ボヘミアン・ラプソディのレビュー・感想・評価
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Best of Greatest Hits
3回目鑑賞後の感想。
やはりこの映画はフィクションが入ってようがなかろうが Best of Greatest Hits だ。(言葉変かもしれないけど)
なんだかフレディ自身が、多少都合のいいように美化して作った自伝映画のように感じてきた。
(Fat Bottomed Girlsはだけは納得いかないけど)
自分は35年ファンをやってるけど、Queenというバンドの作る世界はいつもファンタジーとか虚構のようなものじゃないすか。
だったらこの映画も、フレディを題材にした作り物であってもいいじゃないかと思う。
まあブライアン・メイとロジャー・テイラーからの目線が色濃くでている部分があるけど、それはQueenのアルバムを作る感覚と同じだったのかもしれない。
史実と違おうが時系列が違おうがフレディマー・キュリーとは何者か、クイーンとは何か?
わかりやすく、ストレートにエッセンスは凝縮されているではないですか!
作品として凄く良くできていると思う。
結果としてフレディの生き様に心打たれる。クイーンの曲に、詩に感動する!
それでいいのではないかと思う。ファンであれば尚更である。
スターの孤独
正直、クイーンはほとんど聞いてこなかった。ロック好きだと自分で思っていたけど、全然世界を知らなかったんだなと思う。ロックミュージシャンは、得てして変わった人が多く、早死にも珍しくはない。その裏にある本人の葛藤とか、足跡にはあんまり注目したことがなかった。フレディのステージングの再現度はすごい。肉体的にはゲイで、精神的にはバイセクシャルという性的指向もあるのだろうか。色んな方面に興味をかき立ててくれる映画だった。
昔、ブライアンメイのピッキングを真似して、百円玉でアコギのカッティングをしたことがある。弦が削れて、黄金色の粉がたくさん落ちた。高校1年生の頃である。あの時、もっとクイーンにハマっていたら、自分の人生は今とどのくらい違っていただろう?色んな選択肢をくぐり抜けて、今があるような感じで不思議だ。
ヒットしてる意味に納得
正直この映画がヒットしていることを聞いた時、なにがそんなに面白くて話題になっているのか分からなかった。世代的にクイーンについてヒットソングをいくつか知っているだけで詳しいわけでもなく、あまり興味もなく、なんとなく誘われて見に行っただけだったが、映画を見てヒットしていることに納得した。主人公は庶民的な暮らしからバンド仲間を見つけ、その歌声で観客を魅了し続け大スターになっていく。ステージで自分の持っている力を全て出し尽くし、自由にダイナミックに表現している。その自由さから仲間やクライアントとトラブルに陥ったり、変わった性癖から婚約者も離れていき、病気にもかかってしまう。しかし最後は仲間の大切さと身近にいてくれる人のありがたみに気づくこととなる。20分間の実際の音源を使ったライブがある。クイーンについてあまり知らなくても楽しめ、見たあとクイーンの曲を聴きたくなるような映画だった。
Queen再認識
高校の時にベスト盤をよく聴いてて、その後、初期のアルバム(戦慄の王女から華麗なるレースまで)を買ったり、カラオケでたまにDon't Stop Me NowとかBohemian~を歌う程度のQuenn好き。フレディについては、死因とかその周辺情報くらいは知ってる程度。
映画に関してはあまり事前情報を入れずに鑑賞。
観た映画館では座席8割くらい埋まってて年齢層高めな感じ。
内容については、伝記モノなのでこんなものかと。(苦労して成功して、成功に溺れて?堕落した後、復活する、的なよくあるパターン)
LGBTとか出自とかの視点があるので、そこをもっと掘り下げると話としては面白かったかもしれないけど、自分としては曲とかバンド視点の話がもっと観たかった。この映画はフレディの話とバンドの裏話の両方を追いかけた結果、中途半端になってしまった印象。
ライブエイド前のリハで、メンバーに病気の事を伝えるシーンがあって、出来すぎじゃね?と思って後で調べたら、どうやら史実ではないそう。。
音の臨場感がすごいので観るなら映画館で観るが良い。このサウンドクオリティでライブエイド本物版が観たいなあ。あのQueenの曲が大音量で聴ける!という感動は、自分は感じた。
フレディ役が顔・体格含めて全く似てないので、最初気になったけど途中で「まあそれは置いておくか」と決めたので目を瞑れた。ステージアクションは頑張ってる感じ。しかしフレディ役の出っ歯、強調し過ぎじゃね?明石家さんまのモノマネしてる原口を思い出させるて書いてた人がいたけど言いえて妙。
Queenを全く知らない人でも楽しめるか?つうと微妙な感じ。少なくとも知ってるかどうかはともかく、Queenの曲が好きじゃないと。
この映画を観た後、ちゃんとアルバム全部聴こうかなという気になって、まだ持ってないアルバムの内2枚(世界に捧ぐとJazz)を買った。Queen知らないような若い人達にも評判がいいらしいけど、自分と同じようにQueenに(もう一回 or 初めて)ハマる人が少しでも増えればいいなー。
ボヘミアン・ラプソディー
はやく天にあがってしまうアーティストは多い
何万人何十万人の前で歌い踊り喋り人々を熱狂させる
パーフォマーの気持ちを想像したり考えたところで所詮井の中の蛙ぐらいなもんだろう。そんな私が思うのは、人に寄りかかることなく凛とした態度で生きていく。イエスマンじゃなく常に前向きな温かなファミリーがいることそれだけでホントは幸せだと。しかし人は欲よくしくなかなか、その欲には勝てない人が多く小なり大なりなんらか失敗し胸に何かを抱え生きて行くことになる人がほとんどだろう。共有の時間を持つことは言葉や理論だけでは無理なんだろう。対1人の人だけにも剥き出しの感情己の生き様を見せつけぶち当ててイクしかないと
考える私はマーキュリーが愛おしくせつなくキュートでプリティーな人にしか見えない。この作品口コミ感も最高、その話しを聞いて観に行った私も間違いなく人に進めたい作品。まだまだ続き流して欲しい。
フレディ・マーキュリーという人
この映画を見るまで、Queenのフレディ・マーキュリーというと、ゲイでエイズでなくなった人というイメージしかなかった。
Queenファンでなかった私は、あまりにも彼に対して知識がなかった。
この映画を見ることで彼の置かれた境遇や生い立ちを知るきっかけになった。
この映画は彼の青年期から始まるが、70年代のイギリスでの中央アジアの人々に対する差別意識が強く、インド系のフレディもまた「パキ」と呼ばれ蔑まされる。
そして父親の教えに反発する形でバンド活動を始め徐々に人気を得るが、それまで強いたげられていたインドのルーツを嫌い、本名を捨て、フレディ・マーキュリーとして生き始める。
自分のアイデンティティーを音楽の中に求めたのだ。
曲を作るのにも一切の妥協を許さず、仲間に対して何度もリメイクを指示。
でも仲間の提案はけして否定せず、いいと思ったことは取り入れていく。
また、バンド結成前にライブ会場で知り合った女性と結婚するが、ゲイのマネージャーがフレディに接近していった後に、奥さんに俺はバイセクだと告白し別れるが、その辺の流れがいまいち分からなかった。
別の人のレビューでそのゲイのマネージャーとの関わりが深く描かれてれていなかったというのをを読んで、それでフレディー自身がバイセクだと思わせるシーンがなかったのだと納得した。
ただ、最後のライブシーンは圧巻で、二曲ぐらいで終わるかと思ったら、当時の曲目で全てノーカットで再現していたらしく、本当に当時のQueenを見ているかのような、演出は驚きでしかなかった。
余談ですが、元奥さんの70年代のサイケデリックだったり、エキゾチックなファッションがとても素敵でした‼️
やっぱりあの時代のファッションが一番格好いいなと再認識する映画でもありました。
途中の一つひとつの楽曲をノーカットで聴きたかったな
楽曲ばかりの構成になっているのかと予想していましたが、ドラマがありましたね。ですが、楽曲はどこかで聴いたことあるものばかりであるものの、クイーンを知らないもので、あまり入り込むことなく私は映画館を後にしてきました。
特にフレディとメアリーの関係性は私には感情移入しづらくて、そこらへんからモヤモヤしていたかも。もう分かれたのだから目の前に現れなければ良いのに、と思いながら見ていました。(私がそういう体質なだけですが。)
フレディのエネルギーの源泉って、何なのでしょうね。音楽が好きだからか、パキと呼ばれることへの劣等感からか、存在を家族に認めてもらいたかったからか。きっと、音楽だけじゃないのでしょうね。重要なのは「家族」かな。
・音楽が好きな自分を認めてくれなかった「家族」
・パキと呼ばれる出自を、自分が認めたくなかった「家族」
終盤のフレディが実家を訪ねるシーンで、同性愛のパートナーを紹介するとともに、ライブ・エイド(=音楽を使った善き行い)を報告していました。このときが「家族」を認め、「家族」に認められた瞬間だったのかなと思いました。ですから、これ以降のフレディは幸せだったであろう、と私は解釈しています。
感涙
Queen世代ではないのでフレディが居た時のQueenを知らないのだが、曲だけ知ってるような人でも必ず心に響くと思った。
フレディが悪いわけではないのだが、しょうがないのも運命なわけで、あのフレディがいたからこそあれほどまでの曲が生まれたのは事実でそれを体験できて本当に良かった。
日本のサブタイトルのようなもので『彼らを越える彼の物語』とあるが最後のライブエイドを観てその意味を知り、鳥肌が立つのはもちろんのこと涙が自然と出てきました。
We are the championの時の鳥肌は本当にヤバかった。
とても良い、心に残る映画を音楽を体験できて良かった。
破天荒なロックスターの典型的人生だな
退屈はしなかった。フレディは猫好きな、白人でないこととセクショアルティーにコンプレックスを持っているロマンチスト。最初は、自分がゲイである事に気づいてなかったのか。私は、デビューした当時から、ゲイだと思っていたけど。周りの人達は、どう思っていたのだろう。特にメンバーのしっかり者のブライアンや単純明快なロジャー達の心情がもっと知りたかったな。彼らは、フレディより遥かに現実的で、大学も出ているし売れなくなった時期も考えていたんだと思う。バンドは一生は続けられない。皆、それぞれ家庭を持ち、音楽以上に大切な存在に気付くから。彼が髪型を変えた時、何かあったなと思ったけど、成功して天狗になり、それぞれのメンバーが家族の元に戻り、自分を見失い酒とドラックとセックスに溺れ、孤独になる彼の寂しさに泣けた。でも、それに耐えていける人は沢山いるのだよ。もっと強く生きてほしかった。ジャニス、ブリンス、ジミヘン、マイケル(ジャクソンとジョージ)と破滅的な人生をたどったアーチスト達を沢山見て来た。それでも、音楽を作っていく行程は斬新なアィディア満載で楽しかった。あの曲はこういう風に作られたんだなって、彼らのチャレンジ精神には感激しました。フレデイが居なくても、クィーンは続けて往くみたいだけど、それってグレンの居ないイーグルス、ジョンの居ないビートルズだよね。それにしても、グループの崩壊って、やっばりお金の分配なんですね。音楽、ファッション、フィギュアスケート業界って、ゲイが多いのは、感性が必要とされるからなんでしょうか。
演技に感動
フレディーが似てないとか、その他フィクションだ!とか言われているけど、ブライアン・メイの「これは伝記ではない」の言葉が全てではないのか・・・。サングラスを掛けたらソックリだし、ブライアンは段々ブライアンに見えてきたし、ロジャーは本人より綺麗(笑)動きや仕草はさすが!って思えましたよ。ライブエイドをテレビで観てビデオにも録画したが、当時のQUEENの動きを忠実に、そして観客のノリもかなり再現されています。当時、私が一番好きだった曲が劇中で流れず、あれ?何で?と思いましたが・・・泣きました!最後までご覧くださいね!
分かったのはクイーンの凄さ
1年近く前だったか、映画館で予告を観たときには、単純にクイーンの音楽にどっぷりと浸る楽しみを期待した。
ここ1か月の間に、ほぼ社会現象と言っても過言ではないほどの騒ぎになり、その熱狂ぶりに若干の違和感を覚えつつ、クリスマスイブの夜に遅まきながら映画館へと足を運んだ。
観て感じたことは、クイーンは凄い!の一言。
いっぽうで、フレディー・マーキュリーの人物像には若干の違和感を覚えた。
彼はあそこまで尊大な人間だったのかな。もう少し思慮深くて、心が広い人物だったと思うのだけれど。
それにあの入れ歯。あきらかに発音に影響を与えていて、途中で何度も明石家さんまの真似をしている原口あきまさを連想し、興ざめしてしまいそうになった。
圧巻と評判のライブエイドのシーンは、忠実に再現したのだろうけれども、YouTubeで視聴できる本物を観たほうがいい。フレディーの人物造形に対する違和感が、あのステージの再現にも色濃く表れているように思う。
尾崎豊の歌をうたう尾崎豆(分からないかな〜)のようなのだ。
映画としては普通の出来だと思うが、クイーンの音楽はフレディーの性的嗜好とその葛藤だけでは語れない深さがある。
クイーンの音楽は、彼ら四人の関係性と人間性の結晶なのだ。
圧倒的な楽曲と、映画の微妙なチープさが、不思議なギャップを生んで、決してつまらなくはないのだけれど、映画として名作かと言われると、そうでもない感想である。
とにかく、音楽とフレディー本人の人間としての魅力に、虚構の世界がかなわなかった。それに尽きる。
涙、しかし笑わされちゃう
まず、音楽に特別興味がない人はまったく面白くないでしょうし、当然だと思います
冒頭の、Live Aidの舞台に上がるフレディの背中が、なんだかフレディが生き返ったみたいに思えて、すでに泣いていました
私は80年あたりから洋楽を聞いてたので、リアルタイムで活動を知っていましたが、特に好きなわけではなく、「すごいバンド」という程度の認識でした
なので詳しいことは知りませんが、当時の記憶を呼び起こされながら見ていました(さすがに曲は知ってました
時系列がかなり前後しているようですが、これはドキュメンタリー映画ではないので、ストーリーとしてまとめるには妥当な脚色だと思います
フレディの、こうありたい自分と現実の自分のギャップ、強いコンプレックスなどから、どんどん荒れていくのはとても心が痛みましたし、Live Aidで再び結束し、歴史に残るパフォーマンスができたのは涙なしでは見ていられませんでした
が、本当にみんな似ていて、特にブライアンとジョン(髪短くなってから特に)がぎょっとするほど本人すぎて、涙を流しつつどうしても笑ってしまいました
後で調べたら、ジム・ハットンなど、周りの人もかなり似てますね
心が痛み、感動し、涙が流れるのですが、同時に笑いもあるという、長い上演時間がまったく気にならない素晴らしい作品だと思います
最高すぎる映画‼️
「ボヘミアン.ラプソディ」を見た感想はすごいと言える。まさにどの映画にもない最高傑作だと思う。特に最後のライブ.エイドのシーンはすごい。 「ボヘミアンラプソディ」から名曲ずらりは最高だった。こんなライブ行きている時に見たいと思った。もう一回見たいと思える。そういう作品だった。大雑把に言うと、平成最後の映画にふさわしい。解散寸前のバンドがたった一つのチャリティコンサートで復活するなんてありえないと思う。私の中でQUEENは生き続けている‼️
鑑賞記録
※長いですよ。
11月12日にIMAXで、11月24日に応援上映で鑑賞。
○物語自体は超がつくほどに王道。
無名時代→ブレイク→個人的問題からのグループ断裂→一世一代の大ステージでの大成功
誰もがどこかで観たことのあるようなストーリーなのに、気がついたら体を揺らしちゃうほど音楽にのめり込み、肩を揺らしてしまうほどに泣いている。なんだ、ただの傑作か。
○クイーンリアルタイム世代ではない自分にとっては、一部の筋金入りのファンが騒ぐ「史実と違う問題」については割とどうでもいい話で。だってそれって「『おんな城主直虎』は史実にないことを語っている!」って叫んでいるのと同じことで。大河ドラマも、本作も、史実を元にしたフィクションだから。フィクションにとって歴史の忠実な再現ってそれほど大事なことでは無いと思います。忠臣蔵だって、吉良上野介が浅野内匠頭にどんな意地悪をしたとか、本当はわからないわけなんだから。クライマックスに向けて、いかに観衆のテンションを上げていけるか。物語において大事なことはそれなのではないかと。
その点においてこの作品は本当にすごい。動画で幾度となく観たあのライブが、あのセットリストが、これってフレディの人生そのものじゃん!と思わせるような話運び。一言で言い尽くすことなど不可能な人生の葛藤を抱えたフレディは、雲の上の天才などではなく、人の一生を懸命に生きる一人の人間そのものなのだと思わせてくれます。だからこそ「we are the champion,my friend.」という歌詞が、スッと心に入ってくるのだと思います。宇多丸さんがラジオで「フレディ自身の人生の肯定」と言っていましたが、これは様々な人生を歩む僕たち人間一人一人の歩んできた人生を、いいことばかりじゃない人生を優しく、力強く肯定してくれてるのだと思います。だからこそ、胸に迫るものがあるのだと思います。ちなみに僕は号泣でした。クリード以来の号泣です(何
・IMAXで鑑賞した時、体を揺らさずにはいられなかった「レディオ・ガ・ガ」。こりゃ応援上映に行かねばなるまいと思い立ち、いざ鑑賞。全ての楽曲で歌詞の字幕が入り、どうぞ歌ってくださいという仕様だったのですが、この仕様って実は作品の狙っているものとは違うのではないかなと。
作品中、queenは幾多の名曲を生み出していきます。その都度歌詞字幕が入るのですけど、物語はクライマックスのライブエイドに向けて進んでいくストーリーテリングになっているため、要所要所で入る名曲たちは皆で合唱するべき「歌」というよりも、queenというバンドが歩んできた道の中の「一つの出来事」だと思うのです。それに対して「歌ってくれ」だの「足をふみ鳴らしてくれ」だのと言われても、個人的には乗り切れませんでした。あ、ライブエイドは別ですよ。何度も言いますけど、物語の頂点はここです。僕たちの感情はこの一点に向けてクレッシェンドさせられてるわけで、頂点を迎えたこの瞬間こそ大いに歌うべき時だと思うのです。だから、「応援上映」じゃなくて「ライブエイドの観客になろう上映」にした方がめちゃくちゃ盛り上がると思うんですよね。盛り上がるというか、自然な感情の流れになるというか。
兎にも角にも今なお大ヒットをとばしている本作、見ない手はないと思います。アリーに覇権を握られる前に、是非鑑賞してください!
【事実を装った嘘。】〜映画『ボヘミアン・ラプソディ』論考〜
この映画には致命的な欠点が二つある。
一つはフレディ・マーキュリーの実像との乖離である。例えば1986年のウェンブリースタジアムでのライブフィルムをご覧頂きたい。全身キレッキレでハードゲイ全開。フレディ・マーキュリーという人がいかに<エモーショナル>で<アナーキー>で<変態>かがわかるだろう。この映画の主演のラミ・マレックは決して下手な俳優ではないが、やはりフレディには届かない。
また、これは演出の問題だが、あれだけハードなライブパフォーマンスを行うフレディが、ステージ上で汗ひとつかいていないのはまったくもって合点がいかない。この映画の監督は、あのクライムサスペンスの傑作『ユージュアル・サスペクツ』を撮ったB・シンガーだが、今回は上手の手から水が漏れただろうか?
そしてもう一つは物語そのものである。「エイズ感染を告げられたフレディが病を押してライブエイドのステージに立つ」という点がこの映画の最も重要なプロットなのだが、実はこれが大嘘なのだ。
“20世紀最大のチャリティコンサート” であるライブエイドが行われたのは1985年7月13日である。そしてフレディがHIVのポジティブである事を宣告されたのは、実はその約2年後の1987年の4月の事なのである。まったくのフィクションならともかく、この映画は実在したフレディ・マーキュリーという人間の「伝記映画」なのだ。多少の脚色や誇張なら許容出来ても、この事実を「前後させる」ことは許されないだろう。
「事実を下敷きにしたフィクション」であれば映画に虚実混交は当たり前だが「事実を装った嘘」はいけない。「事実」の改ざんやねつ造によりその映画は作品として「贋物」になるからだ。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』を絶賛している人たちはこの事実を知っても尚、はたして手放しでこの映画を褒め称えるのだろうか?
制作過程 ライブの再現と音質は良き
We will rock youのライブ中の映像とかBohemian rhapsodyの制作過程 まあそれだけじゃないけど基本的に音楽がすごい心臓に響いた
ストーリーはなんか評価高い割にって感じ、
ファンでも世代でもないからかな、
めちゃめちゃ自己中だったけど心入れ替えて仲直りしたってゆうどこにでもありそうな展開
美しきROCKによるEmotional Vortex
評判につられて観てきました。
とても良かったし、とても泣けた。
鑑賞中は、ずっと気分が高揚しっぱなし。
特に後半は、もう涙腺緩みっぱなし。
しかし、胸に去来するそれら感情の渦は、映画としての作品のチカラというよりは、フレディ・マーキュリーその人の生き様とQueenの楽曲のチカラによるところ大と感じざるを得ませんでした。
では、それらを差し引くと、作品としては何が残るのか?
フレディを中心としたQueenの変遷をある程度丁寧になぞってはいるものの、掘り下げ方が弱く中途半端。
各人物像についても同様だし、詞や曲がいかにして生まれたかについても、やはり弱い。
作品世界に引き込むチカラがあり、歴史的な場面に自分も立ち会っているような気にはさせてくれる。
が、それはただその場に居るというだけで、フレディたちと何かを“共有”している感覚は乏しい。
結果として、前述の素材のチカラを差し引くと、残るのはフレディの抑えきれない性癖について──。
鑑賞直後はこちらも興奮して余韻に浸れるが、少し時間をおいて冷静になると、「この映画って結局のところ──」と首を傾げたくなってしまう。
これが料理なら、「素材の良さを活かしました」なんて言われるところなんでしょうけど、料理人なら料理の腕で勝負してほしい。
映画なら映像作品として勝負してほしい。
本作は、素材の強さを活かしきれず負けてしまった作品──そんな言葉がふと浮かびました。
とはいえ、Queenの美しくも激しいRockの名曲の数々に陶酔できるこの体験は、唯一無二といえるでしょう。
次は胸アツ応援上映で観たいと思います。
俺が何者になるかは俺が決める
観ました!観ました!
やっと観れました!
話題のボヘミアンラプソディーーー
20世紀フォックスの最初のファンファーレから良かった
あれでまず痺れたーー
クイーンの…というよりもフレディの伝記映画だったんだね
ちょっと勘違いしていたかも
クイーンてフレディが亡くなって活動停止していた間も何回かブームというか流行った時期があると思うんだけど私くらいの女性なら
キムタクのドラマの主題歌で知ってる人も多いんじゃないかなー?
私はその時にベスト・アルバム買いましたー
面白い音が多くて色々な要素の入った曲を作る人達だなというイメージがあって
純粋にロックという感じではなかった印象
これ観たら納得!!
オペラ×ロックはすごいよねー
しかもボヘミアンラプソディのコーラスも全部自分達だったとは
ドンドンパッ!ドンドンパッ!
We will rock youの手拍子と足踏みもお客さんと一体になれるから…なんて素敵だ!
個人的に気になったのは
ドラムにコイン置いてたのはなんの曲なんだろう?
こんなレコーディングなら楽しいだろうなぁ♪♪
映画観て気づいた事が多くて、フレディってそんなに歯出てたのか…とか笑
短髪のヒゲ姿は、結構後期になってからの姿なのね…とか
セクシュアリティの部分が結構支配しててゲイというのは分かっていたけど、そんなに掘り下げて調べる事でもないし軽くしか知らなかったのでこういう人だったんだって知れて良かった
やっぱりボーカリストってすごくデリケートな人が多い
バンドの中で唯一楽器を持たない人
声という楽器は持っているけど
ちょっと自分はみんなと違うんだ…と思ってしまうところがあるのかもしれない
それは驕りという意味でも疎外感という意味でも
どっちの意味も含まれる
だから3人とマイアミの事務所で再会して話す場面ではものすごく嬉しくなった
ポール?とかいう変なおっさんから解放されて(ごめんなさい)
自分の居場所に戻るここのシーンが私の泣き所でしたね
ソロ活動のサポートメンバー達は「言うこと聞く」し「反対意見を言わない」し「喧嘩もしない」
そんなのつまんないもんね(^-^)
クイーンのメンバーはフレディにとって
1番の家族だったのね
メアリーも形は違えど側にいてくれたんだね
自分が間違った時、滞っている時
指し示してくれる人がいるから戻るべき場所に戻れる
そういう人がいて良かったね、と思う
たった1人しかいない中で孤独は感じづらいけど、大勢いる中で感じる孤独ほど辛いものはないから…
本来、スターというものはそういうものを抱えて生きる宿命なのかもしれない
だからこそ、あれだけの影響力があって自分の人生から伝えられるものがあるのかもしれないし
「俺が何者になるかは俺が決める」
この言葉も彼がいうとすごく深いから好き
終わってすぐメモしたもん!
あまり家柄の事が出てなかったけれど本当はもっともっと苦悩があったのだと思う
名前も勝手に変えちゃったくらいだし
そこからのライブエイドが爆発的に良かった!!
本物のライブエイド観たらまんまでビックリしちゃった!!
本当にあれだけの盛り上がりがあったのがすごい!!
少しは脚色してるのかと思ってたから…
観客の動きまで似せてて驚いた
( Д ) ⊙ ⊙
応援上映で観たかったーーまた観れるかなーー?
最後にひとつ、マレーネディートリッヒの写真が飾ってあった
フレディはマレーネディートリッヒが好きだったのかな?
クラシック映画が好きなのでとても気になった!!
「ボヘミアンラプソディ」のジャケットはあのマレーネを真似たのかな?
放浪者(ボヘミアン)の帰る家
伝説的ロックバンド・クイーンのボーカル、
フレディ・マーキュリーの半生を描いた映画が登場。
基本洋楽ばっかり聴いている僕も彼らの曲は大好きだが
(まあ洋楽ファンに限らずクイーンのファンって多いと思うが)、
リリース作を残らず買い漁ったり、バンドの歴史や音楽性の
変遷を紐解いたりという域までには達していないので、
熱心なファンの方と比べれば僕はヒヨッコ……いえミジンコ……
いえゾウリムシ体内のミトコンドリアです……(←どうした)。
ミトコンドリアあらため自分にはこのドラマがどこまで事実に近いか、
どこまで伝説のバンドの実像を再現できていたのか分からなかったので
鑑賞後に色々と本作の製作経緯や史実との差異を調べてみたのだが、
どうも史実との差異に関しては結構な改変が入れられている様子。なかには
ドラマに大きく関わる改変もあるので、それを知った時は「ううむ」と思ったが……
本作の制作にはクイーンの元メンバー、ブライアン・メイやロジャー・テイラーも
参加しているし、2人はパフォーマンスの再現度について評価しているようなので、
この映画は史実の再現よりもクイーンというバンドとフレディ・マーキュリー
という人物の精神性を再現しようとしたものと捉えてこの先は書くことにする。
伝記映画は常に「どこまで事実に近いか?」が頭をもたげるんで厄介やね。
...
前置きが長くなって申し訳ない。
製作経緯や史実改変が思考に無いクリーンな頭で鑑賞した時点で、
本作を観てストレートに感じたことは何か?を書くと……
40年近い時を経てもなおスーパークールな“クイーン”のパフォーマンスを
高再現度&高熱量で観られるのは、シンプルにメチャクチャ気持ち良い!
次々登場する名曲の数々には自然と指と足でリズムを刻みそうになったし、
『ボヘミアン・ラプソディ』『ウィ・ウィル・ロック・ユー』創作のワクワク感も忘れ難い。
メンバー間でいっつもガミガミ言い合ってるのに、良い音楽のアイデアが
浮かんだ途端に興奮して「いいじゃん最高だ」と褒め合う姿が微笑ましいし、
『良い音楽を創る』という熱い心で結ばれた絆がかっこいい。
そして、7万人の大観衆を前に繰り広げられるクライマックス20分間は圧巻!
まるで当時のステージに登壇し、“事件”を目の当たりにしている感覚になった。
いやあ、これこそ映画館の大スクリーンに身を投じるべき映像さね。
はぐれもの達への礼讃、そして自分を支えてくれた人々と音楽への愛、
観客“に向けて”ではなく、観客“と共に”音楽を刻むという信条。
それまでに語られたフレディの半生と、クイーンのバンドとしての
矜持(≒プライド)が、あのクライマックスには凝縮されていた。
物語の主軸となるフレディ・マーキュリーの半生も現代に通じるテーマで見応えあり。
現代もLGBTに十分理解ある時代とはたぶん言えないのだろうが、
物語の舞台がエイズ流行の兆しが見え始めた'70年代であればなおのこと。
劇中のフレディも、妻メアリに面と向かって言われるまで
自身がゲイであることを自分でも認めていない様子だった。
まず自分が世間が言う所の“普通”と異なるというのは怖いことだし、
父と反目はしていても、どこかで父に認められる為の男らしさを求めていた
のかもしれないし、メアリに申し訳なく思う気持ちもあったのかもしれない。
理由は様々だろうが、彼は自分の本当の心が理解できずに長年苦しんでいた。
(自分の幸せをかなぐり捨ててでもフレディをあるがままにしてあげたい
と望んだメアリは本当に良き理解者でありパートナーだったんだと思う。
……後々に婚約相手をニコニコ紹介するのはちょっとアカンと思うケド)
天才肌のアーティストである一方、人間的な欠点も非常に目立つ。
自分のパフォーマンスへの絶対的な自信は殆ど傲慢とも言えるものだし、
あまりに奔放過ぎてクイーンのメンバーと衝突したり身を崩していく
様子もいただけない(あれでも史実よりソフトな表現らしいが)。
だがそれらを乗り越えての謝罪、そして“ライヴ・エイド”は熱い。
メンバーに掛けてきた迷惑も、ブライアン・メイの「話し合う
からちょっと廊下立っとれ」で帳消しになった気がする(笑)。
...
しかしまあ不満点もあります。
クライマックスはメチャクチャ興奮したが、
一方で不満点もこのクライマックス。
パフォーマンスで盛り上がっている途中でチャリティ活動の様子や
袂を分かったプロデューサーの様子などが挟み込まれるのだが――
映像を挟み込むのは構わないが、そこで音楽までトーンダウンさせるのはやめてほしかった。
挿入される人々の映像はセリフ無しでも内容が伝わるようなものだったのだし、
クライマックスのあの怒涛の興奮に水を差すような演出はしないでほしかった。
また、フレディのアイデンティティに関わる描写を重視したドラマである故か、
数々の名曲の制作経緯や劇中使用についてはわりと淡白な扱いにも感じられた。
バンドメンバー間の絆への理解をより深めることは終盤に利いてくる
と思うので、そこももう少し描写してくれると有り難かったかなあ。
クイーンがメジャーバンドになるまでの流れも結構なトントン拍子で
描かれるので、フレディという人間を描いたパートに比べてどうにも淡白で薄味。
それにやはり……冒頭で“史実より精神性の再現”と書きはしたものの、
聞いてしまった以上は史実との大きな差異は気になる部分。
今回は鑑賞直後に考えていた評価からそこで-0.5判定を下げている。
...
けどね、人によっては史実との差異はもっと判定下げるべきと考える所
なのかも知れないが、僕はこの映画、自分が何者かをずっと探し続けた
人間のドラマとしてはちゃんと完成していたと思うんですよ。
劇中ではたしか『自由人』と訳されていた『ボヘミアン』という言葉だが、
これはもともと流浪の民を意味する言葉で、それが転じて『慣習や体制に
依らない自由奔放な者』というニュアンスの言葉として活用されている。
“自由奔放”というのはまさしく本作で語られるフレディのスタイルだが、
一方ではそのフレディを“流浪する人”と表現しているとも取れる。
父の理想に縛られたくない、世間と同じになりたくない、ゲイではあるが
そういったセクシュアリティ以上の繋がりを心の中ではずっと求めている。
本当の自分は何者なのか、そしてその自分を受け入れてくれる人はいないのか。
答えをずっと探し求め、一度は家族も仲間も捨ててあてもなく彷徨い続けた男。
それでも最期の時に彼は帰ってきた。
「善き行い」を信じる、血の繋がった家族のもとへ。
そして、本当は最初の最初からありのままの自分を
受け入れてくれていた、心の繋がった家族のもとへ。
どれだけ偉大なアーティストと称賛されても、孤独は身に堪える。
帰るべき家がある、迎えてくれる人がいてくれるというのは、
当たり前に思えて本当はとんでもなく幸福なことなんだと思う。
<2018.11.17鑑賞>
後半からずっと号泣してた。 フレディの孤独はどんなに賞賛されてもつ...
後半からずっと号泣してた。
フレディの孤独はどんなに賞賛されてもつきまとう、みんな他に家族とか大事な人がいて自分が一番でない孤独、信頼していても妻を愛しきれない孤独、物作りをする上での孤独…
途中、家族や子供を作ることでしかこの果てしない身に覚えのある孤独は払拭することができないの?と思えたけど、ちゃんとあった、バンドや元妻やステージに立ったフレディの曲を共に歌う何万もの観客。
果てしない孤独を背負う分だけ、それ以上彼はやっぱり愛されてた。
それは何にも替えがたいもので、たくさん間違えたけど音楽には誠実だったこと、そしてやっぱりどんなにボロボロでもそれを微塵も感じさせない圧倒的ヒーロー感。
彼は間違いなくあの場にいるみんなの希望になった。
ライブシーンはそれがずっと伝わってきて涙がとまらなかった。
"俺が何者かは俺が決める"って感じのセリフがとてもぐっときた。
何かを創る上で常に新しくいること、妥協しないこと、命を尽くすこと、そして誰しも抱く痛みや孤独を感じ、寄り添い、しっかり希望を描くことの大切さを教わった。
言葉にすると全部軽くなってしまう、見終わった後何度もこみ上げるものを抑えられなくて困るくらい、とにかく圧巻で、とてつもなく良いものを観た。
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