「島国ニッポンのムラ社会を描く力作」楽園(2019) りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
島国ニッポンのムラ社会を描く力作
原作は『怒り』『悪人』『さよなら渓谷』の吉田修一。
映画化作品をこのように並べると、自ずと今回の作品もどのような映画かわかるというもの。
近くに山並みが続く田舎町。
ある日、ふたりの小学生女児がY字路で別れた後、ひとりが行方不明になってしまう。
町では捜索隊を組織して懸命に探すが、赤いランドセルが川端で見つかったほかは何も持つからなかった。
それから12年。
再び同じY字路で、またもや女児が行方不明になってしまう・・・
といったところから始まる物語は、いわゆる犯人探しのミステリーのようにみえるが、映画の焦点はそこにない。
描かれるのは、島国ニッポンのムラ社会。
小さな共同体を維持するために余所者・異分子を徹底的に排除する、というもの。
物語は概ねふたつで、それぞれ吉田修一の連作短編に基づいている。
ひとつめは先に書いたY字路の物語。
余所者と目されるのは、文字どおり移民(本人たちは難民と言っているが)の青年。
タケシという青年を綾野剛が演じている。
12年後に起こった事件、そして12年前の事件の犯人と決めつけられ、村人たちに追われ、結果、焼身自殺をしてしまう。
ふたつめは、親の介護のために故郷に戻った中年男の物語。
介護のためのUターンを村のひとびとは、「立派だ」とはいうものの、一度村を棄てて出ていったことに変わりはない。
さらに、養蜂で村おこしをいうに至って、異分子とみなされる。
徹底的な排除により、怒り心頭に達した男は、村人たちを惨殺してまわる・・・
戦前に起こった「津山三十人殺し」を彷彿させる中年男・善次郎を演じているのが、佐藤浩市。
このふたつの物語で描かれる排他的悪感情は凄まじい。
田舎のことだと決めつけることはできず、現在の都会のコミュニティやSNSのなかでも同様のことは起こっている。
SNSでは、ただ直接的な接触がないだけ。
だから、観ていて恐ろしい。よそ事、とはおもえないから。
そして、ふたつの物語をつなぐ役割が杉咲花演じる紡(ツムグ)という少女(12年後には成人しているが)。
紡はタケシにも善次郎にも悪感情は抱いておらず、むしろ、他の国から来た存在、別の世界をつなぐ人としてみているのだろう。
なので、紡は都会へ出て、ひとりで生きていこうと決意する。
タイトルの「楽園」という言葉は終盤2度登場する。
ひとつは、タケシが語る台詞の中。
そこでは、「ディストピア」としての意味を語るのに用いられている。
ふたつめは、ラスト。
紡の幼馴染のヒロ(村上虹郎)が彼女に投げかける台詞で、ここでは文字どおりの意味で使われているが、これはこの作品では余計なことだったのではありますまいか。
製作者サイドは、いわゆる「明るい希望」を表すようなラストにしたかったのだろうが、この台詞でガクッと腰砕けになってしまいました。
とはいえ、かなりの力作です。