「フレディ・マーキュリーの鬼子、フランクン・フルター」ボヘミアン・ラプソディ マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
フレディ・マーキュリーの鬼子、フランクン・フルター
クイーンというバンドを知ったのは高校生の頃で、「すごく長くて途中でオペラになる変な曲がある」と洋楽好きのクラスメイトが貸してくれたのが、「ボヘミアン・ラプソディ」が収録された『オペラ座の夜』だった。ゴリゴリの洋楽ロック・ヘヴィメタルに熱中していて、ガンズ・アンド・ローゼズやメタリカを聴いていたところに、いきなり何か異質で突飛なロックを放り込まれて、あまり好きにはなれなかったと記憶している。
しかし、本作を観て、初めてクイーンの曲を聴いた頃をまざまざと思い出した。クイーンと様々な出会い方をしたたくさんのファンも、本作で何がしか過去の記憶を喚起されたのではないだろうか。
フレディ・マーキュリーの人生、そしてロック・ミュージカルとしての本作が特に想起させるのは、ジム・シャーマン監督『ロッキー・ホラー・ショー』だ。あえて言えば、フレディの生涯の一部分を切り取って、キャラ化してスキャンダラスなコメディに仕立てれば、それは『ロッキー―』になる。
本作『ボヘミアン―』が、バイセクシャルとして生き、エイズの合併症で亡くなったフレディを「美しく」描ききったとすれば、そうした光の部分から排除された残余が押し流されて、エキセントリックな怪作『ロッキー―』が誕生した、と思える。フランクン・フルターは「闇のフレディ」なのだ。