「居場所があれば「楽園」はいらない」楽園(2019) denebさんの映画レビュー(感想・評価)
居場所があれば「楽園」はいらない
綾野剛と佐藤浩市が演じたのは、この閉塞的な社会における受難者の姿。
あんな弱々しい綾野剛を初めて見た。腕は細く、歩き方もたどたどしい。母に精神的に捨てられても離れられず、いやな仕事もやめられない。不本意な生き方から抜け出すには、自己効力感が必要だが、まずは自分が安心できる居場所がなければならないのだと、「豪士」の言葉から学んだ。
誘拐犯と疑われた「豪士」に最初に気づいて声をかけるのが、村に新入りした佐藤浩市の「善次郎」だった。村人に追い詰められて自死した「豪士」を見る側だった「善次郎」が、ふとしたことから村人に拒絶される。妻に先立たれ、味方は愛犬しかいない。
「よそ者、若者、ばか者」がムラを変える、と地域振興について言い古されてきた。しかし、変われないムラがある。異質なものや、既得権益をおびやかすものを排除しようとする力には、「よそ者」一人では抗えない。いや、「善次郎」はやってのけた。限界集落の中で働く同調圧力を一人ではね返したのだ・・・
同質性と一体感は別のものだ。(ラグビー日本代表の「ワンチーム」は、多様な個性を持つメンバーの相互理解とリスペクトに基づいていると思う。)同調圧力の強い日本で、SNS等で憶測や偏見があっという間に広がったりして、少数派の生きづらさは増すばかり。いつ自分が攻撃・排除される側に立たされるかわからない、また、誰かを排除することに加担するかわからないというのは、大きな問題だと改めて思った。
杉咲花が演じた「紡」の美しさに息をのんだ。「豪士」と「善次郎」の両方に関わり、ムラのしがらみと格闘しながら、生き抜く決意を強めていく。エンドロールの主題歌とともに、救いをもたらしてくれた。