「「ラザロは望まない」の反対…」幸福なラザロ maruさんの映画レビュー(感想・評価)
「ラザロは望まない」の反対…
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「人間は望むもの」であるならば、望むものは人間であり、望まないものは聖人or神様なのだろうか。
欲にまみれた人間は悪魔で、無欲な人間は聖人なのか。
「ラザロ」が神様や聖人に見えてしまうのは、「人間だから」なのか。
オリーブの木?や、来るもの拒まずの教会の人間が拒んだり、キリスト教のシンボル的な子羊を食らう狼の存在、そんな狼が食した「子羊(死んだラザロ)」は、これまでのどの血肉とも違った。
ラザロになった狼は、町へ出て、ラザロの思考と記憶を沿ったままに行動する。その果てに、人間から責め苦を受け、ラザロの肉体を捨てて、狼となり山へ帰る。
キリスト教のいうところの人間(子羊)の怖さを知った狼は、山へ帰る。…というような解釈をしてしまえば、宗教の怖さや意味深さや皮肉さが感じられる。
タイトルがなぜ「幸福なラザロ」なのか。
欲を持たないがゆえに、不幸にならないから、幸福としているのか。
病気をしないなら「健康」なのか。求めなければ「幸せ」なのか。「幸福な…」が指すものは何なんだろう。
「人間」としての価値観で見てしまうから、ラザロが幸福には見えないのだろう。
深いな~。良い映画。
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