ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのレビュー・感想・評価
全135件中、61~80件目を表示
タランティーノ節。
実際起きた事件を元ネタにしているとのことで、調べてみた。
悲惨な事件で観るの辞めようと思ってたけど、実際死んでしまう人は死なずに明るく描かれているとのクチコミをみて観賞。確かに明るく描かれていた。
が、さすがのタランティーノ節。ぐろいシーンが何個か。。この人の映画はあまり好きでなくて、でもディカプリオとブラピでしょ!と楽しみにしていた。
ディカプリオの演技力を楽しめるけど
しつこいけど、タランティーノ節がちょいちょい挟まってくる。。
ハリウッドとヒッピーを題材にしてるから見やすいことは見やすい。
でも、ディカプリオとブラピならもっと違う題材で見たかったかな。。
高級な酔いどれどもの与太話
タランティーノ作品はそれなりに観ているが、いつも思うのは、突拍子もなさを競いとめどなくエスカレートする酔いどれどもの与太話を本格的に映画化するとこういう感じなんだろうな、ということ。
今回は、ハリウッドの裏側を、ある映画俳優たちの数日、という感じで描きながら、回想に様々な伏線を張り巡らせた。スパイスになっているのは、凄惨な場面に最も近いところにいながら、なぜかそこに全く絡まない天使のようなシャロンテートの日常だ。彼女が、撮影中のエピソードを振り返りながら自分の出演作を観賞し、出演者特権を存分に利用する姿が、全く嫌みなく、愛おしさすら感じられる。ちょっとばかりじわっときた。
ディカプリオ演じるリックダルトンと子役の絡みは、予告で先に観ていなかったらもっと笑えたはずである。ああいう、作品の肝は、予告に入れてほしくないとつくづく感じた。
ブラッドピットは、いよいよ円熟味を増し、演技力の高さが鼻につかないほどに役を生きている。実は、この映画で最も印象的なシーンは、彼がリックの自宅のアンテナを修理すべく屋根に上がる場面である。どうやって上がるかは、ぜひ観賞した際のお楽しみにしてほしい。クリフが、関係者に疎まれながらも、来たるべくチャンスを生かすために、日々どれほど鍛練しているかが、このシーンひとつで理解できた。プライドの塊で、非常に面倒くさい奴だが、ストイックなまでに自分がするべきことを理解し、一度結んだ絆は決して裏切らない人間である。タランティーノは日本の任侠物に造詣が深い監督としても有名だが、今回の任侠は、間違いなくブラッドピット演じるクリフブースだ。
古い映画の知識があれば、もっと楽しめたろうが、あいにくそれほどの映画オタクではない。前に座っていた老夫婦がしきりに笑っていることに気後れしながらの観賞であったので、マイナス0.5ポイントである。隣で観ていた長男は、もっと分からなかったらしく、ラストのクライマックスの爽快感だけが残ったそうだ。伏線の回収は見事で、ああ、あのアイテムがここで出てくるんだあ、と笑いながら納得していたが、そこまでが長い!と言っていた。確かに。
タランティーノのテンションに追いつくために、一杯引っかけてから(いや、数杯か)観賞するのが一番よいだろう。ラストのクライマックスでは、みんなで拳を振り上げて喝采を捧げたい。
インハリウッド
ブラピかっこいい!
50歳をすぎてもあの上半身はさすが!
ブラッディ・メアリー飲みながらセロリかっこいい!
ディカプリオもかっこいい!
アル中な自分にファッキン!っていいまくりながら酒飲んでしまってるところ好き!
子役の子人質にとって話すシーンめちゃくちゃ上手い!
てかあの子役の子めっちゃ可愛い!
2人で「FBI」鑑賞してるシーンもいい!
タランティーノ監督だから分かってはいたけど、痛々しい表現あるよねー。
最後に偶然が重なりあって人々が導かれたように出会う感じはさすがにタランティーノ節だなーって思いました。
引き延ばすけどブレない軸
3週目に入ります日曜の午後でほぼ満席。
ディカプリオとブラピの共演とはいえ、映画偏差値の高いイメージのあるタランティーノ作品でなんだか不思議な感じ。。
字幕しかないようなので字幕版です。
ところどころ聞き取れる英語のセリフもあるのは嬉しいんですが、とにかく情報量が多いので、できたら吹替版もやって欲しい派。
感触としては3回くらい観てやっと「観た」と言える感じ。
とはいえストーリーラインはシンプルで、落ち目のキャリアに悩み情緒不安定なディカプリオと、スタントマンとしてビューネ君のごとく彼をケアするブラピの現実とが、ハリウッドを震撼させたシャロン・テート事件とクロスしてどんな結末を迎えるのか、それだけ。
アタマの長い長い会談場面でそれを印象づけたら、あとは彼ら2人とともに往年のハリウッドの街に繰り出すだけ。
まあその冒頭からあまりの引き延ばしっぷりになかば呆れるわけですが、空気感の作り込みが徹底してるので、不思議と退屈しないんですよね。
またネタ的に近い「マルホランド・ドライブ」では描かれなかった実際の撮影現場を見せることによって、尺はかさみますがディカプリオのドラマに実感を伴って寄り添うことができます。マルホとは予算も違うでしょうが、この差は大きかったと思います。
以下、ほんのりとネタバレします。
マンソンファミリーの事件に関しては、結局今もってよくわからない。ただ、正しい対処としてはこれしかない! という明確な決意表明を感じました。
およそ常人には理解不能な異様な出来事に対して、生半可な好奇心でもって接近したり、下手に深淵を覗き込むような愚を犯しません。ただやるべきことをやる、という潔さ。
最後、あの門が開いたとき、そこにはあり得べき未来が拡がっているようで感動的でした。
ただ、現実のシャロン・テートが赤ちゃんとともに惨殺されてしまうことは変わらないわけですが。
「シャロンを墓石の下から救いたかった」とは監督のコメントですが、まさか(物理)とは…
ただ、力点としては終始ホモソーシャル感の漂う主役コンビに置かれているため、肝心のシャロン・テート自身はあくまで映画の天使みたいな未来に胸を膨らませる新人女優の象徴のごとく描かれ、高名な監督の妻であること、まもなく子供を迎える母親である以上のパーソナリティを伺うことはできません。
作品の意図としてはそれでいいのかも知れませんし、また実際のフィルムを引用することで一応のエクスキューズは入れていますが、これだけの長尺で、元彼まで出したりしておきながら、結局はマリオに救出されるピーチ姫以上の存在にはなっていないように思いました。
見てない人はシャロンテート事件予習必須! 予習してるかしてないかで、全くの別物
ラスト!
そう来たかとしか言いようがない。
これはシャロンテート事件を題材にした映画だということで、呑気に進みつつもラストには必ず「死ぬ」という前提があるので終わりが近づくにつれて緊張が増して行く。
にも関わらずなんと「死なない」というまさかのオチ。そんなのあるんかーいと終わったあとポカーンとさせられ、ジワジワとそれが受け入れられたときタランティーノの溢れんばかりのセンスを感じ、この映画についていっぱい語りたくなってくる。
とてつもなく長い前ふりと、登場人物たちが徐々につながっていく様、お得意の長い無駄話、ブラピとディカプリオのニヤニヤしたくなるような関係、落ち目のディカプリオが開眼したときの演技力、ぶっとんでいるのに冷静で強いブラピ、とにかくこんなに豪華なネタがつまった映画はなかなか見ることはできない。
そして最後は全てがつながり安堵で泣きそうになるというこれまでのタランティーノ映画にはない要素まで堪能できる。
Rick fuckin' Dalton
まず何よりも、第一に言いたい。
子役とのやり取りが本っっっっ当に最高だった。その前後の流れも。
「生涯で一番の演技」だと、たった8年しか生きていない女の子が言うおませ感、それに素直に涙するリックがどうしようもなく好き。
良かったなあ、大人に褒められてももちろんすごく嬉しいけど、子供に褒められると混じりっけなしに褒められている気がして嬉しさ増すんじゃないの。
あとあの女の子、世界一の美少女だと思う。
タランティーノ監督の作品を観てきた人、この時代の映画やドラマを観てきた人、この時代に生きた人、思い入れと思い出のある人たちには、もうこりゃたまらん作品なんだろうな。
所々でグッとくるシーンはあったものの、私はこの映画の大半に着いて行けなかった。
勇気を出してパーティーに参加してみたものの、フロアの真ん中でテキーラ片手に盛り上がる人々を、スピーカーの側でスミノフちびちび飲みながらボーッと眺めているような感覚になる。
「あれなんかこれ私めっちゃ蚊帳の外じゃね?」と気付いてから、もう疎外感に押しつぶされそうになりながら何とか観ていた。長かった…。
ごめんなさい、監督の作品でちゃんと観たのは「ヘイトフル・エイト」だけだし「キル・ビル」は子供の頃観たはずなんだけど記憶が全然無いの。
60〜70年代は生まれてないしその頃の創作物はほとんど観てないの。
西部劇に関しては全く観てないの。
苦手な「古き良き論」じゃないといいな〜なんて思いながら、ろくに予習もせずに観に行ってしまって申し訳ない。歓迎されてなかったのかも。
リック・ダルトンとクリフ・ブース、シャロン・テートをメインに置いた群青劇のようなドラマ。
リックの自己嫌悪と自信の持ち直しに涙し、クリフの二人の友情にニンマリとし、頭の隅に常にあった不安をブチのめす展開に驚く。
散りばめられたコミカルシーンがツボにはまって、よく笑えた。
しかしどうしても乗り切れない辛さよ。
だらだらした会話劇も好きな本筋なら楽しめるのにな〜と、白目剥きそうになりながらスクリーンガン見の161分。
それぞれのストーリーや胸の内を推し量りつつも、たぶんこれはそんな普通な味わい方をするもんじゃないんだろうな〜と考えてまた不のスパイラルに。
最大のポイント、シャロン・テート事件。
冒頭から微かに感じていた不穏を、ゴリゴリに殴りつけグチャグチャに噛み砕き火炎放射でゴーゴーに焼き尽くすまさかの改変。
フィクションって凄いなと、非常に熱く感じ驚愕した。
容赦ないボコし方にテンションも上がる。
頭引っ掴んでガンガン打ち当てるやつ大好き。キュンとしちゃう。
ただ、本当に申し訳ないんだけど、正直、シャロンが襲われなかったことにがっかりしてしまった。
私の中でシャロン・テートは「マンソンファミリーに殺された人」という印象が強すぎて、女優としての活躍を全く知らなかったこともいけない。
この事件をどう描きそこからどんな展開を用意してくれているんだろうと楽しみにしていたので。
明るく楽しく生きる彼女を観ながら、でもこの後悲劇が起こるんだよなと思うことで、ホラー的感覚になって不謹慎ながら若干ゾクゾクしていたので。
悪趣味で申し訳ない。
まさか事件そのものを無かったことにするとは思わなかった。
ヒッピー襲来→シャロン死亡→巻き戻し→書き直し→リハーサル→ヒッピーボロクソ→ハッピーエンド!的なやつを勝手に期待してしまっていた。
いやちゃんと本編のあの騒動を興奮しながら観ていたけど、肩透かしを食らったような気分もあって。
この映画と私の根本が全く噛み合っていないことをひしひしと実感させられて悲しい。
同じ感覚を持てないことがひたすらに寂しい。
ただ、監督が昔の映画も今の映画も他人の映画も自分の映画も大好きなことはがっつり伝わってきた。
映像の質感も、NGを挟み込んだ劇中劇も、役者やプロデューサーとの会話も面白い。
ラストシーンの邂逅はあまりにも胸熱。
あとで人からこの映画のポイントや小ネタを少し教えてもらって、ほぉーそうなのかぁーという気持ちになった。
いくつか過去作もおすすめしてもらったので順々に観ていかないとな、と思う。
いつか何年か後にでも、タランティーノ作品を制覇してからこの作品を観たら絶対に感じ方が変わってくるはずでしょう。その時が楽しみだな。
今生きているこの時代も、何十年か後にはノスタルジックに映画として描かれるんだろうか。
どんなものがどんな人が象徴として登場するんだろう。まずはスマホかな、発展するSNSとコンテンツの多様性。タピオカなんかも入るかな、海外だったらレディーガガ、日本なら嵐かしら。
むかしむかし…と始まるタイトルだけど、妙に未来のことを考えさせられる映画だった。
昔とは比べものにならないほど選択肢が増えているこの時代。
このまま増えたとして、最初に廃れる文化はなんなんだろう。どうか映画ではありませんように。いつまでも映画館が残りますように。
私自身の未来も他人の未来も映画の未来も気になる。やっぱりあと300年くらいは生きていかないとダメだな〜。
俺はこの作品を支持する
タランティーノが良作を撮った時の感じ、ウィスキーを嗜む時のような、情緒ある町を散策しているような、そんな雰囲気を嗜む映画に仕上がっている。
しかし、この作品。何を伝えたいのか、話がどこに向かっていくのか分からないと感じた人も多いのではないだろうか。その通りだと思う。この作品は物語を伝えることを目的としていない。タランティーノ自身の幼い頃の心象風景を彼のスタイルで映画化している。
この作品を見てタランティーノが改めてどういうタイプの映画人なのか分かった。彼はアクション、ホラーと言ったジャンル映画を娯楽として作れる職業監督では無い。
映画、テレビ、そして60〜70年代アメリカの大衆文化を引用しながら彼の気持ちを映画という形で表現する作家なのだ。アンデォーウォーホールに似ていると言えば良いか。
これまでの作品もそうだが、元ネタの映画引用の方が先行してしまいそれが伝わりにくかったのかもしれない。本作はタランティーノの映画が非常に個人的な作品なのだと分からせてくれた。
ここからはガッツリネタバレになります。
この作品を見て「殺人者はライフルを持っている」という映画を思い出した。ネタバレしてしまうが狙撃で連続殺人を行う男を下り坂のロートル俳優が一括して捕まえるという話だ。狙撃手の殺人鬼をマンソンファミリーに置き換えたらまんま本作である。
しかもこれらの悪魔をどのように成敗するかというと、かつてスクリーンで活躍したヒーロー達に戦わせるのだ。日本で言えば過去の仮面ライダーや戦隊ヒーロー俳優(10〜20年くらい前の特撮作品で活躍した俳優の立ち位置だと思えば本作の感じに近いか)が実際に殺人鬼と戦うイメージだ。
イングロリアスバスターズ(以下、イングロ)では映画という武器で戦っていたが本作の武器は映画の中、偶像の世界そのものである。
本作が秀逸なのはラスト。イングロ、ジャンゴと歴史上の悲劇を虚構の中でだけでも救ってきたタランティーノだが、今回はシャロンテートを救った。すごく悲しいけど少しだけ温かく思える不思議な感覚。インターホンから聞こえるあの声が現世から発せられている気がしない。あの門が現世とあの世を隔てるように思え、ラストシーンはディカプリオがあの世に遊びに行ったように映るのだ。
この映画は他にも魅力が溢れている。ディカプリオ演じるリック・ダルトンだ。全盛期を過ぎたスターが自身の現状とプライドの狭間でもがくというキャラクター。悲壮感が漂ってもおかしくない役なのだがどこか抜けていて憎めない。普通の映画なら彼が困難を経て今の自分を認めてこれからの人生と向き合えるようになる、という流れだが本作では普通のストーリーテリングを捨てているのでリック・ダルトンは自己への一括で最高の演技を見せる。そこから何か自信のようなものを得てイタリアへ行く。この一見、普通の映画っぽくない流れ、リック・ダルトンの変化のきっかけが無い所が逆にリアルだと思った。そして彼が外部からの影響無しに自力で復活したことが、彼の強さやなんとなく魅力的に思えた。
対してブラッドピット演じるクリフブースだが彼は刹那的に生きすぎてて俺はあまり乗れなかった。この役はイングロでブラピが演じたアルド・レイン中尉が復員したその後を描いているようにも思えるし、ブラピが演じているから画になっているが極限の修羅場をくぐってきた彼が現世でごちゃごちゃやってる人間を突き放して見ているような気怠さ、いつでも躊躇無く人を殺せる冷たさがあまり好きにはなれなかった。(カートラッセルも嫌ってたし(笑))
ただ、彼がスパーン牧場を訪れる場面、ここは本当に怖かった・・・。タランティーノ、ホラー演出出来るんじゃん!とビックリした。あそこの異常性、緊迫感は秀逸だった。
ただ女性に暴力振るうのはどうかな。
しかし、そういえばタランティーノは女性にキレる。パルプでもジャッキーブラウンでも女性にキレてたし、デスプルーフ、イングロ、ヘイトフル8ではボコボコにしていた。(キルビルなんて女性に暴力振るうのが目的みたいになってたし)
現実で行えないことを虚構の中でやり放題するのがタランティーノのなのかも。
と思えばタランティーノは人の尊厳を犯す者を徹底的に映画の中で罰してきた。それはデビュー作から一貫している。そして虚構の中だけでも被害者を救い、福音を与えてきた。
そんなタランティーノの作風が最も表れている作品だと思う。
次はタランティーノの10作目。彼が引退を公言している作品だ。
彼が自分の人生最後の作品を撮るならば、やはり主演はティムロスでお願いしたい。
物足らんティーノ
昔TVドラマのカウボーイ役で名を上げ、マカロニ・ウェスタンで再ブレイクと言えば、まんまクリント・イーストウッドで、セルジオ某みたいな監督名も出てくるし、そもそもこの映画のタイトル自体「ワンス・アポン・ア・タイム〜」シリーズへのオマージュとしか考えられない。
で、肝心の映画はどうなのかと言えば、全体に散漫な印象だ。いろんなエピソードが盛りだくさんだが、シャロン・テイト事件の日時にカウントダウンしていくので、ずっとそのことを意識せざるを得ず重苦しい気分が拭えない(あのような終わり方は予想していなかった)。
リックと少女の束の間のやりとりは良かった。
ブラッド・ピットのアクション・シーンにはちゃんとスタントマンがついたんだろうな。
いくら、フィクションでも?
タラちゃんの映画愛は、尊敬できる。
しかし、あまりにも表現が、稚拙で幼稚。
三人組が押し掛けてくるところで、
又このパターンかと思ったら。で、最期は案の定
火炎攻撃か。
いい加減、燃やしてしまえば全てチャラは
ないだろう。事実を扱う映画は、予め決まった事柄があり、その中で苦心惨憺する事で人間ドラマが出来上がる
ものだし、そこが脚本家の腕の見せ所でしょう。
それを、まとめる力が無いからって事実をはねじ曲げて
観てる方にとっては、シラケる以外言葉が無い。
3時間という時間も長すぎ。
タランティーノ映画
最後に急に変わるとか、
暴力的とか、
会話が長いとか、
差別的とか、
冗長的とか、
言ってる人は、タランティーノ映画観てないんだと思う
ブラピとか、レオさん出ても変わらず、
タランティーノ映画でした!
足の裏には、ビックリだったけど
事件を知らないと謎
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」観ました!
1969年のハリウッド女優シャロン・テートがカルト集団に殺害された事件を背景に、俳優とスタントマンのコンビの物語を軸にしたクエンティン・タランティーノ監督のスリラー映画。
街にはヒッピー集団が渦巻く1960年代のハリウッドを舞台に、かつてテレビの西部劇で一躍スターとなったが現在は落ち目の俳優リック・ダルトンと、そのスタントマンであり親友のクリフ・ブース。
新たに映画スターへの道を切り開こうとするも停滞している2人。
そんな中、隣に引っ越してきたのは新進気鋭の映画監督ロマン・ポランスキーと、その妻で女優のシャロン・テート。
正に真逆な状況の2人を見て、再度スタートを切るリック。
そして物語は1969年8月9日へと向かっていく。
まずなんといってもリック役にレオナルド・ディカプリオ、クリフ役にブラッド・ピットという超豪華な共演!
シャロン役にはマーゴット・ロビー。
他にもアル・パチーノ、ダコタ・ファニングなど豪華なキャスト陣。
リックの苦悩や葛藤、またクリフとの関係は見所。
リックの落ち目や現在の自分の不甲斐なさを嘆く感じ、それでも立ち上がるというのは、共感できる部分があるのではないだろうか。
またクリフのアクション、最早スタントマンとしてのアクションではなかったが凄いカッコいい。ブラッド・ピットがカッコいいだけかもしれないが笑
これら2人の友情や成長が軸となっているが、それだけではなくシャロンの存在、ヒッピー集団の存在がどう関わるのかが謎過ぎるまま時間が経つ。
点と点が最終的に繋がるのだが、最早必要かどうかが分からない。
ただシャロン・テートの事件の概要を知っていたら別問題。
僕は一切知らなかったので最後まで謎でした。
終わってから調べてみるとそういうことかとなります。
シャロンの日常だけが描かれた意味について、タランティーノの想いが伝わる。
フィクションでありながら実在の人物(シャロン以外にスティーブ・マックイーン、ブルース・リーなど)と架空の人物が交錯した歴史映画であり、現実とは違う結末になるのがただの歴史映画ではない。
シャロンの生きていた日常、そして往年のハリウッドスターとスタントマンの相棒と呼べる間柄。
これを忘れないタランティーノの想いが込められた映画。
ハリウッドスターとスタントマンの映画としてはいいが、シャロン・テートの事件を知らないと意味分からんし、ただただ長いし、余計なものが多い映画に見えてしまう。
監督は歴史を作り替えたかったんだ
1969年 ハリウッド。
リック ダルトンはアクションヒーローもので売れっ子のテレビ番組の俳優だ。テレビの仕事がマンネリ化してきて、映画界で活躍したいと思っている。ヒーロー役ばかり演じて来たが、実はクソ真面目で、繊細で、泣き上戸。演技が上手くいかなかったと思い込んで落ち込んだり、台詞が上手く覚えられなくて自信を失ったり、不安神経病ともいうべき性格で喜怒哀楽が激しい。仲間と一緒にいると豪胆だが、一人きりになると頼りない。落ち込んで8歳の子役に肩を抱かれてなぐさめられて、やっと立ち直れたりする愛すべきキャラだ。有名俳優の邸宅が立ち並ぶ高級住宅地ベルエアの高台に住んでいるその隣には、ロマン ポランスキ監督と女優のシャロン テイトが住んでいる。リックのスタントマン兼、運転手のクリフは唯一無二の親友だ。
クリフは9年間余り、リックのためにスタントマン、運転手、ガードマン、付き人として働いてきたが、リックと反対に感情を表に表さないクールな男だ。スタントマンとして撮影ごとに移動できるようにトラクターで生活している。いっこう家を買って定住したり、結婚するわけでなく、人気役者になりたいわけでなく、愛犬のピットブルと一緒に気楽な生活をしている。もっぱら腕力が強く、関係者の間では、妻を殺したことのある男として、ちょっと有名だ。体に自信があるから怖いものなし、失うものもないので不安も不満も持たない。リックとの友情に篤く、クールな男の中の男だ。リックとクリフは二人、泣き笑いを共にして夫婦や兄弟よりも強い絆でつながれていた。
ある日、クリフは待ち時間に、ブルース リーと口争いをしたすえ格闘技で喧嘩する結果になってしまって、スタントマンの仕事を会社から解雇される。そんなクリフは、リックを撮影所に車でドロップしたあと、ヒッチハイクしていたヒッピーの少女を拾う。彼女はジョージと言う名の男が主催するコミューンに住んでいるという。ジョージはむかしクリフと一緒にスタントマンをやっていた仲間だった。しばらく顔を見なかったが、昔使われて、廃墟になった撮影場所に住み着いて、家出少女を集めてコミューンを作ったらしい。会いに行くとジョージはすでに盲目になっていて、クリフのことを覚えても居なかった。
6か月経った。リックはイタリア人監督の強い勧めで、ヨーロッパに渡りマカロニウェスタンのヒーローとして映画に出演し、そこそこに成功して、ハリウッドに帰って来た。共演したイタリア女優フランチェスカと結婚していた。クリフに空港で迎えられ、家に戻ったリックは、クリフに苦しい心の内を打ち明ける。イタリア映画界で作ったお金で結婚生活を続けることはできると思うが、ハリウッドの一等地で今まで所有してきた家を維持するほどの力はない。まして昔の様に、クリフをスタントマン兼、運転手として給与を払っていくことができない。9年間の二人の友情と結びつきが、役者として落ち目になってきたリックには限界に達していた。そこで二人の男達は、お別れに、昔からよくやっていたように飲み明かそうということで一致した。1969年8月9日のことだった。
二人はレストラン食事をしたあとリックの家に戻り、飲み直す。武装した3人の男女が家に押し入った時、リックはプールに浮かんで飲みながら、イヤホンで音楽を聴いていた。クリスは犬の散歩から帰ったところで、昔ヒッピーからもらったマリファナを吸っていて、物が二重に見える状態だった。クリスに向かって、男が銃を構え、2人の女たちがナイフを持って飛び掛かって来る。彼らは、カルトの主、ジョージから、昔テリー メジャーが住んでいた家に行き、家にいる住人をすべて殺してくるように命令されていた。クリスとピットブルは、強盗達に立ち向かい、男と女ひとりを始末するが、クリスは重傷を負い倒れる。一人の女は何も知らずにプールで浮かんでいるリックをアタックした。リックはとっさの判断で映画で使ったことのある火炎放射器で狂った女を始末する。救急車と警察が到着し、怪我をしたクリフを病院に搬送する。
警察も救急車もすべて立ち去った後、となりの家からポランスキーの友人、ジェイが出て来て、リックになにが起こったのか問う。リックの家に強盗が入ったことを知って、シャロンはリックを自分に家に誘い入れる。シャロンと、その友人夫婦とリックの5人がにこやかに、ポランスキー邸に入る後ろ姿で、映画が終わる。1969年8月9日深夜のことだった。
というストーリー。
クエン タランテイーノの9作目の監督作。彼自身の思い出と郷愁のつまったハリウッド物語だ。1969年、彼は、ロスアンデルスに住む6歳の子供だった。映画好きな母親に連れられて映画を子守唄代わりに育てられたそうだ。1969年あの時代が再現されている。60年代の車、大型のキャデラックやフォードやムスタングが走り、映画館には制服を着た売り子と、正装した支配人がちゃんと居る。ハリウッドの撮影所も規模は大きいが、すべて手造りで劇場を大きくしたようなものだ。スターたちが使うトレーラーも、キャンピングカー程度の出来だ。スターたちのあこがれの坂上の高級住宅 ベルエアの邸宅も今アメリカ映画に出てくる豪邸とは比べ物にならない、普通の家よりちょっと大きめ、という感じだ。当時からセレブが集まったプレイボーイハウスも、それほど派手ではない。すべてが60年代のアメリカの姿で、リバイバルされている。この時代のハリウッドを知っている人にとっては涙ものだろう。
この映画は言うまでもなく1969年8月9日深夜に起きたシャロン テート事件を核にしている。この事件はあまりにもおぞましく、この50年間人々は誰も口にしたがらなかった。思い出したくもなかった。でもこのとき6歳だったタランテイーノにとっては、ハリウッドで生活してきて彼なりの解釈とおさらいをしておきたかったのだろう。彼はシャロンについて取材し、誰に聞いてもシャロンのことを悪く言う人は一人として見当たらなかった、と言う。文字通り天使のような女性だったシャロンが、監督と結婚して妊娠して人生のもっとも美しい喜びに満ちた日々を送っている姿に、新たに命を吹き込みたかったのだろう。
現実では当時、ポランスキーは仕事で海外に居た。シャロンは3人の友人と、通りすがりだった男の5人が一緒に、チャールズマンソンを盲信するカルト信者の3人の男女によって惨殺された。当時26歳で妊娠8か月だったシャロンはナイフで16か所刺されシャンデリアからつるされ、血でPIGと書かれた床には、生まれることのなかった男の胎児が落下してる姿で発見された。
チャールズ マンソンは音楽家だった時もあり、自作の曲を何度もメジャーデビューさせようとテリー メルジャーに頼み込んでいたが、成功しなかったことで、テリーを恨んでいた。テリーが以前、住んでいたのが、ポランスキーとシャロン テートが移り住んできた家だった。犯行の動機はそれ以外には考えられない。マンソンはまともな教育を受けおらず、子供の時から犯罪行為で警察と矯正施設を行き来していたが、自作の曲、数曲はレコーデイングされていて、ビーチボーイズやほかの音楽家との交流もあった。家出少女やヒッピーを集めてコミューンを作り、LSDで信者を洗脳し、聖書を自分流に作り直しカルトを作り出した。1969年の無差別殺害を首謀したことで収監され、2017年に83歳で獄死した。
シャロン テート事件はあまりに凄惨な事件で、LSDと、ベトナム進駐で汚染されていたアメリカの姿を映し出した。歴史を変えることはできないが、タランテイーノはハリウッドを愛する者として1969年を描き直したかったのだろう。
さすがにレオナルド デカプリオとブラッド ピット2大スターの息がぴったり合って居る。演じているリックとクリフと、本人たちの性格がかぎりなく本物に近いそうだ。レオナルドのくそまじめで、喜怒哀楽が激しいところと、ブラピのクールなところがそのまま映画でも表現されている。リックが、映画で何度も「おまえ俺の親友だろう?」と、確認するように言うたびに、クリフが、鷹揚に「I WILL TRY。」と答えるところなど、二人の性格の違いががよく表れている。インタビューで、「二人は本当に実生活でも親友なの?」と聞かれて、レオナルドが、生真面目に言葉を選んで言葉に詰まっているところを、ブラピが、即座に「撮影中8か月も一緒だったんだぜ。トイレもシャワーも食堂も8か月間、一緒に使ってたんだから、当然でしょ。」と答えていた。こんな自然なやりとりも映画のようで興味深い。
リックはテレビシリーズでいつもヒーローだが、映画界で成功したい。にも拘らず監督が持ってくるのは、マカロニウェスタンの悪役だ。すっかり落ち込んで泣き顔のリックを家までクリフが送る。その二人の目の前で、ポランスキーとシャロンが幸せそうにスポーツカーで去っていく。途端にリックが「おい、見たか?ポランスキとシャロンだぜ。おい、おい、本物だぜ」と、高校生のようにはしゃぎだして元気になるリック。落ち込んだ親友の慰め役だったクリフが、すっかり鬱から回復したリックを見て「やれやれ」と、リックの肩をたたいて別れるシーンなど、笑わせてくれる。
リックが西部劇でメキシコ国境の酒場での撮影中、台詞を忘れるところもおかしい。リックが、トチっても全く表情を変えずにいるカウボーイを前に、忘れた台詞が出てくるまで大汗かいてシーンのやり直しを繰り返す。こういうデカプリオの一生懸命なとき、役者魂が乗り移ったような 凄みのある演技をする。良い役者だ。
クリフは、リックの頼みで屋根に上って、裸になってテレビアンテナを直すシーンがある。50代になっても贅肉ひとつついていない、引き締まった青年のような体が美しい。また、格闘技のすばやい身のこなしも素晴らしい。背も体格もデカプリオの方が大きいが、ブラピのアクションのキレは、日々の厳しい鍛錬の結果だろう。立派な役者だと思う。
シャロン役のマーゴ ロビーがフォックススタジオの映画館で自分がデイーン マーチンを共演した「THE WRECKING CREW」(サイレンサー第4破壊部隊)19868が上映されているのを見て受付嬢に「私この映画に出てるのよ。」と思わず嬉しくて言うシーンがある。映画のためにポスターの前でポーズをとったり、上映中人々がおかしくて笑うところで、その反応を喜んだり、上映が終わってルンルン気分でアニストンを運転して帰る姿など愛らしい。タランテイーノ曰く、「天使のような子」が、光り輝いている。「ミスターロビンソン」の音楽に合わせて膝上20センチのミニスカート、ブーツ姿で歩く様子も生きている喜びに溢れている。
タランテイーノは自分なりの1969年を描いた。しかし現実は1969年には、深刻なベトナム戦争による弊害で、アメリカ社会は潰れそうだった。まだPTSD(戦争後遺症)といった概念はなかった。それにまだアメリカには徴兵制があった。血を見たこともなかったような子供みたいに純真な若い人々が徴兵でベトナムに送られ、ベトナムの女子供を殺すように教育されたのだ。LSDなどのドラッグが、あっという間に蔓延するのは当然だった。おかげで今では銃も、ドラッグも自由に手に入る。1969年が良い時代だったかどうか、答えはひとつではない。
あいもかわらずタランティーノ節
序盤は淡々とした映像が続き、事件の事を調べずに観ていたら何を見せられているのかよくわからなかったかもしれない。
が、ブラピ演じるクリフがヒッピー達の住むスパーン牧場に行った辺りで空気が変わる。何かが始まりそうで始まらなくて、でも始まりそうな。ジリジリとした時間。
後半急にナレーションが加わり、別の映画のようにスピーディーに物語が展開される。そう、あの事件に向かって。
予告にもあった後半13分はまさにタランティーノ節。
不謹慎だけど笑わずにはいられない。
なんだかとても自由で、こんなに大きなバジェットでも自分の好きなように映画作っていいんだなと思った。
☆☆☆★★ 「アンドリュー・V・マクラグレンじゃないから!」 その...
☆☆☆★★
「アンドリュー・V・マクラグレンじゃないから!」
その台詞で表される、絶妙な映画とテレビとの距離感や、ハリウッドの業界内での人間関係。それらを縦軸とし。ハリウッドで最大の悲劇となった事件を、[無きモノ]とすべきお伽話。
これは、タランティーノがハリウッドの女神(ミューズ)で在ったシャロン・テートへ贈る鎮魂歌。
ラストシーンで画面に映る彼女の姿、そのものが感動となる。
〝もしも彼女が生き続けていたならば〟
更には、タランティーノ的な味付け(遊び)として。
もしもイーストウッドが、才能の無いちゃらんぽらんな西部劇俳優だったならば…。
ハリウッドの歴史は、大きく変わっていたのかも知れない…と。
但し。シャロン・テートを巡る、悲劇の事件の事を知る日本人は少ないので、ラストシーンに訪れる感動を味わうには、事前に多少の知識は必要だし。何よりも、タランティーノ作品らしく。中盤では、最早タランティーノ印と言っても良い程に…。
長〜い!長〜〜〜〜い! ダラダラ感を過ぎた先で、やっと訪れる一気呵成の[暴力・殺戮・スプラッター]のオンパレード。
そこに至るまでに、気持ちを切れずに画面を見続けていられるかどうか…。
それこそが、この作品を楽しむ1番大きな要因でしょうか。
2019年 8月31日 イオンシネマ市川妙典/スクリーン7
↓ 以下。映画とは直接関係のない、取り止めのない体験談。
この夏、徹夜続きの仕事の影響もあるが。余りの暑さによって、全く映画館へとは足が向かわない日々。
今日まで鑑賞可能なイオンのポイントが無ければ、おそらく家でグダグダしていた事だろう。
「せっかくのポイント無料券を無駄にするのもなぁ〜」と、電車に乗り込んだ…その刹那。
冷房でビンビンに冷やされたその車内に。ひたすら夏の間に冷たい水分を散々取り入れた、暴飲暴食のツケが一気に襲い掛かる。
突然に襲い掛かる腹痛!
必死になって全神経を集中させ、ケツの穴に力を込める。
が…しかし!
次の瞬間に。我がパンツにはほんのすこしの濡れそぼり、この押し寄せる【脱糞感】(p_-)
幸いにして少しだけの水分(下痢ッピー)で済んだモノの。つくづくと、おじさんになってしまった我が身の哀れさに悲しみを隠せずに、何とかかんとか映画館へと到着する。
…と。一気に心が荒む様な場末感を味わった、ダラダラな脱糞オヤジのこの体験談。
だが案外と、タランティーノ作品を鑑賞するには相応しいのかも?…と。暫し自分の身の上に降りかかった不幸を正当化し、スクリーンへと身を委ねたのでした(。-_-。)
栄光と挫折
面白かったが故にリピートしたくない映画がまさにこのワンハリだった
シャロンテートの事など何も知らないような自分にも十分楽しめたし、後からネットや雑誌のデータを捕捉する事もやぶさかではないし、でも事前に知識があり、当時のハリウッドの雰囲気も把握していて"その文化に馴染みのある外国人"の方がちゃんと楽しめるんだろうね
そもそも前情報や事前知識がないと楽しめないと思ってる層には向かないだろうね
日本の時代劇や海外の戦争映画もそれで敬遠する人も多いだろうし
まあ最低限、タランティーノ作品独特の雰囲気を受け入れてないとひたすら冗長に感じる映画だろうな、とは思う
なので映画として刺激的だとか発想が云々とかそういうんじゃないし、ディカプリオとブラピの共演が〜というのも割とどうでもいい
勿論この2人の俳優の演技は素晴らしかったです
結果的に良かったのは…
映画として成立させるストーリーの為の構成というものがほとんどなかった
…これはタランティーノ作品においては今に始まった事ではないけれど、今作は特にそれが顕著であると思う
何より小気味いいのは"史実"や"あの当時"というリアルが下敷きになっているのに、主役2人は架空の人物で、史実通りのオチを迎えないという点
そんなんありか?と、タランティーノ作品には目から鱗という部分がある
作品の外側で印象的なのは、ブルースリーの作品内の扱いについてブラピ自身が「ホントにこれでいいのか?」と躊躇したというエピソード
ブルースリーファン視点で見れば不本意だと思うし、かく言う私もファンではあるが、ブラピ演じるキャラ自体が架空の存在なのでそんなに違和感はなかった
あのシーンだけ、というのがまた良かったし
(完全にフィクションのアクション映画だったら後からブルースリーが出てくるパターンだけど、この映画はそういうんじゃない)
ただ、ブラピのアクションシーンは、タイヤのパンクのとこと、ラストの夜の乱闘くらい?かな?
欲を言えばもうワンシーン、軽快で迫力あるアクションシーンがあっても良かったかも
ちなみにラストの火炎放射器のくだりはいい意味での苦笑いしかない
あのシーンは"私にはわからないんだけど"ハリウッドジョークなんだろうね(maybe
追記
やはりタランティーノにバイオレンスだけ求めてる観客には物足りないだろうし、そういう一面も売りだから否定はしないし、映画に何を求めるのかは観客それぞれの自由だし
だがもうそろそろ気付いてほしい
彼の映画はバイオレンスだけじゃないって事に
この映画が映画のていをなしていない点はお気にりではあるがデメリットでもあるのは否めない…でもね
シャロンテートの前振りを作中でしないのは不親切ではなくて「いやこれ知ってるだろ?いちからか?いちから説明しないとダメか?」ってやつだ「君たち日本人には馴染みはないかもしれないけど、むしろそんな説明に尺をさけるか!蛇足だ!後からでもいいから調べろよ」
それを腑に落ちないというならたしかにこの作品を駄作としてもいい
シャロンテート知らなかったら楽しめる訳がないという人もいる
でもちょいまってほしい
史実自体がもう資料としてしか捉えどころがないのだ、少なくてもこの日本という地までの距離感においては当時の事件を知っている人以外は…
日本においても歴史上の人物は確かにかつて存在してその記録も残ってるが、現在の我々からしたらフィクションの領域だ
だって日本の戦国武将が言った台詞の全てが記録されてるわけじゃない
こんな事を言う筈だ、と想起したらもうそれはある種の虚構
それでも違和感はない
なのでシャロンテート(事件)がほんとにあったかどうかなんて、少なくともこの映画を観るにあたっては問題ではないのです、知らない人は気にしなくてもいいと思います。私は気にしないで観て後から補完したくちです
だってこれタランティーノ作品ですもの
(о´∀`о)
タランティーノの映画愛に涙する。
シャロン・テート事件をリアルタイムで知っている者には一度しか効かない魔術であるけれども、シャロン・テート達が殺されずに、シャロン・テート達を殺めた者達が殺される映画だったとは。しかもその殺され方が半端ないので笑ってしまったくらい。しかし、その殺し方にタランティーノの怒りが感じられて涙してしまった。下らない考えに洗脳されて、ハリウッドに花咲いた若く美しい女優を胎児もろとも惨たらしく殺して、映画を、ハリウッドを愛する者を悲しませたクズ野郎達を殺してやりたい、そしてシャロン・テートがもし殺されていなかったら…とは映画を愛する者なら多かれ少なかれ思うだろう。レオナルド・ディカプリオもいいおっさんになってしまったが好演。無垢な美しさに輝くマーゴット・ロビーもいつもながらに鮮やか。映画を愛するタランティーノから、映画を愛する者に届けられた一時のファンタジー。拍手。
タランティーノ好きなら
内容は最高!
今までのタランティーノの常連組もちょいちょい出演していて内容とは別に楽しめた。
イングロリアス・バスターズを連想させるシーンがあり、マカロニウエスタンにリックが出演してる時に少し表示される監督の名前にアントニオマルガリーテとあり、これはイングロリアス・バスターズでも使われている名前。
初見はあまりオススメしない
全135件中、61~80件目を表示