女王陛下のお気に入りのレビュー・感想・評価
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いつのまにかラストシーン
前知識ゼロで観に行った為、「これは一体どういう話……?」「あれ、失敗したかな……?」と戸惑う冒頭。
やがてイギリス王室の話だと分かり始め、エマ演じるアビゲイルが成り上がっていく様子を見ながら、いつのまにかグイグイ引き込まれている不思議。
この感情の繊細さ!
滑稽さ!
なんか汚い!
でも美しい!
イケメン貴族がボコボコにされるところは笑ってしまった(笑)
舞台劇でも観たい!!
あとは個人的に、吹き替えで観たら印象が変わりそうな作品だと思いました。ちょっとしたニュアンスなど、原語が分からないために自分が理解できていないのかも!と思う部分が多々ありちょっと悔しかったので(笑)
中学生くらいのお子さんと家族づれできている方がいたのですが、お子さん大丈夫かな…とちょっとハラハラしました(最後までしっかり観ていましたけど)
舐めたもん勝ち!
終わってみると、やたらと殴り、張り手、突き落としがあったな~と感じた。でも暴力や脅迫やイジメにも耐えて、舐め技で寵愛を勝ち取ったエマ・ストーンに軍配が上がった。
そんな印象が残りましたが、それよりもアン女王の痛風の辛さが最も記憶に残りそうです。また、産んだ17人の子どもを全て死なせてしまい、17羽のウサギに子どもの名前をつけたとか、もうその話を聞いただけで泣きそうになりました。
アカデミー賞では女優賞をはじめとしてかなり獲得するのでしょうけど、作品賞はどうなのかなぁ~といった印象。史実に忠実っぽいので勉強になりました。
女王陛下の終りのない悲しみ
レイチェル・ワイズ様とエマ・ストーンの2大美女対決が見ものか…と思っていましたが、もっさり女王を演じたオリビア・コールマンが持って行きましたね〜!
(よくよく見るとコールマンさんが主演でした、納得)
本作は、アン女王の悲しみ・孤独・切なさが胸を打ちました。
17人子どもを失って、今は誰もいないってキツすぎるでしょ!昔は子どもの死亡率が高いからそういう悲劇もあるでしょうが、しかし17人…そしてウサギに失った子どもの名前をつけている…ホント、胸が張り裂けそうになりました。いや、張り裂けた。
女王の独白は、エマ演じるサイコパス女アビゲイルに向けられたものでしたが、情緒レスのアビゲイルもさすがに切なそうな表情をしていたと思います。
身体もボロボロ、癇癪持ちの女王ですが、なんだかんだと国民の負担を思いやる気持ちがあり、やっぱり優しい人なんだなぁと痛感。
そんな複雑で厳しい役をオリビア・コールマンはビシっと演じていたように思います。レイチェル様大ファンの私でも、本作でもっとも印象に残るのはアン女王でした。
何気に、エマ・ストーンも良かったです。序盤、アビゲイルは周囲から悪意ばかり向けられており、そりゃひどい人間になってしまうよな、と思わずにいられない。徐々に才覚を発揮して、同時にクソな人間性があらわになっていくプロセスは妙にリアル。私はエマ・ストーンにどこか下品な雰囲気があると感じていたので、この役は彼女にぴったりだったと思います。
顔芸も最高で、あの極悪なツラでの史上最悪の手コキは正直笑いました。いやー、役者ですねぇ!
レイチェル様は相変わらず高貴でお美しかったです。レイチェル様演じるサラはカッコいい女傑ですが、レイチェル様は少し憂愁の雰囲気があるので、劣勢になっていく後半の方が個人的には魅力的に思えたかも。
柔らかな光が美しい上質な映像なので気品ある映画になりそうなものですが、悪意と品のなさがそこかしこに噴出するため、いい意味で感じ悪いコメディに思えました。
ストーリーはコントなんですけど、やはりアン女王の悲しみが深く、ラストなどはなかなかに趣深い味わいを残します。なかなかの佳作でした。
幸せとは?愛とは? 本質を見出せない人々の欲望は果てしなく終わりが...
幸せとは?愛とは?
本質を見出せない人々の欲望は果てしなく終わりがない。贅沢も地位も名誉も快楽も…。
そして、毎回おなじみの性の描き方には、女性上位を感じる。しつこく女性の強かさを描く、この監督の癖だろうか?
良い映画
原題は"The Favourite"。「お気に入り」「気に入られる事」の意。
転落貴族の娘が女王様に気に入られるため、女王様の"お気に入り"を巧妙に落としめて、新たな"お気に入り"になろう…という話だが、女王様自身もかつての"お気に入り"を失った事に気付いて…云々。
ストーリー自体は難しくはないのだが…(笑)
正直、身分の上下関係を何となく理解して…ぐらいの知識では、この映画を全然楽しめなかった…後半は、ホント寝落ちしかけた(笑)
当時の英国貴族の文化的な背景を知らないと、ハードルのやや高い映画ではないかと思う。ストーリーは単純そうだけど、裏には色んな意味や理由があるんだろうなと思うと、この映画を十分に楽しめたとは言えなかった。ましてや、英語での微妙なニュアンスの表現とか考えると…余計に(笑)
笑えそうで笑えない、ブラックなシャレやジョークもちらほら…(笑)
とりあえず、パンフレットは買っといた…(笑)
*多くのレビュアーが指摘するように、女優3名の演技は見応えがありましたよ…確かに…(笑)
*でも、昼メロ的な分かりやすさなんて、この映画にはありません…例えるなら、それらしき場面もありますよ…ぐらいでしょう。
エゴのカオス
混沌とした人間関係と世界観が、強い毒性をはらんでいてしびれます。ガバナンスなんてものがない状況は、そのすべてがまさに「ドラマ」であり実に滑稽で物悲しくもあります。
そして、小説のようにチャプターで分けられた構成は、それ毎に起こる出来事(事件)に「次はどうなるの!」と早くページをめくりたい衝動にかられ、非常にミステリアスでサスペンスフルです。
それにしてもエマ・ストーンの悪魔性は凄いな。オリビア・コールマン、レイチェル・ワイズ共々、ナイスアクトであり、且つ、ナイスキャスティングと言えます。そして、この3人の個性のぶつかり合いの背景に、ニコラス・ホルト演じるハーリーが効いているのも忘れてはいけません。
タイトルなし
監督の前作の「聖なる鹿殺し」とカメラワークを比べてみたり、超然的な悪がいない事によって増した、ゲロみたいな臭いの人間味にあらあら( ᷇࿀ ᷆ )な感じで笑いながら観ました。
音楽とか演技でも、結構積極的に笑いを取りに行ってましたしね。
話の内容も色使いも照明もカメラの位置も、監督の前作までの変態性を保ったまま、いい感じで一般受けする映画になってる。
シリアスな笑いだけじゃなくて、今回はラース・フォントリアーの「ニンフォマニアック」ん時みたいに、普通に笑っていいっぽいシーンいっぱいだったりするし。
この映画を覗き見させられてる観客っていうのも何か下卑てていいなぁと思いました。
セフレvs本妻だとか、男のいない昼ドラだもか、性別論だとか、政治風刺だとか、人間って…(笑)ってできるコメディだとか、色んな風に一般化できるのもよい。
LGBTの文脈とかで語られるかもしれないけど、そんなことよりむしろ、「性別とかねぇから!人間みんな等しく卑しいしきちゃないから!」って高らかに宣言してる映画だと思います。
コメディですが
コメディなのですが、三人の女優の演技合戦と音楽でついつい引き込まれて真面目に観てしまいました。気持ちの悪い男どもや、あり得ないダンスなどクスッとくるシーンが所々あるのですが、演技に見とれてしまいます。
何人かが言っていますがラストはイマイチな感じがしました。その後のイギリスの歴史を調べてしまいました。
宮廷絵巻。
映画館の大画面でみる豪華な宮殿に華麗な宮廷衣装。撮影の小ワザも多用されてこの世界に引き込まれる。海外版大奥、アン王女をめぐる三角関係が公私交えて描かれてました。なかなかエグい。はめネタがじとっと来る地味さでおもしろい。それぞれの演技も見応えたっぷりでした。
上流階級の男子は化粧が濃いよ
エマストーンの悪女ぶりが良い。
あらゆる場面での画像が綺麗 独特の映像美でしたね。明暗差があり、蠟燭の灯が印象的。魚角レンズを一箇所に据えてのパーンワークが多かった。
不穏な音楽もいい。アビゲイルがアン王女の心を射止めた場面では、グースハントの音が被って。
モンティパイソン風味も絡んでるのか、下衆なトマト投げや、シリーウォークもありましたよ。
アン王女のラスト近くのシーンで見せる顔の表情は見事。腫れぼったく自由が利かない顔は麻酔剤でも打ってるのかな。
嗅覚
最初の章の、例の「泥」から、自分には 視覚と同じかそれ以上に嗅覚/臭覚をつつかれた作品でした。
えええと、表現が下品かもしれませんが女王陛下が着飾っていいもん食べててもなんだかシーツの下から臭ってきそうな、あの重ねたドレスの内側の布から糖のにおい?や生傷の血のにおいがしてきそうな… そんなところを果敢に攻めてたのかエマったら。。。
部屋のなかも荘厳なんだけどウサギやアヒルの動物臭がしてきそうとか、蔵書のにおい、下女たちの醜悪なにおい、男たちの化粧、その下のたるんだ身体からわいて出てそうな刺激臭、宮廷の裏通路の閉塞した臭気? 瘴気? ローソクやタイマツからの酸化した油のにおい、などなど。。。
こういう映画はなかなかなくて、大昔にみたピーター・グリーナウェイの「コックと泥棒、その妻と愛人」でもそんな感じしたの思い出しました、、うーんでも今回は腐敗臭めいたのはなかったからやっぱりちょっとちがうかな。。
嗅覚は 強烈に記憶に残りそうな印象があって、それぞれに何かの意味やメッセージを孕んでるんじゃないかとか、そういうとこで楽しめました。
それにしてもエマ・ストーン、自分的にはあの人、とても派手な顔立ちにもかかわらずこざっぱりして見えるんですよね、冷水で洗顔したての顔とか・ 「ラ・ラ・ランド」では感じなかったのにな、、
あ! 「マーヴェリック」のときのジョディ・フォスターと似てる、そいえばヘアスタイルが似てましたね。
ノブレス オブリージュ
まず…映画の感想からはズレますが…
今日も上映中、2人の携帯が鳴った。
…ふう。
気を取り直して。
セリフや名称(特に人物の呼び方が複数ある)をちゃんと聞き、展開されている行為や表情の意味をしっかり追っていかないと部分的に見失ってしまうかも知れないが、ストーリーの大筋は比較的シンプル。
かと言って、全てが説明されている訳でもなく、解釈は観客に委ねられている部分も多い。
一筋縄ではいかんな、というのが率直な印象の映画。
でも、観て良かった。
まず、美術や衣装が素晴らしい。これ見るだけでも価値がある。
そして、それを効果的に見せるカメラ。また、広角レンズで捉えた映像はただでさえ情報量が多いのに加えて、カットを割らずにカメラを180度横に振って別々のシーンが1カットに構成されていたりするので、まるでかぶりつきの席で舞台を観ている感覚にも似ている。
ほぼすべての登場人物は自分のエゴのために行動し、そのぶつかり合い・足の引っ張り合いが、時にコミカルに、時に皮肉たっぷりに描かれる。
しかし、そうして手に入れた地位にも、やはり責任と同時に苦しみや憎しみ、自分を利用しようとする敵や味方が存在するという「堂々巡り」。
目指した場所、手に入れた場所、そこに本当に幸せはあるのか。
序盤はエマ・ストーン演ずる主人公アビゲイルの下剋上を応援していた我々観客も、後半では苦々しく彼女を見守るようになり、最後はキャストの全員が哀れにさえ見えてくるという、なかなか悲痛な映画なのだが、もしアビゲイルを彼女以外の女優が演じていたら、さらに陰湿な感じになってしまったかも。そういう意味でこのキャスティングは正解だった気がする。
そして女王役のオリヴィア・コールマンの名演。インタビューの姿と比べると特にその凄さがわかる。
観賞後、
「世界の全ては女性が動かしているのです。」
そんな気にさせられる映画。
だって、ここに出てくる男達のだらしなさ・軽薄さときたら…
追記:
女王が鎧のような物を着けるシーン(これは何のシーンだったんでしょう?)で流れるパイプオルガンの曲って、『カリオストロの城』でクラリスと伯爵の結婚式で流れる曲ですよね?
勝ちは負けで,負けは勝ち
サラにとっては,アビゲイルに「自分は勝った」と思わせておくことが勝利だったのではないか?
*
女王からの愛を失い,王宮から追い出されたサラ。
女王に手紙をしたためる。
だがアビゲイルは,女王が読む前に手紙を抜き取る。
そこには女王への愛と「忠実なサラより」という言葉が綴られていた。
手紙を女王に見せず、焼き捨てたアビゲイル。
「サラが国庫から横領していた」と女王に告げる。(横領の真偽は定かではない。)
女王はサラ夫婦の国外追放を決定。サラの邸宅に使いを送る。
(【2/23追記】女王はアビゲイルに対しサラの横領を認めなかったにもかかわらず、政治家たちの前でアビゲイルの讒言を根拠にサラの国外追放を決定する。これは女王の保身のためか?サラを自由にしてやるためか?はたまた、横領を知っていたか、自分がサラに金を渡していたか?)
窓から追放使節の一団が到着したのを眺め「手紙の返事が来た」とつぶやくサラ。
明らかに,やってきたのは手紙ではない。だがサラに驚きの表情はない。
まるで自分が追放されることを予期していたかのように。
まるで,女王の愛を取り戻すための手紙を送れば,アビゲイルがそれを盗み見て,自分を徹底的に排除しようとするであろうことを予測していたかのように。
サラの手紙を見たアビゲイルが、讒言によって自分を追放しようとするであろうことが予想されたのであれば、サラの手紙の真の宛先はアビゲイルであり、追放こそがアビゲイルからの返信なのだ。
ではサラは、国外追放されることによって何を得るのだろう。
それは「アビゲイルに勝たせること」(勝ったと思わせておくこと)である。
アビゲイルはサラに勝って女王の寵愛を得た。サラが再び、アビゲイルの競争相手になろうとすれば、アビゲイルは自分が得た地位をより堅固に守ろうとするだろう。自分が守ろうとしているものが、自分にとってどんな利益をもたらすかもよく考えずに。
自分にとって利益にならないものであっても、それを他者が奪おうとすると、なぜかそれを奪われたくないと感じ、競い、相手を蹴落とそうとする。しばしば人間に見られるこの習性をサラは利用したのだ。
こうしてアビゲイルは女王との親密な関係を守り抜く。サラに勝ち、自分は女王を手中に収めたのだ、と勝利した気になる。だが長い目で見れば、それは敗北である。なぜならば、女王に対して偽りの献身を続けなければなないからだ。愛してもいない女王に対し、愛情表現をし続けなければならないからだ。そのことに気づきつつあるアビゲイルは涙を流し、女王もまた、自分に言いよる者たちの愛情が嘘か真かを見極めることに疲れた表情を呈する。
ただ勝利だけを手にした(と思いたい)のはサラも同じである。彼女も政治的な地位を失い、国を追われて、実利のない勝利だけを手にする。
アン女王、アビゲイル、サラ、三者三様に、それを獲得した瞬間は興奮こそすれど、時間が経ってみれば中身がなく虚しいと気づく勝利だけを得て物語は終わる。
愛を偽ること。本当の愛情。これはヨルゴス・ランティモス監督が前々作『ロブスター』で設定した構図でもある。
主人公は愛することを強制される環境では真実の愛を見つけられず、動物に変えられないため止むを得ず愛しているフリをする。
だが恋愛禁止のレジスタンスのもとに逃げ込んだ途端、真実の愛を見つける。
女王を愛する者は女王の要求とは逆のことをする。女王を愛していない者が女王の要求通りのことをする。その内外のギャップに,女王は苦しむのである。
このような「逆張り」を,ランティモス監督は今作でも見せたかったのだろう。
*
アビゲイルが手紙を盗み見るだろうことを,サラは予期していた。なぜそう言えるのだろうか。
それは,はじめ女王に対し憎しみの込もったメッセージを送ろうとしていたサラが,逆にご機嫌をとるような手紙を送ったからだ。
女王にとってのサラの価値は,ご機嫌とりではなく,厳しい言葉をかけることができることにある。女王を叱咤し,発破をかけ,高いレベルに引き上げようとする点にある。それがサラの"正直者"としての魅力である。(女王に対しては皆ご機嫌を取ろうとするので,女王を不快にさせる言葉を発することのできる者は正直だと思いがちだが,実際にはそうではない。「正直者」というサラのキャラクターも,半分は本当,半分はサラが自分自身に課した設定なのかもしれない。)
だとするならば,まさに憎しみこそサラが女王に伝えるべき言葉ではないのか。率直に憎しみを伝え,彼女の魅力をアピールすべきではないのか。ご機嫌とりの言葉をかける人物なら,アビゲイルで十分ではないか。
ご機嫌とりの言葉をかけたとしても,女王に対し,サラは自分を魅力的に見せることはできないのである。
それゆえ,サラがご機嫌とりの言葉を手紙に記すとすれば,それはアンに読ませるためではなかった,ということになる。
だがアビゲイルは,ご機嫌とりの言葉こそアン女王にかけるべきだと思っている。アビゲイルには女王がサラを愛する所以がよくわからないのだとすれば,サラが手紙に記した愛の言葉は,サラが女王への愛情を取り戻そうとしているように思えただろう。それゆえ,アビゲイルの目にはサラが脅威に見えるのである。
*
はじめサラは,女王に手紙を書くにあたって「あなたの眼を串刺しにすることを長い間夢見ていた」と書き記す。これはサラの本心だったのかもしれない。
だが仮にアビゲイルが手紙を盗み見るとしよう。サラの本心=女王への憎しみー実際には愛情も入り混じった「愛憎」とも呼ぶべきものなのだがーをアビゲイルが知ったとしたら,サラが女王の元を離れ,自由になれたのは,サラの勝利である。(もちろん,女王に取り入ることによる政治的・経済的なメリットは大きいのだが,その見返りとして,女王によって拘束されなければならない)
もしも「女王から離れること」が勝利だとしたら,アビゲイルは自分が今女王のそばにいることが敗北なのだと気づいてしまう。確かにアビゲイルは女王のそばにいることによって,最初のうちはたくさんの見返りを得るだろう。失ったレディの地位を回復し,豪奢な生活を送る。
だがやがて倦怠期が訪れるだろう。愛してもいない女王への愛を偽り続けることに疲れるだろう。ラストシーン,アビゲイルの感情を失ったかのような表情は,すでにその始まりを感じさせる。愛情を偽ったまま奉仕し続けることへの絶望感。
「感情を偽って奉仕し続けたくない」「早めに女王の元を離れよう」とアビゲイルに早々に気づかれては,サラは困るのだ。女王の寵愛を得てサラに勝利したという余韻に浸らせておき,気づいたら拘束され感情の自由を失っていた。そのような状況にアビゲイルを陥れることが,サラにとっての1つの勝利である。
もちろん,サラは政治的な地位を失った。そのため,全面的な勝利はあり得ない。サラはアビゲイルを鎖に繋いだことで,アビゲイルに勝利したと言えるし,アビゲイルは女王のお気に入りの地位からサラを蹴落としたことでサラに勝利したとも言える。
女王は,命じたことをなんでもやってもらえるがゆえに,サラのように反抗的な態度も取れる人物を好むかもしれない。誰もが女王に取り入ろうとしてなんでも進んでやってくれるがゆえに,本心から自分に献身してくれる人物を見つけようとする。その表れとして,あえてしばしば自分の意図に反して厳しく接する人物をそばに置く。だが,結局は自分の言うことを聞いてほしい。自分の望みを叶えて欲しい時に本心から奉仕してくれる人物が欲しいのであって,望みを叶えて欲しい時に厳しいことを言われるのも嫌だし,望みを叶えて欲しくない時に何かをされても嫌だ。
女王は,サラがしてくれないことをしてくれるアビゲイルを重用するけれども,アビゲイルはアビゲイルでただのイエス(ウー)マンである。して欲しいことをしてくれるけど,本心からではない。
いずれサラを呼び戻したり,サラのような性格の人物を登用するようになるのだろうか。それともすでにサラのような人物を経験したうえでアビゲイルを選んだことをわかっているから,しばらくはアビゲイルでいようと思えるのだろうか。
アビゲイルの才能は,上昇することにあった。サラとの勝負のさなかに発揮されるものであった。何かを獲得する時に発揮されるものであって,それを獲得したあと,勝利したあと,登りきったあとは虚しくなるだけであった。
その点については,サラの方がうまい。サラは勝負開始以前の,女王の寵愛を確保した頂点において,その地位を維持し,政治的手腕を発揮する治世者であった。
*
どことなく『ファントム・スレッド』で感じたような逃げ道のなさがフラッシュバックする。
同じ出世と転落の物語である『バリー・リンドン』もまた,豪華で優雅だが,下品さと汚濁をふんだんに盛り込んでいた。
3大女優が最高!
いや〜面白かったなぁー
3大女優それぞれキャラが最高に出てて、演出もコレ以上ない程のセッティング!
性や愛憎など、今も昔も変わらないじゃんってね(笑)
'19/2/25 追記
オリヴィアコールマン 主演女優賞おめでとうございます🍾🎉
終わりは始まり?戻る
欠点のない映画。脚本 演技 映像表現 全て考えられたであろう上の編集と音楽。しかし もう一度観たいとはおもう遊び心が足りなかった、衣装を現代にアレンジしたらしいが。もっと無駄話(タランティーノ)入れたらよかったのに。売春宿やメイド部屋での無駄話入れたら面白いっとおもうけどなーでもわざと入れてない気もするし うーんーーー深いよくできた映画には間違いない。
ダーティーなワードセンスとメイン女優3人の演技で見せる傑作ブラック・コメディ。ある意味ted。
傑作ブラックコメディでありました!
クズっぷりを発揮してる登場人物しかいない。
騙し合い、落とし合い、マウントの取り合い……人間の醜い部分が凝縮されてるのに、どこか滑稽で不思議と笑えてしまう。
それもダーティーなワードセンスとメイン女優3人の演技力ゆえでしょう。
ストーリー全体の進行より、セリフのやり取りひとつひとつが楽しい。
見た目は上品なのに汚い言葉を使いまくり。
地位、階級、上下関係……と絶妙にズレた会話にニヤニヤしちゃう。
舞台美術もドレスもめちゃくちゃ綺麗なのに、同時にどれもが滑稽に見えてしまう面白さ。
真面目な空気が漂いながらも、ある意味で『ted』に近い楽しみ方ができてしまいます。
メイン3人の演技はどんでもないレベル。
エマ・ストーンは特徴のある顔なのに、作品ごとに別人に見えるのがすごいです。
今作はバードマンでの役に似てるけど、またどこか違う。
一見エマ・ストーンが主役のようだけど、主演がオリヴィア・コールマン(アン女王)となってるのも面白い。それを踏まえると見方が変わるかも。
物語の早い段階に”銃”が登場するのが効いてる気がします。
一撃で人を殺せる道具が出てくることで作中に緊張感を与えてる。
壮絶の女性の戦いを経てのエンディングがとんでもない!
なんじゃ、あの終わり方は!最高じゃないですかー。
さらにスタッフロールでエルトン・ジョンが流れるのが……スタッフを含めこの映画に関わってるすべてが皮肉たっぷりだなぁ;
緊張感、脱力感、カメラワーク、セリフ、演技、乾いた空気……ハマる人はドハマリすると思います。
アン女王のどうしようもない様子の演技は見事でした。
『ヴィクトリア女王 最後の秘密』でのジュディ・デンチ演じる気品溢れる女王セットで見て比較するのもオススメです。
時代は違うといえど、舞台美術の違いとかも面白い。
ドロドロとした蹴落とし合いをカラッと笑える話に仕立て上げた絶妙さ。大満足!
見たあとに予告編を見直すと、表面だけを切り取ってて、うまくできてますなぁ。
実際はもっとしょーもない会話ばかり笑
そのギャップの面白さ!
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