終演を迎え、日本の現実と理想はどう迷走して行くのだろうか?もう一度、反省すべき所もあろうかと思う。
個人的にはこのシリーズ最後の鑑賞になろうかと思う。
改めて、つくづく思うは、我が母は大嫌いなシリーズで我が父は大好きなシリーズだったって事かなぁ。
11月14日AM11時55分 筆
お帰り寅さん
寅さんは今もどこかにいるのだろう。大河ドラマの最終回、というかおまけのスピンオフ的な。歴史を感じる。当たり前なのだが、時間が過ぎていく世界の中で生きているのだなぁと。
昔の画面に映るあの人たちは、現実にはもういない。その寂しさを感じながら、今を生きる人は今を噛み締めないと。たまにある幸せを感じるために生きていかないと。
何を持ってして「おかえり」とするか
「ニッポンの顔」と言っても過言ではなかった国民的邦画が姿を消して久しい。ていうか、「世代を越えて毎年の名物になっていた国民的な邦画があった」なんて、僕より下の世代に言って信じてもらえるだろうか(あえて現代人に似た経験を当て嵌めるなら「映画クレヨンしんちゃん」とかになってくるか)。僕らは親の膝の上で寅さんの悲喜劇を楽しんだ最後の世代である。しかしあれだけ好きだった「寅さん」の事を、僕達はどこまで克明に/具体的に覚えてるだろうか。
本作はシリーズ終盤でストーリーの牽引役であった満男、その相手役だった泉のその後が芯になって語られる。
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この「終盤で」の記憶はよく覚えてる。寅さんは満男の恋愛指南役(のつもり)でアレコレ人生訓をボヤいて世話を焼く兄貴分、後見人キャラにシフトしていったわけだが、これは寅さん=渥美清が肝臓と肺を癌に冒され長時間の演技が困難になってきた事情がある。晩年近くでは「最近の寅さんは目に見えて辛い、早くシリーズを打ち切ってくれ」なんて声まで上がっていた。
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という事情とは言えドラマ的な文脈で言えば満男がその後の語り部を担うのは筋が通っている。納得の選択だ。
満男の目を通して画面に移る日常は当たり前だが現代東京のそれで、カフェに変わったくるまやの裏にある畳の座敷が僅かな下町の残り香だ。で、「寅さん亡き後の寅さんの世界」なのだが、満男本人の忙しさと裏腹に兎に角ゆっくり、ゆっくりと映画が進んでいく。もともとテンポで言うと忙しないシリーズという程でもないのだが、立て板に水の寅さん節がコアにないだけでこうも印象が違うのかと静かなショックが僕を襲う。と同時に、体感として思い出す。僕達は寅さんのどういう人柄に、オーラに惹かれてたのか。
実際本作の語り口も、満男の行く先々で寅さんゆかりの人々(これが又必ずしも幸福ではなく、どちらかというとリアル・シビアな社会に当てられてる人が多い)との出会いがあり、落ち穂拾いが如く「寅さんとの思い出」が高頻度でフラッシュバックされ、あたかもそこに寅さんが座ってるように錯覚させる構造を取っている。そしてその場の思い出パートが終わるとまた常識的な東京の静けさに戻され、そのコントラストで「ああ、もう居ないんだった」とメランコリックになる。
で、これまた当たり前だが…本作は「お帰り」とは言ってるが言葉通り寅さんが物理的に蘇生してくるお話などではなく(こんな冗談を言ってしまうのも寅さんならそうなってもおかしくない、ぐらいの存在感が強烈に焼き付いてるからだろう)、満男がこれからを生きるヒントを瞼の中の寅さんに見出すような演出で映画は締めくくられる。
では、何を持って「お帰り」なのか。寅さんが帰ってきたのはどこなのか。スクリーンか柴又か、満男やさくら、リリーら登場人物たちの胸中か。
僕は、「僕たちの中に帰ってきた」のだと思う。本シリーズは49作目から今作まで、実に20年以上ものブランクがある。その20年の間、現実の関門に忙殺された人もいれば、別の楽しいものを糧に生きた人もいる。或いは空虚に時間だけが過ぎた人もいるだろう。何をしていたにせよそれは「僕たちの中の寅さん」が薄れていくには充分な長さだった。ここで「寅さんってどんな人だったっけ」を指差し確認する事で、僕達はその人となり、その人間的魅力を再インストールしたのではないだろうか。
本作は50本ある「男はつらいよ」でただひとつエンディングが流れるタイトルだ。言い換えればここで初めて幕を引いたともとれる。寅さんと生きたニッポンは50年間「男はつらいよ」という1本の映画を観続けていた、もっと言えば寅さんに魅せられた一人一人が「寅さんのいるこの世界」の登場人物だった…というクソデカ解釈は流石にひたりすぎだろうか。
でも、もしそうなら(勝手な展開で恐縮だけど)、僕達が寅さんに再会する方法も満男たちと一緒のはずである。ただ、思い出せばいい。人生に追われて何か大切なことを忘れたような気になった時、誰でもいつでも「男はつらいよ」を観ていいのである。正月に親の膝の上で見た時と同じように。
変わるものと変わらないもの
公開当時に映画館で鑑賞しました。男はつらいよシリーズは何回も観返した大ファンです。4月から社会人になり、たまたま本日江戸川を散歩した時に、どうしてもこの映画のことが頭から離れなくなり、この文章を書いています。
物語というのは「何かが起こり」「主人公がのりこえ」「なんらかの成長をする」のが王道だと思います。寅さんにはそれがなく、むしろ時間的に成長していくのは周囲です。本作でもタコ社長の工場はアパートになり、とらやはカフェになり、満男は妻に先立たれ…時代や時間と共に環境は変わり、それに順応していく形で変化を余儀なくされています(この世界線がある帝釈天はリアルのような寅さんを売りにできないので、カフェになるのも仕方ないでしょう)。寅さんは50作を通じてほとんど変わりません。よく言えば一本筋が通っているし、悪く言えばいつまでも子供の頃のまま。だからこそ周りの人たちは寅さんと衝突するし、同時に憧れ、帰ってきたら温かく迎え入れる。
さて、今作の主人公たる満男は凄まじく変化の渦に巻き込まれています。そしてそんな彼の心の中にはいつも寅さんがいる。変わらない一本の芯としての寅さんがいるからこそ、彼は迷いながらも確実に自分の人生を歩んでいけるのでしょう。ドラマの世界線では亡くなった寅さんも、この映画では「いつかまた帰ってくるような気がする」と生死が不明であるような描写がされています。満男だけでなく、寅さんと関わった全ての登場人物の心の中に寅さんは生き続けている。そしてだからこそ、変化する時代に対しても踏ん張って生きていける。言い換えると、寅さんはあたかも「故郷」のような存在になっている。それは本作を観た全てのファンに当てはまると思うのです。
笑いたかったなぁ
映画が公開した頃に、「山本寛斎が山田監督に、寅さんが生きている構想を提案し、山田監督は勝手に相談なく映画を作って喧嘩になった」という事件があった。山本寛斎が怒った理由がよくわかった。
全く寅さんが生かされていない。笑いがなかった。
桑田佳祐なんか関係ない。茶化しているだけで違和感の塊。吉岡秀隆が歌えば良かったのに!と1話からずっと一緒に見直していた家族と話していた。
泉のお父さんは寺尾聰だったのに、出れないなら父親が出る設定にしなければ良かった。と思った。
この映画の第1作からの魅力醍醐味は、笑いと人情、社会とズレていても誰とでも友達になれる生きる力強さ。明るさ。時間と季節の流れ。
それらを期待していたから、全然面白くなくて残念だった。なによりも寅さんの立ち位置が変だった。
タイトルの「お帰り 寅さん」じゃなかった。
寅さんは帰ってこなかった。
「今ごろ何やってんだろ」
「あら、お兄ちゃん」
「お帰りお兄ちゃん」
「おかえりなさい。おにいさん」
「あ、おじさん!」
の台詞が欲しかった。
渥美清が亡くなっていても、寅さんが死んでいないなら、寅さんから電話や手紙、SNS投稿やメールがあったとしても良かったと思った。
リリーさんが、この前まで一緒にいたけど喧嘩したとか話したり、とら屋に女性が訪ねてきても良かったと思った。
お祭りのシーンがあっても、お正月のシーンがあっても、寅さんの影や噂があっても良かったと思った。
寅さんを見なかったか捜索の旅をしたり、寅さんを主役として話を進めても良かったと思った。
偽物の寅さんがたくさん出てきて、さくらが違うと否定しまくって泣いたり、お兄ちゃんを恋しがったりとか、なにかくだらなさがあっても良いのではないかとさえ思った。
もっと笑いたかったし、寅さんを感じたかった。
寅さん回想映画風の別物
「お帰り寅さん」というより、「お帰り泉(後藤久美子)ちゃん」といった映画でした。再婚を進める朱美(美保純)にデリカシーが無いと満男(吉岡秀隆)が言いますが寅さんは気遣いの人でした、というより寅さんシリーズの共通のテーマは自分のことより一歩引いて相手の気持ちを慮ること、古き良き下町の人情の機微でしたね。
世の中の失恋に落ち込む青年の多くが寅さんによって慰められたことでしょう。ただ、また振られるだろう症候群を招いたかもしれませんから微妙です・・。
昔気質な人達の共感性があったればこそ大人気の人情喜劇、満男は泉にお節介で暑苦しい父母と言いますが、泉はそういう温かい家庭に憧れていたと答えます。山田監督も下町情緒が年々消えてゆき、人付き合いも変節していることは感づいていればこそのセリフでしょう。
時代遅れのこんな変な男が一人くらい生き残っていてくれても良いのにと思いますが、伝説の人になってしまいました。渥美さんは笑いとペーソスの融合の開祖チャップリンにも通じる偉大な俳優さんでした。
寅さんのDNAは甥の満男にも受け継がれていることは感じますが吉岡秀隆は笑顔より泣き顔が似合うイメージ、「顔で笑って腹で泣く、男はつらいよ」といった継承は難しいので別の映画になってしまいましたが、寅さんシリーズのファンには素晴らしい贈り物、渥美さんへの感謝の映画でした。
要するに、ネットを扱えない高齢者向けの映画
寅さんがこの世を去ってから今まで、時代は大きく動きました。
やはりインターネットというものが普及したことが最も重要な要素だと思います。YouTuberというものが職業と見なされ、様々な才能を持った人が様々な動画を作って多くの視聴回数を稼いでいます。
つまり、現代に寅さんが存命なら「定職のないヤクザ」どころか「すごいことをやって生計を立てている人物」としてもてはやされている可能性があるということです。
そのような時代の変化を、制作陣も映画館に足を運んだお客さんも分かっていないように思えます。
この映画で語られることは、半分は「昔話」です。言い換えれば、回想シーン。昔、寅さんがああいうことをした、こんな女性と付き合っていた、ということで止まっています。
そんなことを言ってる場合じゃないでしょう。現代の価値観で寅さんの生涯を再評価するという作業を、満男ですらしようとしません。彼は作家なのに。
過去のシリーズの名場面集なら、制作陣が編集してYouTubeで公開すればいいじゃないですか。わざわざ映画にする必要なんかありません。
要するにこの作品は、PCどころかスマホも扱えない「情報格差の向こう側の人々(即ち高齢者)」のためだけに作られた代物ということです。
故に、登場キャラの感性が昔と全く変わっていません。
満男に再婚を迫る周囲の人々。満男は「デリカシーがない」と言って怒りますが、それはデリカシーどころかセックスに関わることなんですから、口が裂けても「再婚しなさいよ」なんて言ってはいけません。それが現代の価値観というものです。
ところが、満男の娘までもが父親に再婚の話をする始末。いかにも昭和的な「ありがた迷惑」の感性が、未だに柴又を支配しています。
その上、この作品に出てくるティーンエイジャーはまるで80年代からタイムスリップしてきたような子ばかり。劇中に出てくる「不良を気取った男の子」なんか、2019年の日本に存在しません。
40年前から世界観をアップデートできない制作陣と観客。彼らが考えていることは徹頭徹尾「あの頃は良かった」であり、「もし今の時代に寅さんが生きていたら」「現代の価値観を持った人物が寅さんの生涯を本気で調べたら」という視点はまったく持ち合わせていないということです。
これがいかに残酷か。
ただし、山田洋次監督は今まで何度も「実験的映画」を平気で公開してきた鉄の心臓の持ち主なので(これは誉め言葉です)、この作品に関しても徹頭徹尾計算ずくでやっていた可能性も否定できません。だとしたら、この人とんでもない妖怪ですね(これも誉め言葉です)。
もう一度書きますが、現代にはYouTuberというものが職業として成立しています。それまでは「無職」だの「プータロー」と呼ばれてきた人たちが、その才能と独創性を生かして並の会社員よりも遥かの高額の収入を得られる時代です。つまり、寅さんは現代だからこそ生き様が高評価される(即ち現代の若者に支持される)かもしれないのに、周囲がいつまでも時代に対応しないせいでその機会を逃してしまいました。
そういう意味で、寅さんは既にこの世の人ではありません。
観る側の思い出と出会わせてくれる一作。でもこのストーリーって…
祖父は、時々流れる「男はつらいよ」のTV放送を観ては、日が暮れるのを待つ人でした。亡くなって久しく、もうその姿をあらためることは叶いませんが、この映画で映された景色を通じて、彼の横顔に再会できた気がしています。
さて肝心の内容なのですが、これって『ビフォア・サンセット』でやってた流れそのままですよね?(終わり方は『ビフォア・サンライズ』寄り)
だんご食べようとしたらマカロン出てきたような、「あれ、俺お店間違った?」感に包まれた2時間でした。でもマカロンを食べたい時は初めから洋菓子店に入るんだよなぁ…
良い映画でした
男はつらいよを見てきたから、ちゃんと男はつらいよを見せてもらえました。
面白かったというか、幸せでした。
リリーのくだりも、他のマドンナのくだりも、メロンのくだりも、もちろんみつおのくだりも。
あくまでも、男はつらいよなんだなぁって
ちゃんと、男の映画なんだろうなぁって
男は過去を引きずって、女はその時を生きる、男側の映画なんだなぁ。
もっと脚本を作り込んで欲しかった
満男くんより若干上の世代です。
今まで寅さんはTVでさえ見たことがなかったが、コロナ禍で家にいる間に49作品、通しで見てはまってしまった。先月は宣言開けすぐに帝釈天に詣で、寅さんミュージアムも行ったほど。
そのため期待して、ストリーミング開始後すぐに視聴。
しかし、満足とは言えず。
せっかく20有余年を経てとらやの面々に会えるわけだから、博とさくら夫妻の幾星霜がほんわかと伝わってくるシーンが欲しかった。冒頭からボケたの何ので喧嘩。さくらはしかめっ面。おいちゃんたちの思い出話も欲しかったし。
バイトだった好青年は今やカフェとらやを切り盛りしているようだけど、女房子もいてまさかバイトではなかろうし、どういう立場なんだろうとか、奥さんはあのバイトの女の子かなとか、源ちゃんもお達者なのだから、先代御前様の思い出や懐かしむ一言くらいあったらよかったし、総じてレギュラーメンバーのその後が知りたかったこちらははぐらかされた気分。
そちらに時間が取れないわけはなかったと思う。
志らく師匠とか、サイン会の551おばさんとか、出版社のセクハラ問答とか、理想的すぎる娘との会話とか面白味に欠ける部分の尺をそちらに回せば良かったのに。
そもそも寅さんはいつこの一家から消えたんだろう?
今や「お兄ちゃんが帰ってくる」ことは全く想定してない一家。
そして、泉ちゃん以外の面々も失礼ながら芝居が下手になってしまった。
さくらさんも腕の動きが邪魔だし。
満男くんには全く精彩がない。
博さんに至ってはいてもいなくても程度。
リリーさんは相変わらずうまかった。老いてなお、いいオンナだった。
全編通して、繰り返し何度も見たのは、橋爪功扮する泉パパと満男のやりとり。
ひったくるようにして得た2万円を、めちゃくちゃにたたんでがま口にしまうところなど秀逸。
老い衰えて力を入れないと口がしまらない、ふん、と力を込めて締めた後、ふと左右を見回す泉パパの表情が、なんともリアルで哀れで滑稽で、愛おしかった。
不倫の果てに再婚した妻と、ささやかながら幸せそうだったこの男(役者は違うけど)に、その後何があったのだろう。。。と、この人の人生を見たいと思った。
山田洋次らしさを感じたのは、ここだけでした。
このシーンだけ星5つです。
寅さんストーリーを強制終了させた映画
幼い頃から両親とずっとファンでした。
結婚し、いまは高校生と中学生の息子たち、そして妻も、寅さんが好きです。
「お帰り寅さん」の上映を知り、夢かと思うほど喜び、1年以上首を長くして待っていました。
最近、この映画のDVDが出るというニュースを見て、あらためて自分の中に、あの映画を見た時の感覚がよみがえり、ここにやってきました。
この映画によって、「寅さんはこの世にいないんだ」と、思い知らされることになるとは。
「寂しい」
一言でいうと、そんな感覚しか残りませんでした。
見終わって、妻と無言で帰宅しました。
懐かしいとか、そんな感覚を満たしたいなら、DVDでもBSでも再放送を見れば、それで良いです。
私はこの映画に「ああ、まだ寅さんは生きてて、まだどこかに旅を続けてるんだ」と思えるような、希望を感じたかった。
でも、この映画で、そんな期待は思いきり断ち切られ、私の中の寅さんストーリーは、まったく予想外の「強制終了」をさせられたのでした。
48作で、終わってくれていたらほんとに良かった。
蛇足
・キャラクターが年老いていることを、ことのほか強調する理由がわからない
・泉はなにをしたかったのか。さっぱりわからない(空港でのキスは引いた)
・寅さんを亡霊のように出現させるのは、例えば、美空ひばりをAIで復活させて、多くのファンを傷つけたのと同じように、失礼なことだと思う
・寅さんは、「気配」だけでじゅうぶん。最後に皆がお店の入り口に向かって「おかえり」というだけでも、十分満足できたと思う
山田洋次の脚本力
吉岡秀隆の『なんだ、夢か』っていうベタベタの台詞からタイトルにいったところで震えたの。寅さんって、こういうベタさをうまく見せるよね。
吉岡秀隆は「こいつヘタレなことばっかり言ってんな」ってキャラなんだけど、寅さんの血をひいてる感じでいい。
それで後藤久美子に会うんだけど、ゴクミの芝居ひどいな。ヨーロッパに行ったエリート設定だから「日本語たどたどしいのしょうがないね」って感じで逃げられてるけど。
『あのとき伯父さんは』って回想で寅さんの名シーンが入ってくるんだけど、ここは全部面白いの。
博がさくらに告白するシーンがいい。カメラアングルもいい。でも「三年間、あなたを見てました」ってのは今だと「ストーカー?」「キモ!」で終わりそう。生の強い感情をぶつけるのを、今は避けるし。しかし、さくらは走る。いいよね。
夏木マリの出演シーンも良くて「いま、こういう湿っぽい演技する女優さんがいなくなったな」と思ったんだけど、これ、そういう脚本がなくなってんだよね。寅さんは看板映画だから出演決まった女優さんは嬉しかったろうけど、こういう演技力を試されるような脚本やるのも嬉しかったろうな。
あとやっぱり寅さんシリーズのマドンナといえば浅丘ルリ子。さくらが語るプロポーズを受けるところはめちゃいい。それをあっさり流す脚本もめちゃいい。
回想の各シーンは台詞展開がすごくて「山田洋次すげえ!」と思った。あれを書けるのは尋常じゃない。
本編ストーリーは、まあ、なんだかどうでもいいやって感じで終わったけど、回想が楽しいからいいかな。
観る価値なし
オープニングから桑田佳祐が唄い、セリフまで言い出した。
あの歌は寅さん以外で絶対に聴きたくないのに
セリフまで大きなスクリーンで垂れ流し
もう観ないで帰ろうかと思ったくらい。
最初から「つぎはぎ」は判っていたので問題ないのだが
吉岡秀隆の演技、目つきが気持ち悪すぎる、意味がわからない。
ゴクミはもう美少女でもなんでもないただの美しくもないおばさん。
だから、ちゃんと演技できないとスクリーンに映ってはいけないの。
こんなものよく放映したとおもう。
終了後「これ観た記憶消してくれ〜気持ち悪い〜」って思った
リハビリに寅さんの映画を連続で5〜6本観ましたが、まだ気持ち悪いww
過去作品との決別を。
気になっていた「男はつらいよ お帰り寅さん」を観る。映画だが良くも悪くも想像通りの出来。自分はこの全48作品を何度か全部観ていたので話についていけたけれど思い入れが無い観客には厳しい出来。登場人物の人間関係や時系列を理解していないとその刈り取りだけで疲れる。今回主演の吉岡秀隆の目をひん剥くばかりのダイコン演技にも辟易。もっと喜怒哀楽と表情に出ない詫び寂びを演じられないものか。まだ、娘役の桜田ひよりの演技のほうが自然体で受け入れられた。美保純のガサツなセリフまわしにも違和感を覚える。若い頃はガサツなりに役にはまっていたが久しぶりの映画撮影故なのかかなり浮いていた。美保純の息子役も配役自体要らない。まったく意味不明。そして気になったのがカメラ。柴又駅でベンチに並ぶ二人にすらピントが定まっていない。焦点位置が前後にふらついている。絞り込んで被写界深度を稼げばいいだけではないのか。映画の最後は吉岡秀隆と後藤久美子が未練タラタラで空港でのお別れ。それに出版社編集部の池脇千鶴を加え三角関係の伏線を匂わせる。次回作は後藤久美子の父、橋爪功が危篤となり葛藤の末に緊急帰国した後藤久美子から話が始まりそうな悪寒。この作品は48作目で終わらせておくべきではなかったのか。まさに「蛇足」であったというのが感想。このタイトルに限っては桑田佳祐の唄なんて聞きたくもない。最後にひとつ。映画の回想シーンで有名なメロン事件も取り上げられていた。当時は大笑いして観ていたが今回観返してみるとまったく笑えない。なんだか悲しいシーンに思えてしまった。自分が歳をとったせいなのかも知れない。
昭和ノスタルジーの結晶のような作品です。心が暖かくなります。
昭和生まれなら名前を知らない人いないのでは、と思われるシリーズ作品。
その、おそらくは最後の作品だろうということで鑑賞です。
ようやく観てきました。
ここまでしっかりとしたストーリーが語られるとは思っていませんでした。
すごいの一言です。
現在と過去
「過去」の作品がそのまま回想シーンになり
年を経た現在の役者さんが「いま」を演じる。
見事なリンク。
引きこまれました。
やろうとしても、なかなか出来るものではないです。
「男はつらいよ」だからこそできることかと。 はあぁ ( ← 称賛です)
懐かしいカオがいっぱい。 ふぅ
あっと言う間の2時間でした。 堪能
☆
自慢するワケでもなんでもなく
これまで「泣けると評判」の作品を観ても、泣けた試しがありません。
なのに
歴代のマドンナが「寅さん」「寅ちゃん」と呼びかけるフラッシュバックの場面
きたきたきた。
来ました じわじわと。
北風と太陽
の太陽みたいですね。この作品。
もう少し寅さんの世界に浸ろうと、
パンフレットを購入して帰宅しました。 (←普段ほとんど買わない)
やや高め。 まあいいか。
☆
これから他の方のレビューを拝見しようと思います。
おぅ。 これまた結構な件数
頑張ります。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
寅さんがいる現在を感じたかったが…
男はつらいよが大好きで、公開日に見に行きました。
OPから、PVを見せられ早くも席を立とうと思いながらも何かの仕掛けかもしれないと我慢しました。
しかし、開始早々時代錯誤の連続。
高校生などの若者の言い回しや行動感覚が現実とかけ離れすぎている。
今の老人たちにはこう見えるのか?むしろそうみたいのか?不思議でならなかった
編集長と編集者のセクハラの掛け合いこそがセクハラだった。
ただの気持ち悪いやり取り。必要ないんじゃないかな
と言いたいことはずっと続き、
寅さんの扱いの不自然さ。
寅さんの生死についてはだれも触れない。ただただ不自然に思い出話をするのだが、くるまやにすら寅さんの影が見つからない。いついなくなってふらっと帰ってくるかわからないという感じでもない。
お馴染みのセリフの掛け合いも、セリフが多く説明口調でストーリーは進まない。
以前までの男はつらいよは、セリフ回しや行動、視線の演技などで伝わってたし、今見ても時代を思わせない日常を描けていた。だからこそ、いつ見てもノスタルジックにならず、こういう人いるよな、とかこういうことやっちゃうんだよな~とか思って楽しめる作品だった。
今回の作品は、寅さんがいてくれたら、渥美清がいてくれたらもっといい作品ができたかもしれないという独りよがりな作品だったと思う。
思い出を語るシーンもすべて過去作中でセリフを使わず、感じ取っていたものを突然セリフで全部説明しだし、今までの作品を台無しにするようなシーンも多かった。
内容や宣伝からも新規ファンを獲得できるようなものでもないのに、なぜこんなものを入れたのか、ファンをばかにしているのかと不快に感じた。
最後のヒロインをフラッシュバックで出すシーンも物語と関係なかった。
リリィさんは素敵だった。
出て頂いて本当にうれしかった。だからこそ、あんな思い出を語るだけの役で出してほしくなかった。
あと橋爪功さんのシーンは面白かった。
あのとぼけた顔で金をせしめようとする。アレこそ、寅さんの世界だったなあ
後藤久美子さんに関しては、演技はひどいのは仕方がないとしても、最後までみてだからどうしたとの感想しかなかった。
なにも進んでない、ただ2時間だらだらと、昔はよかったと美化されてしまった世界を2時間見せられてしまった。
しかし、文句はワンシーンごとにある。
こんなものに評価が高いのが許せなかった。
こんなものに渥美清さんが納得するのだろうか
この映画に尊敬した山田洋二はいなかった
満男は寅さんのことをわかっていなかった
満男は今回の映画を作った人たちの思いが形になったものだったんだなと
本当に見終わったあと悔しかった。
思い出話でもいい、再編集でもいい、そう思って見に行った作品がこれはなかった。
くるまやにリリィが訪ねてきて、桜と思い出を語り、満男が小説のネタを探すために寅さんがいた町をめぐり、時代の変化を感じ、最後に草団子をお土産に買って帰り、家には男性がいる。リリィが「懐かしいだろう」とだけ言って終わる
それだけで十分だった。
寅さんがいる現在を感じたかった。
素人にはこんなものしか思い描けないけど、山田洋二の描くものを期待したのが間違いだった
公開日の関係、高齢の出演者の体調など、時間がなかったのかもしれない。
今回どういう思いでこのようなものになったのか、聞いてみたい。
あと、「男はつらいよ」ってタイトルは今の満男には会わないな。
BSで2時間で放送するなら、これで十分ではないだろうか。
寅さん、戻って来て〜♪
男はつらいよシリーズを見てきた者しか分からない映画だった。
桑田さんは別に要らんやろ!と突っ込みたくなる。
車屋とその愉快な仲間達のその後が見れるのはなかなか面白かったけど、ゴクミを今更出す?結婚して去ってったじゃん!ってここも突っ込みたくなり満男なりの男はつらいよって映画になっている。
寅さんがまだどっかで旅してるって事になってるから死人を甦らせたり若返らせるCG技術で寅さんが完全復活する日を待ちたいな。技術的にはワイスピやスターウォーズでできると分かったから後は山田監督がこの技術力を使って撮るかどうかだろう。
寅さん、戻って来てリリーと結婚して〜って映画でした。
寅さん、会いたかったです
"男はつらいよ" シリーズ第50作。
通常スクリーンで鑑賞。
寅さんの新作がスクリーンで観られるとは、なんて幸運なのだろう。その瞬間に居合わせられたことに感謝しつつ、この時間を噛み締めるつもりで映画館へ足を運びました。
ずっと泣きっぱなしでした。本作が公開されると云うことで全作を観た人間なので寅さんファン初心者ではありますが、すでにお馴染みの面々に懐かしさを覚え、シリーズ通してのキャストとスタッフ、そして新しい世代の力が万感の想いと共に籠められていて、常に涙腺が弛んでいました。
満男が小説家になっていたり、くるまやが喫茶店になっていたり(おいちゃんたち、本当に三平ちゃんに譲ったのかぁ…)と、22年と云う月日を感じさせられました。
とても驚いたのが、満男が泉ちゃんと結婚していなかったこと。上手くいったとばかり思っていたので、人生そうはすんなりいかないものなのかもしれないと思いました。
満男のサイン会にイズミが現れたことで思い出すあの頃のこと。そして、伯父さんと過ごした明るい日々の想い出。
お馴染みの面々の現在を描くと共に、様々な名シーンと共に紡がれていく足掛け50年分の追憶が泣かせに来る。
そこにあったのは文字通り、登場人物たちの人生そのものでした。本作のために撮った回想シーンでは無いことがすごく、シリーズ物だからこそ出来る芸当だなと思いました。
みんなの心の中には、美人に惚れ易く、底抜けに陽気で、バカだけれども憎めない、四角い顔のあの人の姿が。
寅さんが満男たちにもたらしたものは、少なからず彼らの人生に大きな足跡を残していました。それぞれの生活があり、それぞれの悩みを抱えながら、それぞれの人生を歩んでいく。
いろんなことがあった。これからだってあるだろう。でも大丈夫。何故なら、いつも寅さんがそばにいてくれるから。
満男の見る幻や回想シーンにしか寅さんは出て来ません。
もちろん、演者である渥美清が死去しているのだから当然のことです。しかし全てのシーンに確実に存在していました。
不思議な感覚でした。キャスト、スタッフはじめ、みんなの中に寅さんがいたからなんじゃないかな、と…。紛れも無く、主演は渥美清氏―寅さんなんだなと思いました。
本作にはシリーズで唯一、エンドロールがありました。シリーズ全体を総括し、上映時間50年の永い映画がここにフィナーレを迎えたような、そんな感慨に浸りました。
寅さんは今でもどこかを旅していて、みんなはその帰りを心待ちにしているんです。さくらだって、寅さんがいつ帰って来てもいいようにと、2階の部屋をそのままにしている。「ただいま」と言う元気な声に、「お帰り」と応えるために。
辛いことや悲しいことがあったら、こんな時寅さんならどうするかな。どんな言葉を掛けてくれるだろうか。そんな風に考えたらどんなことだって乗り越えていけそうです。
そう、私たちには寅さんがいる。「困ったことがあったら、風に向かって俺の名前を呼べ…」。その言葉の通り、何かと生きにくいこの時代にもう一度あなたに会いたいと願ったら、本当に帰って来てくれました。ありがとう。
寅さんの言葉、生き方、考え方、全てが沁みました。寅さんは今の社会をどう見るでしょうか。正しい答えを示すのではなく、寅さんなりのフィルターを通して世の中を見つめ、今を生きていく指針を示してくれるような気がします。
幸せを求めて生きることに、ふとすれば臆病になってしまいがちで、生きているのが嫌になることもあるけれど、「生まれて来て良かったな」と思える瞬間が来るまで、自分のために誰かのために、何が出来るかを考えていくしかないんじゃないかなぁ…。これからも頑張っていこう。楽しく、朗らかに。
[余談1]
桑田佳祐のMVじみたオープニングがイマイチでした。
本作唯一の不満です。
[余談2]
シリーズ全作制覇した翌日に観に行きたくて、仕事を早く終わらせようと意気込んでいましたが、そう云う時に限って残業になっちゃうんですよねぇ…。世の中そんなもん(笑)。
※2020年映画館初め
[追記(2020/07/21)]
実は初鑑賞で気づいていたのですが、あえて言及を避けていました。そんなゲスな深読みをしてはいけない、と思ったからです。しかし今回再鑑賞して、どうしてもその可能性が頭をよぎってしまい、書かずにはいられなくなりました。なんのことかと申しますと、さくらさん軽度の認知症説、です。
冒頭で、さくらの物忘れが多いことをしきりに強調している気がしました。そこからの発想で、実は寅さんは亡くなっており柴又に帰って来ることはない。寅さんがいつ帰って来てもいいように2階の部屋をそのままにしていると云うさくらの発言は、寅さんが死んだことを忘れているからではないか?
死んでいるとしたら、何故仏壇に遺影を置いていないのか。おいちゃんやおばちゃんのものはあるのにも関わらず。それは満男か博が、さくらが混乱しないように配慮して、わざと置いていないのではないか、と云う想像です。
[以降の鑑賞記録]
2020/07/21:Amazon Prime Video(購入)
2020/08/02:Blu-ray
2021/08/09:Blu-ray
※修正(2023/12/27)
言葉で伝えると陳腐になる郷愁感
しっかり「男はつらいよ」を観たこともないし、あの時代に生きたわけでもないのに、心の底から懐かしさが込み上げてくる。
その懐かしさに身を任せているだけで、目頭が熱くなる。あまり感じたことのない充実した時間を過ごした。
費用対効果、時間的内容が非常に高い。
本質的な人間嫌い、孤独主義者以外の全ての日本人にオススメしたい。
欠点はオープニングソング。
悪く言えば桑田のモノマネ。コレジャナイ感が半端無い。オリジナルの口上にも被せてきてイライラのピークだった。
そのフラストレーションはエンドロールで相殺されるわけだが…。オープニングもエンディングも原曲が良いよ。
回想
時は流れて色んな物が堆積していく。少年は大人になり、少女は世界を駆け回る。
壮大な回想だった。
あらゆるものも人も変わっていく世の中で、変わらないもの、それが寅さんのようであった。
亡くなった渥美さんの時間が動く事はない。それと同じように過去の作品が改編される事はない。その記憶がとても尊いようなものであったかのように思い起こされる。
といっても寅さんフリークでもなく、作品を1本丸々観た事もない。
漠然とイメージしてた車寅次郎に初対面したような感じだ。
結構いい加減だ。
案外自分勝手だし、見栄っ張りだ。
メロン一切れで、お構いなしに周囲を罵倒する猛クリーマーでモラハラも辞さない。
へー、こんな人だったんだ。
だけど、人柄が滲み出てる。
思い遣りと愛情に溢れてる。
前出のマイナス面など、吹き飛ぶ程で、むしろちょうどいい塩梅のスパイスのようだ。
会いたい。
あなたのように人と接したい。
この作品はさすがによくまとまっていて、寅さん不在ながらも、寅さんでやってた事をしっかり抱えてくれてたように思う。
完璧な人間なんかいやしない。
理想も希望も実現する事の方が稀だ。
そんな世の中に間違いはないけども、嫌な事ばっかでもないよ。
楽しい事も苦しい事も人間が運んでくるんだから、そこは偏りはしないんだから。
元気だせよ!
なんかそんな事を思った。
もういい歳したおっさんになったけど、ちょっと「寅さん」を始めてみようかなと、昔の映像を観て思った。
山田洋次監督に聞いてみたい。
なぜこの作品を撮ろうと思ったのか。第1作目を撮った時がどんな時世で、寅さんを創作した意図はなんだったのか。
他のレビューでも時々書くけど、寅さんって日本人の良心のような気がする、と。
うん、やっぱり1作目から観てみよう。
なんか、今よりましな生活とかにはならないけども、今よりマシな人間には成れるような気がする。
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