「朝目が覚めて、もっと寝ようと決断して一日中寝てしまえば選択は一回こっきり・・・」フォルトゥナの瞳 kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
朝目が覚めて、もっと寝ようと決断して一日中寝てしまえば選択は一回こっきり・・・
20年前の事故の生存者くらい知ってるはず。そこまでトラウマとなり、記憶をなくしたという説明でもあれば納得できるのに、助けられなかった少女が桐生葵だと気づかないのにも無理がある。しかも、「助けられたんだよ」などと言われても、慎太郎が誤った記憶をずっと持ち続けているのも謎だ。生存者のニュースがなかったのか?
自分がまもなく死ぬかどうかはわからず、他のフォルトゥナの瞳を持った人に見てもらわなきゃわからないという設定はgood。また、他人の運命を変えて生きることになったら、自分の心臓が弱り、いつかは心臓発作で死んでしまうという設定もありがちだけど良かった。問題は慎太郎が死んだ後に、葵も同じ能力を持っていたと告白するシークエンスが邪魔でしょうがない。なんとなく『いま、会いにゆきます』の驚きの展開を思い出すのですが、いま会いを超える衝撃度がないのが残念です。
慎太郎は自分の命を削ってまでして、なぜ人の命を救おうとするのか?結局は葵のためだけに行動したのだろうけど、自己犠牲精神たっぷりすぎてついていけない。葵も同じ能力のために慎太郎がメールの通りに家に迎えにくると、彼女を助けようと運命を変える努力をしているのだと理解して、今度は私の番だとばかり慎太郎を助けようとした(多分)。一緒に幸せにはなれない運命だというのが悲恋なわけだが、何も予定通りの7時半の電車に乗ったからといって慎太郎が助かる保証はない。そもそも慎太郎は電車が事故を起こすことを推理してはいるけど、葵にとっては慎太郎がどこで死ぬのかわかるはずがないのだ。ただ沖縄行きを止めさえすれば・・・
そこまで考えると、命を軽んじた論理ゲームといったイメージだけが残り、泣ける話でもなくなってくるのです。北村有起哉演ずる医者はその点では真っ当な考えであり、自分の命を削らずに患者の命を救うことができるのですから。終盤の電車を止めようとする大掛かりなクライマックスに騙されがちですが、もう少し愛し合う者同士がお互いに助け合おうとする、ひねりのある複雑な展開でも良かった気がします。
人間は1日に9000回の選択をする(35000回という説も)という伏線はなかなか良かったし、葵と慎太郎がとった行動がそれぞれ個性的な選択肢だったと思えば憤慨するストーリーでもない。二人とも助かる方法は他にもあるのに、いつもの電車に乗ってしまったのが思慮深くなかっただけですよね。
百田さん、私 最初によんだのがBOXっていうやつで(映画化済みですね)、荒削りな文章だけど勢いある若者 だろう って思ってたらいいおっさんで驚いたんですよね。その後永遠のゼロですっかりアンチに。たくさんの特攻物読んであれ読むと、薄っすらとした違和感が漂うんですよ。
共感ありがとうございます。っていうか上げたばっかりで 早っってなってびっくりしますた‼️
言いたい事ありすぎて、まだなんか言いたいくらいの突っ込み映画だったですーー。
ほんと、思慮深くなかっただけですわね。