ヘレディタリー 継承のレビュー・感想・評価
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つなぎ
アリ・アスター監督作品。
『ボーはおそれている』を観に行きたく無くなるぐらい気持ち悪い作品でした(好き)!
ひとりで行きたくないけれど、こわがっているのみられたくないからひとりで行きたい。
さて、本作。
祖母が亡くなる。別に誰もが祖母の死別を悲しんでいるわけではない。娘でもあった母も、母の子どもたちの兄と妹も、父も。そこに祖母の恨みがあるわけでもない。けれど祖母の秘密が遺品整理で開いていく。狂気が満ちていく。
でも別に元から家族が「正常」だったわけではない。母は夢遊病を患って精神的に不安定だし、妹も内向的でチック症を患っているからちょっとこわい。お世辞にも可愛いとは言えない。そんな妹を事故で死なせて兄も狂いだしていく。その環境に居続け、第三者の助けを借りない父もどうかしている。狂気が狂気を呼んで、どんどん家族を壊していく。皆が眠れなくなる。悪夢みたいな現実を生きないといけない。そしてその崩壊は、祖母が信仰していた悪魔崇拝のカルト宗教の儀式に通じていたのだった。
どこにも救いがない。救いを求める宗教が狂っているのだからどうしようもない。兄に王位が「継承」されるが、父母は首をふっとばして死んでいるし、兄自身も傷だらけのボロボロだ。
家族をつなぐ絆。そんな「つなぎ」を果たす母のミニチュアの断面は、絆の代わりにカルト宗教の世界とを繋ぎ、狂気と死を招いて、家族を崩壊に向かわせるのだからあまりにも不条理だ。
このようなカルト宗教の世界観が導入され、現実で白昼夢みたいな狂気をもたらす感じは次の『ミッド・サマー』に引き継がれているから、さらに次の『ボーは~』どうなんでしょう。
こわいからみたくない。けれどアリ・アスターの狂気に浸りたいから、はやく観に行きたい。
「家庭崩壊劇」と「カルト」のミスマッチが気になる。
◯作品全体
ファーストカットはミニチュア模型へのトラックアップから始まり、近づいていくと実際の部屋と人物になる。ミニチュア模型というプロップ自体が「俯瞰」とか「客観」みたいな意味を持たせるから、なんとなく「大きな何か」に動かされていることがまず伝わってくる。「大きな何か」が不確かな間は目に見えない恐怖として上手く機能していて、シーン冒頭の遠景カットもトイカメラで撮ったような、ミニチュアっぽい撮影処理を使うことで、アニーたちの生活の不協和音を演出していた。
ただ、その「大きな何か」が具体的に触れられることは少なく、終盤の災厄が訪れる時にもスピリチュアル的な呪いが災厄だったのか、というようなぼんやりとした感想で終わってしまった。
カルト教団によって仕組まれた状況だったということも終盤で明るみになるが、カルト教団やアニーの母・エレンがどうやって本当の呪いにしたのかも謎だし、呪いではなくカルトにハマるエレンの振る舞いに狂わされたのだとしても、元はと言えばアニーがエレンからチャーリーを守れなかったうえに、ピーターへヒステリックを起こしたのが悪い。アニーが不安定になって家族全体が狂っていくのはスピリチュアルがなくても起こりうるし、本作はアニーの夢遊病の設定を活かした家庭内の歪みに対して時間を大きく割いていて、ホラーというより「リアルで地に足のついた家庭崩壊劇」だった。そこにカルト教団のスピリチュアル空間という別のベクトルの大オチを継ぎ足すのは、あまりにも突拍子なく、そして相性が悪いと思う。
カルト教団の影はエレンのアルバムで意識させたりしていたが、家庭崩壊劇にかける時間と比べるとあまりにも少なかった。
ミニチュア模型というプロップや家庭崩壊劇…いくつかのアイデアや描写は面白いものがあったが、その「面白いもの」が大オチである「カルト」とイマイチ噛み合っていないように感じた。
◯カメラワークとか
・ミニチュア模型がもつ「俯瞰」・「客観」の意味をもっとカメラワークで見せても良かったと思った。チャーリーが死んだ直後、停車した車を横位置で見せるカットはカメラを引いて、ミニチュアっぽいフォーカスになる。ここの暗闇の不気味さと非現実味はピーターの心情とも合致していてとても良かった。ただ、終盤になるとスプラッター映画特有のグロい絵面をドンと出したり、追いかけっこしたりで、あんまり効果的に使われていなかった。
◯その他
・チャーリーのビジュアルは立っているだけで不気味で怖かった。だからこそ序盤で死んでしまうのと、死んでしまった後もそんなにビジュアルで登場しなかったのは残念。
・アニーのヒステリックな感じは見てて不快だったなあ。それが狙いなんだろうけど。
・ギャグっぽいホラーがありすぎて、なんだかなあとなった。本を燃やしてアニーが燃えると思ったらスティーブが燃えるのは「タライが落ちてくると思ってる人には落ちないで、安心して見てる人に落ちてくる」みたいなバラエティギャグっぽくて、なんとも。天井に張り付くアニーとか屋根裏の梯子にしがみついてガンガンやってるアニーとか全裸のカルト教団とか…B級スプラッタ系ホラーとかならいいけど、画面の質感とか落ち着いたカメラワークがミスマッチすぎて凄い変。
・ミニチュア模型が持つ「偶像」の要素をもっと見せても良かったんじゃないかなと思った。ラストでチャーリーの顔が使われてる像があったりしていたし。
他の方のレビューでも言及されてるけど、PROが付いてる人の感想、「マジで言ってんのか?」ってなるなあ。ミニチュア模型の演出に触れてる人もいるけど、客観視された画面なんて全然なかったじゃん。都合のいい語り口は避けなきゃいけないな、と自省させられたという意味では参考になるけども…
観たことのないような静謐な不穏
この映画の不穏で恐ろしいのだけれど、どことなく笑ってしまうような感覚は、どこまでが監督の手のひらの内なのだろうか?
とにかく主人公たちを突き放した、ただ無機質に観察しているかのような映像によって、われわれは傍観者の役割を与えられる。主人公家族はとんでもない悲劇に見舞われ、やがて超常現象的な恐怖が矢継ぎ早に訪れる。彼らの身になったらとても正気ではいられないのだが、映画の視点の冷徹さが、そしてその冷徹さを成立させるミニチュアを見ているかのような画郭が、感情移入を許さないのだ。
それでいて、あらゆる場面がいちいち異様であり、その圧が尋常でないため、どれだけ静かなシーンであっても目をそらすことができない。ぶっちゃけるとラストシーンはあれでよかったのだろうかと疑問を抱いたりもするのだが、表現の力という点で、全編、監督の才気に気圧されずはいられないパワーに満ちた新種のエンタメだと思う。
邪悪だ・・・この映画はあまりに邪悪だ・・・
この映画はあまりに危険だ。最近はホラーというジャンルも様々な偏移をたどって細分化され、決定的な場面を見せずに恐怖を描いたり、また笑いの要素を逆手にとって身の凍えるほどの場面を作り上げるなどの異色作も多く見られたが、本作はそのいずれとも大きく異なる。ある意味、この時代に現れるべくして現れた、真の恐怖をもたらず人間離れした存在とでも言おうか。序盤からあらゆる細部に胸の奥をゾワゾワとさせられ、A24らしいアーティスティックな演出(映像、音響、演技)がかつてない感触で肌を撫で続ける。そして幾つかのシーン。思わずギャッと悲鳴をあげそうになった。ストーリーの詳細は明かさないが、一言で言えば「邪悪」。かつて『エクソシスト』が世に放たれた時にも、人々は触れてはならないもの、見てはいけないものを目にしたような感覚を覚え、この邪悪さに心底恐怖したのだろう。以上、私は警告した。後は自己責任で存分に震撼されたい。
尋常でない禍々しさ。ひきつった笑いで逃避するしかない
ドールハウスから現実の室内へシームレスにつなぐショットの冒頭から異常な感覚が持続する。不穏な気配をあおるインダストリアル系のBGM。重さと不気味さに圧倒される。
アリ・アスター監督、戦慄のデビュー作。30そこそこの若さでこの確かな演出力はどうだ。自身の脚本で紡ぎ出すストーリーは、欧州由来の伝統的な悪魔信仰や悪魔的な存在への畏怖に根差す要素もあり、ロジカルな点で日本人の腑に落ちるとは言いがたいが、感覚を直撃する恐怖描写でグローバルなホラー映画としての価値を獲得した。
演技達者なトニ・コレットの表情も怖い(ハイライトのシーンは脳裏に焼き付くインパクトだ)が、娘役ミリー・シャピロの“異物感”とでもいうべき唯一無二のルックスと存在感も本作の成功要因だ。これが長編映画デビューという彼女の出演作をもっと観たい。
近年の「イット・フォローズ」「ドント・ブリーズ」に並ぶ独創的な傑作ホラーだと感じた。
不気味な映画
音や映像で怖がらせるのではなく不気味さで怖がらせる映画でした。
なーんか不気味・・・。しかしあの女の子があっさりと終了するのは
何でなのかな?ポスターにもなってるのに。で、あのお兄さんが主役?
両親に全然似てないし、インド系?みたいな風貌なので違和感があった。
養子で実の子ではないとかの展開?と思ったけどそうでもなかった。
結局は無くなったおばあさんがカルトの悪魔崇拝みたいなのをしてて、
それが継承してるってことかな?
内容知ってたら観に行かなかったわ〜
こういう映画苦手なんですよね。
この映画が「鬼滅の刀」の年齢制限(PG12)と同じてマジですか⁉︎
私は、てっきり「ヘルハウス」や「ポルターガイスト」みたいな映画でラストは山田太一ドラマ「岸辺のアルバム」みたいになるものだと思ってたらトンデモ映画でしたね・・・
いや私のホラー観が昭和世代なだけでしょう。
序盤はR・レッドフォード「普通の人々」のようにアメリカ人家庭あるあるな感じで、
息子は大麻で友達とキメたり、娘は内向き志向で、いろいろと行動がヤバい。
娘の配役が、いいですね。何か得体の知れない危うさ感が出ています。たいていはドリュー・バリモアやエル・ファニングのような子役を配するのが定番だったりします。(←どうせ最後は助かるんでしょう〜)
キャーと叫んで恐怖を誘う、それをスクリーミング女優とも呼ばれております。
それにしても日本のホラー映画はアイドル出すぎ!
まぁ、お化け屋敷感覚ですね。
祖母の葬儀にチョコを頬張る娘、お父さんが
「ナッツが入ってなかったかね?」と気にかけるシーンがあり、“あっ、この娘ナッツ・アレルギーなんだ”とまぁ、これが節線となり後の展開に繋がるんですね。
それはヒッチコック「サイコ」以上の衝撃で、この後の展開どうすんの⁉︎
惨劇からの夜明けは、まさに悪夢・・・
まぁ、そこから奈落の底で食卓の風景が
カンガンガクガク(←まぁ凄い緊張感)
映像的にカメラが棺桶を地中までパン(移動撮影)してるのが凝ってますね。
あと亡霊(幻影?)の生首が落ちたと思ったらボールの落ちるカットに切り替わりエイゼンシュタイン(「戦艦ポチョムキン」の監督)のモンタージュかい!?
親しい人が死体となって蘇るホラー映画にありがちな設定になっていないのが好感が持てます。
この映画、L・v・トリアー監督「アンチ・クライスト」に似てるなぁ・・・
「ヘレディタリー」のラストを観て“あれ、これて、あの作品の原点!?”て思いました。
終わり方が、あの作品のラストそのまんまで驚きました。エンディングが、お洒落なのが意表を突きますね。
悪魔の力、身に着けた
怪しい儀式が好きだった老女が亡くなり葬儀を終えると一家を怪現象が襲ってくるサイコホラーもの
”怪現象が起こり悪魔に憑りつかれる”
往年のホラー映画でもよくある展開だけれど、ミッドサマーの言葉巧みに同級生を誘うペレ、ボーは恐れているの母親のように悪魔を崇拝する人間たちが密かに一家に忍び寄っていた。コレがアリアスター監督らしい展開だなと思った。
遺体が空中浮遊し離れのツリーハウスに入りついていくといつの間にか悪魔降臨の儀式が執り行われていた。ちょっとシュールにも感じたけれど、ピーターがそんな儀式の最中に現れたときの表情はミッドサマーのラストのダニーにも通じるモノがあるなと感じた
怖いもの見たさでミッドサマーを見た方はついでにヘレディタリ―を見たら意外と楽しめるかも
IMAX上映の今、見られて良かった作品
邪悪で不気味、見るのは自分の責任で…との紹介文を目にしたので余程後味悪いのかと鑑賞をためらったが、ホラー好き怖いもの見たさの好奇心と、わざわざのIMAX上映に惹かれて鑑賞。この監督作品を観たあとの心地が悪いらしい感想が多く目につき、今まで鑑賞する気になれず、3本の作品はどれも見ていなかった。
始まりから中盤まではしっかりとした家族内のドラマが描かれているがストーリーの要素に散りばめられた伏線回収が徐々に増えて行き、最後に一気に雰囲気変わる辺り、脚本と構成力が凄い。覚悟して行ったからか「胸騒ぎ」ほどの不気味さは感じなかった。よくこんな話思いつくなあ、と感心してしまったが。横から音がしたり、静かだけど実は不快な重低音が随所に聞こえていたりとIMAXならではの音響効果が不気味さを煽りまくる。オカルトの描き方、私が好きなシャマラン作品にテイストは似てるけど、M.ナイト・シャマランにあるユーモアは無いようだ。belive me と言う人を信じたら失敗する、という自分の経験がこの作品にも描かれていてちょっと笑った。
なかなか不気味な世界の表現だが退屈しなかったのは確か。個人的に、自分が引っ張られることのない世界だから引いて見られたのが良かったのか。
こわいこわいこわい
親、家族、地域、そして宗教観。人間(アメリカン?)としてのアイデンティティの全てをぶっ壊して行く127分。IMAXのデカい画面と音響設備で見れば怖さ10倍緻密さ100倍ですわ。
親に愛されてないなんて恐怖でしかないし、家族に気を遣われないなんて絶望的だし、他人の善意が全て罠だなんて何のために生きてるのかわからなくなる。そんな救いようのないお話しに、少しだけ霊的なエッセンスを加えた感じで、基本は「人間って自己中で怖いです」な話。他人だったらいいんだけど、本当は愛し合い守り合わなきゃいけない家族だけで話が進んで行くのが独特の陰鬱とした空気感を生み出してるのかもしれない。
なんやかんや幽霊だけじゃなく障(さわり)とか怨念とか呪いとか精霊の怒りとか、何でもありの日本のホラーとは違って、キリスト教がベースの欧米のホラーはどうしても悪魔とかいう概念に落としがち。ん?これは?とばあちゃんの葬式で気づいちゃうもんな。
とはいえアリ・アスター監督の上下左右のパーンの先にある意外な映像の使い方のうまさには感服するし、ミニチュアの精度と使い方には全ての映像作家のやってみたい、が詰まってる。デビュー作に潤沢な資金が投入されるって素晴らしいな。A24の鼻の良さにも感服。
相変わらずトニ・コレットの顔つきがクライマックスで母親そっくりに豹変するのが自分的には1番の見どころだと思ってる(決して監督の大好きなだらしない男女の裸体ではない)。
でもね、平日9時から見る映画ではなかったな…この余韻で午後をどう過ごせと?やはりリバイバル上映前半の夜の時間帯を狙うべきだったと心の底から思いましたとさ。
それではハバナイスムービー!
面白過ぎてIMAX2日間連続で行った
言わずと知れた2010年代最高のホラー映画の一本と言われた作品。むちゃくちゃ面白い。アリ・アスターはこの作品をまだ超えることは出来ないだろう。ただ悪趣味というわけではなくホラー映画としての面白さがしっかりある作品。トニー・コレットの怪演はもちろん全ての役者が完璧な演技を完璧なキャラでこなしており、無駄なシーンも一切無い。
IMAX用にした画質は完璧とは言えなかったが音はかなりレベルアップしており気持ち悪さが増している。そして裸のジジババに爆笑できるギャグも良いがジュディ・コリンズが歌うエンディングテーマ曲が毎回楽しみで仕方ない。
2010年代でこの作品と肩を並べられるホラー映画で完璧だった作品は幾つあっただろうか。
パスカル・ロジェ監督の「ゴーストランドの悲劇」ぐらいだろうか。
観直すと評価が上がりそうな映画
冒頭のミニチュアからの…シーンで早速「何これ好き!」となる。このミニチュアがまたいい感じに嫌な感じで母ちゃん込みで不穏な空気を作り出している。
話がどの方向へ向かっているのかなかなか分からないまま、嫌な感じだけが増していく。そしてアレヤコレヤでこちらが右往左往しているうちに、あの結末。なんかいいように引きずり回された感じ。まだうまく自分の中で消化しきれていない。
本筋からは外れるが『アリー』『ワールズエンド』に続きまたしてもセルフヘルプグループのシーンに遭遇する。AA以外でもキリスト教的要素があるのだとしたら、なんとも皮肉なことだ。
後日『ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル』を観て、あまりの落差に苦笑いした。
IMAX で再鑑賞。特にサラウンド音の仕込みが効いていて不気味さアップ。主役はアレックス・ウルフだったのかも。いつのまにか、わけわかんない何かに祭り上げられちゃって、そのために家族は首無しに…どゆこと?!と茫然自失ってね。
毒親とカルトと私。
ソコは現実か?はたまたミニチュアの世界(虚構)か?
いやいや、映画なんだからそもそも虚構だろ!🤣
ホラーとコメディは紙一重🤣
スコア…流れる楽曲って本当に大切ですね。
ドリフのオチに流れるあのワチャワチャした愉しいメロディーでも、きっと合ってしまう恐怖😱🤣
ピーターと云う名の長男は親愛なる隣人とは程遠いし、
チャーリーと云う名の高次機能性障害気味の長女は、炎🔥は出せないし、
ドールハウスのミニチュアをせっせと造りながら、死んだ毒母の影…呪縛から逃れられないアニーにTomorrowは来るのか分からないし、
一家の中で一番穏健で誠実で真面目でマトモな父親のスティーヴが、ナンダカンダで実は一番ウいている存在だし、
何より諸悪の根源たるズブズブカルトババアの祖母の狂気の凶行の源が、子々孫々の繁栄を願った純然たる愛なんだし、
全てが何処か歪で狂っているのに、独りとして欠けたら成り立たない絶妙なパワーバランスで成り立っていた薄氷一家の、、瓦解劇🤣
家族愛と云う本来安心出来る筈の心の置き処が、全く安心出来ない居心地の悪さ、苦しさ、哀しさ。
今迄ハリウッドがせっせこせっせこと築き上げてきた模範的な麗しき家族ゴッコを根底からブチ壊すアリ・アスター劇場!
円満な御家庭の微温湯でホンワカ育ってきたモノには分からんでしょうね!
いや、分からなくてイイ!分かっちゃダメ!🤣
絵画のような美しさ
この監督とは合わない
止まらない負の歯車
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