「我々一人一人の物語。これは、映画である」ROMA ローマ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
我々一人一人の物語。これは、映画である
昨今話題と注目留まらぬネット配信映画。
今年は特に象徴する出来事が。
アカデミー賞に於いてアルフォンソ・キュアロン監督作『ROMA ローマ』が監督賞含む3部門で受賞。
今後さらにネット配信映画の勢いは加速するだろう。
ネット配信映画を見れる環境ではない故、見たくても見れなかった『ROMA ローマ』。
そしたら、アカデミー賞が追い風になったか、全国のイオンシネマとの提携で劇場公開が決定!
隣町にイオンシネマがあり、調べてみたら、上映するではないか!
イヤッホ~!…とばかりに、急遽地元の映画館でも上映が決まった『グリーンブック』より先に観に行って来ました。
1970年代、メキシコシティにある“ローマ地区”。
そこで暮らす中流家庭と、仕える家政婦の日常。
これはもう、小津安二郎の世界だ!
大事件や劇的な出来事は一切起こらない。少なからず当時のメキシコの出来事や事件にも触れられているが、あくまで背景で、平凡な営みを、静かに、淡々と。
一見そうでないように見えて、実は相当の技術力が掛けられている。
白黒の映像美。流麗なカメラワーク。映像の美しさ、見事さは神がかり的!
生活感のある家の中の装飾、雰囲気満点の町並み。ああいう昔も今も変わらない風景って、どの国にもあるんだね。
何気ない日常生活の音。町中の喧騒。地震や森火事や暴動や押し寄せる波の音響などはハイクオリティー。
それらを創り上げ、まとめたキュアロンの手腕は芸術の域。こりゃ監督賞は当然。
確かに玄人好みの作品で、合わない人は合わないかもしれない。
こういう作品を作る時、必ずしも劇的な出来事や歴史的事件を描かなければならないのか。
否!
時代も違う。国も違う。
でも我々は、我々と変わらぬ人々の営みを通じて、その時代、その国、そこで生きた人々の息遣いを見知る事が出来る。
それも映画の在り方、映画を見る醍醐味の一つである。
映画らしい山場/見せ場は無いが、しかしこの一家と家政婦にとっては、平穏だった日常の中に“劇的な”出来事が起きる。
家政婦の恋。妊娠。失恋。破水し、赤ん坊は…。
不満も不自由も無いような家族。が、父の“出張”をきっかけに…。
それぞれの喜怒哀楽。
我が子を亡くし、塞ぎ込む家政婦を、一家は旅行に連れて行く。
海で子供たちが溺れかけ、助ける家政婦。
我が子は助からなかった。胸の内を吐露する。
そんな家政婦を、一家は愛で包み込む。
本作のハイライトと言えよう。
キュアロンの半自伝的物語。
キュアロンの実際の生い立ちとは違うようだが、根底に繋がるものは同じ。
あの時代、あの日、あの家、あの場所、家族や周囲のあの人たち…。
今も目を閉じると、瞼に思い出す。
異国の昔の他人の物語などではない。
我々一人一人の物語。
先日、映画史上屈指のフィルムメイカーが、ネット配信映画は映画じゃないと発言。
はっきり言ってこれは、偏見であり暴言である。
『ROMA ローマ』も元々は劇場公開映画として作られた。しかし映画会社が、こんな映画に金を出せるかと門前払い。そんな時製作の場を与えてくれたのが、たまたまネット配信の会社であっただけ。
映画会社に断られた映画が絶賛され、栄えある賞も受賞し、映画会社の見る目の無さ、ネット配信会社の評価を高めた結果になった。
映画の製作/スタイル/公開法なんて時代によって変わる。
VHSが普及した時も似たような意見があっただろう。DVDやBDへ移り変わる時だって。
それが今は当たり前になった。ネット配信の映画だって、いつかは…。
劇場公開とかネット配信とかでなくとも、本作は紛れもなく一級品の作品。
これは、映画である。
名画である。