読まれなかった小説

劇場公開日:

読まれなかった小説

解説

「雪の轍」で第67回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したトルコの巨匠ヌリ・ビルゲ・ジェイランが、1冊の本をめぐって繰り広げられる父と息子の軋轢と邂逅を、膨大なセリフと美しい映像で描いたヒューマンドラマ。知人の父子の物語に魅了されたジェイラン監督が、自身の人生も反映させながら完成させた。作家志望の青年シナンは、大学を卒業してトロイ遺跡近くの故郷へ戻り、処女小説を出版しようとするが誰からも相手にされない。シナンの父イドリスは引退間際の教師で、競馬好きなイドリスとシナンは関係が上手くいかずにいた。父と同じ教師になって平凡な人生を送ることに疑問を抱きながらも、教員試験を受けるシナン。父子の気持ちは交わらぬように見えたが、誰も読まなかったシナンの小説が2人の心を繋いでいく。2018年・第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。

2018年製作/189分/G/トルコ・フランス・ドイツ・ブルガリア・マケドニア・ボスニア・スウェーデン・カタール合作
原題または英題:Ahlat Agaci
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2019年11月29日

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(C)2018 Zeyno Film, Memento Films Production, RFF International, 2006 Production, Detail Film,Sisters and Brother Mitevski, FilmiVast, Chimney, NBC Film

映画レビュー

4.0時間をかけて丹念に醸成されていく空気、時間、会話、そして父と子の関係性

2019年11月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

名匠ヌリ・ビルゲ・ジェイランが紡ぐ映画は、他では真似できない空気感と時の流れに満ちている。長尺の作品だからといって我々観客は変に力む必要はない。むしろ力を抜き、リラックスしてカメラが映し撮る雄大な自然や町のざわめき、人々の営みに少しずつ心をフォーカスしていけば良い。序盤は登場人物のセリフの量に驚かされるかもしれないが、それも慣れてくると心地よさへ変わる。耳を傾けていると彼らが話す内容は普遍的で、とても興味深いことばかりなのだ。

世界の果て、というイメージがある。しかしこの父と息子の物語は、遠い遠いところに住む我々日本人にとっても、極めて身近で、かつ普遍的なものだった。とてつもなく驚かされるエンディングが待ってるわけではないが、ある程度は予想できて、何よりも待ち望まれていたささやかな結末に向けて、この映画はゆっくりと旅を続ける。映画が終わった後、年老いた父と久々にじっくり話がしたくなった。

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牛津厚信

4.0議論!問答!議論!問答!

2024年7月9日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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つとみ

4.0個性を認めて生きていくしかないのだ

2021年9月16日
iPhoneアプリから投稿

悲しい

怖い

知的

トルコは親日だといわれているが。それはこっちの勝手な思い上がりで、世界を席巻したオスマントルコからアメリカを敵に回してクルド人を虐待し、ヨーロッパに圧力を掛けるエルドアン独裁政権は只者ではないし、相手をおもんばかり、あるいはむっつりと喋らない日本と違って、思ったことを口にせずにはおれないトルコ気質みたいなものが3時間存分に展開されて大変興味深い作品である。

印象に残ったのは、息子に好意を持ちながら、母親にこき使われ、古い田舎の重労働から抜け出せない鬱屈した美しい村娘の行末だ。教師で井戸掘りのダメ親父ぶりをとくとご覧あれ。

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ezu

5.0息子を持つすべての父親に献げる

2021年3月16日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

奇跡も、成功も、そして大穴もない。それが人生。

「野生の梨の木」、
シナンが書いた初めての小説だ。

トルコの世界遺産の街で、青年は観光ガイドでも伝説の英雄譚でもなくちょっと風変わりな本を書いた。
なんの変哲もない市井の人々の、庶民の暮らしをだ。

長い映画だが、ついつい引き込まれてしまって、実は借りたDVDで3回も繰り返して観てしまったほどだ。

「読まれなかった小説」、これは仲々良い邦題ではないだろうか。
この本、母親も妹も中途で読むことをやめた。また置いてもらった街の書店でもただの一冊も売れなかった。

無理もない。
自分の生まれ育った街の、親戚や知り合いの会話をわざわざ活字で読んでも、それは彼女たち、そしてこの街の住民たちにとっては興味をもって取り上げるべきものでもなく、ドラマ性からは最も遠い、=つまり、ありふれた退屈な日常だからだ。
(息子が書いた本よりも、テレビのメロドラマに夢中になるのがこの街なのであり、シナンの家族だったのだ)。

しかし、鑑賞後に解る。シナンは庶民こそ、そしてわが家族こそ物語の主人公であり“英雄”だと思っている。
はすに構えて、鬱屈したこの青年は、自己を取り巻く全ての存在への、否定と肯定をしたためたのだ。

映画を観ていると、彼の本の「目次」が浮かんで見えてくるようだった。
恋人、友人、宗教家、街の名士、祖父母たち、出会うひと、出会うひと・・それぞれの単元で目次と台詞が刻まれていったのだろう。

言うなれば
この映画こそがこの小説「野生の梨の木」の映像化だったのだと思う。

兵役から帰ったシナンは、顔つきが違う。
夢を追い、夢に追いつけない我が父に、初めて同性として、挫折を知る者として心が触れた再会だ。

父の隠れ家で、寒風に吹かれて座る二人のシーンがクライマックス。
父親が本の内容について思いもかけない肯定的な感想を語ってくれるあそこだ。
―「私のことを書いた箇所もあったな」
―「ひどい書かれようだがしかたない」
―「若者は老人を批判するものだ、そうやって前進する」。

父の声に
シナンの表情が安堵にほどける。

若気の至りを、遠く想い出して、こそばゆく感じた鑑賞者は僕だけではないだろう。
息子に否定されている苦しい日々の父親たちも、かつての自身と父親との軋轢の日を振り返ったはずだ。

井戸掘りは挫折し、水は出なかった。しかし息子は思いもしなかった水脈を掘り当てたようだ。

・・・・・・・・・・・

間に合うか
まだ間に合うか
井戸を掘る

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きりん