斬、のレビュー・感想・評価
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斬、へと昇る天道虫
幕末とは「人を斬ったことがない」侍がほとんどだった時代である。腰に下げた得物は「概念」だけが残り、「実用」を失って久しい。
杢之進もそんな「人を斬ったことがない」侍。
そして幕末はそんな日常が崩壊する予感に満ちた時代でもある。新しい世界との交わり方を、意思決定しなくてはならなくなった。ことによっては「人を斬る」必要に迫られるかもしれない、そんな時代。
「太平の時代が続いてましたからね」
杢之進の台詞には、変化は確実に迫っているという彼自身の葛藤が含まれている。
考えてみれば当たり前の話だが、侍に生まれたからと言って「人を斬りたい」訳ではない。日本に生まれたら無条件で米が好きか、と言えばそんな事はないのと同じだ。選択肢があるなら、パンが良い、麺が好き、と好みは分かれる。
人を傷つけるより、畑を耕す方が自分にはあっている。そう感じる侍だっていたはずだ。
少し前なら、薄々そう思いつつ剣の稽古をこなしながら生きていけた。ついぞ使うことのなかった刀を床の間に置いて、安らかな生を全うした侍だっていただろう。
杢之進は多分そんなタイプなのだと思う。
杢之進だって、闘うこと自体は好きだ。腕もある。農民の市助に稽古をつける杢之進は、容赦なく市助を攻め立てるし、暴力を恐れる一方でどうしようもなく暴力に惹かれている面もある。
でもそれは安全圏の暴力だ。合意の上で、命を落とすことなく終わらせられる暴力だ。
「人を斬ったことがない」「人を斬らなきゃならないかもしれない」「人を斬りたくない」そんな杢之進の葛藤は、初めて真剣を持った日から続いていた。竹刀や木刀で闘うのとは違う。どちらかが命を落とす戦い。
澤村が来たことで、杢之進は暴力の最終形である「人を斬る」ことから逃げられなくなったのである。
常に「人を斬る」事を考え続けていた杢之進は、柄の悪い浪人軍団との悶着について「もう止めてください」と訴える。
誰かを斬れば報復が待っている。始まってしまえば、こちらもあちらも何人も死ぬことになる。
人を斬れば、斬られる。どこかで止めなければ、という杢之進に対して、弟を殺されたゆうは「いざというとき刀を抜かないで、一体いつ役に立つんだ!」と言い放つ。
農家の娘であるゆうにとって、命のやり取りは他人事だ。自分が斬られる事も、誰かの命を摘む事も人生の中にはない。考えた事もない。
激昂したゆうに突きつけられた言葉は、杢之進自身が一番悩んでいた事だ。
侍に生まれ、いざというとき刀を抜かなかったら、自分は何のために生きているのだろう?
ゆうの家族の報復のため、澤村と浪人たちのアジトに乗り込んだ時も、杢之進は真剣を手にしなかった。歯に刀を突き立てられても、ゆうが犯される様を目の当たりにしても、ついに刀を手にしないままだった。
人を斬るという罪深さを受け入れる覚悟は、この時の杢之進にはまだなかったのである。
それでも杢之進に固執する澤村は、朝一番に江戸へ立つ事を告げる。
「来ないなら、お前を斬る」とまで言われて、杢之進は山へと消える。
杢之進は逃げたかったのか?そうかもしれないが、それだけではない。
市助とゆうと見つけた天道虫を見ていた時に、杢之進が語った言葉の通り行動したのだ。
「七星は上へ上へと昇って行くんです。昇って行って、昇る所がなくなると天へ飛び立つ」
杢之進は天道虫のように、「人を斬る」世界への道を昇る。山を登る。「人を斬りたくない」「人を斬れるようになりたい」その狭間で葛藤し、悶えながら、昇れるところが無くなるまで、山を登り続ける。
このまま杢之進と澤村が昇り続ければ、杢之進は天へ飛び立ってしまう。その先は死か、人を斬る存在か。どちらにしろ、ゆうが慕った杢之進はいなくなる。それを感じてゆうは叫ぶ。
「止めてください。もう、止めてください!」それは杢之進と同じ願いだ。どこかで止めなければ、誰もいなくなるまで止まらない。
杢之進と澤村の果たし合いは、杢之進の横薙ぎの一振りで決着した。題字の「斬、」その横に長い一画は、杢之進が初めて人を「斬った」姿だ。
「斬」という存在になった杢之進は、もう画面に映らない。
慕った存在を失ったゆうの嘆きの叫び声だけが、天道虫が飛び立った後の山に響く。
暴力へのどうしようもない憧れと、暴力への本能的な畏れ。暴力に魅了され、暴力を否定し、その相反する感情を映画に叩きつける、塚本晋也という存在がそのまま映画になったかのような、塚本晋也らしい美しさ。
いや~、最高でしたね!
「、」の後はどう続く?
Amazon Prime Videoで鑑賞(レンタル)。
究極の投げ掛け映画でした。
タイトルからして、「、」がついているし…
その後には、何が続くのだろうか???
剣術の鍛練を積んでも、人は斬れない。剣を抜いても、大切な人を守れない。ではいったい、「剣」とはなんなのか?
人を殺すための兵器?
己を導くための道具?
人を斬ったとして、その先に待っているものとは…?
つまり、圧倒的な力の使い方を問う物語だったのかしら?
う~む、分からん!
※修正(2022/09/28)
人を斬るということ
それは尋常じゃない精神力が必要ということ。この時代では当たり前かもしれないけど、やっぱり人を斬る、ということは異常なことだ。決して主人公は弱い人間でなく、普通の人間で、煩悩もある。剣術は練習と実践では大きくちがう。覚悟して本当に人を斬った時、彼の何かが壊れ、普通には戻れなくなってしまった。そうしなくては武士としては生きられないこの時代の儚さ。殺陣のシーンのカメラワークが早すぎてよく見えない。宮本から君へと同じコンビ、そっちも楽しみ。
切る為の刀。。。
人を切るべきで切らないといけない浪人が人を切るための話?
低予算感が漂う時代劇。
画面が汚い。
意図してるんだろうけど。
ですごく艶かしくもある。
なんだろう。
既読感溢れる、リアルな活劇。
蒼井優役不思議。
盗賊たちにやり込められるは自業自得感溢れるし。
池松が言うことはその通りだと思う。
仕返しや復讐は違うとは思う。
でもそれに固執をなぜしてしまうのか。
最後の決闘。強い。
彼女の慟哭は何を意味するのか。
切らないで欲しかった?
行かないで欲しかった?
色々解釈できすぎてよく分からん。
まぁ映画館で見てよかったかも。
暗闇で刀の音を聞くべし。
迫力はあるんだけどね。。
映画の滑り出しはとてもいい感じ。池松の殺陣も良かった。腕の立つと侍を集めている塚本晋也の登場でより期待が高まった。戦闘シーンには一貫して迫力がありとても良かった。ただ、主人公がこれほど腕は立つのに人を切れないという苦悩、愛する女は守れないけど自分の命の危険の場面では刀を抜くんだ、みたいなところにちょっと魅力半減。せっかくだからもっとしっかり吹っ切れた感じを出して終わって欲しかった。
それでこそ澤村を見事に切り倒したシーンが生きるのではないかなぁ。
退屈
軟弱な若者と屈強な老人。若者は話合いで問題を解決しようとするが、痺れを切らた老人が災いを持ち込んで、若者がその尻拭いをさせられる、って感じだと思うが、テーマが凡庸すぎる。
演出も盛り上がれないし、カタルシスもない。
葛藤()で気が狂ったフリとか観てられない、席を立とうかと思った。
池松くんは堪能できるが話はよーわからん。
横顔の池松壮亮の鼻・唇・顎のラインが好みすぎて、結構そのラインが見える画が多くて悶えました。
そして着物のあわせから見える胸元も涎が出る感じで…
ご当人に対して送ると絶対セクハラ認定されるよこしまな気持ちをダダ洩れにしてみました。
あと声。いいわー。若さがあるのに落ち着いた低音がたまらんです。
生物・池松壮亮の美貌を味わう、その点においては100点でした。
後は、蒼井優とのなんだかよくわからないけど多分お互いむらむらしてるんやろな―っていう関わりもまあわるくないし、
侍に憧れる弟くんの若さゆえの愚直さも悪くはないと思いました。が。
主となるテーマがなんのこっちゃわからんと思いました。
あと、おそらく意図的だと思いますけど、バトルシーンでの揺れるカメラね。
酔いますし、よそ者の悪者(ということになっている)軍団のアジトで澤村と都築が戦うシーンなんて、わたしには何が写っているかもよくわからなくてね。
これも意図的なのかもしれないですが、衣装が背景の保護色過ぎて、同化して見えるので、画の中のどれが人物かもよくわかりませんで。
ゆうが凌辱されているのだけが辛うじてわかりました。絵ではなく状況から。
また、都築の2度の自慰シーンは何なんですか?あれ?いる?
や、わたしは池松くんが大好きなので、あの声を聴けていいんですけど、すけべ心を横にうっちゃると、意図が見いだせなくってね。
そして、都築の人が切れない理由も不明。まあ不明でもいいけど、
じゃあどうして動乱に身を投じようとしたのか、切れないならばなぜ剣を磨き続けるのか、「わたしも人を切れるようになりたい」という叫びは何を意味するのか、そして結局澤村を何で切ったのか。
都築は何を体現しているのかさっぱりでございまして、はまりませんでした。
現代社会と暴力の比喩だってのを後で人の評で読んだのですが、腑には落ちませんねえ。
暴力の連鎖が産む悲劇、多分村の百姓は善良ということになっている市民で、かれらに潜む悪の凡庸さや恐れという名の差別を断罪しているのだろうと思うけれど、あの舞台装置で語る意図が分かんない。
そんな感じでした。
蒼井優もよかったです。
映画館で塚本監督が書いたというクリスマスカードを来場者特典でもらいました。
おりしもクリスマスだったので、もう25日は終わりますがしばらく部屋の壁に貼っておきます。えらくかわいいイラストでなごみます。
80分でこんなに考えさせられるなんて…
自分はこの映画は現代の日本のメタファーというマクロな視点ではなく漢になりきれない1人の男の物語というミクロな視点で観ていました
というのも劇中にあるてんとう虫は木を上へ上へと登り空に羽ばたくというセリフ
これは最初、浪人たちが京都へと向かい活躍するという意味だと思いましたが後半同じセリフが出た時、それは主人公が人を斬れる漢へと成長しなければならないという意味に取れたからです
また主人公は妄想の中では復讐を遂げているシーンが随所にあり(最後に澤村を斬りつけ血しぶきを被るシーンがフェイントのように入りその直後まだ澤村に剣の先を突きつけられてるシーンに戻る)コンプレックスが如実に現れてるので焦点が主人公の成長一筋に絞られてしまいました
これを考えるともはやゆうの指カプからの首絞めも主人公の妄想なのではないかとも思いました(首締めは愛情表現ではなく復讐表現かと)
とにかく監督は対談で観客に自由に考えてくださいと仰っていたので色々な解釈ができますね
「私も人を切れる様になりたい」
『野火』の塚本監督のオリジナル時代劇。しかし、台詞等はかなり現代風の口調になっているのは、時代考証を行なった上でのあくまでも創作劇であるため、決して調べなかったことではないとのこと。勿論、ガチガチの時代劇を塚本監督に求める訳もなく、作品に則した台詞回しは当然である。
今作に対するレビューに多くは、やはり“刀”という武器が、所謂現代の“武力行使”へのメタファーであり、その武力の応酬が、どれだけの被害を拡大していくのかという一種哲学的テーマを以て映像化しているという切り口である。
勿論、それを否定するモノではないし、特に折角流れ者と上手く関係を築けそうであったチャンスを、つまらぬ意地(本人は屈辱以上の何物でもないのだが)で、攻撃したことで却って惨事に拍車が掛かる件は、大変考えさせられるプロットである。それこそ、“話せば分る”と、“問答無用”の相克は、幾ら議論を尽くしても歩み寄れない矛盾なのであろう。
しかし、自分的には今作品の注目は、やはり浪人都築杢之進の見事な剣術捌きと裏腹の、未熟な精神構造を表現した演出であろうと思う。この辺りも、彼を“日本”というメタファーで捉えているのは良く理解出来る。しかし別に自虐的に考えずとも、そもそも泰平の時代であった江戸後期において、人を斬るという行為がイレギュラー化している状況では当然かと思う。頭でっかちであり、志しばかり高いが精神力の弱い人間に、江戸への参戦にスカウトした武士も、結局目の前にいるこの都築こそが、武士の世界を壊した張本人であるという、倒幕派の具現化した人間であると気付いたからこそ、クライマックスへの不必要且つ執拗な戦いへと駆り立てたのだろうと思う。そして、あくまでもそれを第三者的に見届ける“慟哭”担当である蒼井優の、スピンが掛かった演技力は、益々エモーショナルにターボがかかる迫力である。
舞台は農村であり、そして結局だれもそこから離れることはない、この狭いエリアだけで完結してしまう“蛸壺”のような酷い現状は、果たして人間の思考を次のステージに登る為の産みの苦しみなのか、それとも滅びへの序章なのか・・・
余りにもだらしなく、そして純粋で、優しい、その主人公の苦しみに伝播された観後感である。
サービスとしての蒼井優の“指フ○ラ”は、天才肌を垣間見た気分だがw
その慟哭を体感せよ! そして・・命の重みを知る。
とにかく鉄を描かせたら、右に出るものはいないんじゃないか?ってくらいに・・鉄の重みをずしんと感じる作品でしたし・・
他の時代劇にはない凶器としての「日本刀」の重みを感じました。
大好きな「るろうに剣心」のなかでも
刀は凶器、剣術は殺人術ってセリフが出てくるのですけど
どうしても、今までの時代劇の中では「刀」が軽く感じられてきましたが・・
SE・・というかサウンドデザインが凄くて
「鉄」が映像だけではなくて音で語ってくれます。
しかも、日本刀はめちゃくちゃ切れるという部分のリアルさが半端ないので・・
殺陣のシーンがめちゃめちゃ緊張します。
この切り合いのシーンですが
「バガボンド」を彷彿とさせてくれたので監督にサインを貰って握手する時に「バガボンド」を思い起こされました!って言ったら・・まだ、読んだことないので読んでみたいと思いますと言ってましたが・・
命のやり取りをしてるんだ・・
人が人を切るという事。
剣術は殺人術。
カタナは凶器。
そこが、純粋にこれほどまでに重くのしかかる作品はなかったですね。
そこに、漂う・・なんとも言えないエロス感も相まって
全体的に、説得力のある
圧倒的な力で、その中へと引きづりこまれてく
そんな映画でした。
「悪い奴らにしか悪いことはしない」
全体的には若き侍・都築杢之進(池松壮亮)の武士としてのあり方の葛藤を通して、非暴力を貫けるかどうかというテーマが重くのしかかってくる作品でした。それを後押しするかのように、塚本監督らしい重厚な音楽によって観客に疑問符を投げかけてきた。塚本監督初の時代劇ではあるが、普通ならば主人公が仇討ちシーンで大活躍するところを、人を斬ることができないでいるアンチヒロイズムを描いているのだ。
21世紀になってから、藤沢周平原作の映画が時代劇の主流とさえ思えてくるのですが、テレビ時代劇と違って、滅多に人を斬ることはなかったというのが平穏な江戸時代の常識となってきている。もしかすると、杢之進のように実際に人を斬るのが怖かった武士も少なくなかったのではないかと想像できます。
平和そのものの村での出来事。「悪い奴らにしか悪いことをしない」というのがモットーである浪人集団が村のはずれに居座っていた。見た目が怖いだけだから大丈夫だと杢之進は伝えるが、ちょっとした小競り合いで、ゆう(蒼井優)の弟・市助(前田隆成)が泥まみれになってしまい、村人たちは退治してほしいと懇願する。動乱に参加することに意欲的な澤村(塚本晋也)が一人を残して全員切り殺してしまい、その生き残りの源田(中村達也)が復讐に燃え、新たな仲間を引き連れて、ある村人一家を惨殺してしまうのだ。
復讐の連鎖。憎しみは連鎖して永遠に繰り返される。待ってましたと言わんばかりの澤村は杢之進に源田たちを斬らせようとするのだが、杢之進は真剣を抜くことができない。想いをよせるゆうがレイプされる現場を目の当たりにしても斬れないのだ・・・。怒りは常に持っていたのだろうけど、タガが外れると、殺人鬼になってしまいそうな自分が怖い(想像だけど)。
『野火』のときに感じた、塚本晋也の思い。平和な世の中になぜだか不穏な空気があること。また、武士道の美学をカッコよく描くのではなく、無様にリアリズム満載で描き、人間の本質まで追求しているようだった。自慰や指フェラで満足するのもリアル。村で暮らさなくてはならないのも忠義心が欠如した証左だ。澤村が「公儀のお役に」と言ってたことも、杢之進と対照的に描かれていて、忠誠心があるがために暴力をもいとわないという構図が見事に描かれていた。
人を斬れない侍の苦悩
侍として生まれ 腕を奮うことなく 農村でバイト
いざ本業の人斬りの仕事に出かけることになると
いやいや、人なんて斬れないよ!って駄々こねる話
めちゃシンプルな話でした。
今からお国の為に戦争行って銃で人を撃ってこい!言われても僕はできひんもん。斬るなんてもっとできない。
長く泰平が続いてた幕末やし、そりゃ疑問持つよな。
低予算ながらなかなか良い映画でした。
ただちょっと農村の娘がヒステリック過ぎたかな
斬!念!
野火は観てないが 鉄男 そして、スコセッシュの沈黙を経ての塚本晋也の時代劇
期待しない方が難しい
三人の精神が追い詰めれてく様を描いているが、どれもじわじわと心の変化の様が描けていないので 役者が熱演しているだけに思えてしまう
セリフも現代の標準語 あえてなのだろうが、蒼井優に至っては百姓の娘ではなく
蒼井優が百姓の格好をしているようにしか見えない。芝居もしょっぱい。
腕の立つ若侍は何故人を斬れないのか?
単に太平の世が続いただけ?
沢村は…自分で演じてしまう?演じたかったのか、それとも、誰もいなかったのか 予算のせいか? 誰が良かったのだろう?
革命なのか 幕府の志士側なのか?
この映画に全く斬られる事なく、不満に頬を膨らませ 席を立つ。残念!
80分
中村達也好きですね〜
CD探して
ブランキー聴かなきゃだ‼︎
池松君
出発前にフラフラ倒れては起き上がってくるとこ
顔が幼く見えて
可愛かった‼︎
塚本晋也って
なんであんなに迫力あるんだろう
普通のおじさん顔なのに
妙に怖い
塚本さん映画にしては
サッパリしてましたね
関係無いけど
悪夢探偵もっかい見よ
モヤるもパワーある逸品
いやー、なかなかパンチのある映画でした。
ハンディカメラで画面が揺れたり、音がギラギラしていてなかなか観心地は良くないですが、それが迫力につながっているようにも感じました。
時代劇ですが、割と『怒りは怒りを来す』系の作品です。無意味な武力衝突によって、我々国民は尊厳などなく振り回され、大事なものを失っていくのだ、戦争反対!みたいなことを言いたいのかなぁ〜、なんて感じました。
あと、殺し合い始めると、明らかに何かがイカれてくる様子も描写されていて、なかなかコクがありました。
池松壮亮演じる主人公・都築は割と複雑なキャラクターというか、多重的な見方ができる存在ですね。
斬ることができず、悶々とマスをかき続ける都築は、大人になるためのイニシエーションを突破できない未成熟な若者という側面があります。だから蒼井優ともセクロスできません。
しかし、この『(親を・子ども時代の自分を)斬って大人になる』というのはあくまでもイメージの話で、本作はガチで斬る・斬らないの話なので複雑です。本当に斬ったら修羅道に堕ちるわけですし、でも斬らないと大人になれない。そして、本当に他人を斬って大人になるというのも、マチズモな価値観に染まっていくだけなので、なんとも悶々としますね。あれじゃあ、焦燥感に駆られてマスかくしかねぇな〜、なんて思いました。なんというか、都築という男と侍という身分の相性が悪すぎますねぇ。
なので、どの道を選んでも出口なしの都築さん。だから、江戸に出立する直前に病に倒れるのですよ。
前半はかなりテンションを煽ってくる作品ですが、後半は無力感や絶望感が迫ってきて、こちらも疲れてきました。
そんな中、長い黒髪を下ろした蒼井優がセクシーでした。和服に下ろした髪って、妙にエロく感じます。終盤の蒼井優は実に鬼気迫る雰囲気なのですが、一方で色っぽく感じました。これまで蒼井優に対して凄みは感じてましたが、セクシーは感じたことがなかったので新鮮な体験でした。
いろいろな角度から語れる作品だと思います。やや拡散している、と言えなくもないですが、作品に渦巻くパワーが勝っている印象です。
とはいえ、どこか無力で心が乾く作品だと思いました。
後味がモヤる作品だったせいか、鑑賞後に何故かブラフマン(しかも超克以後の作品)を聴きたくなり、ガンガン聴きながら帰りました。
なんか、まるで論拠はないのですが、直観的にブラフマンが本作へのアンサーなのではないか、と感じています。
幕が開くとは終わりが来ることだ
一度きりの意味をお前が問う番だ
それでも?
金属音を交え不穏に響く音楽、生々しい自然の風景と血生臭い斬り合いは、異様な迫力がありました。
暴力の結果としての流血描写も、やはり潔くグロテスクで良かったです。
主演の池松壮亮の身体能力の高さを見せつける殺陣や、蒼井優の演技の振り幅、塚本晋也監督の鬼気迫る執念の表情など、役者陣も素晴らしかったと思います。
舞台は、長い泰平の世が続いたものの開国に揺れる江戸末期ということで、戦争放棄の憲法で平和が続いたもののその憲法を変えるのか、という日本の現状をイメージしているそうです。
蒼井優の感情的に怒りを現す人物像は、さながら感情的で起伏の激しい現代の世論を象徴しているのかと感じられました。
対する池松壮亮の報復し合ってもきりがないという冷静な信念は、成る程と思いました。
しかし実際に暴力を目の前にした時、どうすべきか。
蒼井優が襲われる場面は、普通はここで斬るべきだろう、それでも斬らないのかよ!、と思いましたが、一般的な理解を超えたような信念は肯定も否定も出来ず、悩まされます。
報復による暴力の連鎖など、考えさせられます。
舞台挨拶のある上映を観ることが出来ましたが、ローカルな映画館に来てもらえるとは、ありがたかったです。
斬った後を問う話(但し答え無し)
刀を持つ者には覚悟が要る。
切れなければ、愛する者も自分の命も守れない。
そのジレンマには耐えられないよ。
やめて下さいと言われても、回り出したら止められない。
理想論は魅惑的に見えて現実社会では無力。
この状況下でマスターベーション?お前が絶えろ。
まぁ色んなモン、ぶっ込んでくれるわ。塚本監督。
愛するオンナを抱けもしない。腕は有るのに斬れない。博愛と理想論と自慰行為。全くの無駄でしかない剣術指南。責任転嫁体質。甘過ぎる現状認識と将来予測。
この無責任で自己矛盾に満ちた都築と、使い方の是非についての議論は有れども、斬る澤村。所詮、魂含めて幸せになれないのが同じなら、澤村の様に生きる日本人であって欲しい、いや勝手な言い分だが。
立場上、得られうる最大幸福を追求する源田さえも憎めなくなるくらいの、主役のポンコツ振りに、このキャラへの愛の無さを感じました。
一個。撮影は別人立てた方が良いと思う。監督自らがやらなければならないもんじゃないと、是枝作品の近藤龍人を見て思う次第です。脚本を書いた人とは、別人の視点も、要るんじゃないかなぁ。
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追記(12/4)
斬る理由はあっても、その後の事は考えていない澤村。覚悟も無いのに斬った都築。悪い奴しか斬らないと言いながら欲望の赴くままに斬っているだろう源田。その誰もを肯定しない物語の伝えたいことは、「一度斬る側に回れば底知れぬ泥沼にはまるだけ」。正しいと思うが、今の日本の置かれている立場は、そんな簡単なもんじゃ無いよ、ってのが。。。。
まぁ、刀だけは持っとけよ、腕は磨くにこしたこたぁないよ、ってことで。
迫力のない
塚本晋也が目指したものが何だったかイマイチ、ピンと来ない。
武士として剣技をあそこまで極めた男が切れないというのは違和感でしかない。そこに至る説明がない。夢を見いだせない現代の若者を被らせるには無理がある。手持ちのカメラワークも合ってない。制作費の無さが画面に滲み出すのに一役買ってしまっている。時代劇はファンタジーなのだから、世界観を作れなかったら入り込めない。塚本監督が目指したのはそういう時代劇ではないんだろうが、何がやりたいのかもよくわからない。
殺陣の場面も最悪だ。早すぎるカット変わりで、何をやっているのか全然わからない。既存の剣劇を避けたのかもしれないが、ただの混乱で迫力もない。
主人公のバックボーンを描いていないからこんなウジウジキャラは共感出来ない。共感させないことが狙いなのだろうか?こんな男に女が惚れるのもさっぱりわからない。
結局、何が狙いなのかさっぱりわからない。
もしかして…。虚無に生きるが現状を変えられない現代の若者が電車で優先席に座っている。老人が乗車してきて席を立つべきなのだが勇気がない。同じく乗ってきた大人に注意されて逆ギレして刺しちゃった…って話か?
日本刀で人を斬るということ
江戸時代末期、大きな戦もなく刀で人を斬ったことのない侍の時代。
杢ノ進は剣の達人ではあるのだが...
塚本監督作品に通底する破壊とエロス
拳銃で人を傷つけることとは違う、刀という武器で人を斬るということの緊迫感が映画全体に漂っている。
劇中、澤村が「良くなった」という時の狂った笑顔と、「人が斬れるようになりたい」と叫ぶ杢ノ進を観れただけでこの映画には価値がある。
散り椿のような様式美の殺陣ではなく、七人の侍のようなリアルな殺し合いが自分には好意的でした。
全22件中、1~20件目を表示