男はつらいよ お帰り 寅さんのレビュー・感想・評価
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不易流行
50作目が制作されると聴いて、上映される日をずっと楽しみにしてきた。
結論、50作目を制作していただきありがとう。50作目に至るまでの歴史を作って頂いた演者さんにも制作者さんにも、ロケに協力した人にも、人気を支えたお客さんにも皆に感謝と労いをしたい気持ちになった。
前情報を入れてから観に行ったが、自分もオープニングで桑田佳祐に歌唱を担当してもらったのは、やはり受け入れ難い。最後のスタッフロールで渥美清の歌唱を引き立たせたという好意的なご意見もあるが、やはり違和感しかない。
本編では、社長の娘のアケミが社長の娘らしく怒りっぽいという設定だったが、あれは怒りっぽいというより情緒不安定な女性としか思えない。くるまやがカフェになっていたが、何故にカフェに?お団子屋さんのままで良かったのでは?カフェにしたならば、相応の描写があるのかと思ったが、ただ三平ちゃんが蝶ネクタイをしていただけで。必然性が無いのでは?
と、批判的なものの指摘もしたが、変わっているからこそ…というものも。やはり劇的に変わったのは、満男と泉の職業。ここまで大幅に変わる必要が有ったのか?有ったと思う。泉は海外在住、家族もいる、仕事も国連というこれ迄の男はつらいよの世界観では出てこなかった突飛過ぎる、ガチガチのスケジュールに縛られる職業。(リリーさんをはじめ歌手とか他職業もスケジュールに縛られてはいるが)仕事はあるものの、フリーランスという自分で働く時間に自由が利く満男の作家業も泉との三日間では、どうしても必要があっただろう。
さくら夫妻の住むくるまやの奥、手すりがついて、いつも寅の座っていた位置には、ソファーが置いてあって。皆加齢に伴うものがあるのか?という描写。おいちゃんとおばちゃんの仏壇の写真。くるまや裏の印刷工場は無くなり、アパートになり。
リリーは、流浪から都内に店を構え。
時代と共に変わっていかねばならない事、時代は変わっても変わらないもの、変えてはいけないものという不易流行を観ていて感じた。
出演者、濱田マリは好きだ。だが、熱烈な満男ファンとして、あそこで出る必然性は有ったのか?もっと出演に必然性を感じなかったのは、落語家の二人。志らくとたま平。この二人は本当に作品の足しにもなっていない、今回のキャスティングにおける、大失敗と思う。何故に老人ホームで暮らす年寄りには自分の面白さが分かってもらえないと嘆く噺家を出さねばならなかったのか?老人ホームで働くちょっとうざい存在の職員は、たま平でなければいけなかったのか?そもそもその職員がいなくても、自然に居室まで案内する職員が一人いれば良かっただけのシーンなのに。個人的見解で、二人とも演者として、好意を感じていない、がしかし、こんな登場しなくてもどうでも良いシーンに出るのでは、二人の良さも出せず、二人も気の毒と感じざるを得ない。
満男は見映えはやはり変わったが、中身は変わってないなあ。さくら夫妻は、その変わった、老化が良かった。一作目の初々しい二人と今の老いた二人両方が同じ作品で楽しめるのは、良かった。さくらが眼鏡のせいか、少し亡くなったおばちゃんに見えたのは気のせいか。泉も私生活では両親の事で苦労をしていたものの、満男と恋をしていた可愛くて美しいあの頃と今の美しいけど、少し疲れ気味の両方がみられて良かった。
孫のユリも池脇千鶴演じる編集者も山田洋次監督が好きそうな、山田洋次作品ファンの好きそうな女優さんの登用だなぁと。可愛かった。
すまけいも関敬六も鬼籍に入り、出演は叶わないのは仕方無いが、存命している役者さんは出演して欲しかったなぁ。鈴木恵美子的役割を持つ人が居たのに、それは鈴木恵美子ではないし、元舎弟で今は堅気の登、秋野大作とかも別役で良いから出演して欲しかった、そして劇団ひとりにも。家族はつらいよには出ていたので、今作品にこそ、きっと!と思ったら…。出川哲朗も若手の頃のチョイ役からバッチリ映るチョイ役に抜擢されて自分は嬉しかったなぁ。
空港での満男と泉の別れのシーン。
全く違うようで、実は形は異なれど車寅次郎とマドンナとの別れの心象風景と被る。
チュッと音がするキス。観ている方も恥ずかしさと共に何とも言えない感情移入の出来る演出。ずっと好きだった、今でも好き。でも、今からではどうにも出来ないと。
そして、歴代のマドンナ達の美しさや魅力が回想…。
たくさん詰め込みたいところを、要所グッとおさえて盛り込んだ、ご苦労が感じられる作品!
上質すぎる 時代を見せつけられる作品を
4かななんて思ってたのはヤボ
冗談じゃねぇ5じゃなくて8だよ‼️
邦画で久しぶりか初めてくらいな感じでこんなに上質な作品を観た
お父さんと一緒に観に行けて良かった‼️
席を立つときに面白くなかったね~って満足そうな顔で言っていて
昔のやつの方が面白かったって言っていた
私も今度昔の作品を観たいな~とも思えた
良い時代の良い俳優さんと寅さんが創れた唯一無二の稀有な作品
溢れる愛にその時代の愛情も感じられました
追記
昔は正月映画の定番だったみたいで、父が懐かしんで話してくれた
良い映画を観ていたんだな~と感心しました
あと高倉健さんの網走番外地がすごく好きな父です
満男君の回想物語
男はつらいよの50作目の作品。
寅さんの色々な回想シーン、名場面にグッとくるものがある。
満男君が様々な場面で寅さんのことを振り返っていくのだが、笑いあり涙ありの名シーンばかり。
前田吟さん、倍賞千恵子さん、佐藤蛾次郎さんもすっかり歳を重ねている。
劇場のみんな自分の人生に照らし合わせているようで感慨深い。
何故だか泣けた
祖母が観たいと言うので正月に家族で観た。
懐かしさとうまく繋いでいるなと感心しながら観ていた。
ラストに、寅さんこと渥美清さんの口上と、アップが流れた時、今までテレビでも男はつらいよはまともに観たことが無かったのに、何故か涙がこぼれた。
生きていて欲しかった?というか、この人、死んじゃったんだなーっていう感じかな!?
観て良かったと思いました。
まったく色あせない暖かさ
44年前、桜田淳子ファンだった中学生の私は、考古学の研究員をしているマドンナ樫山文枝さんと共演していた「葛飾立志編」で、このシリーズに出会った 当時は映画館も「松竹」「東宝」「東映」、そして正月・盆だけ一般映画を上映する「日活」の各々の系列館が自社の作品を2本立にして上映していた 「松竹」はもちろん「寅さん」、アイドル映画の「東宝」、トラック野郎の「東映」が年末から1月2週目ころで息ついて新しい番組に代わるのに、「松竹」は2月1週目くらいまでこの「寅さん」で引っ張っていた 「寅さん」の魅力は学生の私には当時はわからなかったが、暗い映画館であっても「松竹」館だけは、安心して入ることができた あれから40年以上が経ち、自分も社会人になり、結婚をして、家庭を持つ、寅さんや満男、その家族たちも一緒に歳をとって、今日「再会」をしたそんな気持ちです 家族とか親以外の親戚と時間を過ごすことがなくなってしまっている今日、家族や近所の人々との過ごしてきた時間が人格を作るものなんだ、と暖かい気持ちになりました 失礼ながら山田監督がどのように過去の作品を取り入れるか心配をしましたが、まったくの杞憂でした この間山田監督が社会的な発言をされることもありましたが、監督の社会に対する思い、働くものへの敬意、それが現れていて嬉しかったです
自分にも世話になったり、鬱陶しい親戚がいてもそれが年月を経て、自分への愛情であったことに、遅すぎても気づかせてくれる作品でありました
「寅さん」は毎回全国各地が舞台になっていて、今のNHKのドラマのように自分の街でロケをして欲しいといった誘致合戦がありました 私が住んでいた和歌山の舞台になったホテルは年月を経て、先日取り壊されました
シネコンの時代になって今回のこの作品、「東宝色」「東映色」の強いシネコンなどでも全国各地で上映され、国民全体が「おかえり」と言っているような気持ちがしています
出川哲朗さんが寅さんシリーズ6作目の出演と聞いて、毎回ちょい役ながら彼を使い、彼の人間性と今回も久々の起用をしたスタッフの暖かさを感じました
(2020年1月1日 イオンシネマりんくう泉南にて鑑賞)
心には寅さんがいて
劇場内は其々が想い出話しに花を咲かせ、泣き笑い、幕が降りると自然と拍手が巻き起こる、こんな空間が生まれるのが『男はつらいよ』なのである。前評判通り“ニューシネマ・パラダイス”を彷彿とさせるエンディングは涙腺にくる。誰しもが「お帰り」の思いが込み上げるだろう心の故郷である本作、幸せな一時であった。
温故知新
寅さんのはつらつとした姿に、笑いと涙が止まらない。
寅さんと周りの人々のやりとりは、心のふるさとだ。
懐かしさと嬉しさ、そして愛しさが込み上げてくる。
現代の大人の問題に、寅さんが寄り添い、そっと肯定してくれる。
若い日々の美しさを再認識し、これからの日々を考える。
そんな、お正月に観るに相応しい、とても優しい映画だ。
寅さんを映画館で見られる幸せ
私は男はつらいよはテレビでしか見たことない。テレビの前で、寅さんをきっかけに巻き起こる家の中のすったもんだのやり取りがとても好きだった。
同監督作品のおとうとでもそうだけど、まわりが気をもんで世話を焼くのにちっとも考えを改めてくれない、そんなどうしようもない人間が描かれていて、それが話の核なんだろうなと思う。
ただ、当人だって自覚はしているのに、自分で自分のことがもうどうしようもなくて情けなくなる...そういうやるせなさって、きっとドジ踏んで、やけになって、もがいてても報われない...その最後の最後に出てくる涙に想いが乗っかって、見ている自分に届いたのかなと、見ながら涙していた。
お正月に素敵な映画が見られて、幸先いいなと感じました
劇場初鑑賞
とらさん、テレビを含めてきちんとみた記憶はありませんでしたが、見てきた。吉岡くんの満男、後藤久美子さんの泉。元の回も見たことないのにすごく楽しめました。そしてほろりと泣きました。心もあたたかくなれて、みてよかったなと思う。見たことある人しか楽しめないんじゃなくて、考えられてきちんと作られてると感じました。
寅さん…逢いたいョ〜
オープニングの桑田佳祐の歌は違和感が有ったけれど、彼もきっと寅さんを愛していたのだろうネ…
違和感が有れど熱唱した分想い入れを感じた。
今回、寅さん映画画再び観れる喜びは何物にも変え難く、山田監督に感謝したい。
オープニングから最後まで涙が止まら無かった。
渥美清さんは現実世界では亡くなったが、寅さんは今でも何処かの空の下で旅を続けているのだ。
光男が寅さんを想い興す度に走馬灯の様に寅さんが現れる。
全て観てきた場面場面を覚えていて、思い出す度に涙がでてしかたなかった。
渥美清さんが亡くなり映画も撮られなかったので寂しい思いをしたが、この度の映画で寅さんは永遠に我が心の中には生きている。
それは、出演者にとっても同じなのでしょう。
令和に寅さんを観れる幸せ
何かと不評の桑田ですが。
桑田は自身の番組に「音楽寅さん」というタイトルをつけるほど寅さんや山田洋次のファン。
一方で、山田は「男はつらいよ」を歌う桑田の映像を目にした際に「実にうまい!」と絶賛。
最新作に向けて桑田に熱いラブレターを送ったとの事。
座頭市の勝新太郎
俺たちの旅の中村雅俊
巨人の長嶋茂雄
新日本プロレスのアントニオ猪木
そして、男はつらいよの渥美清
永遠に忘れられない私の昭和の大スターです。
懐かしさに涙
松竹のマークと主題歌の前奏。それだけでこみあげるものが。少年時代から盆暮れは寅さんの時代があった。二本立ての併映は変わっても不動の四番バッターだった。
そんな中、存命の懐かしい面々。みんなの居間の上がりに手すりが、博はチェアのほうが居心地良さそう。ああ、時代を感じる。
落語のまくらのような夢シーン。本編につながるこのスタイルは変わらない。
満男やさくらだけでなくリリーや泉を懐かしく見る自分。この人たちは、僕の心の家族のようだ。思わず涙。
笑い、泣き、ほのぼのと。満男の目を通して、観客席の僕も寅さんを思い出す。「寅さん、ありがとう」と言いたい。
文字通り「男はつらいよ」の50作目です
予告編や制作発表時の山田監督のコメントから、「ああ、これまでの総集編を作るのか」と思っていたところ、蓋を開けてみたらやっぱり最新作と言える作品でした。確かに、回顧・懐古シーンは多いですがそれは22年ぶりの作品だからこそ。過去シーンも自然に振り返ることが出来ているので違和感がないし、やっぱり涙が出るほど笑えます。
マイナス点として出演者などが挙げられていますが、まーそこは山田監督や朝原監督はその時々のお騒がせ人物を起用するのは恒例なので…。
あなたのそういう優しいところは、わたしはキライ
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』までの各作はDVDも含めて鑑賞、その後の作品は間を置いて鑑賞という、中級レベルの寅さんファンです。
さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)の息子・満男(吉岡秀隆)は、サラリーマン勤めの後、小説家に転向し、評判作も出版できる、ひとかどの小説家になった。
6年前に妻と死別し、いまは高校生の娘ユリ(桜田ひより)とふたり暮らし。
ある夜、高校生のときからしばらく恋心を抱いていた初恋のひと・泉(後藤久美子)の夢を見る。
なんの偶然か、それまで嫌だった大型書店でのサイン会に件の泉が現れる。
彼女は、満男との交際の後、ヨーロッパへ渡って結婚し、現在は難民支援のUNHCRの職員をしているという。
日本での滞在は短く、満男との再会を喜ぶのも束の間、泉は疎遠だった父親のもとを訪れることになる。
彼女の父親は、かつて妻と娘の泉を棄てて、別の女のもとに走った経緯があり、泉はそれを赦せない・・・
という物語で、その合間合間に満男やさくらや、永年の寅さんの伴侶ともいうべきリリー(浅丘ルリ子)による寅さん(渥美清)の回想が入るという構成。
この構成、20年以上前に渥美清が亡くなっていることを思えば、これ以外に手はない(『スター・ウォーズ』最新作のキャリー・フィッシャーの手法は使えない)。
そして、使われるシーンも名場面ばかりだ。
メロン騒動、満男の運動会へ寅へ代参することでのすったもんだ、さくらからリリーへ「兄と一緒になってくれると嬉しい」と代替プロポーズの一幕、博が寅にさくらとの結婚を申し出てキッパリ断られる一幕などなど(その他には、泉と満男の過去のいきさつなども挿入されるが、これは物語を動かすだけの役割のように感じられる)。
ここで使われた寅さんのシーンは名場面、爆笑の一幕であるのだけれど、これを撮ったときと現在とでは山田洋次監督もさぞや心変わりをしてるのかもしれない。
使われたシーンは、寅さんを愛おしく思えるシーンばかりであるが、それは後年、年を経て振り返ったときに、である。
特に、第1作では、寅さんを愛おしいと思うだけでなく、どことなく嫌悪感もあったような気がする(小市民に対する嫌悪感とでもいえばいいのかしらん)。
特に、博がさくらとの結婚を告げに行ったところ、
博「ぼくの気持ちがわからないんですが」
寅「わかってたまるか。俺をお前は別人だろ。早い話が、俺がイモ食って、お前が屁をこくか」
ってところ。
理屈はわからないが感情が収まらないので、なんだかわからない屁理屈(まさに、屁・理屈)でやり込めるあたり、この小市民的な行動を山田洋次は「可笑しいが、共感すべきではない」と感じていたような気もする。
その後の、メロン騒動、満男の運動会へ寅へ代参するしないで表出する寅の、ひがみっぽさや理屈の通らなさなども、「可笑しいが納得はできないねぇ。まぁ、少しは共感するが」みたいなスタンス。
そして、泉に恋する若き満男に対して、「心の中で思っていても、何も足してしないんじゃ、愛しているとは言えないんじゃないのか」と説教しながらも、「そういう、おじさんはどうなの」と切り返されるとへどもどしてしまう寅。
こういう寅さんの行動に「もどかしさ」を感じていたのは山田監督自身だろうが、そういう寅さんを愛している大多数の観客に「NO」ともいえないもどかしさ・・・
そういう意味では50年に渡る日本人論的な映画なのかもしれませんが、寅さんの一家(代替わり、商売替わりした「諏訪」一家)は、もうある種の幻影でしょう。
で、極め付きが、ラストの満男と泉の別れ。
6年前に妻を亡くしたことを隠していた満男は別れ際に泉にそのことを告げる。
「君に負担を掛けたくなかったんだ」という満男に、「そういう、あなたの優しいところが好き」と泉は抱擁し接吻をする。
初期の寅さんには、愛おしさと同時に多少の嫌悪感があったのだけれど、寅さんの心根とまったく同じ満男に対しては、全面的に赦してしまう・・・
個人的は、泉は「そういう、あなたの優しいところが、もしかしらた嫌だったのかも・・・」と言いながらも抱擁する。そこで、満男は泉との3日間の夢から醒める必要があったと思う。
高校生の娘に、「3日間、どこかへ行っているようだった」と、まるで母親のように言われているようでは仕方がない。
50年の歴史も感じ、久しぶりに寅さんを大画面で観れて、面白い映画だったのだけれど、どこか生理的は落ち着きの悪さを感じる映画でした。
若いひとが観ると、どう思うのかしらん。
そもそも、若いひとは観ないか・・・
寅さんに会いたくなる!!
泣かされました、鑑賞後もじわじわきて、ウルウルしてしまいます。
泉の、満男さんみたいな家庭だったら、海外へ出なかったかも、という内容のセリフに、お節介で暑苦しい家族の有難さと失敗した人を放っておけない優しい気持ちが何より大事と思えます。
日々の自己中な考え方を見直すきっかけになりました。寅さん、山田監督、出演者のみなさん、スタッフの方々に心から感謝いたします。どんな時代でも寅さんは私たちの永遠の道しるべです!!
最近は、不幸や貧困、トラウマなどをテーマにして深みを出そうとしている内容の薄い邦画が多い中、山田監督は流石です。次回作も楽しみにしています。
1つだけ、、、桑田さんは監督の遊び心!?
桑田さんからの寅さんへのオマージュ!?
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