「犯人消失」THE GUILTY ギルティ(2018) いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
犯人消失
信頼できない語り手
物語を進める際に使われる技法のひとつで、主人公やナレーターといった、物語の“語り手”の信頼性をあえて低くすることによって、読者(観客、視聴者)を惑わせるというもの。
今作品は正にそれを声や音だけで対峙してしまったトリッキー作品である。
犯罪捜査中に犯人の一味の若者を撃ち殺してしまった主人公は裁判の結審迄警察機関緊急通報受付(デンマークでは112)勤務に飛ばされていた。そのウンザリするような電話のやり取りが翌日の結審で終わる事に安堵していたときに、女性からの誘拐を告げる連絡を受ける。元々の正義感なのか、それとも心証を良くする為の偽善か、主人公はその電話でのやりとりに於いて犯人確保を成し遂げようと奮闘するのだが、その限られた情報や、それ故の刑事の勘や経験によって、取り返しの付かないミスを犯し続ける。問題は時間。結局、焦る余りそのミスは益々炎上してしまう羽目に陥るのだ。それを観客共々体験してしまう、没入感が強い演出に仕上げている。なにせ相手のもたらす情報しかない、そして電話はあくまでも1対1の双方向のみ。会議等での複数会話でないから異論や別情報が同時に行なわれない。だから後から入ってくる180度逆の情報がもたらされることで、時間が巻き戻されない無念と悔恨が支配してゆく。人間はその限られた情報故、その穴を埋めるよう自分にとって都合の良い、理論的で整合性の取れたパッチワークをしてしまう。それが罠とは知らずに・・・それは女の子に凄惨な現場を図らずも直視させてしまうことや、蛇が体の中でのたうちまわっているという妄想故に我が子を殺してしまっていた事に気付いたりと、今から思えば沢山のヒントや伏線が与えられているのに見落としてしまう事実を観客に鋭く突きつける、相当ソリッドな展開なのである。そしてクライマックスで、蛮行に気付いた(この件だけは、一寸無理な設定とは客観的に思うのだが)女が、その罪の意識により自殺を図る事を阻止するために、主人公が、自分の嘘を告白することで、決してその過ちは自分だけじゃないということを訴えることで、間一髪警察に保護されることで結実を迎える。ラストの通話先は裁判所への真実の吐露なのか、それとも別れた妻への懺悔なのか、深く考えさせられるラストシーンである。勿論、スクリーンに映っているシーンには何も目を背けるような凄惨さはない、サスペンスフルなアクションも起っていない。全ては、緊急通報受付の部屋のみである。その中で右往左往している主人公と、釣られて共有している観客が陥るパニック作品として、そのセンスと演出、アイデアに脱帽である。