「サスペンスではなく、男の懺悔として。」THE GUILTY ギルティ(2018) つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
サスペンスではなく、男の懺悔として。
緊急コールセンターに勤務するアスガーが受けた、一本の電話。
一見シチュエーション・ミステリーのようでありながら、「ギルティ」はその実アスガーの贖罪についての物語だ。
冒頭にいきなり記者と思われる女性から電話がかかってくる。
「明日のことで、あなたの言い分も聞いておこうと思って」とは、だいぶ不穏な物言いだ。
ただの内勤の警察官では無さそうな、そんな予感を帯びながら物語は始まる。
「ギルティ」は88分とかなり短い。だから、冒頭の電話はアスガーの過去に暗さを感じさせると同時に、「(禁じられているのに)勤務中に携帯を使用する」アスガーの傲慢さも示唆する複合的な演出を担っている。
ただのシチュエーション・ミステリーだと思って観ていると、足元を掬われる。
偶然かかってきた「誘拐されている女性」の緊急コールを紐解きながら、実際に展開されるのはアスガーという男の「人となり」であり、アスガーの抱える「蓋をしてしまいたい本質」だからだ。
電話の向こうで助けを求める女性を救おうとするアスガーは、表面的に見れば「正義のヒーロー」だ。しかし、彼に捜査の指揮権はない。
命令することも出来ず、現場に行くことも出来ず、ついには完全に職務を逸脱し始めるアスガーは、どこか危うい。
明確な状況も明かされず、ブースからアスガーがかける電話のやり取りや、周りの職員たちとの会話で、観客なりのアスガー像を組み立てていくしかない。
事件の方も、アスガーの電話相手から入ってくる情報だけが頼りだ。助けを求めてきた女性や、パトカーに指示を出す司令部や、捜査員から入ってくる情報は、当然ながら音声のみ。
表情も見えず、様子もわからず、受話器の向こうから与えられる情報だけで全容をつかもうとする他ないのは、アスガーも私たち観客も同様である。
視覚情報を奪われた闇の中、手探りで事件の輪郭を探り出す。アスガーと同じ行為を通じて、電話の向こうにいる女性を想像する。
トランクに閉じ込められたか弱い女性。
彼女を連れ出した卑劣な男。
想像の中では善と悪がくっきりと別れている。自分が作り出した想像に現実を当て込んでいくような推理。
事件の全貌が掴めたとき、アスガーという人物像も完成する。その二重の物語が見事。
映画を観ている間、多分誰だってアスガーにイラつくはずだ。傲慢で、向こう見ず。自分勝手で偉そうで、腹が立つ。
だが、それであっている。アスガーにイラつくのは、アスガー自身も同じ。
その苛立たしさこそ、故意に犯罪者の少年を撃ってしまったアスガーのわだかまりだ。どうして自分はこうなってしまったのか。
事件が収まった後、一人電話を片手にドアの向こう、光の中へと消えていくアスガー。見えていなかった事実を、しっかりと受け止めるために、アスガーは己の罪と向き合う。
職務を重ねるうちに歪んでしまった「正義」に再び気づくために、アスガーはこの事件に出会ったのかもしれない。