ボヘミアン・ラプソディのレビュー・感想・評価
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放浪者(ボヘミアン)の帰る家
伝説的ロックバンド・クイーンのボーカル、
フレディ・マーキュリーの半生を描いた映画が登場。
基本洋楽ばっかり聴いている僕も彼らの曲は大好きだが
(まあ洋楽ファンに限らずクイーンのファンって多いと思うが)、
リリース作を残らず買い漁ったり、バンドの歴史や音楽性の
変遷を紐解いたりという域までには達していないので、
熱心なファンの方と比べれば僕はヒヨッコ……いえミジンコ……
いえゾウリムシ体内のミトコンドリアです……(←どうした)。
ミトコンドリアあらため自分にはこのドラマがどこまで事実に近いか、
どこまで伝説のバンドの実像を再現できていたのか分からなかったので
鑑賞後に色々と本作の製作経緯や史実との差異を調べてみたのだが、
どうも史実との差異に関しては結構な改変が入れられている様子。なかには
ドラマに大きく関わる改変もあるので、それを知った時は「ううむ」と思ったが……
本作の制作にはクイーンの元メンバー、ブライアン・メイやロジャー・テイラーも
参加しているし、2人はパフォーマンスの再現度について評価しているようなので、
この映画は史実の再現よりもクイーンというバンドとフレディ・マーキュリー
という人物の精神性を再現しようとしたものと捉えてこの先は書くことにする。
伝記映画は常に「どこまで事実に近いか?」が頭をもたげるんで厄介やね。
...
前置きが長くなって申し訳ない。
製作経緯や史実改変が思考に無いクリーンな頭で鑑賞した時点で、
本作を観てストレートに感じたことは何か?を書くと……
40年近い時を経てもなおスーパークールな“クイーン”のパフォーマンスを
高再現度&高熱量で観られるのは、シンプルにメチャクチャ気持ち良い!
次々登場する名曲の数々には自然と指と足でリズムを刻みそうになったし、
『ボヘミアン・ラプソディ』『ウィ・ウィル・ロック・ユー』創作のワクワク感も忘れ難い。
メンバー間でいっつもガミガミ言い合ってるのに、良い音楽のアイデアが
浮かんだ途端に興奮して「いいじゃん最高だ」と褒め合う姿が微笑ましいし、
『良い音楽を創る』という熱い心で結ばれた絆がかっこいい。
そして、7万人の大観衆を前に繰り広げられるクライマックス20分間は圧巻!
まるで当時のステージに登壇し、“事件”を目の当たりにしている感覚になった。
いやあ、これこそ映画館の大スクリーンに身を投じるべき映像さね。
はぐれもの達への礼讃、そして自分を支えてくれた人々と音楽への愛、
観客“に向けて”ではなく、観客“と共に”音楽を刻むという信条。
それまでに語られたフレディの半生と、クイーンのバンドとしての
矜持(≒プライド)が、あのクライマックスには凝縮されていた。
物語の主軸となるフレディ・マーキュリーの半生も現代に通じるテーマで見応えあり。
現代もLGBTに十分理解ある時代とはたぶん言えないのだろうが、
物語の舞台がエイズ流行の兆しが見え始めた'70年代であればなおのこと。
劇中のフレディも、妻メアリに面と向かって言われるまで
自身がゲイであることを自分でも認めていない様子だった。
まず自分が世間が言う所の“普通”と異なるというのは怖いことだし、
父と反目はしていても、どこかで父に認められる為の男らしさを求めていた
のかもしれないし、メアリに申し訳なく思う気持ちもあったのかもしれない。
理由は様々だろうが、彼は自分の本当の心が理解できずに長年苦しんでいた。
(自分の幸せをかなぐり捨ててでもフレディをあるがままにしてあげたい
と望んだメアリは本当に良き理解者でありパートナーだったんだと思う。
……後々に婚約相手をニコニコ紹介するのはちょっとアカンと思うケド)
天才肌のアーティストである一方、人間的な欠点も非常に目立つ。
自分のパフォーマンスへの絶対的な自信は殆ど傲慢とも言えるものだし、
あまりに奔放過ぎてクイーンのメンバーと衝突したり身を崩していく
様子もいただけない(あれでも史実よりソフトな表現らしいが)。
だがそれらを乗り越えての謝罪、そして“ライヴ・エイド”は熱い。
メンバーに掛けてきた迷惑も、ブライアン・メイの「話し合う
からちょっと廊下立っとれ」で帳消しになった気がする(笑)。
...
しかしまあ不満点もあります。
クライマックスはメチャクチャ興奮したが、
一方で不満点もこのクライマックス。
パフォーマンスで盛り上がっている途中でチャリティ活動の様子や
袂を分かったプロデューサーの様子などが挟み込まれるのだが――
映像を挟み込むのは構わないが、そこで音楽までトーンダウンさせるのはやめてほしかった。
挿入される人々の映像はセリフ無しでも内容が伝わるようなものだったのだし、
クライマックスのあの怒涛の興奮に水を差すような演出はしないでほしかった。
また、フレディのアイデンティティに関わる描写を重視したドラマである故か、
数々の名曲の制作経緯や劇中使用についてはわりと淡白な扱いにも感じられた。
バンドメンバー間の絆への理解をより深めることは終盤に利いてくる
と思うので、そこももう少し描写してくれると有り難かったかなあ。
クイーンがメジャーバンドになるまでの流れも結構なトントン拍子で
描かれるので、フレディという人間を描いたパートに比べてどうにも淡白で薄味。
それにやはり……冒頭で“史実より精神性の再現”と書きはしたものの、
聞いてしまった以上は史実との大きな差異は気になる部分。
今回は鑑賞直後に考えていた評価からそこで-0.5判定を下げている。
...
けどね、人によっては史実との差異はもっと判定下げるべきと考える所
なのかも知れないが、僕はこの映画、自分が何者かをずっと探し続けた
人間のドラマとしてはちゃんと完成していたと思うんですよ。
劇中ではたしか『自由人』と訳されていた『ボヘミアン』という言葉だが、
これはもともと流浪の民を意味する言葉で、それが転じて『慣習や体制に
依らない自由奔放な者』というニュアンスの言葉として活用されている。
“自由奔放”というのはまさしく本作で語られるフレディのスタイルだが、
一方ではそのフレディを“流浪する人”と表現しているとも取れる。
父の理想に縛られたくない、世間と同じになりたくない、ゲイではあるが
そういったセクシュアリティ以上の繋がりを心の中ではずっと求めている。
本当の自分は何者なのか、そしてその自分を受け入れてくれる人はいないのか。
答えをずっと探し求め、一度は家族も仲間も捨ててあてもなく彷徨い続けた男。
それでも最期の時に彼は帰ってきた。
「善き行い」を信じる、血の繋がった家族のもとへ。
そして、本当は最初の最初からありのままの自分を
受け入れてくれていた、心の繋がった家族のもとへ。
どれだけ偉大なアーティストと称賛されても、孤独は身に堪える。
帰るべき家がある、迎えてくれる人がいてくれるというのは、
当たり前に思えて本当はとんでもなく幸福なことなんだと思う。
<2018.11.17鑑賞>
タイトルなし(ネタバレ)
後半からずっと号泣してた。
フレディの孤独はどんなに賞賛されてもつきまとう、みんな他に家族とか大事な人がいて自分が一番でない孤独、信頼していても妻を愛しきれない孤独、物作りをする上での孤独…
途中、家族や子供を作ることでしかこの果てしない身に覚えのある孤独は払拭することができないの?と思えたけど、ちゃんとあった、バンドや元妻やステージに立ったフレディの曲を共に歌う何万もの観客。
果てしない孤独を背負う分だけ、それ以上彼はやっぱり愛されてた。
それは何にも替えがたいもので、たくさん間違えたけど音楽には誠実だったこと、そしてやっぱりどんなにボロボロでもそれを微塵も感じさせない圧倒的ヒーロー感。
彼は間違いなくあの場にいるみんなの希望になった。
ライブシーンはそれがずっと伝わってきて涙がとまらなかった。
"俺が何者かは俺が決める"って感じのセリフがとてもぐっときた。
何かを創る上で常に新しくいること、妥協しないこと、命を尽くすこと、そして誰しも抱く痛みや孤独を感じ、寄り添い、しっかり希望を描くことの大切さを教わった。
言葉にすると全部軽くなってしまう、見終わった後何度もこみ上げるものを抑えられなくて困るくらい、とにかく圧巻で、とてつもなく良いものを観た。
フレディって天才だったんだね
クイーンのことはもちろん知っていたが、この映画は『エルビスオンステージ』みたいなドキュメント映画なのかと思っていた。
そんなに人気はないだろうから、席は空いているのでは、と思い込んでいたが、なんとほぼ満席状態だった。
この映画を見てわかったのは、クイーンがどのようにして生まれ、どのように数々の名曲が生まれたのか、ということだ。
フレディは、日本が好きだったという。その理由は、日本のクイーンファンは、人種がどうであるか、といったことではなく、クイーンの音楽を愛してくれている、ということだった。その人種的なことがよくわからなかったのだが、この映画を見て、その意味がわかった。
フレディの数々の奇行は、アーティストとしての発露だったに違いない。だからこそ、あのクイーンの曲とステージが生まれたのだ。
映画の中での楽曲は、本物のフレディの声が使われているとか。
声が似ているので、フレディ・マーキュリー役のラミ・レミックはがんばったな、と思ったが、これは口パクにして正解だろう。
映画のなかで、メンバーがBBCに出演することになったとき、プロデューサーに口パクを強要されるというシーンがある。うがちすぎかもしれないが、なるほど、と妙に納得した。
ラミ・レミツクは、ミック・ジャガーにも似ていないだろうか、とふと思ってしまった。これは蛇足ではあるが。
孤独に立ち向かう勇気の輝き
クライマックスとなるライブエイトで歌うフレディの姿に多くの人が感動と勇気を覚えただろうと確信する映画であった。
残り僅かの命で歌うフレディの姿が輝くほどに眩しく心打たれた。
それは彼が抱える「孤独」という「闇」に立ち向かう姿に多くの人が共感したからではないかと思う。
この映画では多くの「孤独=闇」が登場している。
1つ目はイギリスで育ちながらインド人という人種からの孤独である。
彼は映画にて自分のファルーク・バルサラという名前からフレディ・マーキュリーという名前に変えて活動を始める。
2つ目は家族(父)・友人からの孤独である。
劇中で彼は父に自分の活動を認めてもらえずに良い行いをするように言われ続け、家族を避けていたがライブエイトのチャリティに参加したのも父との対立からと推測される。そのことで父と最後に和解する。
さらに家族と思っていたバンドのメンバーには家族が出来て自分には出来ないことに対して孤独を感じ、自分の本当の姿を打ち明けることのできる人はいないと感じ、ソロ活動を始める。最終的には自分と対等に話ができるのはクイーンのメンバーだと気づき、謝罪してバンドを再始動をすることになる。
3つ目はセクシャリティからの孤独である。
彼はメアリーと婚約するも、男性を愛することから抗えずにメアリーと婚約を解消することになる。セクシャリティからの孤独により、生涯結婚することなく独身で終えることになる。
4つ目は生からの孤独である。
自分がエイズであり、残り僅かな命である宣告を受け、またクイーンとしてステージに立つ(すべての孤独と戦う)決意をする。
上記のような多くの「孤独=闇」との対立を描きながら、それら全てと最終的には真っ向から立ち向かい多くの観客を魅了するフレディの姿に心を打たれたのだろう。
1つ気なるのはタイトルである。
ボヘミアンラブソディは彼らの代表曲のひとつとなるのだが作品はあくまでフレディの孤独との葛藤を描いているので、そことの繋がりが全体を俯瞰した時に少し希薄な感じを思えてしまった。
楽しめるポイントは他にも細かなカメラワークなど挑戦的な撮影を試みていて、臨場感を演出されていた。
映画っていいですよね〜。
伝説のバンド
Queenは、CMやドラマの曲をいくつか知っている程度でした。有名な曲も多く、伝説のバンドといわれてるのも知ってたけど、何がどう伝説かは知らず…。
最後のライブ・エイドのシーンを見たときに、伝説と言われているのが分かった気がしました。映画なのにゾグっとした…これは本物見たい。
ボヘミアン・ラプソディーという曲が、この映画でより好きになりました。最期が近い(と悟った)中のこの歌詞…ライブ・エイドで歌うシーンで涙が止まらなかったです(つд;*)
そして、We will Rock You何度聞いてもカッコいい!
ただ、うーんと思ったのが…
ジムハットンとの感じ、簡単すぎない?
調べてみたら、フレディ・マーキュリーの最期7年の恋人だったとか?!全然そんな大事な存在になるような描写がなくて微妙に感じた。
なかなか、GOOD!
先週の土曜日に、息子と夕食中に
いきなり、見に行こうかと決まり、Netで予約して、
食後に直行!
ブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮をしていたのは、知っていたし、前評判が良かったので、是非とも、見に行きたかった
やはり、レコードとデジタル音源の「差」は大きい!
音質がGood!
VIDEOではなく、映画館の迫力は、
大ホールでの迫力は、味わえないかなぁ~~~♪
LASTのライブ・エイドのステージには、感動させられた!
唯一、残念だったのは、
日本公演が、素通り!? って。。。
地元の公演に2回も行ったのに、残念でした
欲を言えば、F.M.の仕草に、
もう少しERITICさが、欲しかったかな。。。
もう一回、見ても良いかなぁ
って、位です
ジョンが………
ジョン・ディーコン大好きな者です。『ボヘミアン・ラプソディー』見ました。
ジョンの扱いが軽い…
ジョンがクイーンのオーディションに合格するシーンが無い…
縁の下の力持ちとしてクイーンを支えたジョン・ディーコン。お茶目でシャイでインテリなんです(/▽\)♪
もっとカッコ良く描いてほしかったなぁ…
俳優より本人のほうがハンサムだしf(^_^;
フレディもラミ・マレックより本人のほうがスタイルが良いし素敵ですよね(^o^;)
私には微妙
普段映画を酷評することはないけど、この映画はあまりにも前評判が良すぎてがっかりする人も多いのではないか。
主人公のビジュアルがまず受け付けない。
そのうえ性格はやりたい放題で全く共感できない。
好き勝手したのだからバチが当たるのは当たり前ではないか。
しっかり睡眠はとっていたのに、描写はたんたんとしており終始眠たく、後半で鳥肌とか感動とか期待していたが、最後のライブエイドのシーンでも迫力にかけ終始眠たく、、、
一番後ろの席で観賞したのがだめだったのかな、、、?
音楽がいいのは当たり前。
だってクイーンの曲を使っているから。
そしてこのくらいのストーリー、クイーンファンなら知って当然の内容ではないのか。
果たしてこの映画、クイーンでなかったらどうなっていたのか。
酷評したいのではなく、感動したくて映画館へ行っただけに残念でならない。
Queenの曲を聴くための映画
Queenの結成から最後(?)のライブまでを時系列で追いつつ、フレディ・マーキュリーに起こった出来事を纏めた内容。
映画の出来としては普通。古めの演出も少し気になるところ。基本は曲を聞かせるための映画であってQueenやフレディの人物像はあまり伝わってこない。
【感想】
ちょっとゲイは苦手で見たくなかった。ステージ映像はGOOD。特に最後のライブは泣けた。これからQueen聴いてみます。
映画なので史実と違うこと自体はよいのです。しかし…(ネタバレ!)
クイーンが好きで好きで仕方ない。クイーン最高。批評家にボロクソ言われようが、音楽的にもパフォーマンス的にも挑戦し続け、果ては音楽の"女王"となったバンド。
聞くものを引き込んでしまう魔法を持った歌声、派手なオーケストレーション、分厚いコーラス、地味に見えても華やかなベースライン。グラムロックの影響を受けたという華麗な70年代。技を熟成させ、圧倒的な実力を証明した80年代。
素晴らしい曲の数々をありがとう!!!
*もともと好きでない作品はレビューしない質である。
それに映画のおかげでクイーンファンが増えるのは良かった。
しかし本作を「史実」であると捉えてしまった為にフレディetc.が嫌いになったというご意見を耳にした為、慌ててレビューした。(そういう意見があるのも仕方ない。これの理由は後述。)
もちろん自分はクイーンのメンバーの友達でも何でもないのでこのレビューが真実だとは断言しない。
ただ思ったことは書き留めさせてほしい。
数年前にクイーンの映画が作られると聞いた頃は無邪気に喜んだ。クイーンを聴かない人にも良さが伝わるかもしれない、と。ファンとしては嬉しい限り。
別に『ボヘミアン・ラプソディ』を高評価している人達を責めたいとは思わないし、色々な世代の人がイベントとして楽しむ事もあり得る。
しかし、どれだけ盛り上っても誰もが疑問を感じているのではないだろうか。
海外では大手の新聞・経済紙(FTやNewYorktimes,Guardian)や批評家が酷評している映画。実際にNY Timesの記事を読んだが、クイーンファンである記者ががっかりしたそうだ。またRotten Tomatoというサイトでは支持率は60%ほどでギリギリrotten(腐敗)評価を目逃れているということがわかった。ちなみに60%未満からrotten。ずっとアカデミー会員からの評価も低かった。オスカーは獲ったけれど…。(最初から高評価しているなら理解できるが酷評しておいて賞を獲らせるのはどうかと思う。それと反対でアカデミー会員の評価が抜群だった『アリー…』が日の目を見なかったのも不思議)
同じくファンであるbassmanも低評価してしまうが、いくつかの理由がある。
自分の好きな初期の曲が使われなかった、
音楽性の変化による議論についてもっと掘り下げて描いて欲しかった、とかファンゆえの勝手な愚直は重要度が低いので書かない。
1.フレディ・マーキュリーについて。フレディはノーブルな顔立ちで綺麗な瞳、長いまっすぐな脚をしていたが本作では…。ラミが全く努力していない、とは言わない。元の容姿がクリソツの俳優を起用しろ!!!とも言わない。
しかし、しゃべり方も違和感があるし肉体改造も充分ではない。liveaid時代のフレディは筋肉質だった。逆を言うと若フレディはもっと痩せていた。ペルシャ人の血を引くフレディと似た容姿を見つけるのは難しいと思うが、せめて役に体型を近付ける事の出来る俳優にしてほしかった。(松山ケンイチやアーミル・カーンのレベルで!!)
また後述するがフレディの人物像についての疑問点もある。
2.映画中のブライアンは常識的でバンドの喧嘩を止める事が多かったが、現実は反対でブライアンが揉め事の発端になる事も多々あったらしい。
3.ロジャー・フレディの関係にも疑問。映画では2人はよく険悪な雰囲気になっているけれど現実では仲が良かった。親しいと喧嘩もしただろうが、フレディのソロ時代もロジャーがpvに出たりする程仲良しだった。
4.また映画のジョンは影が薄いがイヤミにも見える。しかし本当は優しく謙虚なジョンなのだ。
例えば、another one bites the dustはマイケル・ジャクソンに提供するつもりだったが断られたためジョンはボツにするつもりだった。しかしフレディが歌詞を気に入ってクイーンで演奏する事になったのである。だが映画では遅刻したフレディをジョンが軽く責めた後、「歌えるなら良いけどね」と皮肉まじりに歌詞を渡している…!
ジョンは存命中だが制作に関わっていないのでこの描き方は…と思う。(それでもこの映画を観てジョンは良い人、と思った方もいてまぁ良かった)
5.love of my lifeはメアリーを歌った曲だとは限らない。(しかしlily of the valleyは「当時付き合っていた彼女のことだよ」とフレディ本人が認めている)確かに多くのファンがlove of my life = メアリーへの切ない愛の歌だと思っているし、その説を否定したいとは思わない。しかしフレディは歌詞について多くを語りたがらず、曲を聴く人々に想像させる自由を与えた。意味深な歌詞は色々な意味にとれるからリスナーを惹き付けるのだ。実際にブライアン・メイも歌詞の取り方はリスナー次第だと主張している。
どの人物も正確に描かれていない。フレディの名誉の為に言うと、彼は人をペット扱いするクズでも無いし、わがままでクイーンを解散の危機にさらした訳でもない。ワンマンでは無い。その証拠にクイーンはled zeppelin等と違い、「リーダー」のいないバンドだった。
ボヘミアン・ラプソディの原案はブライアン・メイが考えたし、映画撮影中にもかなり意見が入っている模様。彼のフィルターを通して美化した自己像と、歪められた歴史であると捉える人もいる。
宣伝にも問題があって、まるで史実の様に思わせてしまう。「彼の物語・伝記映画」「真実の物語」のダブル(トリプル?)パンチが映画のフィクション部分を真実だと勘違いさせる一因になっている。「フィクションだから!!」と強調してくれていたら、低評価レビューを書く気にならなかっただろうと推測する。
実は映画を観てフレディは下品でろくでもないと勘違いした人もけっこういるようだ。(あの内容では仕方ないと思う。その人達を責めたりする気にはならない)しかし、本作の問題点を皆さんに知って頂きたかった。
以上が低評価の理由である。(曲の発表の時期のおかしさ等は映画なので許容範囲だと感じた。)
*最後まで読んでくださりありがとうございました。色々書きましたが、悪意からではなくクイーンへの愛からです。
ブライアン・メイに憧れてギターを始め、ジョン・ディーコンを真似てチーズトーストを食べるというクイーン・フリークの書いたレビューですから、アンチではないです。親愛なる皆さんに伝わりますように。
この映画に不満を持ったファンの心の奥は、ヘイトでは無く
"Freddie……I still love you."
なのです、結局。
Queenを生で一度見たかった
Queenのことは一切知らなかった20歳の若造です。
聞いたことある曲もこの曲はQueenの歌だったのかというぐらい無知でした。
2回鑑賞しましたが2回とも自然と涙が溢れてくる映画でした。
とにかくフレディマーキュリーという人間の生き方がとてもかっこよかったです。人々を魅了するハイトーンボイス、スタイル、斬新な曲。彼の全てに虜になり、最近はQueenの曲しか聞いてません。
ウェンブリースタジアムでの最後の《伝説のチャンピオン》歌詞の意味を映画で初めて理解しました。曲を作るにあたって今までの困難、苦しみ、様々なことを乗り越えてきたんだと思うと感情が込み上げてきました。この映画を作ってくれた人に感謝します。人生の中でQueenという存在を知れて良かったです。
仲間という家族の大切さ
正直クイーンの事は聴いたことある程度でしかない。
そんな状態でも共感でき、感動が出来る素晴らしい作品である。
偶然出会う仲間から次第に頭角を現すフレディたち、自身の性癖の葛藤やおごりから離れていくが、それでも最後はフレディと一緒にいる仲間の大切さが数々の名曲を生んだのだろう。
あの大観衆で歌える喜びと仲間たちと共に最高の舞台に立てたことはフレディも最高の幸せだったんだろうと思ってしまった。
クイーン好きはもちろん、知らない人も感動出来る素晴らしい作品であると思います。
映画館ならではの体験ができる
4DXとIMAXで鑑賞。
やはりIMAXの大画面がこの映画には合っていた。
当時を知るとか、過去ライブエイド映像を見たことのある人も、
今回初めてその光景を見る人も、
出だしの旧ウェンブリーに、そしてQUEENに飲まれると思う。
そして、彼の生きざまに心を揺さぶられる。
多分、家で見てもここまで感情移入できないだろう。
大画面で音響が整ったシアターで
ライブを体感するからこその感動。
エピソード的には、
生涯の主要なことをライブエイドまでに詰め込んだ関係で、
気になる人はちょっと気になるかもしれない。
でも、それは些細だ。
フレディーファンだから
3回目観て来ました。
フレディーファンだから、フレディーはこんな人じゃないのに、と、悲しくなります。フレディーがまるで自分の意見を押し通すような、我が儘な人として描かれていますが、フレディーは人の意見を聞く耳を持ち、決して自分の意見を押し通す様な人ではなかったとメンバーも言ってます。
現実はメンバーと喧嘩別れもなかったし、(実際にはメンバーの仲を上手く取り持っていた)メアリーとはずっと親友だったし、と色々沢山沢山違う事だらけなのは仕方ないにしても、フレディーの素晴らしい人格を歪めるのはダメでしょう!?フレディーが可愛そうでなりません。
フレディーはチャーミングで優しくて礼儀正しく、すぐにカンカンに怒ったり人を振り回したりするけど回りの皆に愛されて楽しく生きていました。
映画を観てクイーンのファンが増えるのは嬉しいし、ライブのシーンはよく再現してあり良かったです。ただ、フレディーはもっと素敵な人だったんだよ!と言いたいです。
素晴らしいと感じたその分だけ裏切られた気持ち
最後のライブは圧巻で、心が揺さぶられた。
生のライブではないのにそこに生命を感じるほどに音楽の力が引き立っていた。
凄い映画だ! と楽しんだ。
一方で、嫌な予感があった。
同じスタッフが絡むグレーテストショーマンなど、史実を基にしたハリウッド映画が、裏切りと感じるほどに映画のテーマの根幹となる部分を事実を歪めて映画に色をつけていたことにがっかりした経験が何度もあったからだ。
今回はそうでないと信じて調べたが、結果は「がっかり」の方であった。
最後のライブシーンは素晴らしかった。
でも、その場でメンバーが背負っているものをその前の展開によって知らされていたから、観客の胸は熱くなったのではないだろうか。
もし、「背負っているもの」のほとんどが、実際には当時存在していなかったとしたら…
フレディが自分がエイズと知っていなかったら…
バンドに仲違いなくブランクもなかったら…
家族にゲイであることを受け入れてもらっていなかったら…
全然違って見えたはずだ。
このフィクションは完全に裏切りだと感じた。
エンターテイメント映画としては素晴らしいので、★1つとかにはできない。
でも、史実映画としては口パクライブ以上の嘘であり悲しい。
音楽の力と史実で十分に力強い映画は作れたと思うので、極めて遺憾である。
伝説
往年のスターを映画にして成功した例を見たことがない。記録画像をつないだものは、テレビの特集番組のレベル程度にしかなっていないものがほとんどだった。あの強烈な個性をもつクイーンを、フレディ・マーキュリーを誰かが演じる?リアルタイムを知る者からすれば猿芝居にしか見えないだろう。そう思ってこの映画の存在を知ったときも観る気はさらさらなかった。
しかしこのサイトでランキング1位。そんなことがあるのだろうか?まあ、クイーンのファンでもないので下手に演じられていても気にならないだろうと思い、劇場に向かった。
トレーラーも音楽ものばかりだった。流行なのだろうか。そして21世紀フォックスのロゴがブライアン・メイのギターで現れて映画が始まった。
バンドや名曲誕生のエピソードはファンでなくても当時見聞きしたことから特別目新しいものはなく、詰め込み感があって雑にすら感じられた。
出っ歯を強調しすぎる。滑舌が悪く聞こえる。フレディはそんなことなかった。ブライアン・メイはもっと知的だった。
遅刻するのがメンバーとフレディで入れ替わり、父親とのエピソード、「マイアミ」を最後は本名で呼ぶ。そんな映画演出なんてはっきりいって邪魔だった。
だが、そんなミステイクも、フレディのボーカルが全部吹き飛ばした。
ライブの再現映像が優れていたわけでもない、役者は悪くはなかったが特別よかったわけでもない、まがい物でしかない。しかし、フレディの歌声がそれをステージに変えた。フレディの歌声は20年以上たった今でも朽ちることなく迫ってきた。彼が死んだというのは実感が湧かない。クイーンの曲は時折流れ続けている。消えた存在ではないことをあらためて実感した。こんなにも自分がクイーンの音楽を、フレディの歌声を愛していたことにはじめて気がついた。
彼らは永遠を手にした。それを知らしめた映画だった。
Fredyのボーカルがこだまする
Queen現役世代に生きていながら、当時はしっかり聞いていなかったことを少し後悔した。ボヘミアンラプソディーは、ロックオペラという奇妙な分野、難解な歌詞、くるくる変わる曲調に当時は戸惑ったがみなさんも同じように戸惑っていたことがわかり、何十年来の心の引っ掛かりが溶けた。ライブエイドとか、USA for AFRICAとかが大盛り上がりだったことを思い出した。
ドラムスが歯科大生ということにびっくりした。
ヒゲと短髪はゲイの符号らしいということも初めて知った。
バンドメンバーとの確執、葛藤がうまく表現されていた。特に印象深かったシーンは、フレディがCBSとソロ契約をしたあと、もとのメンバーに戻ってきて頭を下げるところ。
「新メンバーは文句を言わない。ニコニコ笑って喧嘩もなければ衝突もない。従順で言いなりなだけ。俺にはみんなが必要なことがわかった。」というセリフ。いればいれたで、アルバムの収録順やシングルのB面、ギャラやツアーのことで衝突ばかりでうんざりするくせに、やはりメンバーの元に戻って来た姿勢に本当の仲間のあり方を認識した。
ゲイであることを包み隠さず描いていたが、「こうやって同好の士を漁るのか」と思った。が、昔恩師に言われた「彼らを笑ってはいけない。彼らはその体を選ぶことができなかった。望んでその体に生まれて来たのではないのだから、たまたま普通の男性に生まれて来たに過ぎないお前に彼らを笑う資格はない。」という言葉を思い出した。昨今、LGBTという考え方が浸透して来たが、バイセクシャルの人たちのこういう苦悩があってこそだと思う。
最後の20分はライブ会場にいるかのような一体感があった。政治や国や宗教や民族でまとまれなくても、音楽の力で、我々は一つになれることを痛感した。
ゲイとしての苦悩とバンドリーダーとしての苦悩が上手く描かれた秀作。
脚本3点 演出5点 音楽5点 映像4点 総合評価4点 (5点満点)
神格化がなくなって1人の人間と感じた
名曲はフレディー1人の力でなく、メンバーとの感情のぶつかり合いから生まれてる、というシーンが特に良かった。レコーディングに遅刻しまくるフレディーにメンバーが痺れを切らしている時にブライアンメイがウィーアーザチャンピオンの前奏のどんどんパッどんどんパッのリズムを思いついて、遅れてきたフレディーとケンカになるもの、曲のアイデアがどんどん膨らんでいき、ケンカも収まり一体となる、音楽、創作を中心とした家族的繋がり、という彼らの関係性が感じられて良かった。
Love of My Life
クイーンというロックバンドのフロントマン・フレディと、彼の恋人であり妻であり友人であるメアリー・オースティンとの関係を描いた本作『Love of My Life』は、短い尺の小品ながらも切ない余韻を残す佳作でした。
フレディにとって、メアリーは本当に唯一無二な存在なのでしょう。彼がストレートなヘテロセクシャルならば、2人は肉体的・精神的にも同じニーズを持つため、スムーズな関係を維持できたのでは、と感じます。
フレディの難しさは、バイセクシャルと言うかなんと言うか、精神的にはメアリーを求めているけれど、肉体的には求められない苦しさですよね。メアリーに「あなたはゲイよ」と言われるシーンから、メアリーとの肉体関係は不可能だったのだと思います。でも、メアリーは肉体的・精神的に愛し合いたいのですよね。2人はLove of My Life なんて曲ができちゃうぐらい精神的につながっているのに、誰が悪い訳でもないのにこの苦しみは切ない!
より相手を強く求めていたのはフレディで、別離後、互いの家でライトを点け合うシーンは胸に迫りました。乾杯するのはフレディだけで、メアリーはしない。でも、それはメアリーの健康さの表れにも思えて、悲しいけどポジティヴなイメージを受けました。メアリーはフレディとの関係に自分なりにケリをつけて、自分の人生を歩み始めたのだな、と感じさせるシーンでした。
で、フレディも反動的にポールとの関係に溺れますが、あくまでもポールはフレディにとってセフレなんですよね。精神的なつながりはない。でも、ポールにはフレディを精神的にも求めているようなフシも見えました。リムジンの中でポールは自らのセクシャリティの苦しさを吐露します。でも、フレディは受け止めない。これってけっこう残酷な関係だな、と感じました。
本作の問題点は、ジム・ハットンですかね。パーソナリティーも何も描かれてないのに、自然とフレディのステディみたいなポジションに収まっていて、何なんだ?って感じです。こういった雑な演出は映画を台無しにするのでやめてほしいです。もっと描き方があったのでは、と感じました。
プチネタバレですが、ラストにフレディのバンドが大舞台で演奏するのですが、頻繁に舞台袖にいるメアリーをカメラが抜くので、その度に胸が切なくなりました。でも、その脇には謎のジム・ハットンが…ホント、丁寧な演出をお願いします。
世界を魅了した男の光と影
第76回ゴールデングローブ賞最優秀作品賞(ドラマ部門)受賞作。
IMAX(12.1ch)で鑑賞(字幕)。
クイーンの熱狂的なファンと云うわけではありませんが、時折CMなどで曲が流れる度、つい聴き入ってしまう大きな魅力を感じていました。フレディ・マーキュリーのボーカルと、今聴いても斬新でキャッチーなメロディーが渾然一体となって、体の芯から痺れて来るような高鳴りを覚えるのです。
公開前から観たくて観たくて堪らなくて、そう云う時に限ってなかなか予定が空かず、ようやくの鑑賞でした。
もちろんサウンドトラックは購入済み。もうすでに何度も聴きました。それだけで期待と興奮が高まっていく。
フレディの半生に圧倒され、色褪せない名曲たちの素晴らしさに痺れまくりな至福の時間を過ごしました!
今尚世界を魅了し続けるフレディの物語は、既存の価値観を打ち破るだけでは無く、圧倒的且つ鮮烈で、魂の底から湧き上がるような輝きを放っていると思いました。
「ボヘミアン・ラプソディ」などの絶大な人気を誇っている楽曲の数々の誕生秘話が描かれていました。独特のセンスに導かれ、紡がれていく歌詞とメロディー。
個性的なメンバーの才能も融合し、唯一無二の楽曲がつくられていく様はまるで革命のような高揚感に満ちていました。
瞬く間にスターダムを駆け上がっていくクイーン。フレディ自身も運命の人―メアリーとの結婚を経て、全ては順風満帆で前途洋々と進んで行くかに見えました。
しかし、光あるところには影がある。栄光の裏側には、己のルーツへのコンプレックス、セクシャリティーの興味本位の追求、ソロ・デビューを巡るメンバーとの確執がありました。
酒とドラッグと一時の快楽に溺れ、何かに追われるようにアルバム製作を続ける日々。やがて病に蝕まれていく体。…
孤立し、ズタボロになっていく彼の姿は痛々しく、そこにはひとりの人間の苦しみがあり、胸が締めつけられました。
おおよその展開は(痛ましいものの)伝記映画の常だなと思ったのも束の間、クライマックスに訪れた強烈な一撃!
一旦は崩壊しかけたクイーンが復活を懸けて挑む空前の大舞台。かけがえの無い「家族」と共に、秘められた想いを昇華させるかの如くのパフォーマンス。…
「ライヴ・エイド」のシーンはまさに興奮の坩堝。圧巻と感動の21分間でした。声援を許して欲しいくらい。さながら時を超えたライブ・ビューイングでした。
劇場がライブの熱狂に包まれ、一体となっていくように感じました。振付では無く、フレディの動きを完全トレースしたラミ・マレックに心からの称賛を贈りたい!
世界中をひとつにしたその瞬間、彼は圧倒的な伝説になったのだと思いました。光の部分だけで無く、影の部分もあったからこそ、人間的な輪郭が立ち現れる。
世間に迎合せず、自分自身を貫こうとしたその生き様はまさにボヘミアンだし、その生涯はラプソディのように奔放。彼の想いが反映された楽曲は人々の心を揺さぶって止まない。
だからこそ、史上最高のエンターテイナーとして君臨することが出来たのかも。なるべくしてなった伝説。言うまでも無く、その存在は永遠に語り継がれることでしょう!
[追記(2019/02/25)]
アカデミー賞4冠、おめでとうございます。
作品賞はさすがに無理かなぁ、とは思いましたが、ノミネートされていた5つの内4つを手にしてもはや感無量。大好きな映画がこのような栄誉に輝いたことが心の底から嬉しい。
[追記(2019/04/21)]
UHDブルーレイ収録の特典映像「ライブ・エイド完全版」を楽しみにしていました。やはり、圧巻のパフォーマンスでした。21分間に凝縮された熱量はハンパじゃないです。
編集時に2曲分をカットしたのは正解だなと思いました。そのままならテンポの良さが損なわれ、感動が削がれていたかも。本編と切り離して単体で観る分にはぴったりでした。
[以降の鑑賞記録]
2019/04/21:Ultra HD Blu-ray(字幕)
2019/12/07:Ultra HD Blu-ray(字幕)
2021/06/04:金曜ロードショー35周年記念(地上波初放送)
2022/03/27:NHK(字幕)
2023/04/21:金曜ロードショー
※修正(2024/04/01)
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