劇場公開日 2018年11月9日

「クイーンが時代を超える理由」ボヘミアン・ラプソディ moviebuffさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0クイーンが時代を超える理由

2018年12月12日
PCから投稿

泣ける

ラスト20分のコンサート前ぐらいから号泣・・で、それは他の方も書いてるので、あえて違う話を。

それは、クイーンというバンドは、ついこの前まで「自分が大好きと言いにくいバンド」の代表格だったという話だ。こう言うとクイーンをディスる文章だと思われる方もいらっしゃるかと思うが,そうではない。

ロックという音楽は、第二次世界大戦が終わり、ベビーブームが起き、経済の成長とともに50年代、60年代からイギリス、アメリカでユースカルチャーの一つとして生まれる。そして学生運動やベトナム戦争に対する反戦運動等とともにカウンターカルチャーを代表する表現として、ロックは進化していく。

ロックはその歴史の始まりゆえに、反抗の音楽、反権力の音楽なのである。

ある意味、ロックとは、誰にでも始められて、コンセプトやアイデア次第で天下が取れる音楽であり、クラッシック等の伝統的音楽における「技術至上主義」「教養主義」に対するアンチのような存在なのだ。(そういう意味ではロックというのは「チンピラの立ち話で上等」の日本のお笑い芸人の世界に似ているとこもある。。。)

だが、もちろん、ロックも時間がたつとともに、プログレッシブロック、ポストパンク、ポストロック等、教養的になり、技術的にも成熟してしまう。

その度に、それをリセットするかのごとく、ストーンズ、セックスピストルズ、ニルヴァーナ等、それを破壊する衝動的な表現が生まれてくるのだ。

だから、youtube等で、ロックバンドを見て、「なんでこんな歌が下手な奴が音楽やってるんだ」などと言う突っ込みをしている人は、ロックのそもそもがわかっていないのである。

それはさておき、クイーンに話を戻すと、彼らが実はロック史の中で「王道」のバンドでない事はすぐにわかると思う。フレディは圧倒的歌唱力だし、バンドメンバーはみんな高学歴、クラッシックの教養を感じさせるハーモニーにメロディー、ボヘミアンラプソディーの複雑な構成。明らかに「反権力」とクイーンというバンドは関係がないのである。ていうかバンド名がそもそも権力を象徴する「女王」だし。。

よって、ロックファンにとって、クイーンとは「好きなんだけど、正面切って好きと言いにくいバンド」としていつの時代も心の中にいたはずなのだ。

だが、ロックが誕生し、そのビックバンから50年以上たった今、ロックが「反権力的」「革新的」表現であったことは忘れ去られつつある。ロックはかつてジャズがその道を通ったように、最早ただの音楽ジャンルの一つであり、ライフスタイルではない。今後革命的な新しい表現がそこから登場することは困難になりつつある。(ま、他のジャンルもだけどね。)

そうなってくると、実は俄然クイーンの存在が輝きを増してくる。なぜなら、彼らはロック史とは関係なく、ただ普遍的に素晴らしい音楽性を持っていたバンドなのだから。。例えば、フレディ・マーキュリーという人が、ロックの時代に生まれずに、違う時代に歌手としてデビューしたとしても、彼がその圧倒的な歌唱力によって変わらず評価されていただろうことは想像に難くない。

そんなクイーンの持つ普遍性が、今回この映画の物語によって更に補完されることになった。それは彼らの(あるいはフレディの)メッセ―ジ性がものすごく一貫したものだったという事がこの映画によって浮かび上がるからだ。

フレディ・マーキュリーの人生が、性的マイノリティーというカテゴリーを超えて、これほどの共感を持って人々の心を揺さぶる物語になるとは。。それはもちろん彼のコンプレックス、そして孤独に対する共感からくる感動だ。

誰もが何かにおいてはコンプレックスを持ち、孤独を感じている。自分がマジョリティに属していると思っている人も結局はマイノリティーの側面を持っている。ソーシャルメディアの時代において、そういった感情はなお一層普遍的なテーマだと感じる人も多いのではないだろうか。

だからこそ、映画のラスト20分、クイーンの音楽があらゆる人々への応援歌として、誰の心にも響き渡り、感動へと繋がるのだ。

moviebuff
moviebuffさんのコメント
2018年12月12日

わざわざコメントいただき、ありがとうございます!そんなお褒めの言葉を頂いたことがないので、とても嬉しいです。生涯ベスト拝見させていただきました。私もブレードランナーと、2001年のファンです!

moviebuff
森のエテコウさんのコメント
2018年12月12日

読みごたえのある納得のレビュー。他の映画のレビューも読ませて頂きます。

森のエテコウ