GODZILLA 星を喰う者のレビュー・感想・評価
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人間の過ちの罰としての側面が強いゴジラ
この映画を鑑賞後正直理解が出来ない部分多々があって、しかしなんとも後を引きづられたので2回視聴しました。
2回目の方が頭の中を整理しながら見ることができたので理解が進み楽しめましたし、物語としては非常に上手く纏まっていると感じました。
今作は好き嫌いは別れる映画というのは間違いないですし、例えば最近でいうヴェノムのような見応えある画面やアクション、エンターテイメント性を求めている人にはまず合わない映画です。
一般的な怪獣映画とも大分雰囲気が違いますし、ギドラの恐ろしさは怪獣の迫力というよりも(不穏な這い寄ってくるようなBGMも相まって)不気味なホラー感のある怖さです。
しかし哲学的なテーマや考察が好きな人、哀愁の残るビターエンドが好みの人であれば恐らく楽しめるタイプの映画ではないでしょうか、自分は相性が良かったらしく満足できました。
最後の結末は自分は好きです、一章からゴジラへの復讐の念を強調していたハルオの結末としてはこれ以上は無いと思っています。
劇中でもゴジラをゴジラという怪獣足らしめるのは人の強い憎しみと呪いであると説明されていますがこれがこの物語の重要なポイントになっており(フツア達にとっては恐怖の対象であれど自然災害のようなものとして共存している)、共に戦ってきた仲間の死を背負ってゴジラを呪う最後の人間として挑み散ることで怪獣としてのゴジラは消え去ったのだと解釈しました。
人のあり方を問う怪獣がゴジラ
繁栄と開拓を求め、あらゆる犠牲を払いながら文明を押し進める人の営み、それが臨界点に達した時にゴジラは現れ人の人たる自由意志やフロンティア精神は終わりを迎える。
人の営みは自らとあらゆる他の生を巻き込んで、全てを終わらせてしまう自殺的行為でしかないのか?
グレンラガンがこれと同じテーマを下敷きにしていたと思う。
良質なゴジラ映画はゴジラという超存在の立ち位置をどう設定し、それに、翻弄される人間をどう描くかがほぼ全てと思う。
最近ではシン・ゴジラ。ギャレゴジもごりごりの米映画でありながら、水爆の力を否定した点で評価したい。
全ての祖である初代ゴジラは人間の業を忘れ浮かれる戦後間もない日本を蹂躙した。かつて日本を地獄にした水爆による怨念を忘れさせない崇高な存在だ。
しかし、その神も芹沢博士が開発するオキシジェンデストロイヤーによってあっけなく滅ぼされてしまう。
そんな人の業そのものである芹沢博士自身も自死する事で初代ゴジラ映画は幕を閉じている。
それはハルオも同じで、自分というファクターが人類には不必要な業そのものなのだと悟り、玉砕する。
どこまでも利他的な虚淵脚本らしい主人公だ。
そんな、ゴジラという存在理念に徹底して向き合った良質なシリーズだった。
怪獣のプロレスが必要なのであれば、それはランペイジでもいいわけでゴジラにはより崇高な役割が…といいつつも、怪獣の大暴れがもたらす興奮が皆無なので星は3.5。
好き。
全体としての評価はあまり良くないみたいですが、私は好きです。
私が観たことあるゴジラが出てくる作品は、アニゴジ三部作とシンゴジラだけです。
今までゴジラ映画を観たことがなかったのが逆によかったのかもしれません。
ですが、他のゴジラ映画も見てみようと思いました。
破壊の王×虚空の王 そして…
まず初めに「アニメ版GODZILLA」は
「怪獣プロレス」をしないという初期からの
理念が発表されているのにも関わらず
「怪獣プロレスがないから低評価」と
いうレビューを書く方はどうぞ、
ずっと過去作を観ていてください。
様々な形やメディアミックスをされるのが
ゴジラなのではないのでしょうか。
「ゴジラに正解も不正解もなくその時生まれた
ゴジラこそゴジラであり、
過去のしがらみ や 固定観念にいつまでも
囚われていたら作品やファンの
発展や拡大はないのでは」と思ってしまいます。
ーーー
先日参加3回目、最後の舞台挨拶を六本木にて
終えてきたいい節目に忘れないようにレビュー。
賛否あれど私はこの作品が
どうしようもないほど好きであり
どんな周りの意見を聞こうとも
その意見は揺るがない。
このレビューは「星を喰う者 」のレビューというより
「GODZILLA 三部作」の総評の4.5というモノです。
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怪獣惑星で
種族の団結、ゴジラの恐怖を描き
決戦増殖機動都市で
ゴジラの全能さ、種族間の対立を描き
星を喰う者で
終焉そして神の偉大さを描いた作品。
最後まで人としてゴジラに立ち向かい
戦略と兵器に頼った人間。
ゴジラと対峙した時、既に
人ならざる者を志し、
工学に頼ったビルサルド。
「破滅こそが祝福」と信じ
神に頼ったエクシフ。
「生きていることこそが価値がある」と想い
ハルオそして人類を信じたフツア。
それぞれの主張にも突き動かされるものや
共感できる点があったので最後まで
どの種族が正しいかなんて決められなかったし
どの種族も「人間」臭さや愚かさ、醜さが
あってとても好きだった。
あのままギドラが勝っていたら
それこそ人類の敗北そして惑星の終焉で、
メカゴジラシティでゴジラを倒せても
ギドラに絶滅させられてただろう と思うと、
結局 人類の勝利はなかったんだろうな と
切ない感情になりながらもハルオの決断を
最後まで見届けられてよかった。
「お前が本当に破壊の化身だというのなら
焼き尽くして見せろ、全ての呪いを。」
三部作同時上映試写会みたいなのが
あったらいいなぁなんて今でも思ってます。
制作期間4年間 公開期間1年間
本当にお疲れ様でした。
ポリゴンピクチュアズ制作の
新たなGODZILLAもまた観てみたいです。
そこまでダメではないのだが…
三部作なので最後まで見届けねば!と、酷評にさらされているのは承知の上で鑑賞してきました。
本シリーズのゴジラの造形はあまり好みではないものの、そのスケール感と迫力は本作でも圧巻で、文句のつけようもなかったです。加えて、神秘的な姿で描かれたギドラの登場も、期待値を高めてくれました。
ストーリーに目をやれば、冒頭のやりとりで、もはや忘れかけていた前2作の内容を思い出させてくれたのはありがたかったし、その後の論理展開も、「なるほどそういう考え方もあるか」「それに基づいてのメトフィエスの描いたシナリオだったか」と聞き入ってしまいました。また、ここまでの伏線を回収するような展開に、ゴジラの原点とも言えるメッセージも込められていて、なかなかおもしろかったとも思います。
しかし、それでも酷評したくなる気持ちはよくわかります。
まずは冒頭からだらだらと続く、小難しい論理展開。そこまで理解不能ではないものの、いや待て待て、これゴジラですよね?怪獣映画ですよね?宗教映画じゃないですよね? こんな哲学的な押し問答が見たいわけじゃないんですよ!とツッコまずにはいられませんでした。
しかも、この段階でゴジラはまだ何もしていなくて、もはや何の映画を見に来たのか忘れかけていた頃、やっとギドラと接触!さあ、いよいよ…と思いつつも、期待したようなバトルは見られませんでした。せめてもの救いは、一応ギドラが姿を現したことぐらいです。ギドラシティとかじゃなくて本当によかったです。
そして何よりの不満は、主役がゴジラではなくハルオだったということです。ハルオが重要な役どころなのはいいし、ハルオの目や思考を通して展開していくのも全く問題ありません。しかし、それはあくまでゴジラを描くためであって、ハルオを描いてほしいわけではありません。登場人物に哲学的というか観念的な言葉を語らせるだけの展開は、映画というよりラジオドラマです。
こんなに複雑な話にしなければ、ゴジラのビジュアルとストレートなメッセージで、もっとシンプルでおもしろい作品になったのではないかと残念な気持ちで劇場をあとにしました。
全編ほぼ会話。戦闘シーンなし
題の通り、全編通してほとんどが会話でなりたっている。しかもその会話が悉く本編に強く関わりを持つものだったので、全力で強烈な肩透かしを食らわせてきたように思えた。映画、しかもアニメなら映像ではったりを利かせてほしいところ。
最初からとにかく、「これから起こること・起こすこと」の前振りを丁寧丁寧に行い続けていた。ギドラとは何か、エクシズが何を考えているのか。ずっと会話で説明。2001年宇宙の旅を見習え…とまでは言わないが、もうちょっと何かあったろうにと思う。
その会話は解説に名を変えて、ギドラが出てきたのちも続く。まあ、ギドラの異常性を魅せるのにはとてもよかったが、ちょっとくどすぎる。何よりファン待望のゴジラvsギドラまでもが解説で成り立っているのにはひどく落胆した。ギドラがかみついて、ゴジラがほんのちょっと暴れる。その様をマーティン博士が科学的に実況・解説する。プロレスかと思った。
しかも、そのプロレスの終わりもやけにあっけない。映画の前半であれだけ煽っておいてそれかよ!と突っ込みを入れずにはいられない。ゴジラvsキングコングの方がよっぽど怪獣バトルとして面白かった。こっちは本物のプロレスなのだが。
しかし、戦闘がしょぼかったとはいえ、ギドラの解釈は中々良い。目的の見えなかったメトフィエスが本性を現したのもよい。その辺で加点して、星1.5!
時間が短い
結構長い感想になってしまったので、あしからず。
まず、この映画に対しては短い尺の中でよく広く深い内容にしたなと賞賛したいです。昨今によくありがちなド派手なアクション映画は、映像美だけで中身が薄い脳筋な内容になることが多いですし、逆に登場人物の心理面を丁寧に描いたヒューマンドラマは、物事のスケールが小さすぎてどうでもいいと思ってしまうことが多い。その点、この映画は、どちらもスケールと心理、そのどちらも満足させてくれるものでは無いかと思います。
そのストーリーの中で、ゴジラ要素はあくまで観客を退屈させないシンボル的な役割というか、既知のキャラクターが出るというスパイスでしょうか。これが全く別の名前を持った怪獣でも十分話は成り立つと思いますが、複雑で飛躍した世界観を理解し続けなければならない観客にとって、知ってる内容が少しでも出ることによる期待と安心のような効果があったのではないかと。ただ、そこは観客の期待の拠り所だったと思いますので外したときのガッカリ感はどうしようもないですね。メカゴジラはメカゴジラではなかったですし、ギドラはキングギドラとはかなり違っていたことに少し物足りなさを感じました。予想していた怪獣バトルも作中には無いに等しい感じでしたし。そこら辺の期待ハズレ感も演出として狙っているのかどうかは分かりませんが(笑)そのため従来のゴジラにあるような爽快感や力の入るバトルを期待している人にはオススメできない内容になるかなあと感じます。
最後のギドラという超常現象は、まさにアニメゴジラのラスボスにふさわしかったと感じます。2作目で人類はビルサルドの技術によって、物理的にゴジラを倒す直前までいけた訳ですし、ゴジラよりさらに物理的に強い怪獣が出てきても、また技術レベルを上げればいいだけの話になってしまいますからね。ビルサルドが正しくてメカゴジラバンザイという単純な話になりかねない訳です。しかし、トコトンまで技術レベルが高まった近未来風な世界のラストに、全く科学が通用しない摩訶不思議が立ちはだかるというのは、まさに絶対に勝てないラスボス登場といったところでしょうか。マーティン博士が同じ脅威だったとしてもゴジラの方を自然と応援してしまうのも分かります。全く理解出来ない脅威を、少しは理解出来る脅威に打倒して欲しいとするのも一つの人間心理ですね。ゴジラの打倒をギドラに願った人達と全く逆の思考をしたことでしょう。それが感じ取れる素晴らしい世界観と演出だったと思います。
個人的に善し悪しが迷うところは双子の子とイチャイチャし始める所でしょうか。作品の死生観を顕著にするための必要な演出であったり、アニメという娯楽の性質上そういった要素が求められることもあるでしょう。ただ、アニメに限らず昨今の映画によくありがちな陳腐なサービスシーンと捉えられかねない唐突さがあったので、壮大なスケールの世界観を楽しんでいた自分としては、少しばかり残念感がありました。これは好みが別れるところだと思います。
惜しむべくは、映画の時間が短かったせいかなあ。と思う点が最後の方に見られました。
まず、メトフィエスの精神世界において、ハルオの結論のだし方がすごく短かった。メトフィエスの考えをエクシフの代表とするならば、圧倒的な数と時間によって構築された思想であるはずなので、ハルオ個人の人生観ではそう簡単に太刀打ちできるものでは無いはず。そのため、人類としてのハルオが結論にたどり着き、精神世界を打ち破るまでにもう一捻り欲しかった。人の話を聞かないワガママ坊やが駄々をこねたくらいの突破の仕方はもったいなかったと。メトフィエスをぐうの音が出ないほど論破する必要は全くないですが、せめて少しはわかってもらえるくらいの思想があってもよかったのではいかなあと思います。
それと、ギドラに逆転するための決定打が、一つのツールを割るというのもお手軽だったかなあと。あそこまで非科学的な超常現象を起こしていたのですから、それに関する色々な物はもっと不思議であって欲しかったです。人力で割って機能停止するほど繊細なのだとしたら、メトフィエスのこれまでの扱い方もかなり雑でしたしね(笑)
まあ尺の都合がありますから、これらはあくまで個人的な願望です。あと全体的に難解で、かつ満点のハッピーエンドでは無い点も昨今の観客には受けが悪いかもしれませんね。
自分としては、いい映画を見たという気持ちがある一方、消化不良感も結構あったので、人に勧めるか迷う作品でした。
SFゴジラ3部作最終章
最終章って事で前作、前々作含め感想を書こうと思う。
今回(ネタバレでもない)キングギドラ登場でゴジラと戦う訳だが、キングギドラ設定は前回メカゴジラ同様、キングギドラらしく無い様相なので気に入らない方もいるかと思います。(私は長い貝の干物に見えましたw)
あとエヴァンゲリオン風かと。使徒襲来!みたいな。
残念なのは全シリーズに言える事なんですが、凄い設定のキャラクターでゴジラに挑もうとする時、自分の弱点が分かるとあっさりゴジラにやられ終了なんですよね。
「弱点知られても瀕死になるまでゴジラを追い詰めて観せろよ」的な所が欲しかった。
今回のゴジラシリーズは地球に害があればゴジラが現れるコンセプトを守りながら作られたので私的には良かったです。
このシリーズ続く毎にゴジラ小さくなってね?と思ったのは私だけ?かな。
あの蝶々さんの出番もはぁ〜↓だし。
今回の最終章はやはり前作、前々作観ていないと分からない部分があります。これから観たいのならば、全て自宅用などにメディア化されてからの一気観の方がオススメです。
ゴジラだった
3部作見終えてゴジラ作品としてとても満足のいく出来だったので、この場を借りてレビューしてみようと思います。
このアニメ3部作は、まぎれもなくゴジラ作品でした。ゴジラ映画=怪獣プロレス+添え物人間ドラマ、だと思ってる人にはオススメできる映画3部作ではない、という事を先に言っておきます。
まず、自分の思うゴジラ作品について。
ゴジラは人類の文明がおとした影だと考えています。人類文明の遺産、たとえば「原子力」をリンゴだとします。それを地面に置けば光が当たって影ができますが、その影として輪郭をもって地面に映されたものがゴジラです。原子力だって使い方によっては有益なエネルギーになりえますが、そこにある感情が加わると、破壊兵器となってしまいます。ゴジラを生む地面にたどり着く前の影。それがその感情。恨みです。
発展した文明と、恨みの感情。これが僕にとってゴジラ作品をゴジラ作品たらしめる要素だと、ここで述べておきます。
ここからアニメ3部作のレビューです。
まずアニメ3部作においての、僕にとってのゴジラの要素は以下の通り。
リンゴ=文明≒核兵器
ゴジラ含む怪獣を生んだものはマーティン博士が「星を喰う者」で述べていたように、人類の文明、核兵器です。言うまでもなく人間が恨むからこそ生まれた破壊兵器です。
影=人類の恨み
人類はあっけなく100年ほどでゴジラに滅亡の危機にさらされたのにもかかわらず、なぜ守り神がひきこもりニート状態のフツアは2万年もゴジラと共生できてたんだろうと、「決戦機動増殖都市」視聴後は疑問に思ってました。が、その回答は「星を喰う者」クライマックスで明らかになりました。フツアには"恨み"という概念も言葉も無いんです。人類はゴジラを恨み争ったからこそ滅亡間近となり、絶望の先に諦めたからこそ、宇宙に逃げられたんです。
地面の影=ゴジラ
地面=地球
強大な文明があったから、人類が恨みをもったから、輪郭をもった影は牙をむきます。それが本作におけるゴジラという存在でした。
その地面から影を消す、地球からゴジラを消すためにハルオを筆頭としたワタリガラス達は戦いました。
しかしギドラ戦後、全てはすり替わります。
リンゴ=文明≒ナノメタル
「星を喰う者」の終盤、ヴァルチャーの再起動に成功したマーティン博士は、ナノメタルによって人類の文明を再建できると言います。なんだって作れる、つまり破壊兵器も。
再建発言にハルオが危機感(というかまたゴジラに挑める?感情)を抱いたことから、本作品における最終的なリンゴは、ナノメタル、としました。
影=ハルオの恨み
ハルオはただ一人ゴジラを恨み、地球に戻る要因まで作ったキャラクターです。「星を喰う者」終盤、フツアとともに新たなスタートをきった人類が描かれます。ゴジラという脅威がありながらも、みな笑顔なんです。しかしゴジラへの恨みを捨てきれなかったキャラクターは、その中でも異質に、悲しみを背負う表情で描かれています。ハルオただ一人。つまり、恨みを抱いているのは人類でなく、ハルオただ一人となりました。フツアにとってはミアナが言うように、ゴジラは竜巻や稲妻のような災害のような畏れる対象であり、恨む対象では無いんです。
なので本作における最終的な影は"ハルオの"恨み、としました。
地面の影=ハルオの恨み
地面=ゴジラ≒地球
ギドラ戦を境に、ゴジラの意味は変わります。マーティン博士がギドラ戦でゴジラを応援していたことからわかるように、もう人類でゴジラを恨むものはただ一人を除いて居なくなりました。ハルオです。ハルオの恨みが"ゴジラ"という存在に意味を与えてしまっていたのです。ただの地面に、影が輪郭を与えてしまった。つまり、ハルオ以外の、宇宙服を脱いでフツアと共生することを選んだ人類のキャラクターにとっては地球の一部となってしまったゴジラに、ハルオだけが怪獣という意味を与えてしまっていたんです。
それを踏まえて「怪獣惑星」というタイトルと、ゴジラ・アースの名前に納得しました。
最後のハルオの特攻があったからこそ、自らの恨みと文明の象徴"ナノメタル(ユウコ)"を消すことで、ハルオはゴジラに勝利しました。
"恨み"という概念の存在しないフツアと、
"恨み"を持たない人類を残すことによって。
初代で芹沢博士が晴天の東京湾でオキシジェンデストロイヤーを自らとともに葬った描写が、
晴れやかな地球の空の下、自らの恨みと共に散っていったハルオと重なり、感慨深い作品となりました。
ハルオの最期の表情、眉間からシワが取れ穏やかであったことが、ハルオは人間として、自身が生んだ"怪獣"と決着をつけたんだと、僕は思いました。
地球の化身、ゴジラ・アースは無機質なようで、しかしこころなしか穏やかな表情で、文明の象徴ナノメタルと、ハルオの恨みを破壊し、"怪獣"としてのゴジラという存在を殺します。そしてゴジラという存在は御神木のように、フツアと人類の営みを見届けるのでしょう。これは紛れもなく、ハルオにとっての勝利です。
オイカリ様?について考察。
あれはフツアと人類はゴジラではなく、
ゴジラへの怒りを鎮めるために散ったハルオ含むワタリガラス達を神として信仰しているのだと思います。それこそ、小説で描かれた終末思想の塊であるゴジラ教徒や、終焉の美を魅せたギドラを神としたエクシフ、辺境から合理性を突き詰めた精神を持つビルサルドとは異なる、新しい神や精神の解釈と感じました。
オイカリ様は、ゴジラ、ギドラ、メカゴジラ、そして死の冒涜者(生の賛美者)モスラとも違う、恐怖と怒りを奪う怪獣=神or精神なんだと思います。人類を滅亡に追いやった"怪獣"という概念は、このシーンによって滅んだ事が伝わってきました。
まだ1作目2回、2作目2回、本作1回、小説1,2巻1回ずつしか観てないため、思ったことを書き連ねた拙い考察です。他の方のレビューや動画を観て、勉強してから2回目を観ようと思います。とにかくアニゴジ語りたい!
ただ、低評価が多かったので、個人的には応援したい映画作品だったため3部作通して☆5評価をしたくて投稿してみました。映画単体としては、
怪獣惑星☆4
決戦機動増殖都市☆4.5
星を喰う者☆4
くらいです。今作は静止画あったのがちょっと…。またNetflixで出たら、静止画演出に意味があるか見直してみます。
気に食わなければ怪文書だと思って無視してください。
チャレンジ精神と面白さは別問題
3作通して、アニメでしかできない豪快なハッタリには成功したと思います。特にゴジラのマッチョさは歴代でもかなり好きです。(シンゴジの重量感のないゴジラが嫌いなのでなおのこと…)
しかし…致命的なまでに面白くないんですよね…
ゴジラに詳しくない人が作るのも、プロレスをやらないのも、まぁそれ自体はいいんですよ、そういう方針そのものは否定しません。
が、定番要素をなくすかわりに何か新しいものを生み出せたか、そしてそれは面白かったか、ってなると、せいぜいが前述のハッタリ、そしてそれが映像ではなく台詞でしか説明されないので、「ゴジラ映画」として何ら面白みを生んでないんですよね。
台詞から想像しろって言ってる人もいますが、いやいや、だったら小説かドラマCDにでもしといてくださいよ。これは「映画」。ちゃんと映像で表現しないと意味がない。なのにギドラなんてしょぼいことしょぼいこと…
1作目はハッタリと映像がわりと噛み合ってて面白かったんですが…
新たなことにチャレンジするのは大事ですが、ただ挑めばいいってもんじゃない、という当たり前の事実を再認識した作品でした。
これぞ虚淵ゴジラ
とうとう三部作が完結してしまった。
これまで常に期待を裏切り、期待以上の作品を作ってきた虚淵氏が日本の代表的怪獣であるゴジラをどう描くのか、期待を膨らませて映画館に足を運んで鑑賞後には興奮で鼻息を荒くしながら帰ったのが昨日のようだ。
自分のゴジラに持つイメージは「デカイ、ツヨイ、コワイ」だ。
過去の実写作品でも結果として人類が救われることはあっても、それはゴジラにとっても邪魔だっただけであり人類の味方となったわけではない。
今三部作はゴジラ初のアニメでありそして三部作だった訳だが、新しい視点でありながらも先に挙げたゴジラのイメージを踏襲しながらも、予想と期待を大きく上回ってくれた名作だったと感じる。
今作は象徴的な三つの種族「人類」「ビルサルド」「エクシフ」によって、異なる視点からゴジラを捉える事が出来る。
人類は地球を奪われた憎しみや恐怖という心理的視点
ビルサルドは逆に感情を排除した科学的視点
そしてエクシフはどちらとも違う宗教的視点
それぞれ1部では人類がゴジラ・アースによって心を折られ、2部ではメカゴジラシティが、3部では神とされるキングギドラが倒され全ての面で人類側はゴジラに敗北している。
しかし、この映画の「敗北」に関しての解釈は別れるところであり、人類は本当に「敗北」したのだろうか?
人類にとっての勝利条件は「ゴジラを排除し、地球を取り返す」事であり、それに関してはフツアの民が「ゴジラを排除」以外の点では達成している。
ビルサルドの「メカゴジラと同化することによる進化」も結局はまたギドラなどの星自体を破壊する怪獣を産み出す可能性があるため、勝利とは言い難い。
エクシフに関しては破滅ありきなので言わずもがな。
となると、今作のラストはむしろ人類の勝利だったのではないかと思えてしまうのだ。
ハルオは地球に子孫を残し、最後はギドラへ繋がるナノメタルとなったユウコと人類のゴジラへ抱く憎しみと共に安堵とも取れる笑みを浮かべながら最期を迎えた。
これにより2万年前から続く人類の憎しみは消え去り、ゴジラには畏怖だけが向けられ人類との対立はなくなった。
その証拠として、エンドロール後の儀式で「怖いものをお焚き上げ?」する場面で子供達の「怖いもの」のなかにゴジラの名前は出てこなかった。
斯くして地球はフツアとゴジラによる共存によって物語は幕を閉じた。
個人的には、今回の後半でマーティン少佐(人類の科学者)が、ギドラに一方的にやられるゴジラを応援するシーンは興奮で思わず前のめりになりました。
過去作でも「倒すべき相手」であるはずのゴジラを逆に応援してしまいたくなるような事がありましたが、それをこんなに上手く観客にさせてくれるのはきっと虚淵氏の手腕によるものなのでしょう。
ゴジラと言うキャラクターは最初にも述べたとおり「デカイ、ツヨイ、コワイ」であるべきだと思うし、それを三つの種族と三部作と言う尺を使ってここまで見応えのある作品に仕上げた制作スタッフに拍手を送りたい。
星が4なのは、やはりそれでもどこかでハッキリと人類にはゴジラに勝って欲しかったと言うのと、ギドラのウネウネだけでなくキチンとした本体とゴジラの戦いが見たかった、あとモスラの見せ場がががががg、といったところがあったためです。
それでも大満足のゴジラでした!
駄文をここまで読んでくださった皆さまありがとうございます。
3度目の(又は『も』)正直
第一作、今後に期待した。第二作、より期待した。第三作・本作、・「願い」は叶うとは限らなかった。
他の方も書かれていますが、難解だ。アレを結末というのか?チョイ出しのモスラはどうなった?、本作のスピンアウトでモスラでもやろうと思っているのか?
ゴジラ・シリーズは好きだ。だが、期待した分悲しかった。より期待した分、もっと悲しかった。最後で???。
立川シネマシティaスタの音は最高だった。音で救われた。画も綺麗だった。そうそう、採点の2点は音響とスクリーン分。
が、しかし、平日最終回だから不利ではあるが劇場386人収容のトコロで10数人観覧。数は正直だ。
人類の行き着く先に待つものとは?
ゴジラ・シリーズ通算第32作(アニゴジ三部作第3部)。
通常スクリーンで鑑賞。
「怪獣惑星」ではあまり動かないゴジラ(でもアニメならではの戦闘描写はとても良かった)、「決戦機動増殖都市」ではメカゴジラ詐欺(でもヴァルチャーはカッコ良かった)と、ファンとして賛否両論だったものの、最後まで観届けようと思っていました。だってゴジラを愛して止まないから。
ついについに、この時がやって参りました。待ちに待った怪獣対決です。ファンならずとも興奮必至であろう(と勝手に思っている)その対戦カードとは、ゴジラとギドラ。ポスター・ビジュアルからして「ゴジラVSキングギドラ」のオマージュであり、期待値が否応無しに膨れ上がっていきました。
人知を超えたゴジラを打倒するには、自らも人ならざるものにならなければならない。前作で提示された考えに対し、人として成すべきことがあるのではないかと苦悩するハルオ。
事態は風雲急を告げ、ビルサルドが神と崇める高次元怪獣ギドラが金色に輝く姿を現し、ゴジラとの対決になだれ込んでいきました。ハルオとメトフィエスも正面から激突!
黄金の終焉を前に、絶望的な滅びへ加速度的に事態が悪化していく中、全てに決着をつけるための壮絶な概念・思想闘争が繰り広げられました。まるでエヴァのように…
これまで幾度となくゴジラと激闘を繰り広げたキングギドラが予想だにしないアレンジを加えられて再登場しました。
このギドラ、史上最強と言っても過言では無い。「ウルトラセブン」のナースの紛いものかよ…なんて侮っていました。
ところがどっこい。私たちの知っている物理法則が通用しないのだから始末に負えません。エネルギー保存則完全無視。
視覚・聴覚では存在を認識することが出来ますが、センサーでは観測不可能。ゴジラの熱戦も通じず、触れることすら叶わないと云う幻影のような曖昧な存在で、まさに虚無。
しかし、ギドラからは対象に自由に触れることが出来ると云うチートな無双状態。なんたるもどかしさ。重力場を自在に操り、時間や空間を捻じ曲げてしまう。最強かよ!
3つの首で喰らいつき、超重量級のゴジラを軽々と持ち上げる。絶望しかなかったです。そもそもまともに戦えない。だからと言って怪獣王が負けるはずが無いと手に汗握りました。
とは言っても、メインは怪獣対決ではなく、人間とはいったいなんなのか、文明の行きつく先にあるものとは何か、と云う哲学的なテーマに終着をもたらすことでした。
宗教的な概念、哲学的な会話が渾然一体となり、壮大なテーマが浮き彫りになり引き込まれました。これまでのゴジラ映画でここまでの思索が試みられたことはありません。
過ちを犯すたびに反省し二度とするものかと一旦固く決意するものの、文明の発展と共にのど元過ぎればでさらなる高みを目指そうとするのが変えようとしても変えられぬ人間の性。
自らの首を絞め、自滅するのは時間の問題ではないのか。そんな「定められた運命」に身を委ねたのがエクシフの文明であり、メトフィエスたちの宗教の教義の根幹でした。
運命に抗おうとするハルオの決断に希望を見出すことが出来た気がしました。そんなラスト・シーンは衝撃的で、息を呑みました。概念的にゴジラを駆逐するなんて斬新過ぎる。
第1章や第2章のレビューでは「なんだかなぁ…」とか「微妙だなぁ…」みたいな感想ばかり書いていましたが、本作を観終わって本三部作全体の見方が180度変わりました。
斬新で柔軟な発想で料理してもらって、これからもシリーズをさらなる高みへどんどん押し上げていっていただきたいものです。但し、損なってはいけない部分は大事にしつつ。
[以降の鑑賞記録]
2019/05/30:Blu-ray
2020/05/02:WOWOWシネマ
※修正(2023/11/02)
「観念」vs「ゴジラ」の決戦、「憎しみ」vs「想い」の終章
覚悟の上での結末だと、ボクは映画を受け止めました。
ハルオ・サカキが戦い抜いて、気付いてしまった「己」のことや、胸中の「心残り」、2章のガルグの「とある台詞」…特撮でこそ輝くゴジラをアニメーションという無謀(?)で置き換えた作品は、個人的な見解ですが、ちゃんと立派なゴジラですよ。まあファンってわけじゃないので、異論が来ちゃうとアレなんですが(笑)
というかこの作品は一度で咀嚼ができない映画。キャラクターの旅路の果てには、きっと意見が割れるだろうし、“あのシーンはどういう意味!?”と掴み切れないところもある。ただそういう「相容れなさ」を共有できる物語って、今は少なくなっているから、スゴく貴重なことだと思う。まあアダムの退場パートは、さすがに雑だと思いましたが(自分なりに解釈したけど、それでもやっぱり、ねえ)w
なので咀嚼の手掛かりを見つけることがオススメです。自分は『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』(2004)と「翠星のガルガンティア」(2013)。この二つを想起しました。一応理由もちゃんとあります。
前者はゴジラがギドラから、人がX星人から、星と命を守るためにリンクしていく最終決戦。ファンの間じゃ相当評価が低いとどこかで聞きましたが、ボクは嫌いじゃないですよ。ラストも悪くなかったです(あそこでゴジラと人類は“通ずるもの”を見た気がするし)。本作においてもそれはゴジラvsギドラ戦や、ハルオvsメトフィエスにしっかりと感じられて、滅ぶことでの解放か、未来の為に生きる道か?非常に難しいテーマを、逃げずに模索してました。
一方の後者においては、コインの「表」と「裏」でした。少年レドが地球に迷って、人類を知る展開と、地球の過去を忘れられずに地球へ戻って来たハルオ。一見異なるように見えて、少し似ているところもある。でも根本はまるで違って、二人の未来も真逆の道。それこそボクが序文で述べた、ハルオが気付いてしまった“己”、ガルグの“台詞”が露わにさせた、“ある結論”に繋がっていて、何というかやるせなくて、スゴく哀しくなりました。レドはエイミーがいたからこそ、過去をこれから未来へ紡げる。ハルオもマイナと歩くことで、フツアの側とも人の側とも異なる、別の未来というか、第三の道というのを、一緒に探していけたはず(それだと流石にハッピーエンド過ぎるかなあ?どうだろ)…それゆえのもどかしさが、あの最後に宿っていました。
悲劇とも取れるラストをどう見るかは人それぞれ。ですが一番大嫌いな“特攻賛美エンド”ではなく、間接的に“負け”を認めたラストシーンは…ボクは好きです。ハルオのあの決断を、マイナはどう思ったのかな?それもいつか小説とかで、触れてみたいので、楽しみです。
追記:ネタバレしちゃいましたが、メインヒロインはマイナです。読んだ方々、この作品でマイナにハートを盗られてください(笑)とにかくメチャクチャ可愛いです!これはユウコ、完敗ですわ(泣)
宗教家一本はキツい
怪獣同士の戦闘はやっぱり見物ですね。
もっと巡るめく展開を期待しましたが…。
宗教家の講釈を作品丸々一本聞くのは辛かったです。
物語のスパイスとしていてくれるくらいの方が面白かったかと。
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