「これって、"逆デスノート"なのね」フォルトゥナの瞳 Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
これって、"逆デスノート"なのね
まずもって神木隆之介の"ラブストーリー"ということ自体が新鮮。
多くの作品で主演を務めながら、なんとなくいつも"奥手"なイメージの役柄ばかり。相手役は有村架純。今回もやっぱり奥手の青年ではあるのだが、「3月のライオン」(2017)で義理の姉弟、"零(神木隆之介)と香子(有村架純)"のビミョーな関係だった2人が、結ばれる設定に勝手に喜んだりして・・・。
しかも監督は、恋愛映画のスペシャリスト、三木孝浩監督(「ソラニン」、「僕等がいた」、「ぼくは明日:昨日のきみとデートする」等)で、泣けるドラマの手腕を見せてくれるはず。
幼い頃の事故以降、人の死の運命が見えてしまう"フォルトゥナの瞳"を持ってしまった青年・慎一郎(神木)が、愛する恋人・葵(有村)の"死の運命"に立ち向かう姿を描く。
原作は、百田尚樹の同名小説。原作では主人公の幼い頃の経験が"単なる火災"だったが、映画は御巣鷹山の日航機墜落事故(1985年)を想像させる出来事に置き換えられている。また舞台も、横浜から神戸周辺に変更され、これはクライマックスで巻き込まれる出来事を、"JR福知山線脱線事故"(2005年)に結びつけるような設定だ。
"同じ主人公がそんなに死傷事故ばかりに遭遇しない"という虚構を正当化するための設定変更だと思うが、観客の世代によっては、嫌な記憶を呼び起こすだけで、こんなリアリティはいらない。原作のままでも観客には十分、想像力はある。
"フォルトゥナの瞳"を持つ主人公の慎一郎は、死期に直面した人間が透けて見えてしまう。そしてその運命を変えるような関わりを持つと、自身の寿命が縮まる。
助けた相手との命が入れ替わるという設定は、古典落語の「死神」である。また慎一郎が心臓発作を起こす様子は、これって、"逆デスノート"なのね。
「デスノート」(2006)で、正義と愛の履き違えをした夜神月との違いは、肉親や恋人の命までも奪ってしまうのに対して、愛する者の生命を守ることで、自己犠牲を厭わない、"無償の愛"。
「デスノート」の正反対で伏線を構築すると、こんなストーリーができてしまう。ところがオチが読めそうで読めない。意外な新事実にア然とする。これもアリか(デスノートもそうだったし)。
時任三郎、斉藤由貴、志尊淳など共演者もしっかり演技を支える。DAIGOが、"DAIGO臭さ"を出していないのも新鮮。こんな演技もできるんだ。普段がキャラ作りなのか。
(2019/2/15/TOHOシネマズ日比谷/シネスコ)