「ラストパラダイス」楽園(2019) いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストパラダイス
原作未読 ぜぜイズムというか、かなりの酷しいリアリティを観客にほおりなげる作品である。群像劇の様相を呈してるのは、原作の二つの短編を合体した作りになっているからであり、三人の主要人物が薄い範囲で影響し合う構成。直接的にはストーリーは混ざってはいないし、“場所”という基礎のみが同一されていて時間軸が流れていく。
まず、何が難しい内容かと考えるに、このシチュエーションを経験していないから感情移入ができない、故に心情を咀嚼することが難しいことが上げられる。なぜならば、今作のような“村”という限界集落の現実というものをメディアを通じてでしか知り得ない立場からすると、“村”の陰と陽をステレオタイプでしか捉えられないのである。
共通項は『閉鎖社会に置ける暴力的排他性』。一方は『スケープゴート』もう一方は『村八分』という邦画が60~70年代に得意としていたホラーサスペンス要素の復活を匂わす画力だ。しかし探偵みたいな立ち位置がいないのであくまで種明かしはなく、問題解決のない、カタルシスとは真逆の着地である。ラストの女の子の決意は物語の救い的な落とし所になっているが、チョッカイだし続けていた男が突然の白血病的な展開きっかけに少々の不自然さを得てしまう。何だかんだツッコミ処は散見してしまうのだが、テーマ性が人間の本質を如実に表現されて、その深さとあからさまな叙情の溢れ度合いに斜め目線を許さない迫力をビシビシと浴びせかけてくるのだ。
村人達の容赦ない感情の吐露、全てを自分達に都合良く納めて楽になりたいと思う強欲さ、川に溺れた犬を棒で叩く事に血眼になる、まるで地獄のような惨劇。そこには救いなど在りようもなく、唯唯、強烈な『業』が幅を利かす世界が拡がるのみ。タイトルである『楽園』とはそんな掃き溜めのような世界であり、それが世界中に存在する社会なのだ。自分の楽園を作る事すら認められない追い詰められ方は、暴発をも受け入れなければならない、そんな自然の道理を人間は今一度思考すべきだと思い返される作品である。
ヤフコメで散見される“自己責任論”、を言い放つ輩がこの田舎の連中と同じ。劇中では主人公の女の子は全てを抱えて生きていく決心をする。翻って、コメ住人達は気持が引っ張られる事に苦しい故、楽になりたい、荷物を卸したい一心で、自分には無関係なのにスパッと切り捨てる。まるで柄本明演じる老人と同じだ。エンディングを思い出して、そのことが痛い位充分理解出来た気がする。