劇場公開日 2018年11月9日

「3Dで(Depressing Dull Doubtful)いろいろと呆れる」ボヘミアン・ラプソディ B.O.Y.Eさんの映画レビュー(感想・評価)

0.53Dで(Depressing Dull Doubtful)いろいろと呆れる

2019年4月16日
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悲しい

寝られる

僕が映画を観ているときの感想。
「ブライアンかっけー!
正義感溢れるナイスガイじゃん。
それにしても自分勝手な主人公だなー」
僕はもともとクイーンのファンではなく他のバントのファンだ。強いて言えばギタリストに興味があった。
しかしフレディがまるで仲間を裏切るかの如くソロを始める辺りで違和感を感じだした。
「うーん、そういえば映画作ってるのって存命中のクイーンのメンバーだよね?」
だんだん僕はシラケてきた。作中のフレディは正直カッコ悪いし、(少年漫画の主人公のような好感の持てるカッコ悪さではない。)作中のブライアンは絵にかいたように人格者に見えたのだ。
もう一度言うが僕はクイーンのファンではない。違うバンドが好きだ。(でも少し、クイーンについての知識はある)だからクイーンやフレディ・マーキュリーへの贔屓目なしでこの映画を見た。それでも「なんだこれ???ほんとにフレディ・マーキュリー???」と思ったし、クイーンの存在とフレディの内面をつまらない感動のために作り上げようとしている感じがしてモヤモヤする。
そもそもフィクションだったら「伝記映画」って言うのは不適切だ。主人公の名前を変えた方が良かったのでは?
娯楽だから時系列を変えるの自体はどーでもいいが「真実の物語」ではなくなるし、結果的に大衆向けのストーリーのために妥協したことになってないか?
「6分は長すぎる」
「奥さんとは6分で終わるの?」
大衆向けを狙わない、革新的な賭けに出たボヘミアン・ラプソディー(曲)なのに、ボヘミアン・ラプソディー(映画)は陳腐で安全なつまらない選択をした。。。

しかし僕がこの映画で最も気にくわないのは世間の騒ぎだ。
映画が公開してからこの映画に対する賛美を観察してきた。
・公開当時:「クイーンファンも絶賛!ラミ・マレックがフレディ・マーキュリーを完コピ!!」「フレディが憑依した。そこにラミはいなかった。」「胸アツ!真実の伝記映画」
・その後:「ファンは納得出来ない様だがクイーンを知らなかった層が称賛」「創作映画だから真実なんて求めてはいけない」「ラミはそっくりではないが"らしく"見える」
・ゴールデングローブ賞を獲ったとき:「ラミはオリジナリティー溢れる演技をしたのが良かった!」「ラミはフレディの真似をしなかったのが良かった」
これは全部、称賛している人たちの意見です。いや、なんでそんなに変わるの?最後らへんのコメントなんか似てないって言ってるようなもんだ。
アカデミー賞にも呆れる。
ラミ君がグリーンブックのヴィゴ・やバイスのクリスチャン・ベイルの肉体改造に圧勝してると言える人はいるかい?
音響編集賞とかもらってるらしいが、なんかフレディの歌声で加点されてないか?
僕はアカデミー賞にはもともと不信感があったがそれは確かなものとなった。
年寄りの男ばかりで封建的で賄賂で票を左右する集団とか言われるのも仕方ないよなって。

「皆が誉めてるから俺もこの映画誉めとこう」
「TVで騒がれてるからスゴイ作品に決まってる」
それは観客として映画を馬鹿にしていることにもなる。どれだけ賛美しても自分の感想じゃないじゃん。「なんとなく」賛美するのは、この作品、ボヘミアン・ラプソディーに対しても失礼だと思う。
もちろん周りに合わせているわけじゃなくてこの映画が心から好きな人も少数いるんだろう。それは別に良い。僕と意見がちがうだけだ。
しかし周りに迎合してこの作品を称賛するのはよくない。
本当に好きなわけでもないのに"ボヘミアン熱"にやられちまった人は今から冷静になろう。
Don't wanna be a bohemian idiot!

B.O.Y.E