ヘレディタリー 継承のレビュー・感想・評価
全89件中、41~60件目を表示
PG12,2018年ヤバイお祖母ちゃん死去
ドールハウス制作工房?から実体
ツリーハウス
チャーリーは女の子、ナッツアレルギー
祖母、母で同じネックレス
レクシー太り過ぎの犬
ミニチュアて言い方
チャーリー独特の顔お絵かき
生まれた時にも泣かなかった仔て
サトニー?
祖母の私物に犠牲は恩恵の為にある
スピリチュアリズムの本
ハサミで鳥頭カット
母親だけじゃなく父親から兄まで統合失調症 うつ病
兄貴はマリファナ
チャーリーの部屋で何かが
鳥頭持ってチャーリーお外へ。お母さん嫌い
もの凄い田舎でもパーティーは盛大
やっちまったアレルギー
電柱に頭!
ん?何が大丈夫??
ありまみれの首て
ほって帰ってきたんかーい
ナニその地下をみせる画
ザザス??
ツリーハウスに赤い灯
はお母さんと暖房
兄貴の部屋似出た!
おかん夢遊病て
事故現場をミニチュアで再現するとはまた悪趣味な
おかんブチギレた
ジョーンから 降霊会のことについて聞いた
外から蟻がピーターにありがたかってる
ついにやることに
地獄の扉よ開け
ピーターがチャーリーに襲われる チャーリーのスケッチブックにはこれはお父さんの顔なのかな目にバツピーターか
おかんの腕に火ついた あっさり消えた
女王の部屋におばあちゃんのネックレスと同じ文様が
ジョンとおばあちゃんのつながりが見えた
真の狙いはピーター
大量のハエ
お祖母ちゃんの首無し死体
親父燃えた!
ゆっくり親父の黒焦げしたようにするとは悪趣味
天井の角におる
後ろ
めっちゃ追いかけるの頭突きもなしや怖い
てか追い込まれたな
股上でえらいことなってるお母さん
なに全裸メンツ
ツリーハウスに吸い込まれたし首無し
ボカシ入ってひざまづいて
お祖母ちゃん王妃
ペイモン
地獄の8王の一人
なんじゃ!このエンディング曲これええんか
怖い怖い
絶賛されて当然の完璧さ
とにかく褒めちぎられているこの映画……ほんのワンシーンをちらっと見ただけで、生き物としての本能が拒絶する怖い映画だ。
一体何が怖いのか。普通の大人としては、血まみれの死体が登場したところでさして恐怖を感じない。リアルじゃないから。作り物だから。
この映画の死体は、画面の向こう側にまで迫ってくるような本物の恐怖感を与えて来る。なぜか。
映画というのは比喩表現だ。そしてこの映画が比喩するところを汲み取れば、もう本当に怖くて仕方なくなる。
この映画の画面の構成はとても独自だ。模型の家の中で登場人物たちが生きている体をなしている。つまり神の視座で物語は進む。登場人物たちは神の視点から見た人類そのものである。
ぼろぼろに病みながらも作家として模型を作り続ける主婦は、化学を発展させ芸術を生み出し、そこに救済を見出そうとする人類そのもののように思える。
アメリカ映画、というところにも意味を感じる。
ラストで悪魔崇拝者たちが土下座している姿は、風刺漫画でアメリカ人が銃に対して土下座している姿を思い出させた。悪魔崇拝者たちが崇めているのは銃社会でありトランプである。
北朝鮮の脅威にさらされている日本人には鳥肌ものである。なんでトランプさん選んだし!!!!!!!という大統領選時の阿鼻叫喚炸裂ふたたびである。
挙句ミサイル飛んでくるとかもうほんと勘弁してください…
ラストシーンも模型として表現されるが、「神から見れば私たちの文明はこんなにヒドイ有様なのですよ」と、提示された気持ちになる。確かにヒドイが、同時にとても美しい。さながらこの映画そのもののようにである。
怯えていた姿から一変したピーター(アレックス・ウルフ)も大層なイケメンっぷりで、美しいと表現して良いと思った。日本人をむちゃくちゃに翻弄しながらも魅了し続けるアメリカ文明のうつくしさ。
ラストシーンのアレックス・ウルフはアメリカそのものである。
さすがスティーブンキングを生み出した国だ。アメリカの底力を見た。
不穏さ
序盤から漂う不穏さとアーティスティックな画面で異様さをデコレーションしていて視聴中あまりにも安まらない。緊張の連続。
この映画の怖さは家族が壊れていく様が止められないドミノ感があって怖いんだと思うな…いわゆるスピに身内がはまって大変な事になる、を広げて描かれた感じなんだけど、根底に流れるものが重すぎる…。自分の家庭に機能不全家族の属性が少しでもある方はトラウマ刺激が凄そう。洋画界の幾原邦彦かよ…
怖かった
長男がお父さんにもお母さんにも似ていなくて、何か秘密があるのかと思ったら特に何もなかった。妹の死が怖い。あそこで、長男も妹を助けようとする一心での行動があんなことになるなんて、つらい。バックミラーをチラ見するだけで帰宅してそのままベッドに入るのがリアルだし、表現がすごい。
霊をコックリさんで召喚して、妹の霊が怒っているのが怖かったのだが、妹じゃなくて魔王だったと知ったらあんまり怖くなくなった。魔王なのに、低所得層みたいな連中がひれ伏しているだけで残念な感じだった。
上手に隠している
隔世遺伝だとおもう。
まだまだ心の病気への偏見は世界中にあるってこと。
幻聴など、賢い人に起こる病気も市民権を得て欲しい。
本当に酷い事をするのは千分の一。
恐怖は自分が変じゃないかという疑惑にすぎない。
和製では産まれない
思い付いたことをツラツラと
オチ的には、悪魔思想由来の日本人には馴染みがないのペイモン?とかよく分からない処で上手く誤魔化されてると言えばそれまでだし、、、首切り、焼身辺りからてっきりキリスト教辺りの戒めに落とし込まれると思ってたので
「セブン」の七つの大罪的な、大納得があったらさらに良
ホラーは苦手なんだけど、そんなに中後半までは飛ばしてないのでサスペンス気分で楽しめた
後半までは新人監督とは思えない重厚な作りで、ありがちな目まぐるしいカット割ではなくワンカットが長く音も効果的に使われていて良かったのだが
ただラストはバタバタし過ぎた感は否めない
後半サムネになりそうなカットが多数あり、ホラー好きには堪らないのかもしれないし、自分的には良い意味で興醒めしたので怖過ぎず良かったかなと
.
随分と内外の評価が高いので観てみた。どっしりとした落ち着いたカメラワークに焦らずじっくりと日常が描かれる内、微かな綻びが出始め、終盤に集約される。『ローズマリーの赤ちゃん('68)』に近いテイストだが、“ローズマリー”と云った登場人物ではなく、明確に騙されているのが観客となる救いの無いラスト──トラウマ級と迄は云わないが、後味の悪さはそれなりで、ひたすら闇が深く戸惑った儘、物語は幕を閉じる。ただスラッシャーやスプラッターを好む向きや単純明快なカタルシスを求める層等からは嫌われるかもしれない出来。80/100点。
・冒頭、ザッと説明的なテキストが流れるが、これをうっかり読み流してしまった。ただこの内容を判ってなくても充分、本篇内で取り戻せた。グロ描写やゴアシーンも程々にあるので、耐性の無い方は要注意。
・鳥の首を落とし、自動車事故では首が飛び、クラマックスでも……と首(頭)が重要なアイテムとして扱われている。誇張された登場人物達に登場するアイテムやガジェットはアンバランスであり、他にもどんよりとした不穏な空気感と居心地の悪い不快感はラスト迄付き纏うが、これが本作の大きな魅力の一つと云えよう。この雰囲気とテイストは、R.エガース監督の『ウィッチ('15)』を想起させる。特に畳み掛ける様に異変が起き続けるラスト近くでは、先導する者こそ違え、儀式やそれを見守る全裸の人々の出迎え、人が垂直に浮かび上がり、そこへ導かれる者の心情の変化等の展開や描写は、まるで三年前に製作された彼作をお手本としたかの様に酷似している。
・開始直後からの何を観せられてるのか判らない感~後半、主人公が錯乱・崩壊した後、善の救いが一切皆無と云った展開が佳かった。本作のマクガフィンとして登場する“パイモン”もスパイスとして効いている。
・何よりも“アニー・グラハム”を演じたT.コレットの熱演無くして、本作は成り立たなかったであろう。観客はクライマックスで彼女から突き放され、視点を失った儘、置いてけぼりを喰らってしまう。“スティーブ・グラハム”の燻し銀G.バーン、如何にも頼りなげで抑えた演技のA.ウォルフの“ピーター・グラハム”も佳いが、そこ迄可愛くも無く不気味ではあるが、どこにでもいそうな“チャーリー・グラハム”のM.シャピロの存在感が深く印象に残る。
・序盤、葬儀のシーンで、T.コレットの“アニー・グラハム”がスピーチを行うなう中、棺内の“エレン・テーパー・リー”と“チャーリー・グラハム”のM.シャピロがお別れをする際、その奥でアンクレジットのM.ブロッコービック演じる“微笑みかける男”は種明かしがなされる後半に“信者”として再登場している。
・夫婦役のT.コレット('72年11月1日生まれ)とG.バーン('50年5月12日生まれ)だが、実年齢では22歳の歳の差がある。
・“チャーリー・グラハム”のM.シャピロと“ピーター・グラハム”のA.ウォルフは同じ演劇学校に通っており、クランクイン前からお互いを知っていたらしい。亦、A.ウォルフは“アニー・グラハム”のT.コレットと同じ誕生日(11月1日生まれ)である。
・“ピーター・グラハム”を演じたA.ウォルフによれば、オリジナルカットは優に三時間を超えていたらしく、家族間内の会話シーンを大幅にカットして、現在の尺に収まったのだと云う。
・脚本と監督を手掛けたA.アスターは、T.コレットの“アニー・グラハム”に展示会のスケジュールを確認する電話の声でカメオ出演を果たしている。尚、脚本執筆に当たっては、主要登場人物達の詳細な過去とバックストーリーを設定した後、書き始めたらしい。
・序盤でA.ウォルフの“ピーター・グラハム”が授業を受けているシーンの黒板には"Themes"の下に"□Escaping Fate"とあり、これは『ハロウィン('78)』へのオマージュであり、ほぼ同じ内容が本作の授業内でも論じられている。亦、リメイクされた『ハロウィン('18)』の予告篇と同じ日('18年6月8日)に本作は一般公開された。
・本作が長篇デビューとなったA.アスターは、『コックと泥棒、その妻と愛人('89)』に強い影響を受けたと答えている。亦、本作は『回転('61)』、『ローズマリーの赤ちゃん('68)』、『赤い影('73)』等の古典的ホラー映画の他、『普通の人々('80)』、『アイス・ストーム('87)』、『イン・ザ・ベッドルーム('01)』と云ったファミリー・ドラマにも影響を受けたと云う。
・当初のシナリオでは、雪山が舞台となる予定であったが、スケジュールの都合で折り合いがつかず、5月~6月の撮影となってしまった。ただクランクイン後はスムーズに進み、ユタ州のパークシティに在る"Utah Film Studios"をメインに僅か32日間の撮影で済んだ。
・鑑賞日:2018年11月24日(日)
「ミニチュア製作」=「映画製作」と考えると…
一般受けは絶対しないでしょうが一部に熱狂的なファンを生みカルト映画化しそうな一作だと思います。
自分には内容を理解するのが難しい映画だったので自分の思考整理の為にもここで内容を文書にまとめてみたいと思います。(長文且つがっつりネタバレします)
今回、この映画の感想を章ごとに分けて記述します。
◾️この話の中での目的と主人公
まず、この映画の話の目的と主人公を挙げます。この話の目的は悪魔の召喚です。
次に主人公ですが母親のアニーと考えるのが普通だと思いますが、ストーリーを理解しやすくする為に祖母エレンを中心に考えてみたいと思います。
◾️ストーリー
エレンは家族に秘密で悪魔を崇拝しているカルト教団の教祖をしています。彼女は呪術を用いて地獄の王パイモンを召喚しようとしています。その為に生贄として自らの夫を差し出し、パイモンの魂を自分の息子の肉体に憑依させました。しかし上手くいかず息子も亡くしてしまいます。
エレンは唯一の肉親となった娘・アニーと険悪な仲になりますが娘が生んだ二人の子供、自分の孫にあたる長男ピーターと長女チャーリーを次の生贄に定めました。
孫娘のチャーリーの肉体にパイモンの魂を憑依させることに成功したエレン。劇中で生きていた時のチャーリーの魂は地獄の王・パイモンです。
しかしパイモンが完全になるには男の肉体が必要でした。その為にはピーターを生贄にする必要があります。
しかしパイモンの魂をピーターの肉体に載せ替える計画が完了する前にエレンの寿命が尽きました。ここから映画がスタートします。先の計画を引き継いだのはエレンの右腕となって長年共に悪魔崇拝をしていたジョーンでした。
手始めにチャーリーに呪いを掛け殺し、チャーリーの肉体からパイモンの魂を解放します。次に娘を喪失し不安定になったアニーの心の隙を突き、肉親しかできない魂召喚の儀式をやらせせます。劇中でアニーが召喚した魂は地獄の王パイモンでした。
アニー達の周りで怪奇現象が巻き起こるなか、生贄として夫のスティーブが捧げられ、アニー自身もその過程で自己を喪失します。ラスト、ピーターは殺されその肉体にペイモンの魂が宿った所で映画は終わります。
ストーリーを自分なりにまとめてみました。間違いや訂正箇所があれば是非教えて欲しいです。
◾️疑問
鑑賞後に感じた疑問を列挙します。
1.ヘレディタリー(継承)されているのは何か?
2.なぜアニーはミニチュア(箱家)を作っているのか?
3.そもそもこの映画は何を伝えたいのか、テーマは何なのか。何をやろうとしているのか?
◾️疑問への考察
1.ヘレディタリー(継承)されているのは何か?
まず真っ先に思い浮かぶのは悪魔王パイモンの魂です。これが妹のチャーリーから兄ピーターに継承されています。それ以外にもこの映画の中では、パイモン召喚計画がエレンから友人のジェーンに継承されています。そして親子の衝突もエレン・アニー親子からアニー・ピーター親子に継承されています。
2.なぜアニーはミニチュア(箱家)を作っているのか?
箱庭療法というものがあり、以下のように記述されています。
「箱庭療法は、セラピストが見守る中、クライエントが自発的に、砂の入った箱の中にミニチュア玩具を置き、また砂自体を使って、自由に何かを表現したり、遊ぶことを通して行う心理療法です。
(中略)
この療法では、砂やミニチュア玩具のイメージを活用してアイデアを広げ、上手下手ではなく、具体的な現実生活に近い表現から抽象的な非現実的な表現まで可能です。よって、言葉にならない葛藤、イメージを表現しやすいのです。
また、意識していることだけでなく、気がついていなかった自分の心身の状態や動きが直接的に感じられ、自分の心の中との対話・対決へと通じ、自己理解と人格的変容が促されます。
子どもから高齢者まで、自己啓発の目的から神経症、心身症、パーソナリティ障害などにみられる心理的課題まで、幅広く用いられていますが、実施については、クライエントとセラピストと相談しながら進めます。」(一般社団法人 日本臨床心理士会ホームページより抜粋)
以上のようにアニーのミニチュア製作は自分が気がついていなかった心の葛藤を客観的に理解するために製作している向きがあると思われます。その理由は彼女が作っているミニチュアは彼女の心の喜怒哀楽が大きく揺れ動いた一瞬の出来事を止め画にして残している作業に思われるからです。
また写真に残せない一瞬の出来事を冷凍保存や真空パックしているのかなと思われます。
つまりアニーが作っているミニチュアは彼女の心の中なのです。
そして私はミニチュア製作はこの映画の製作そのもののメタファーになっていると思うのです。
3.そもそもこの映画は何を伝えたいのか、テーマは何なのか。
この映画を見た後、凄く困惑しました。理由は何を伝えたいのか分からなかったからです。
この映画は以下の2つのラインがあります。
・悪魔召喚の計画
・妹の死に由来する母と息子の葛藤と衝突
この二つ、まるで別個の話だと思うのです。
悪魔を召喚するだけなら親子の衝突はいらないし、親子の衝突には悪魔召喚は関係ない。
私がこの映画から感じたことは家族の喪失に理由付けをしようとしているのではないか、ということです。
町山智浩さんがラジオでこの映画を紹介されていた際、監督がこの映画を作ったキッカケは自身の体験が元でそれについては語りたくないと言ったと仰っていました。
おそらくなのですが監督自身が自分由来の出来事で兄弟を失い、それをキッカケとして自分の親との関係が悪化した過去があったのではないかと思うのです。
そして何とか兄弟の死に意味付けをするためにある種強引に悪魔召喚を付け加えたように映るのです。
つまりこの映画の目的は監督にとっての箱庭療法=ミニチュア製作=この映画製作なのではないかなと。
だからテーマや伝えたいことが分からない、というか無く、自分の心を治療するための映画だと思うのです。
映画の冒頭でミニチュアの中から家族が登場し、ラスト、ピーターの肉体を得たパイモンが直立する小屋がミニチュアのように撮られている。つまり監督の心の中を描写してるんだよって暗喩なのかなと思います。
◾️総評
映画は心のアトラクションだと思っています。遊園地のジェットコースターは人為的に体を揺さぶりますが、映画は人為的に人の喜怒哀楽を動かします。
MARVEL見たときには爽快感、ラブストーリーを見たときには感動、等映画を見た後は何かしらの感情の動きがあります。
この映画を見た後の感情は最悪でした。何というか人のリストカット跡を見させられているという感じ。
まだ息子側の視点だから描けたのかもしれませんが親が子供を無くす痛みがどれほど辛いものか。なぜお金を払ってこれを見させられなければならないのか。
そもそもチャーリーやピーターの魂はどこへ行ってしまったのか。子供の体を器としか描写しない俗悪さ。(そうしないと監督が心を保てなかったのかもしれませんが)
下北沢の小劇場なら有りだと思いますが、ちょっと一般公開する映画でやる内容では無いのかなと感じています。
ホラー映画の皮を被った診療療法映像を一般公開するかね、という印象です。
映像表現は凄い良かったです、ミニチュアからのセット移行や一瞬で昼夜が切り替わるカット、そしてデビッドリンチに通ずる不条理な画の綺麗さがあり素晴らしかったです。(重低音もリンチっぽかった)
あと何となく感じたのはホラー映画の呪怨では幽霊の伽倻子と俊雄が実体としてバンバン出てきますが、幽霊を実体として出していないだけであの家の中には魂が蠢いているんだろうなと。
そして最後に!
この映画もさることながら、この作品を絶賛した方々へも自分は怒りを感じています。
映画を見まくっていて、もう普通の刺激に慣れてしまって新しい刺激を欲している人にはこういう一見ホラー映画のように見える監督の内面描写映画という凄く歪な作品に食い付いてしまうのかなと思うのです。
月に何十本も映画を見るフリークならそういう刺激が嬉しいのかもしれませんが一般の方は違います。
普通の人の2時間って大きいと思うのです。毎日仕事して、子供を育て、炊事洗濯掃除などの雑務を行ない、他の人と付き合ったりした上でさらに余った時間をようやく映画に回せる。そうした貴重な時間をこのような映画で潰してしまうのは非常に勿体ないし、公の場で映画を評論したり勧めたりする方は一般人の二時間の重さを痛感した方が良い。
偏差値70の子が使う難しすぎて参考にならない参考書やMARVELような唐揚げとフライドポテトで胃もたれしてしまった映画フリークがホヤやあん肝で呑むような玄人向けの映画だと思う。かなり歪な作品です。
発想を理解したとき恐怖を知る
観賞後、じっくりとまとめるとあとからその恐怖の意味を知って恐怖におののく
これこそ恐怖の到達点
この手の作品の良さはわかる人にはわかるけどわからない人はわからない
だから、この作品は作品が人を選ぶ
人が作品を選ぶものではない
どこか懐かしいホラーな作風も
全体的にジワジワと語る作風に感じられて、
何列か前、斜め前に寝てしまっている観客も^ ^
地獄の8大王の一員ペイモンをこの世に降臨さす目的の
集団に
死してなお集団の団結力を統率するお祖母さん、
ピーターもアニーもチャーリーも父親も気の毒ですが、
そのペイモンを降臨させてどうしようというのでしょうか、
そんなカルト集団の「ペイモン復活させたった〜ワシらスゴイ」な自己満足、
ピーター、そこまで依代になりきって無さげなので、
「お前たちに弄ばれたままで終わるか」とばかりに、カルト皆◯しにして孤独に生きるのもありだぞ、、、
緩やかに見える展開からラスト20分ぐらい?は怒涛の憑依祭りで、
絵面的に「エクソシスト3」を思い出しました。
ペイモンを復活させる目的がわからなかったので、
そこはポイント下がるところでした。
カルト?
継承というのは話の流れで理解はしましたが、だからなんだというのだろう?
腑に落ちなかったのは、ラストシーンからのプラスアルファのシーンがなかったからですねえ
継承してそれから具体的にどうなのよ?ってとこが曖昧でしたね
なので、カルトに翻弄されて家族愛が瓦解する話だとすれば分からなくもない
明らかにおかしくなってる妻に旦那がまったく取り合わないところはモヤモヤしましたね
降霊術とかノートを燃やしてのくだり、付き合ってらんないよ的なヤレヤレ感を出す旦那に、取り敢えずそれ位はつきあってやれよ^^;って思いました
ずーっと不気味!急展恐怖!最後はハッピー!
なんかずーっと静かに不気味な序盤。その後、ドカン!と恐怖の急展開。そして怒涛のホラー!最後はヒーロー誕生譚のようなハッピーエンド!素晴らしい映画でした。
ロジカルな脚本だが、惜しい
冒頭のシーン。ドールハウスが並ぶ部屋。1つのドールハウスにクローズアップ。と思いきや、父が息子を起こすシーンとなる。
観終わって判る。
これは、主人公たち家族を、まるでドールハウスのように観ている「何か」がいる、ということだ。つまり、人間を超越した存在からの視線なのである。
それは、地獄の王ペイモンである。
なぜ、娘チャーリーは、男の子のような名前なのか。
映画の冒頭で亡くなるチャーリーの祖母エレンは、なぜ、彼女に「男の子だったらよかったのに」と言ったのか。
エレンの娘(=チャーリーの母)アニーが語る、エレンの生い立ち。
夫を精神疾患の上、早くに亡くす。死因は餓死!
息子(アニーの兄)は、「母(エレン)が自分の中に何かを招き入れようとした」と言い遺し、自殺。
エレンの夫は地獄の王ペイモンだった。いや、ペイモンが取り憑いた者、というほうが正しいだろう。
エレンの夫は、この恐ろしい「継承」を絶つために自殺した。
エレンは諦めず、自分の息子にペイモンを継承させようとした。しかし、その息子も自死を選ぶ。
やがてエレンの娘、アニーは男の子ピーターを産んだ。
ペイモンは男性に宿る。エレンは当然、ピーターに目を付けただろう。
しかし、アニーは、彼女の夫スティーブともども、母エレンに何か異常なものを感じた。アニーはピーターを、エレンに近づけずに育てた。
次に産まれたのが、女の子のチャーリー。アニーは、チャーリーはエレンに“与える”。エレンはチャーリーを可愛がる。しかし、いかんせん女の子だ。だから、エレンはチャーリーに「お前が男の子だったら」と言ったのだ。
エレンは一旦はペイモンをチャーリーに託する(舌打ちの音はペイモンの徴しである)。
しかし、エレンの死により、その状態を保てなくなる。なぜなら、本来ペイモンは男性に宿ることになっているからだ。かくして、ペイモンがピーターに“移る”王位継承の儀式が始まる。
まずは、チャーリーを殺す必要がある。チャーリーが鳩の首を切り落とすのが合図だった。チャーリーは事故によって、首をもがれて死ぬ。
チャーリーを“殺した”電柱にはペイモンのマーク。それはエレンのネックレスと同じデザイン。チャーリーは殺されたのだ(アニーもそう表現するシーンがある)。
こうして始まった王位継承の儀式。エレンの同志(同じ教団員なのだろう)ジェーンはアニーに近づき、アニーの隠れた本性である「ペイモンの王女」を引き出し、彼女が「最後の生贄」として自ら首を切るまで誘導する。
まあ、こう書くと、脚本は極めてロジカル。不穏というか、禍々しい空気感の描写も見事だ。そして役者たちの演技も素晴らしい。
なんだけど、いまひとつ“乗れない”。
端的に言えば、本作は悪魔崇拝を背景に置いたオカルトものだ。
その点での完成度は上記の通り、悪くない。
では、どこが引っかかっているのか。
それは途中まで、家族モノ映画になりそうな感じがしていたからだと思う。
つまり、エレンとアニーという、母と娘の争い。そして、アニーとピーターという母と息子の物語。
そういうストーリーのほうが面白かったんじゃないかな、と思う自分がいる。
本作は、冒頭に登場したドールハウスそのままに、精巧でよく出来ている。だが、「悪魔は恐ろしい」という結末は、実は平凡だと思う。そこに、もうひとひねり出来なかったか。惜しい。
ホクロが気になる
ガブリエルバーン燃えたのビックリした。
そっち〜
死霊館やパラノーマルアクティビティみたいなのだと
思って見てたので
どうせ
おばあちゃんの霊が出てきて
なんやかんやするだけなんでしょ...
と
見てたらなんか違う感じで
いつものパターンじゃなかったので
面白かったです。
トニーコレットの首キコキコも良かった‼︎
音だけで驚かすんじゃなくて
ああいうシーンがもっとあればいいのになぁ
タイトルの通り
継承でした‼︎
トニーコレットと
妹役の子の顔が
下手な特殊メイクなんかより
怖かったです。
絶えず続く不穏な空気
ずっと不穏な空気が流れる不気味な映画だった
ある家族の祖母が死に、そこからその家族を不穏な何かが侵食していく…物語
冒頭からドールハウスの中にインしていきながら始まる描写のように、カメラワークもどこかドールハウスの中を見せているような奇妙なカメラワークになっており、そこから得体の知れなさ、気持ち悪さみたいなものが如実に現れてくる。また、その家族自体にも始めから不協和音的なモノが漂っているのも描写される。
何も起きていない場面でも絶えず不穏な空気とBGMが流れるので、イヤ~な緊張感が漂う。
ここからネタバレ満載
妹の事故死をきっかけにその家族は完全に崩壊し、その怪奇は加速していくわけだが、確信的にビックリさせる描写は終盤のみでそれ以外は家族の崩壊する様と「コッ」という音が不気味な心理的というかそういう圧迫感、そして時おり訪れる実体的な物理的な何かが恐怖感を煽っていく…
母親の鬼気迫る、追い詰められおかしくなっていく表情が怖い…
ラストにはエクソシスト進化版のような恐ろしい動きをする母親と裸でニヤリとする方々がとにかく怖ぇーー!
ラストにはドールハウス風のカメラワークで完結する辺りも良い感じ
とにかく気持ち悪くてイヤな気持ちにさせるネットリ系ホラー
あ、噂のモノホン幽霊、確認したけどあれなのかな?
唐突すぎるぞ、この決着
米国の田舎町。
グラハム家の祖母エレンが亡くなった。
グラハム家は、娘のアニー(トニ・コレット)、夫スティーブ(ガブリエル・バーン)、息子ピーター(アレックス・ウォルフ)、幼い娘チャーリー(ミリー・シャピロ)の4人暮らし。
アニーも、エレンとは疎遠だったが、それでもやはり母親の死のストレスを受けているが、それ以上にチャーリーに異常な行動が目立つようになってきた。
アニーとピーターの仲はあまりよくなく、エレンの死をきっかけに関係が悪化し、大きな事故が起きてしまう・・・
というところから始まる物語で、中盤までが秀逸。
大きな事故とは、アニーから頼まれ、パーティーに同行したチャーリーが、ナッツアレルギーのアナフィラキシー症状を発症し、病院へ運ぼうとする途中に起こるもので、結果、チャーリーは無残に死んでしまう。
この後、グラハム家には、どうしようもなく重苦しい空気が常に漂い、映画はそこいらあたりを丹念に写していき、ここいらあたりがかなり秀逸なのです。
ここままトラウマに覆いつくされた家族が瓦解し、崩壊していけば、たぶんに「嫌ぁな思いのする映画」として、傑作になったかもしれません。
が、以降、ややホラー映画の定石的展開になり、決着が70年代(60年代後半か?)のオカルト映画的なので、ちょっとガッカリしました。
とはいえ、どうしようもなく行き場のなくなったアニーが、娘チャーリーの霊を呼び出そうとして霊能者に縋るあたり、さらに、霊的な何かが呼び出されるあたりの怖さは出色です。
どうしても、評価を下げざるを得ないのは、やはり決着・落としどころ。
ここからは、ネタバレになりますが、最終的に悪魔崇拝というのはどうなのよ?
ちょっと唐突感がぬぐえません。
いやまぁ、米国の田舎町では、そんなことが連綿と続いているんだ、といわれればそれまでなのですが、崇拝した理由は? とか、背景は?
ま、そんなことは大昔のこと、と割り切ってもいいのだけれども、なんだか、やはり宗教的・狂信的背景が乏しいです。
都会ならばいざ知らず、米国の田舎町、つまり顔見知りばかり、背景はあるし、行動様式もあるはず。
行動様式といっても、奇異な特異なものである必要はなく、廃れてしまった何かを守るとか、そんな程度でいい、そんなもの(いわゆる伏線)がなく、いきなりの突然感。
(見逃しているのか?)
これがあれば、おおおおお、と最後に声も出たことでしょう。
恐怖が最高潮に達したときギャグに変化
最初は普通の母親がおかしくなっていく様がとにかく怖かったです。
まあ母親は最初からおかしかったけれど...
どんどん家族が狂っていって、父親が死に母親が何かに乗っ取られた瞬間はこれ以上の恐怖をわくわくしながら待っていたら、なんかギャグになりました。
息子が父親の焼死体を見つけたと思ったら裸のよくわかんない人がいるし、急な親子鬼ごっこが始まり、屋根裏に逃げて周りを見るとまた裸の人達。
「あ、ちゃんと股間は隠してる...」と思いながら見ているとまた裸の人達。
なんか笑いをこらえるのに必死で最後はよく覚えてないです。
ただエンディングで陽気な音楽がなってまた笑いそうになりました。
この作品は嫌いじゃないです。
最後の10分くらいで興醒め
冒頭から恐ろしい世界に引き込まれ、徐々に徐々に恐怖のテンションが上がり続ける。
ホラー映画をあまり見ないのに1人鑑賞ということもあってブルブル震えながら話が進んでいった。
ところが、、
お母さんが屋根裏でグサグサ自分の首を刺しているシーン。ここからもう人形に見え始め、一瞬で興醒め。そこから宗教的な流れに一気に進んでいき「継承」が行われる結末まで長い時間をかけて興を醒めさせてくれて、ありがとう。
安心して夜道を歩けました。
P.S.お兄ちゃんって警察とかには捕まらないの?未成年だとしても、なんか処分はないの?そういうもんなの?アメリカならそれこそメンタル治療みたいなのとかありそうだけど、、、。
トニ・コレットの表情とグロ描写にトラウマ!!
ホラー好きには絶対外せない!!っと思って観に行きました。今年観た映画ベスト5ぐらいに入る映画です。今年は当たりの映画が多かったです。今年21本目です。映画の内容はよかったのですが、自分自身に少し災難が起きてしまいました。1回目に行った時は、建物火災、2回目に行った時は、電車の人身事故、2回目に行った時に、この映画、僕が見てはいけないの?!ッと思ってしまいました。でも何とか間に合って見る事が出来ました。2回も大変な思いをしてしまいました。それで映画の内容は、祖母の死をきっかけに一家に災難に見舞われるという内容です。描写がグロかったです。グラハム家の娘チャーリーが車の窓から頭を出し、電柱にぶつかって無残な最期を遂げるシーンや、夜中にピーターの身体に大量の虫がへばついてるシーンや、グロ描写は結構ありました。ホラーが苦手な方や、虫が苦手な方は絶対無理だな?と思いながら見ていました。チャーリーが鳴らすクラッカー音の意味は分からなかったです。ラストの意味も分からなかったです。ラストのオチは何だったのか?という終わり方でした。結局ピーターは死んだのか?。意味不明のままでした。そしてトニ・コレットの演技は凄かったです。拍手したいぐらいに。最後には怪物的な行動を見せる彼女の演技には印象深かった。ラストのオチも考えて、あえて評価4.0にしました。<2018・12・8鑑賞>
縁遠い世界の話、なのか?
ホラーは苦手であんまり観たことないんだけど、評判を聞いて勇気を出して鑑賞。
怖さレベルだけで言うと、想像してたほどではなかったかも。
でも映画の情報を私が完全に受け取れてるかと言うと、それも怪しいけど。
母親アニーが主人公と見せかけて、最終的には息子ピーターが主人公になるんだけど、振り返ってみると「何もない所にバックミラーが見える」とか「自分の部屋から一瞬で授業中の学校になる」とか、ピーター主眼の演出が多用される一方、母親は娘の事故現場をミニチュアで再現してたりと明らかな異常さを見せていて、そのことは早い段階から暗示されていたんだなと。
しかし自分の人生と「悪魔」が縁遠すぎて、悪魔って言われても…と最後のオチはあんまりピンとこなかった。
(映画とズレるけど、「自分以外の意思で、自分の命が道具のように扱われる」という理不尽は、昨今のニュースを見てると一部の企業や国の態度と変わらないなーと。ものすごいブラック企業のトップに「悪魔!」とか言うのは比喩でもなんでもなかったんだなー。)
でも観劇後は「悪魔かー」ってなったけど、観てる間はほんとに怖くて面白かった。やっぱり演出が凄いんだと思う。
ミニチュアを眺める視点のカメラワークとか、捉えられてない箇所も多いので、2回め観たい気持ちもちょっとある。
ところで。
アニーの話だと、この家族の悲劇は祖母が亡くなってから始まったんじゃなくて、今までも脈々と続いていたことが分かる。
祖父はどんな経緯で餓死したのか。
生前の祖母はどんな人物だったのか。
晩年の介護はかなり大変なものだったんだろう。
ピーターが生まれた時も、祖母から遠ざけるために壮絶な諍いが起こったはずだ。
映画の前日譚も十分にホラーめいた映画になりそうで、ちょっと観てみたい。
「その背後には悪魔がいる」とか言われると自分とは関係ない話に思えてしまうけど、悲劇や惨劇というものは、一番身近で一番味方であるはずの存在に軋轢が入ることで増殖していくんだなぁ…と感じた。
全89件中、41~60件目を表示