「先走り過ぎだよ?ちょ、ちょっと待って!」フォルトゥナの瞳 bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
先走り過ぎだよ?ちょ、ちょっと待って!
どうしても、そっち(恋愛ファンタジー)へ持って行きたいんだ。三木孝浩監督らしく、百田原作の主題は残しつつ、泣ける話にはなっているので、見ても後悔は無いけれど。
ただし、原作主題が恋愛色でべた塗りされて希薄になってる具合には、少し苦言も言いたくなります。気になるところは二点。以下、原作・映画のダブルネタバレ大会です。
一つ目。主題に関わります。
原作の葵の行動。フォルトゥナの瞳を持っていた葵は慎一郎に、他人の命を救うよりも自分と一緒に生きて欲しいと願いますが、積極的な言動で慎一郎を止めようとはしません。二人の関係が深まって行けば、慎一郎は考えを変えてくれるのではないかと言う期待を持っていたのでしょうが、二人が結ばれた夜、葵を抱く慎一郎の姿が完全に透き通ってしまったことに絶望します。
映画では、自分が運命を受け入れて慎一郎を救おうとします。つまりは自発的に行動を起こします。
主題の元になるのは、フォルトゥナの瞳を持つ三人の行動と考え方の相違です。自己犠牲を厭わない慎一郎。自らの命だけは差し出せないと考えた(原作では、結果的に彼は死ぬ)黒川。自己への危害を避け積極的な言動をしなかった葵。対照的な葵と慎一郎が恋愛関係を結ぶ事で生まれる、運命を変える事への問題提起。
「他人の運命を変える事が出来る。ただし自分の命(財産)と引き換えだ」。フォルトゥナの瞳のような特殊な能力がなくても、私たちの日々の生活の中には、そんな要素が山ほど隠されている。「あなた達は、そこでどのような選択をしますか?していますか?それを考えたことはありますか?」と言う問いかけが原作の主題。私たちの大部分の人間の代表が「葵」だと思う。救いの無いラストに、読者は葵を責められるのか。擁護のしようがあるのか。そこが主題を考えるための発火点となる、哀しく深い、百田尚樹らしい作品です。
慎一郎と葵が、共に互いを思い行動した事で対比が消失し、恋愛色が濃ゆくなってしまっているのは残念です。
二つ目は慎一郎の手紙。
原作は、こうです。慎一郎が死んだ日の午後、速達で葵に届けられたクリスマスカードには「ずっと言えなかった言葉を言うね」と書かれています。「あの夜、慎一郎さんは愛してるって言ったのよ。そんな大事なことを覚えていないなんて」と葵はいぶかしがりますが、すぐに慎一郎の真意を悟り、同時に自分がしてしまったことの意味を悟り、涙を流します。
クリスマスカードが書かれたのは、慎一郎と葵が結ばれる夜の前。投函されたのは後です。カードの言葉は、あたかも時間を巻き戻したかの様に書かれています。あの夜の事など無かったかの様に。慎一郎の真意は「あの夜の事は忘れ、無かったことにして、幸せになってくれ」です。葵の涙には二つの意味があります。一つは慎一郎の優しさへの涙。もう一つは「慎一郎は私と結ばれることで思い残す事が無くなり、死の覚悟を決めたのだ」という自責の念からの涙。
基本、救いの無いラスト。
映画では、「ずっと言えなかった言葉を言うね」は同じですが、葵の反応は、「(愛してるの言葉も無しに私を抱いたの?) 先走り過ぎだよ」と来る。葵の笑顔が最後の救いになります。
このオチは原作通りにして欲しかった。切に。原作ファンとしては、これだけは、やるせないかなぁ。
いずれにしても、三木孝浩らしい映画でした。
原作と映画では、かなり違うようですね。
bloodtrail さんのレビューで原作読んでみようかなと思いました。
いろんなレビュー見て思いましたが、かなりの映画好きですね。
好き嫌いなくジャンルとらわれず観てますね。
レビュー参考になります。