女王陛下のお気に入りのレビュー・感想・評価
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薄っぺらい人間たちの深き情念。
ヨルゴス・ランティモスという監督は、一貫して人間は愚かで自己愛が強く下卑た生き物たと捉えているところがある。もちろん人間は愚かなことをしでかす一方で、思わぬ英雄的な行為に身を投じることもあるのだが、ランティモスはそんなことは素知らぬ体で、本作でも身勝手な欲得三昧な女たちの姿を時代物の宮廷劇というジャンルに当てはめる。
なので後味がいい物語にはなりようがなく、なりふり構わぬ女たちの権力闘争に、呆れたり笑ったり戦慄していればいいのだろう。魚眼レンズの長回しやとにかく読みづらいテロップのデザインなど、ちょっと才気が走り過ぎてはいないかと思うところもあるが、実際才気がほとばしっているのだから、存分に好き放題にやってくれ!という気持ちにもなる。
ただしレイチェル・ワイズが演じたサラにだけは、善人ではないが誇りと信念が宿っている。このランティモスらしからぬ人物像は、次なる可能性への布石なのかどうか。このヘンテコな才人からまだまだ目が離せそうにない。
バラバラに見える表情を一つの体内に納めたコールマンの怪演はまさに絶品
アン女王は、スペイン継承戦争や国内政治に頭を悩ませ、私生活では子供たちが幼くして亡くなる不幸も経験した。このような精神状態の中、頼りになる側近との絆が深まるのは当然のことだったろう。
コールマン演じる女王はコロコロと表情が変わる。ある時は高慢なオバちゃんのようであり、またある時には甘えん坊の少女のようでもあり、かと思えば突然かんしゃくを起こしたり、不意に女王としての威厳を振るい出したりもする。これら一貫性のない表情をすべてひとつのキャラクターとして成立させ、そこにユーモアすら醸し出すコールマンの怪演たるやまさに絶品だ。
この危うげに回転するコマの軸が揺るぎないからこそレイチェル&エマの個性も際立ち、宮廷内の三角関係はスリリングかつ破天荒で、予測不能の極みとなった。3人の女性たちの誰に寄り添うかによって、万華鏡のように色彩が変わる。鑑賞するごとにフレッシュな感覚を味わえる逸品でもある。
低位置からの広角レンズ映像は小動物視点のよう
ヘンテコで不気味な異色作を撮り続けているヨルゴス・ランティモス。「ロブスター」と「聖なる鹿殺し」は非現実的な設定や超自然的な出来事を含む話だったので、新作が英宮廷を舞台にした歴史劇と聞いて意外だったが、蓋を開けてみればやっぱり一癖も二癖もある怪作。閉環境での力関係と愛憎は「籠の中の乙女」に共通する要素でもある。
三女優の熱演の激突は観客にまで飛び火しそうな激しさだ。英女優オリビア・コールマンも、これを機にハリウッドでの仕事が増えそう。
太陽光やろうそくの火でほぼ全編を撮影した映像は、キューブリックの「バリー・リンドン」のように大昔の宮廷にタイムスリップしてのぞき見しているような気分にさせる。
そしてあの、低い位置から仰ぐアングルでの広角レンズの映像!ウサギなどの小動物が尊大で愚かな人間を冷ややかに眺めているような、なんとも皮肉の効いたショットにほくそ笑んでしまった。
大仰なイメージとは裏腹な艶笑劇
権力はあるものの、孤独と欲求不満の極みにいる英国女王を挟んで、そんな女王を影で操る幼なじみと、没落貴族の娘が、愛情と権力を奪い合う。欲望を剥き出しにした女たちの愛憎劇を、側で見守る男たちはみんな、まるで去勢されたかのようだ。ヨルゴス・ランティモス監督はえげつなく、時に笑える宮廷内ドラマを、特にローアングルから嘗めるようにとらえて、観客を押しつぶすような圧迫感を演出している。誰も決して傍観者にはしないという意気込みが、特異なカメラワークからはひしひしと伝わってくるのだ。それは、3人の女優たちの演技にも言えること。これほどまでに人間の醜さと、それ故に漂うおかしみを体現したアンサンブルはないと思わせるほどに。特に、女王を演じるオリビア・コールマンの怒りと嘆きが交互に現れる感情演技は一見に値する。フェミニズムを極端な形でテーマに据えた意欲作。大仰なイメージとは裏腹に、けっこう笑える艶笑劇なので、気楽にシートに身を埋めて欲しい。
18世紀を覗き見
画が綺麗。
お話はドロドロ。
映画から押し寄せる圧がすごい。
そんな映画だった。
この感じ、嫌いじゃない。
いきなりアンの部屋に圧倒されてしまう。
魚眼レンズを使ったカメラワークで見せてくれる。
まるで18世紀を覗き見している感覚。
原因不明のゴワーンって不気味な音。
なんの音なんだ〜!
見ていてほっこり落ち着かない。
なんだか居心地が悪く、不安定な感じで進んでいく。
もっと宮廷の装飾品を楽しみたいのに。
二回目は音を消して、ところどころで一時停止しながら画を楽しもう。
ジャンルの中にコメディと記載されてましたが。
ある意味女王陛下のお気に入りになる為やり合いがコメディと受け止めれるかも知れないが笑えるタイプでは無かった、もっと軽い感じかと思ってました。
お気に入りってそっちの意味もあるのね、多分。
既視感はベルばらだった
ストーリーが進むにつれこういう話なんだと、どんどんエスカレートしていき最後の最後までぶっちぎった感のある、ある意味潔くも勇ましい女の世界。女王陛下を題材にこれってぶっ飛びますよね!ここまでさらけ出してくれるとなんだか快感でもありました。それと館の内部、貴族の生活の様子、何より女性のドレス、この懐かしさはなに?と考えていたらベルばらの漫画で見たあの煌びやかさだと気付きました。
絶対に好き嫌い別れるけど自分は好き。
女同士のバトルですが少しハラハラさせられてもテンポ良く進むのでスッと見れて良かったです。
最後まで見ると1番おかしく見えた女王が1番人間らしかったのかなと思えるし、唯一共感できる部分があったのも女王でしたね。
女王に共感出来る部分があったか否かで評価は違ったと思うし、正直途中まではアビゲイルの顔面の美しさで何とか見れてた…
女王陛下のお気に入りの座をめぐっての女と女のバチバチバトル。 始め...
女王陛下のお気に入りの座をめぐっての女と女のバチバチバトル。
始めは純なアビゲイルも地位と欲に染まっていく。
人間の心の移り変わりや、変わった愛の形。よく描かれていたと思う。
それぞれの演技も光っていたし、映像も良かった。
楽しめました。
映像で人間心理を描く見本
カメラワークと陰影の使い分けで人間心理を表現する手法には感服します。
特に宮殿の中を人が動く場面で、超広角レンズで撮った「覗き見」感覚映像が多用されていて特徴的です。
主役三人の演技も秀逸です。いろんな映画サイトで「コメディ」のジャンル分けされてますが間違いです。むしろシリアス劇なのでご注意。
飾りを捨てた女達の宮廷愛憎劇
単なるドロドロした愛憎劇ではなかった。本作は、史実と愛憎劇を巧みにブレンドしていることと、宮廷を舞台にしたことが奏功している。ブラックユーモア、卑猥な台詞は飛び交ってはいるが、気品ある三人の女達の宮廷愛憎劇として出色の出来映えの作品である。
本作の舞台は、18世紀初頭のイングランド宮廷。アン女王は、健康に恵まれず、優柔不断であり、大切な決断は、側近のサラ(レイチェル・ワイズ)が牛耳っていた。ある日、サラの従妹と名乗るアビゲイル(エマ・ストーン)が召し使いとして雇われる。そして、サラとアビゲイルは、女王の側近の座と、寵愛を得るために、激しく競い合っていく・・・。
ハラハラ、ドキドキするストーリー展開に加え、左右/横の動きを極力排除し、奥行きへの動きを多用したカメラワークが効いている。横の動きは平面的であり安心感があるが、奥行きへの動きは立体的であり不安感がある。観客の不安感を煽っている。全編、落ち着いて観ることができない。
男勝りで強気なサラ、柔らかで狡猾なアビゲイル。彼女達の虚々実々のバトルが本作の真骨頂である。一切の虚飾を排除した、剥き出しの本性のぶつかり合いは、凄みがある。理性という鎧で本性を隠して生きている私の心を強く揺さぶる。権力奪取という欲望を満たそうとする彼女達は超利己的であるが、その眼は輝き生気に溢れている。反面教師かもしれないが、彼女達の生き方は人間らしいからである。
一方、サラとアビゲイルに翻弄されるアン女王は、彼女達の渇望する権力の頂点にいるが、迷い続けている。悶々としている。物質的な豊かさを享受しながら、権力を持て余し、精神的な豊かさを求めている。女王の姿は現代人の鏡のようであり切ない。
本作は、本性のままに生きる女達を描くことによって、組織に縛られて身動きが取れず、没個性化している現代人への鋭い問題提起をしている。人間らしさとは何かを深く考えさせられる作品である。
お気に入りでいることの難しさ
この映画ねぇ…胸焼けする。
私たちだって少なからず子供の頃は先生、親、友達のお気に入りでいないといけなかったこと。
社会人だったら上司、同僚、取引先の期限をとらなくてはいけない。
上記は完全に自分のため。
どんなに相手を見極めてもパワーバランスって存在するんで結婚相手や交際相手、下手したら友達にだってご機嫌取りは存在する。
エマの時代は上記の全てが生きるためだけど現代人は交際相手や結婚相手のご機嫌取りは出来るだけ省こうと思えば省けると気付かされる。
子供も同じだ。ずっとじゃ無いだけマシか。
とにかく見ると結婚したく無いなぁと胸焼けするんです。
オスカーのオリビアの演技は秀逸でした。
自分を取り合う姿を見てるシーンや、後半の左半身不随感は良かった。
エマとレイティルワイズのキャットファイトぶりも笑えましたけど、すごく心を掴まれる物ではなかったかな。
筋金入りの変
ドラマシリーズの「SPEC」のwikiに、こんな記述がある。
『一方、今井舞は同じく『週刊文春』のドラマ記事で「今期ワースト」「全てが『これ、面白いでしょ』の押しつけ」などと批判している。』
(ウィキペディア「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」より)
むろん、これはマイナス意見の切り抜きで、同ドラマは、日本の代表的な異色ドラマとして語り草になっている。──が、「押しつけ」には同意できる。
SPECでなくても、多数の日本の映画・ドラマの演出で『これ、面白いでしょ』の押しつけ」を感じることが、よくある。
個人的に、よく感じるのは『これ、面白いでしょ』の押しつけ」というより『こんな世界を描けちゃってる俺/私って凄くない?』という感じ。
なんていうか、描写を過剰にしているだけなのに、どや顔でそれを誇っている感じ。園子温に代表されるようなスタイル、とでも言えば解りやすい。(と思われる。)
この「どや顔」を(個人的にはほとんどの)日本の映画・ドラマで感じる。
それゆえ、ランティモスの映画は、その(日本映画の)対極にある。と思う。
籠の中の乙女、ロブスター、鹿殺しときて、本作でもランティモスは、奇矯な世界を、涼しげな顔で描いている。「涼しげな顔」とは「どや顔」の対比であって、じっさいは涼しい世界ではないが、言うなれば『僕の描く世界は凄くないし、ぜんぜん、ふつうですよ』みたいなポーカーフェイスで、ゆがんだ世界を描いている。
もし日本映画が「どや顔」をしなければ、それだけで、クオリティが倍増するだろう。
つまり、日本映画のもっともクリティカルな弊害は、監督が映画というものを『天才的な人しかできない、とってもエラい(崇高な)仕事』だと、捉えていることにある。と、わたしはけっこう本気で思っている。(この感慨を裏付けるような日本映画がとても多い。)要するに謙虚じゃない。謙虚じゃないから「どや」りが、画からにじみ出てくる。
勝手な持論に過ぎないが「どや」りは日本映画だけに存在する特長で、黒澤と小津が日本映画にもたらした負のレガシーである。
(もちろん黒澤・小津はわるくないが、天才すぎる双頭が「映画監督はスゲえ存在なんだぞ」──と、後世に及ぶポジショニングをしてしまったゆえ、それに浴する凡人があらわれる、という仕組みがつくられてしまった。←ばかっぽいロジックだけど、自信のある持論です。)
むろん、このレビューで日本映画/映画人を持ち出しているのは、とばっちりだが、ランティモスと並べると大人と子供な対比になるので、牽強付会を承知で比べてみた。
わたしは、籠の中の乙女(2009)にたいへんな衝撃を受けた。いったいこのひとたちはなにをやっているんだろう?なぜ?なんで?どうして?・・・。
だが、もしランティモスが籠の中の乙女をどや顔で描いていたら──「どうだい、不安だろ、怖いだろ、不可解だろ、いったいなにをやっているかって、衝撃受けるだろ?」みたいな承認欲求がにじみ出てしまっていたら──籠の中の乙女は「ふつうの変な世界」だったと思う。
すなわち、監督のどや顔=承認欲求の有無だけで、映画のクオリティは雲泥になる。
なにくわぬ顔で描かれている、奇妙な世界が、どんなに凄いか──を、わたしはランティモスの映画で知った。
ただしランティモスの凄みは、たんにポーカーフェイスで描いているから──だけではない。本作は、アカデミー賞(助演女優)をもたらしているが、メジャーになっても根底にある、歪(いびつ)な世界観はブレておらず、とうぜんクオリティの重心は、作風によるもの。世界中どこを探してもランティモスみたいな映画はないし。ランティモスを見たあとでは近年のデイヴィッドリンチさえも「どや」りを感じてしまう。
籠の中の乙女を見たとき、これは「ヤバい」世界だと感じた。禁忌な感じがした。公的にするのはいけない気がする映画だった。だから、ハリウッドに招聘され映画をつくったことに驚いた。ヨルゴスランティモスの映画に、なんでアリシアシルバーストーン(鹿殺し)が・・・。解るだろうかこの感じ。ランティモス映画に米英のメジャー俳優が出てくるロブスターにも鹿殺しにも本作にも、──なんというか呉越同舟な魅力がある。禁断の世界の描き手がエマストーンを使ってしまう面白さ──がある。
野心的な下女が、成り上がっていく話。
なんとなく、のんきな、滑稽感もある気配ではじまるものの、じょじょにHarshな肌感へと変容していく。個人的に、見えたのは愛憎と「依怙地」である。アン女王(オリヴィアコールマン)はいわゆる癪症だが、脚の疾患をかかえて、それが促進されている。ほんとはサラ(レイチェルワイズ)が好きなのだが、好きを表現するのが、なんとなく悔しい。好きなんだろ──と図星を突かれて、反撥したくなったことはないだろうか?おそらく内懐は、そんな他愛ない葛藤であろうと思う。ただ女王ゆえに、気まぐれが、徹底した残酷な排斥へとつながっていく。その女王の気まぐれに加えアビゲイル(エマストーン)の戦略性にサラは嵌まってしまう。みすみす「お気に入り」を追いやってしまう、にんげんの矛盾した心象が描かれていた。豪奢な宮廷を超広角でとらえる撮影にも瞠目した。
セリフ回しにドキっと。
もー!
レイチェルワイズ演じる公爵夫人のセリフにビシビシきました!
女王陛下をアナグマと罵り、正直に罵る事こそが愛だと言う彼女が好きだわ〜!
一方、美しく強かな野心家のエマ・ストーン演ずる侍女。あの大きな美しい瞳と少し歪んだ口元がこの役にピッタリ。
ところどころ挟まれる裸の貴族の男にフルーツをぶつけるシーンや、娼館なども出しすぎない程よさがよかった。
女たちの「死亡遊戯」
<うろ覚え/思い出しレビュー>
劇場で観ました。
いやー、怖かったー。
まず、アビゲイル?エマ・ストーン演じる彼女の執念と、へこたれなさ。
それから、レイチェル・ワイズ演じるレディ・サラ。もう、存在そのものが怖い。変な薬盛られて、馬で遠出したと思ったら口から泡吹いて半・落馬状態になって引きずられて、娼館の人に拾われて、あわや娼婦デビュー?というところで知り合いの貴族に迎えに来てもらう、、
え、、、不死身(・・;)?笑
そのサラと凌ぎを削るアビゲイル。チャラチャラした感じの貴族と形だけの結婚をして、初めて迎える夜。ベッドの端に腰掛け、後ろ向きに手だけを動かし、いかにサラの報復を逃れるかで頭が一杯のアビゲイル。
え、、初めての夜がこれ(・・;)笑
観ていて、目がポーン( Д ) ゚ ゚になりそうなシーンが多々ありました。
女王役の方も味があってよかったです。
これは見ようによっては、ちょっとしたスポ根かもしれない。女王の寵愛(と「親友」の地位)をめぐる、二人の女の命をかけたバトル。
亡くした子供の数だけ(=17匹ぐらい?)ウサギを飼っている女王の姿が不憫で、でもわらわらと群れる物言わぬウサギ達の姿は、やや不気味でもある。
重要作
キューブリックな広大な閉所で内側から蝿の如く腐敗するクローネンバーグな肉体。
汚物に大量の香水を振った如き腐臭漂う空間でそれ以上にそういう話が容赦無く進む。
露悪的でいてエレガントなザ・女優三人其々の代表作。
この手では20年に一本の重要作。
内容より女王の演技が光った作品。
なんかもっとドラマチックな展開なのかと思っていたのですが、
本当にタイトル通りの「お気に入り争い」を描いた内容でびっくり👀
どの世界も自分のYESマンを揃えて気持ち良く生きる。
それがTOPの王道かも?
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