「神の崇高で残酷な御業」永遠の門 ゴッホの見た未来 masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
神の崇高で残酷な御業
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18年前、メルボルンにひと月ほど滞在した間に、同市内の美術館で開催されていた印象派展で「ローヌ川ので星月夜」を鑑賞したことがある。その圧倒的迫力に心を奪われ、気が付いたら40分ほどその前に立ち尽くしていた。
1888年9月の作品。ゴーギャンがアルルの黄色い部屋を訪れて共同生活を始める直前だ。作家としての自負心も働いて野心的に創作を重ねた、ゴッホにしては割と健全な時期だったのではないか。
映画ではこの辺りの場面は描かれなかったが、運筆の速さをゴーギャンに嗜められるシーンが、18年前に実物を鑑賞した時の記憶と重なった。ゴッホは神に示された眼前の景色を「天啓」として受け止め、その余韻が消えぬうちにキャンバスに留めておきたかったのではないか。
ウィレム・デフォーのゴッホは正気と狂気の狭間で苦しみ悶える選ばれし男を見事に演じていた。30台半ばから亡くなる37歳までにしてはちと老けてはいるが、狂気に苛まれた人特有の近寄り難さは感じられず、何とかして救ってやれないかと思わせるいたいけな感じが良かった。神の領域に近付こうとする純粋さが、よくも悪くも稀代の作家の本領だったのだろうと思わされた。
画面の下半分の被写体深度を変えた表現技法は、ゴッホの見えを表現するにはいささか凝りすぎでかつ分かりにくかったのではないか。ゴッホの視力に問題があったのかと観賞後に調べてしまった。映像作家としてのどんなこだわりも、ゴッホの作品に迫ることは不可能であり、その原風景を素直に撮すだけで十分な映像美を讃えていただけにもったいない工夫だった。
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