読まれなかった小説 : 映画評論・批評
2019年11月26日更新
2019年11月29日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
ロシアの小説を読み切るのにも似た心地よい疲れに包まれて味わう、繊細な醍醐味
「父が隠しているものは息子の中で明かされる」ということわざがあります。弱さ、習慣、癖など、人は父親から特定の特性をどうしても受け継いでしまうのです。これは、自分の父親と同じ運命を辿ることを受け入れる青年の物語です――監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランのそんな言葉は、カンヌで大賞に輝いた前作「雪の轍」から4年を経て差し出された新作の嚙み応えを静かに深く射抜いて、今まさに青年であるような観客は無論のこと、かつて青年だったすべての観客にもどきりと痛い胸騒ぎを突きつけずにはいないだろう。
どんなに抗ってみても結局は親と同じになっていくのかと、若さの真っ只中に在る時にはいかにも受け入れ難い苦い真理。悟りや達観というよりは諦めの境地といいたいようなそこに辿りつくまでに要する歳月の重みを請け負って、映画は189分を泰然と歩みぬく。そう簡単に踏破できない人生で求められる辛抱や覚悟を指し示すように、迷いなく悠然の歩調を貫きとおす。
ロシアの小説を読み切るのにも似た心地よい疲れに包まれて味わうこの長大な映画の繊細な醍醐味。あるいは途方もなく延々と途切れない会話に会話を重ねる映画の文学的な時空が同時に、鮮やかな省略で時間を差配する様。夢の視界と現実の交差を自在に操ってみせるスリル。そこに立ち上がってくるのはまぎれもない映画的磁力に他ならない。
面白いのは映画が教職につきながら競馬に狂って家族を困窮させる父のだめさを描き込むのと同じ位の熱心さで作家をめざし、小説を上梓しようと野心満々の息子の鼻持ちならなさをも活写してみせることだ。帰郷した息子は会う人ごとに議論をふっかけ強引な持論を押しつけまくる。書店で居合わせた売れっ子作家を尊大な態度と物言いで鼻白ませる一景は、一部始終を見守り続ける息の長さで圧倒し、けれども通りへと解き放たれて展開されるその後の顛末で周到に不快極まる青年の裡に渦巻く現実への不安、自信のなさ、焦りと怒りと悲しさを見届ける。監督の眼差しの奥行が思われる。
そんなふうに人の弱さを慈しむ心を備えた映画が用意する終章は、だからこそみごとに胸に迫る。原題でもある「野生の梨の木」、いびつだけれど食べると案外、うまいと父がいうその木の愛おしさに気づいている息子。いびつを受け入れる彼が噛みしめているのは諦めを超えた殆んど誇らしさにも似た何かだ。いびつな人が裡に秘めたうまみを知り得るまでに要る時の重みを体現して映画はその長さの美を思い知らせてくれる。
(川口敦子)