女王陛下のお気に入りのレビュー・感想・評価
全286件中、41~60件目を表示
飾りを捨てた女達の宮廷愛憎劇
単なるドロドロした愛憎劇ではなかった。本作は、史実と愛憎劇を巧みにブレンドしていることと、宮廷を舞台にしたことが奏功している。ブラックユーモア、卑猥な台詞は飛び交ってはいるが、気品ある三人の女達の宮廷愛憎劇として出色の出来映えの作品である。
本作の舞台は、18世紀初頭のイングランド宮廷。アン女王は、健康に恵まれず、優柔不断であり、大切な決断は、側近のサラ(レイチェル・ワイズ)が牛耳っていた。ある日、サラの従妹と名乗るアビゲイル(エマ・ストーン)が召し使いとして雇われる。そして、サラとアビゲイルは、女王の側近の座と、寵愛を得るために、激しく競い合っていく・・・。
ハラハラ、ドキドキするストーリー展開に加え、左右/横の動きを極力排除し、奥行きへの動きを多用したカメラワークが効いている。横の動きは平面的であり安心感があるが、奥行きへの動きは立体的であり不安感がある。観客の不安感を煽っている。全編、落ち着いて観ることができない。
男勝りで強気なサラ、柔らかで狡猾なアビゲイル。彼女達の虚々実々のバトルが本作の真骨頂である。一切の虚飾を排除した、剥き出しの本性のぶつかり合いは、凄みがある。理性という鎧で本性を隠して生きている私の心を強く揺さぶる。権力奪取という欲望を満たそうとする彼女達は超利己的であるが、その眼は輝き生気に溢れている。反面教師かもしれないが、彼女達の生き方は人間らしいからである。
一方、サラとアビゲイルに翻弄されるアン女王は、彼女達の渇望する権力の頂点にいるが、迷い続けている。悶々としている。物質的な豊かさを享受しながら、権力を持て余し、精神的な豊かさを求めている。女王の姿は現代人の鏡のようであり切ない。
本作は、本性のままに生きる女達を描くことによって、組織に縛られて身動きが取れず、没個性化している現代人への鋭い問題提起をしている。人間らしさとは何かを深く考えさせられる作品である。
お気に入りでいることの難しさ
この映画ねぇ…胸焼けする。
私たちだって少なからず子供の頃は先生、親、友達のお気に入りでいないといけなかったこと。
社会人だったら上司、同僚、取引先の期限をとらなくてはいけない。
上記は完全に自分のため。
どんなに相手を見極めてもパワーバランスって存在するんで結婚相手や交際相手、下手したら友達にだってご機嫌取りは存在する。
エマの時代は上記の全てが生きるためだけど現代人は交際相手や結婚相手のご機嫌取りは出来るだけ省こうと思えば省けると気付かされる。
子供も同じだ。ずっとじゃ無いだけマシか。
とにかく見ると結婚したく無いなぁと胸焼けするんです。
オスカーのオリビアの演技は秀逸でした。
自分を取り合う姿を見てるシーンや、後半の左半身不随感は良かった。
エマとレイティルワイズのキャットファイトぶりも笑えましたけど、すごく心を掴まれる物ではなかったかな。
筋金入りの変
ドラマシリーズの「SPEC」のwikiに、こんな記述がある。
『一方、今井舞は同じく『週刊文春』のドラマ記事で「今期ワースト」「全てが『これ、面白いでしょ』の押しつけ」などと批判している。』
(ウィキペディア「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」より)
むろん、これはマイナス意見の切り抜きで、同ドラマは、日本の代表的な異色ドラマとして語り草になっている。──が、「押しつけ」には同意できる。
SPECでなくても、多数の日本の映画・ドラマの演出で『これ、面白いでしょ』の押しつけ」を感じることが、よくある。
個人的に、よく感じるのは『これ、面白いでしょ』の押しつけ」というより『こんな世界を描けちゃってる俺/私って凄くない?』という感じ。
なんていうか、描写を過剰にしているだけなのに、どや顔でそれを誇っている感じ。園子温に代表されるようなスタイル、とでも言えば解りやすい。(と思われる。)
この「どや顔」を(個人的にはほとんどの)日本の映画・ドラマで感じる。
それゆえ、ランティモスの映画は、その(日本映画の)対極にある。と思う。
籠の中の乙女、ロブスター、鹿殺しときて、本作でもランティモスは、奇矯な世界を、涼しげな顔で描いている。「涼しげな顔」とは「どや顔」の対比であって、じっさいは涼しい世界ではないが、言うなれば『僕の描く世界は凄くないし、ぜんぜん、ふつうですよ』みたいなポーカーフェイスで、ゆがんだ世界を描いている。
もし日本映画が「どや顔」をしなければ、それだけで、クオリティが倍増するだろう。
つまり、日本映画のもっともクリティカルな弊害は、監督が映画というものを『天才的な人しかできない、とってもエラい(崇高な)仕事』だと、捉えていることにある。と、わたしはけっこう本気で思っている。(この感慨を裏付けるような日本映画がとても多い。)要するに謙虚じゃない。謙虚じゃないから「どや」りが、画からにじみ出てくる。
勝手な持論に過ぎないが「どや」りは日本映画だけに存在する特長で、黒澤と小津が日本映画にもたらした負のレガシーである。
(もちろん黒澤・小津はわるくないが、天才すぎる双頭が「映画監督はスゲえ存在なんだぞ」──と、後世に及ぶポジショニングをしてしまったゆえ、それに浴する凡人があらわれる、という仕組みがつくられてしまった。←ばかっぽいロジックだけど、自信のある持論です。)
むろん、このレビューで日本映画/映画人を持ち出しているのは、とばっちりだが、ランティモスと並べると大人と子供な対比になるので、牽強付会を承知で比べてみた。
わたしは、籠の中の乙女(2009)にたいへんな衝撃を受けた。いったいこのひとたちはなにをやっているんだろう?なぜ?なんで?どうして?・・・。
だが、もしランティモスが籠の中の乙女をどや顔で描いていたら──「どうだい、不安だろ、怖いだろ、不可解だろ、いったいなにをやっているかって、衝撃受けるだろ?」みたいな承認欲求がにじみ出てしまっていたら──籠の中の乙女は「ふつうの変な世界」だったと思う。
すなわち、監督のどや顔=承認欲求の有無だけで、映画のクオリティは雲泥になる。
なにくわぬ顔で描かれている、奇妙な世界が、どんなに凄いか──を、わたしはランティモスの映画で知った。
ただしランティモスの凄みは、たんにポーカーフェイスで描いているから──だけではない。本作は、アカデミー賞(助演女優)をもたらしているが、メジャーになっても根底にある、歪(いびつ)な世界観はブレておらず、とうぜんクオリティの重心は、作風によるもの。世界中どこを探してもランティモスみたいな映画はないし。ランティモスを見たあとでは近年のデイヴィッドリンチさえも「どや」りを感じてしまう。
籠の中の乙女を見たとき、これは「ヤバい」世界だと感じた。禁忌な感じがした。公的にするのはいけない気がする映画だった。だから、ハリウッドに招聘され映画をつくったことに驚いた。ヨルゴスランティモスの映画に、なんでアリシアシルバーストーン(鹿殺し)が・・・。解るだろうかこの感じ。ランティモス映画に米英のメジャー俳優が出てくるロブスターにも鹿殺しにも本作にも、──なんというか呉越同舟な魅力がある。禁断の世界の描き手がエマストーンを使ってしまう面白さ──がある。
野心的な下女が、成り上がっていく話。
なんとなく、のんきな、滑稽感もある気配ではじまるものの、じょじょにHarshな肌感へと変容していく。個人的に、見えたのは愛憎と「依怙地」である。アン女王(オリヴィアコールマン)はいわゆる癪症だが、脚の疾患をかかえて、それが促進されている。ほんとはサラ(レイチェルワイズ)が好きなのだが、好きを表現するのが、なんとなく悔しい。好きなんだろ──と図星を突かれて、反撥したくなったことはないだろうか?おそらく内懐は、そんな他愛ない葛藤であろうと思う。ただ女王ゆえに、気まぐれが、徹底した残酷な排斥へとつながっていく。その女王の気まぐれに加えアビゲイル(エマストーン)の戦略性にサラは嵌まってしまう。みすみす「お気に入り」を追いやってしまう、にんげんの矛盾した心象が描かれていた。豪奢な宮廷を超広角でとらえる撮影にも瞠目した。
セリフ回しにドキっと。
もー!
レイチェルワイズ演じる公爵夫人のセリフにビシビシきました!
女王陛下をアナグマと罵り、正直に罵る事こそが愛だと言う彼女が好きだわ〜!
一方、美しく強かな野心家のエマ・ストーン演ずる侍女。あの大きな美しい瞳と少し歪んだ口元がこの役にピッタリ。
ところどころ挟まれる裸の貴族の男にフルーツをぶつけるシーンや、娼館なども出しすぎない程よさがよかった。
女たちの「死亡遊戯」
<うろ覚え/思い出しレビュー>
劇場で観ました。
いやー、怖かったー。
まず、アビゲイル?エマ・ストーン演じる彼女の執念と、へこたれなさ。
それから、レイチェル・ワイズ演じるレディ・サラ。もう、存在そのものが怖い。変な薬盛られて、馬で遠出したと思ったら口から泡吹いて半・落馬状態になって引きずられて、娼館の人に拾われて、あわや娼婦デビュー?というところで知り合いの貴族に迎えに来てもらう、、
え、、、不死身(・・;)?笑
そのサラと凌ぎを削るアビゲイル。チャラチャラした感じの貴族と形だけの結婚をして、初めて迎える夜。ベッドの端に腰掛け、後ろ向きに手だけを動かし、いかにサラの報復を逃れるかで頭が一杯のアビゲイル。
え、、初めての夜がこれ(・・;)笑
観ていて、目がポーン( Д ) ゚ ゚になりそうなシーンが多々ありました。
女王役の方も味があってよかったです。
これは見ようによっては、ちょっとしたスポ根かもしれない。女王の寵愛(と「親友」の地位)をめぐる、二人の女の命をかけたバトル。
亡くした子供の数だけ(=17匹ぐらい?)ウサギを飼っている女王の姿が不憫で、でもわらわらと群れる物言わぬウサギ達の姿は、やや不気味でもある。
重要作
キューブリックな広大な閉所で内側から蝿の如く腐敗するクローネンバーグな肉体。
汚物に大量の香水を振った如き腐臭漂う空間でそれ以上にそういう話が容赦無く進む。
露悪的でいてエレガントなザ・女優三人其々の代表作。
この手では20年に一本の重要作。
内容より女王の演技が光った作品。
なんかもっとドラマチックな展開なのかと思っていたのですが、
本当にタイトル通りの「お気に入り争い」を描いた内容でびっくり👀
どの世界も自分のYESマンを揃えて気持ち良く生きる。
それがTOPの王道かも?
読みが浅い
ラスト、え、これで終わりという感じがして、奥深さが自分にはわからなかった。結局レイチェルに権力闘争には勝ったけど、女王の我儘には一生付き合わなければならないというエマの諦観の表情。女王も調子付いてきたエマの本性がわかり、改めて力関係を見せつける。もう一度レイチェルの逆転勝利が見たかった。しかし、いつどこにおいても、狡猾な権力闘争はあるんだろう。
私というお気に入り
女王陛下のお気に入り。
それは自分を取り合って競う二人の女性のどちらでもなく、まぎれもなく女王陛下本人を指す。
「私を取り合うなんて最高ですもの。」
清々しく開き直り、生き物の本質的な正体を暴く強烈な一言。女王陛下は、女王陛下ゆえに、素直で気まぐれで、複雑で辛い生き物だ。
とりもなおさず二人の女性もまた、女王陛下の寵愛を激しく求めながら、真に囚われているのは自我であった。愛しているのは女王陛下に寵愛される自分だけ。私というお気に入りから逃れられず、だから女王への執着が止められない。なんとも苦しい。
みんな、分かっている。
この自己愛こそ生きる力であり、同時に果てしなく空虚なものであると。
天国と地獄を内在させ、常にこの矛盾に疲弊し、それでも愛することをこんなにもやめられない。愛されることを諦め切れない。
なぜならこれが、生きるということだから。
しかし作品は、この根源的な矛盾を炙りだして終わらせず、もう一歩先まで拭う。
(ここから先ネタバレを含む。)
万物の中心で無限に噴き出す自我が、有限の時間のなかで変容をみせる。くり返される醜い争いと苦悩の後、サラはたしかにアンその人を愛しはじめた。自己愛が、自己を越えたのだ。
自分宛てでしかなかった愛情が、その純度のまま他者に向けてそそがれるとき。自分よりも相手の幸せを願えたとき。私という小さな領域から解放されたとき。
人はようやく静けさと美しさを手に入れる。運命を受け入れ、抗わず、赦すことを知る。
そんな姿をより浮かび上がらせるように対称的な、アンとアビゲイルの集大成的な最後。取り残されて目的を見失ったうつろな目と、物ごとの代償を思い知りやり場のない苛立ちが燻る目。いまだ相手を利用することでしか自分の存在意義を感じられない、哀れなふたりの歪んだ共依存。なにより、互いにもうこの相手しかいないことへの絶望の深さに気が遠くなる。もう、何かを肯定して生きるには手遅れだ。
本作には、よくある愛憎劇の勝ち負けとは次元が異なる説得力があり、なんというか、勉強になった。
魚眼という、歪んだ超広角の視点を持つ私が何者かも曖昧だし、そこにある歪みもまた、決して見つめられる世界だけのものではないと言われているようで二重に苦々しかった。
色々書いたが、ほどほどの自我で生きたいと思った。
役者が揃った
「役者が揃った」とはこの映画のためにあるように感じた。劇場で公開中は、ちょうど「ボヘミアン・ラプソディ」の応援上映に毎週のように参加した時期だったから、見逃してしまったが、やっぱり劇場で見たかったな。
アン女王の役のオリビア・コールマンの怪演っぷりが、まあすごい。『口でしてくれた』ってセリフを何のてらいもなく言ってのけるところが象徴していたと思う。生まれながら王族であり、わがままし放題が可能な人間でないと、あんな表情できないと思う。オリビア・コールマンもすごいが、エマ・ストーンも負けていなかったね。サラを鼻で笑うところが最高。今まで見てきた映画の中で最も人を小馬鹿にした笑いだと思う。
アン女王の矜持というか気位をまざまざと見せつけるラストシーンの余韻はすごかった。ヨルゴス・ランティモス監督の過去の作品が見たくなったな。
追記
ハーレーはどっかで見たことがあるとおもったら、ウォーボーイズだったのね。
主演は誰?
2019年3月15日 #女王陛下のお気に入り 鑑賞
見終わった後、主演は誰なのかというのが気になってしまった。アカデミー賞は、#オリヴィア・コールマン が獲ったし、タイトルも女王陛下だし、そうなのかもしれないが、#エマ・ストーン が主演と思ってずっと見てました。#レイチェル・ワイズ 気付かない!
タイトルなし
18世紀初頭のイギリス
荘厳な宮廷劇かと思いきや
「ロブスター」や
観賞後理解に苦しんだ「聖なる鹿殺し」の
鬼才ヨゴナス・ランティモスが監督
アン女王としたたか??な女二人
三者三様
繰り広げられる愛憎劇
宮廷は女同士の戦場でした
.
アカデミー賞で主演女優賞を受賞した
#オリビアコールマン の表情の変化
そして#エマストーン #レイチェルワイズ
素晴らしい演技です
このドロドロ感
怖いけど観るだけなら楽しい
ストーリー展開やコスチュームは
時代考証を意図的に無視しているそうです
史実を元に実在の人物を題材にしているので
3人のその後も気になり…💻️🔍️
うーん。
評価が高い中、あえて感想。
「見なくてよかったかも」。
(気に入った方、ごめんなさい)
女王陛下を含めた三人の関係や、BGMの無気味な不協和音。
どれも生理的に受け付けなかったです。
最後もなんだかなあ、って。
本当ごめんなさい。でも、最後までちゃんと見ました。
有益な味方は危険な敵となる
Amazon Prime Videoで鑑賞(字幕,レンタル)。
宮廷に渦巻く女の戦い。女王の寵愛を得るため、ふたりの女が火花バチバチ、愛憎ドロドロの争いを繰り広げました。オリヴィア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズ、実力派女優陣の演技合戦に魅せられました。
人間って滑稽な生き物だな、と…
醜い権力闘争の果てに何を掴んだのかというと、それは虚しいものだけだったのではないかなと思いました。なんだか「仁義なき戦い 頂上作戦」のラストに抱いた感情と同じでした。
ラストシーンも意味深でした。
お互いの本当の心とその将来についてふたりともが悟り、その先に待っているのは救いの無い真っ暗闇、みたいな。
※修正(2024/01/22)
全286件中、41~60件目を表示