愛がなんだのレビュー・感想・評価
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面倒くさいが心地好く、愛おしい。
昨年鑑賞し、結構印象に残ってる「生きてるだけで、愛。」みたいな雰囲気を感じて鑑賞しました。
で、感想はと言うと…割りと好き。
「生きてるだけで、愛。」よりももっとライトな恋愛作品ですが、作品の持つ雰囲気や空気感が結構心地好く感じられて、それでいてシニカルな笑いと言うか、何処か弛くて苦笑しながら、許してしまう様なアンニュイさが癖になる感じがします。
冒頭のテルコと守のやりとりから、面倒くさい女とワガママな男の物語が展開しますが、作中に出てくる登場人物は多かれ少なかれ面倒くさいw
でも、その面倒くささがなんか愛おしいんですよね。
個人的には中目黒のクラブみたいな店のチャラくて、結局別荘に来なかった奴らが一番面倒くさいですがw
でも、主要登場人物は皆嫌な奴ではないんですよね。
相手の事を思いやり過ぎて、うざい所があって、結局は自分都合になってるけど、そこまで思われるのは良く考えたら、悪い気持ちにはなれないかなと。純粋と解釈w
気になったのはテルコと葉子とすみれさん。
テルコは面倒くさいし、ワガママだけど、素直。
仕事だけはちょっと不真面目w
好きな守を思う時のテルコは面倒くさいからかちょっと不細工にも映りますがw、何処か吹っ切れた感じの時の表情は素の可愛らしさが見え隠れする多面的な表情をされるので主人公ながらにも気になります。
葉子はクールビューティー。彼女の持っている要素が良い意味では刺激になってます。
実家の古民家的な家と彼女の美貌がアンバランスで良い♪
すみれさんはがさつなんだけど、裏表がない分、好感の持てるキャラですよね。
ただ、テルコの面倒くささより、すみれさんの雑かけなさに守が気になるのは分かるけど、すみれさんを選ぶかぁ…w
難点はラスト30分からのそれぞれの結末と言うか、終着点が描かれていくんですが、そこまで少し間延びしてる感じ。
勿論、時間を割いている分思い入れが出来るけど、間延びしているのは惜しい。
これが100分ぐらいの時間尺にまとまってたら、もっとテンポが良くなるかなと思います。
でも、ラストの象の飼育員となって、餌を与えている場面はなんか好きですね~。
この物語の持つ雰囲気が最後まで出ています。
決してハッピーエンドではないけど、だからといってアンハッピーではない。
好きな人との距離感は近くありたいと言う気持ちがあっても、実は近くなればなる程思った通りにならなくて、だからこそ、それぞれの好きな人との距離や関係性は他人には分からない。でも、それは当の本人達もある程度の時間を要しなければ分からない。
その関係性がこの作品の核であり、この作品の面白さで面倒くさい所なのかとw
女性には共感出来る部分も多々あると思いますが、男性が観ても、共感出来て楽しめる部分も多々ありで、結構な当たりを引いた感じがします。
割りとお薦めですよ♪
少しの幸せとモヤモヤでできた日常
パンバスの時と同じく兎に角スローリー。
ただそれがクセになる。
登場人物が多く、おそらく誰でもその中の誰かに共感できるだろうなあと感じた。
カッコいいかカッコ悪いかで分けたらカッコ悪い側の人間かぁ。
緩くて爽やかで痒くて染みる作品でした。
あと個人的に公園のベンチのメンツが良かったです。
意外と爽やか系…でも
愛がなんだを観てきた。
自分勝手な男と尽くす女の恋愛もののはずなのにドロドロした印象はうけず意外と爽やかな印象
自分よりも好きな人を優先する
相手がよければそれでいい。
それでも本当は気づいて欲しい。
振り向いて欲しい。
この気持ちけっこうわかる笑
観る人によってその気持ちよくわかるって人と理解不能!って人にはっきりと別れそうな気がします
ストーカー同盟のテルちゃんと仲原っちは同じような状況に見えるけど2人の恋愛感は大きく異なる気がする。仲原っちは相手の事を想っていそうだけどテルちゃんには少し歪みを感じた
最期の私はまだ田中守ではないってセリフ
ちょっと怖かったです
個人的には中原っちに感情移入してしまう。すごく沁みた映画でした
客観的に示されて自分を省みはじめる登場人物たち。
◯個人的な分析を含むストーリー
照子は、手のきれいな男、田中守に恋をする。時に自分の人生を犠牲にし、全てを捧げていつでも田中守からの電話を受けられるようにしつつ、身の回りの世話を焼いては側に居たいと願い、決して報われなくとも構わない気でさえいる。
友人の葉子は、そんな照子をたしなめつつ、自分のことは棚に上げ『母は、昔でいうお妾さん。父親にぞんざいに扱われていて、私はそうはなりたくない』と選択する側でありたいと願っているようだった。
葉子を好きでぞんざいに扱われてもめげず、照子にストーカー同盟と名付けられ同じ立場を共有しているような気になっていたカメラマンのナカハラ。
自己肯定感の低さ故に自分を愛してくれる照子を受け入れられず、(33歳になったらという気まぐれなビジョンを語り、それを照子は都合よく『自分はその時も当たり前のように隣に居られるのだ』と解釈し、勝手に傷ついていたのだがその奔放さは自覚しないままに)
奔放で自由なスミレに惹かれる。
・ナカハラが葉子を想う気持ち
・照子が田中守を想う気持ち
・田中守がスミレを想う気持ち
それぞれにそれぞれの言い分があって、全て違う感情ではあるものの、似た構図の関係の4人がキャンプで出会い、…相手の好意を利用して都合よく扱うのは良くない』とのスミレの指摘から
それぞれが自分のしてきた事の客観的正当性を考え出して関係性を変えようと動き出す。
自分の正当性を主張しようとすると、相手に放った過去の言葉の数々が鮮やかなブーメランになって自分にふりかかってくる。
ナカハラは耐えかねて葉子との関係を解消することを選んだ。
照子は、それで良かったのかと葉子に問うが、葉子は自分ではなく田中守を責めるべきだと言い、田中守に電話を掛ける。
後日、葉子の言葉を受けた田中守から『もう会うのをやめよう』と告げられる。
これまでは照子は自分を殺して世話を焼き、尽くし、きっとスミレには振り向いて貰えないのだから諦めて自分のものになれば良いと説得してきた。今度は咄嗟の機転で自分さえも欺き、『愛していないのだから自分を利用するといい』と持ちかける。
◯感想
照子はとても頭の回転がはやく、時に相手に感情をぶつけ、時に自分の本心すら欺きつつも強かに田中守に執着し続ける。
それが果たして愛なのか、とっくに本人にもわからなくなっていく様がなんとも人間らしく生々しく、観る人によってはとてつもない熱量をもってして刺さるのであろう。
照子も田中守も自己肯定感の低くわかりやすい人間だと感じたが、作品内では葉子とナカハラ、スミレの行動心理と動機がよくわからなかったのだが、映画の尺の中では語り切れない部分も多いと思うので是非原作を読んでみたいと思った。
個人的には、田中守は自覚的に照子に夢を見せて利用するクズであって欲しかったな。
スミレの飲み会にはじめて呼びつけたときの「嘘つきだね」との台詞に関して
追いケチャップなんて芸当の出来る人物なら、『会いたかったから嘘吐いたんでしょ?』ぐらい言いそう……(この辺は私の趣味でしかない)と思ったが、この追いケチャップ、どうやら俳優さんのアドリブらしい。なんということだ。
それから、これも勝手な妄想だが
この物語の終わった後のスミレと照子の関係も気になる。照子からすると好きな人の好きな人であり、言っていることは正しいから嫌いになれない人物だが
スミレ側からすると「照子が行かないなら行かない」等と応援するつもりだったのが急に心変わりしたようで何か起きれば良いしこの二人の百合の同人が読みたい。うん、何の事だ。
なんのことだついでに、オスカー・ワイルドのナイチンゲールと薔薇という物語を思い出した。幸福の王子様の作者の作品と言うとピンと来る方もいるかもしれない。
あるところに、教授のお嬢さんに恋をした青年がいた。季節外れの真っ赤な薔薇の花をくれたら一晩踊ってあげるわという言葉を
真に受けて探しはじめるが、全くもって季節外れでありどこを探しても見つかるはずはない。それを見ていたナイチンゲールという青年に恋をする鳥は良かれと思って薔薇の木に聞いてまわり、「うちは黄色い薔薇だよ」「残念ながらもう咲けないよ」と何度も断られた末に咲く気力はないがお前さんの心臓の血をくれれば真っ赤に染めて見せるよという悪魔的な誘いに何の躊躇いもなく喜んで絶命するのであった。そうとも知らない青年は喜び勇んで偶然見つけた季節外れの深紅の薔薇をお嬢さんの所に持って行き呆気なくフラれる。「こんな薔薇赤すぎて私のドレスには合わないの。それに、もっと上等な赤い宝石をくれた人が居てね、そっちの方がうんと価値がある。わかるでしょう?」との言われようである。絶望の縁に立たされた青年はまた哲学の森の奥深くへと閉じ籠り、投げ棄てられた薔薇の花は水溜まりに落ち、馬車の下敷きになる。と、まぁこういった具合の話だ。
照子の愛はナイチンゲールが自分の命と引き換えに血で染めた薔薇のようなものかもしれない。誰も望んじゃいない。でもそうとわかれば気味悪がってそもそも手折られることも、物語が進む事もなかっだろう。それではもっと報われない。自分の本心を欺いてまで、この薔薇は自らの血で染めたというのは黙って隠さなければならなかった。
現実ではきっとセフレを友達に会わせたり、その実態が赤裸々に語られることも感情を剥き出しにした言い合いも起こらずゆっくりひっそりと関係を拗らせていくんだろうなぁ、とは思うが
この「現実」というものも私の主観の中で思い込んでいる現実に過ぎないのだから
、今後の人生経験によってはこの映画の持つ味わいも変わるだろう。それを楽しみに20年後位にまた観たい。
共感
このページの役名「ナカムラ」になってて間違えてます。←改善済み
私はヨウコの事が好きな男の子ナカハラにめちゃくちゃ共感した。
テルコは好きなら好き!
変な方向に前向きで突っ走るタイプ。
見てて気持ちいい。バカだなぁとは感じるんだけど
好きなもんは好きだもんね、すっごい分かる。
ナカハラは自分のことなんか何番目でもいい、ただ求められる事が嬉しいんだ。という突っ走らないけど、離れることも出来ないタイプ。
だけど、別荘でスミレにボロクソに言われてしまい
それから更に引っ込んでしまう。
これはまじで共感すぎた。
自分がいるから相手がダメになっちゃうんだ。なんて言うけど、テルコの言う通り逃げてるの。
でも分かってるんだけど、
逃げ方も分かんないし、限界で側に居ることでさえ自分がおかしくなるくらい苦しんでしまうようになって行ってしまった。。
だから呪文でもかけるようにそう言って離れる事を決断する。
…これってマジで頑張ってると思うんだ!
そう頭では分かってても離れられない人達ってゴマンと居るんだから(此処にも1人)
テルコみたいに私にしなよーとか冗談でも言えないっつーの。
言えたらどんなに楽か。
だからナカハラの炬燵とコンビニの前での「幸せになりたいっすね〜」がどんなに刺さったことか。
まじでリアルすぎてヤバイ映画だった。
ヨウコこそ辞めときなよ。って言うくせに自分も同じような事やってて。
ほんとこの世の男女、口ばっかりだなぁ。。
最後の合コン的なシーンも。
自分の方を向いて欲しいから、男の方ばっか見つめてみたり、2人で飲みに行くー♩って離れてみたり。
少しだけ効果はあるんだけど、ほんと一瞬だけなんだよ。
分かってるけどやっちゃうんだもんなー。
この映画凄い語れるんだけど、、笑
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