ぼけますから、よろしくお願いします。のレビュー・感想・評価
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身内をドキュメンタリーの素材にするのは勇気が必要
淡々と親の老いる姿を追う
長生きするという事
この道はいつか行く道、通るかもしれない道
ドキュメンタリー作家の信友直子監督のご両親、高齢であるが広島県呉市でご健在。
だが、どうにも母親の具合がよくない。
医者の診断ではアルツハイマー型認知症になっているという。
監督のお父さんは90歳にして家事をすることになる・・・
という、まぁ、ぶっちゃけていうと、これまでにもかなりの作品が作られている分野のドキュメンタリーなのだけれど、お父さんもお母さんもユーモラス。
ただ、ユーモラス、というだけでなく、永年生きてこられたことによる頑固さなどがあり、それが観ていて面白い。
初期段階では「どうして、こうなっちゃったんだろうねぇ」と不安な様子も映し出され、それを監督が撮っていると「わたしばかり撮るな!」と怒り出すあたり、観ている方としては「そりゃそうだろうね」と納得する。
ヘルパーさんがやって来ると「家の片づけはしなきゃいけない」と奮ったりし、ヘルパーさんからの提案を「うん、そうね」と素直に聞き入れるが、帰ると「わたしはデイサービスみたいなところには行きたいんだよ」と言う。
このあたりの外面の良さも、「そうだよねぇ」と納得できる。
お母さんがあまりにゴネてしまったときのお父さんのひと言が効いている。
「お前は、気位が高すぎるんじゃ」
ははは、そうかも。
認知症になったからといって感情や本性(アイデンティティ)までは喪わない、そういうことも聞いたことがあるし、その通りなのだろう。
そういう感情やアイデンティティと向き合うことが大切なのだろう。
この道はいつか行く道、通るかもしれない道。
通り方はそのひとそれぞれかもしれないが、通る時の挨拶は、『ぼけますから、よろしくお願いします。』。
遠くない日本の未来
「日記」か「ある視点」か
観察者の視点と状況への参加者の視点。
この双方をどのように映像に埋め込むのか。これが本作品の重要な課題だろう。
認知症を患う実の母親を(そもそも認知症を「患う」という言葉で語っていいのか、さらに言えば「認知」症という名付けでいいのか、これもまた考えなければならないのだが)、カメラで捉える彼女の視線は娘のそれではない。そこにあるのは、監督者であり映像表現者の姿だ。
本来はその場に参与すべき家族であるにもかかわらず、冷徹なまでに客観的な視線を送る彼女の姿はわからないでもない。だがしかし、そうであるがゆえが、映画を観る者にとっては複雑な思いにさせられる。
彼女の中にある観察者の視点(監督)とその場への参加者の視点(娘)の視点は、果たして重層的たりえただろうか。
我々をして観察者足らしめる視点というものは、言い換えればエゴイスティックな俯瞰であり、ワクに嵌め込もうとする理解である。これについて、この映画を通して我々は反省的に自覚することを迫られる。
この作品はドキュメンタリーである。
ドキュメンタリーであるがゆえに、本来は、そこに登場する人々の言葉が生の「血の叫び」として我々に届くことを、人は期待する。しかし、本作品において、観察者=参加者であるがゆえに、この「血の叫び」が一般化されてしまった。前提として、観察者=参加者であることを共有化してしまった我々オーディエンスは、いくら自分の身をそこから引き離そうとしても参加者たりえなかった彼女のカメラワークの支配にある。だから、その視点からしか、語れないし視ることもできない。
だからかえって、
両親を賛歌するだけに終始する薄っぺらな作品としないことを意図していたのであれば、監督者自身の「血の叫び」を、もう少し丁寧に描き切って欲しかった。小さい頃から、なんの不都合もなく、両親の愛情を一身に受け、そのことを躊躇いもなく語ること(一人っ娘で、国立中高一貫校に進学し、映像の中にもあるような大学「名」を受験をし、映像プロデューサーでであること披瀝する。このような、本来は必要のない「字幕」を入れ込むこと)ーこのような饒舌なしで、この「ドキュメンタリー」を語っていたとしたら、彼女が語った言葉ー「寄り添う」ーもさらに身に迫ってきたことだろう。そして、さらに言えば、彼女の病魔の宿痾をさらにオーディエンスの身近なものとしたいたことだろう。
本作品がが小賢しい日記でないとすれば、そしてまさにドキュメンタリー映画足らんとするのであれば、、そこには、全ての者(それを「演じる者」、それを「語る者」、そしてそれを「受け止める者」)の呻き、嘆き、泣き、笑いが描かれていて欲しかった。せめて、両親の製作者へと向けた「慟哭」を受け止め、その言葉で投げ返す、そのような「声」を聞きたかった。
自動洗濯機を使わない父親の3時間は、娘への「問いかけ」であり、それに答えた彼女の声は、やはり「観察者」の視点でしかない。参加者は、否定と肯定の言葉を持ちうるが、観察者はそうではない。その告白ではないか!!
この映画の100分余り、
「私を殺してくれ」の叫びの意味ばかりを考えていた。
辛いなぁ
人生最高の作品に出会うことができました
大反響のテレビドキュメンタリーが映画になった!
『ぼけますからよろしくお願いします』
娘が撮ったご両親の物語が、フジテレビのMr.サンデーとゆー番組で前編後編に分けて放送されたとき
わたしはこのつづきを、その後のご両親をもっと観たいと思った。(それくらい、ドキュメンタリーのなかのご両親が魅力的だったのだ)
そんなふうに思った人はたくさんいたらしく
それからしばらくして、BSフジで2時間のドキュメンタリーとして放送された。
認知症になった85歳の母を95歳の父が支える!
またしても多くの人がもっと観たいと願い
この度映画化となった!
起こっていることはハードなのに、映画館の中は
優しい笑い声と静かな泣き声に包まれていた。
混乱していく母
「迷惑かけるね。ごめんね。」
そう言う母に
カメラを持った娘が優しく語りかける。
仕事を辞めて実家に帰ろうかと言う娘に
95歳の父が言う。
「あんたはあんたの仕事をしなさい。わしが元気なうちはわしがみるけん。」
お父さんの覚悟に心うたれる。
いいご家族だなーいいご夫婦だなーいいご両親だなー
観ている間中、観終わってからも、ずっと優しい気持ちになる。そしてまた会いたくなる!信友家のお父さんお母さんに!
どんなに大変な状況に追い込まれても、人は明るく幸せな時間を持てること。人には幸せに生きようとする力があること。
お父さんお母さんを観てて、そう思う。
監督自身もまた、人間のそういった力を信じているのだと思う。
運命を受け入れるお父さん!
絶対に諦めない!
98歳の男の美学!
とてつもなく、カッコいい!
こんなカッコいい98歳!
めったにいない!
お母さんもとても可愛いらしい!
ほんとーの優しさは、強い気持ちからしか生まれないんだなーー。
この映画から、多くのことをいただいて、感謝しかない!
お父さん、
お母さん
監督
そしてスタッフの方々に
心から感謝します!
ありがとうござます😊
ほんとーに
おすすめの映画です!
ぼけますから、よろしくお願いします
私の親でした
地方で離れて暮らす、老いていく親とどう向き合う?。少なからぬ人たちが抱えている問題を、直接的に投げかけている映画です。見ていて苦しくなるはずなのに、そうでもないのは、出演者であるお父さん、お母さんがとても愛すべき方々で、おそらくそれはとても特別なケースではなくて、戦中・戦後を責任をもって生き抜いた人たちの典型なのかもしれない気品が感じられたからだと思う。実際にはもっと難しい、悩ましいケースがたくさんあると思われますが、老いって当たり前に訪れるのだ、恥ずかしいことでもないし、目をそむけることでもない、と感じさせられました。ご両親と監督の一日でも長い安らかなくらしを祈りました。一緒に観ていたのは60代以上の方々が中心でしたが、20代、30代の方にも観てほしい。
洗濯機を買うことよりカメラを撮ること
必ず見た方がいい。
こんなに胸に突き刺さるのは、誰しもが当事者になり得るからだろう。
家族の問題はデリケートなものなので、なかなか他人に相談することができない。
自分ひとりでで抱えてしまいがち。
この映画はとても勉強になりました。
3時間もかけて洗濯のすすぎをする場面が流れます。
「洗濯機を買ってあげなよ。」と思ってしまったのですが、そうではないと気付きました。
洗濯機を買うことは、小さな問題の解決にしかならない。
でも、現実を直視すること。
ありのままをカメラで記録に残して、それを世に投げかけること、そして広めることが、大きな問題解決につながっていくのだと思いました。
そう作者は考えたのではないでしょうか。
自分の家庭内を世に見せることや、どんどん老いていく両親をカメラで撮影し続けることは、胸がかきむしられるほど苦しかったと思います。
でもそれによって私は知ることができたし、考えることができました。
作者にはありがとうを伝えたいです。
「やっぱりお父さんとお母さんの子に生まれてよかった。」と、いつか来る最期の日に思うことができますように。
ご家族の幸せを祈ります。
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