存在のない子供たちのレビュー・感想・評価
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真実は映画の中に
素晴らしい。そして、恐ろしい。
主人公ゼインの素朴な瞳がだんだんうつむきがちに、虚ろになって行くのがとても切ない。子供が苦しむだけで反則なのに、これでもかというくらい厳しい事態が続く。
貧困や虐待というと「万引き家族」が思い出されるが、子供に手を差し伸べる"家族"がいたが、こちらは助けてくれる大人がいない。
親から逃げ、路頭に迷う12歳の少年ゼインに、唯一手を差し伸べたのは、不法就労のシングルマザー、ラヒル。家に招き、赤ん坊のヨナスをゼインに預けて働きに出る。しかし、やがてラヒルも窮地に立たされて、なんとかしようと奔走する。
ある日、ラヒルは家に帰らず、ゼインはヨナスを抱いてラヒルを探しに街に出る。赤ん坊のヨナスを抱えたゼインが、トボトボと道を歩く。このシーンだけでグッとくる。誰も助けの来ない中、幼い二人が街を彷徨う。ラヒルは見つからず、ゼインは自分でヨナスのためにミルクや食料を手に入れ、なんとか糊口をしのぐが、やがてそれも…。
暴力や絶望が前面に出ることはなく、ゼインの目線で淡々と日常が描かれる。ドキュメンタリーのようだが、きちんと整理された物語が展開され、映像も綺麗に切り取られて映画としての主張が、全編に溢れている。これが逆に、圧倒的なリアリティとして迫ってくる。ニュースやドキュメンタリー番組で、こうした実情を知るが、ドラマとして整理されることで、実態がストレートに伝わってくる。子供に労働させる親、子を売る親、非合法な商売を手伝わせる親。ゼインの目線は、ただただ冷静に真実を見つめる。
ただ、IDが無いだけで、親は仕事に就けず、貧困のしわ寄せが、子供達を直撃する。法律上はその親の子供も存在せず、こうした社会の仕組みが、貧困の連鎖に追い打ちをかける。そして、ゼインは素直に親の不実の罪を訴える。
伝わる真実は、映画の中にしか無いのかもしれない。
育てられないのに産んだことの罪
レバノンの女性監督ナディーン・ラバギーによるリアルすぎるフィクション映画。
ドキュメンタリーと思えるほど自然体で、リアルすぎるほど現実を映し出している。
監督の意図することが、鑑賞する者に100%伝わり、驚きと悲しみ、憎しみ、貧困の恐ろしさを目の当たりに見る。
ゼインは演技なのか?12歳とは思えぬバイタリティー、心にグサグサ刺さる数々の場面。
子供は奴隷なのか?そんなことさせていいのか?学校に行くのは当たり前、3食、食べるのは当たり前、お風呂に入るのは当たり前ではない子供がいる。IDが無いから、本当にこの世に存在していない、人身売買されてもわからないし、行方不明でもわからない、死んでもわからない。
考えさせられる、衝撃的な作品。
こういう世界があることを頭では知っていても、現実の悲惨さを私たちは...
こういう世界があることを頭では知っていても、現実の悲惨さを私たちは感じてはいない。
錆びついた刃物か何かを、ギュリギュリと胸に突き刺されるような映画だった。
ラストの主人公の表情が、せめてもの救いになっている。
心にナイフが刺さっているみたいだ
生まれた子供には無限の可能性があるというのは都市伝説でしかない。例えば同じ程度の頭の出来の子供がふたりいて、一方は東京の裕福な家庭に生まれ、一方は地方の貧しい家に生まれたとすれば、東大に入学できる確率が高いのは圧倒的に東京の裕福な家庭の子供である。よほど優秀でない限り、地方の貧しい家の子供が東大に合格することはない。生まれたときから格差ははじまっているのだ。
しかし本作品の主人公であるゼーンとその兄弟姉妹たちにとっては、日本国内の格差など無きに等しいと言えるだろう。ベイルートのスラムの貧困は殆どその日暮らしだ。戸籍のない親が戸籍のない子供を生む。名前はつけるが誕生日は覚えていない。出生届も出さない。歩けるようになった子供はみんな働き手だ。しかも非合法、不衛生な仕事のそれである。盗み万引は日常茶飯事だ。仕方がない。まっとうな仕事にありつくには共同体の身分証明書がいる。共同体に認知されていない子供は共同体にとっていないも同然である。責任の所在が不明だから仕事にもありつけない。格差どころか、生きるか死ぬかの問題なのだ。
本作品にはいくつかのテーマがある。ひとつは貧富の格差の問題であり、ひとつは貧しい人々ほど子沢山になってしまう人口爆発の問題であり、そしてもうひとつは身分証明とはなにかという問題である。これらは密接に結びついており、ひとりの子供を主人公にすればそのすべてを訴えることが出来る。
例えば日本の銀座の中央通りには日本人の子供はあまり歩いていない。海外の旅行者の子供ばかりである。しかし貧しい国の貧民窟(スラム)は子供で溢れかえっている。日本でも戦前から戦後にかけてはやたらに子供をたくさん作った時代があった。しかし社会が成熟すると少子化になる。その前にベビーブームがあれば、必然的に少子高齢化社会となる。日本は世界でもその最先端を行く。
だから本作品の子どもたちの実情は実感としては伝わってこない部分がある。貧しくて育てられないなら子供を生まなければいいと思うのは、すでに下り坂に入った社会の人間の感想である。スラムの人々は子供をたくさん生めば将来子供に助けられるかもしれないと思うのかもしれない。または直接的に働き手としての子供を生産するという目論見かもしれない。先進国は少子化、高齢化が進み、後進国は人口爆発が起きている。やがて先進国の富が移動するのは時間の問題だろう。孤独な老人がひっそりと苦しみ、ひっそりと死んでいく。先進国の未来はおそらくそうなる。日本の未来は必ずそうなる。
共同体が個人の存在を認めるというのはどういうことか。認めてもらわずとも自由に生きるんだと考えても、共同体が作った社会の仕組みは、どの場面でも身分証明を要求してくる。共同体が認知してない人間が生んだ子供は、当然認知されようがなく、生まれたこと自体が不幸そのものだ。かくして人間は不幸製造機となってしまう。生まれた子供に無限の可能性などなく、大人になるまで生きられるかさえ怪しい。
主人公ゼーンは栄養不足で育ち、見た目は8歳か9歳くらいに見える。しかし口の中を見たら乳歯がないから12歳くらいだろうと、年齢まで当てずっぽうで決められる。ゼーンはそんな社会をまったく信じていない。だから世の中を恨みこそすれ、楽しむことなど出来やしない。それは両親もまったく同じである。スラムの人間にとってこの世は地獄なのだ。
最初から最後まで苦しい思いで観た作品である。ゼーンは心にナイフが刺さっているみたいだと母に告げるが、知らずしらずのうちに観ているこちらも胸が痛くなる。決して他人事ではない。
日本は政権の失敗で年々貧しくなっている。働けなくなった将来には、ゼーンと同じように路上に放り出されないとも限らない。身分証を発行する政治権力はそのとき、自己責任という言葉ですべての問題をなかったことにするだろう。格差は連綿と続き、貧しい人間は不幸製造マシンとして子供をたくさん生む。年老いて貧しい人間は痛みと苦しさに耐えながら片隅に暮し、そのうち黙って死んでいく。
この世でもっともピュアな怒り
STORY
レバノンを舞台に、隣国との内戦による影響による治安や経済状況、貧困などのあおりを食らう一家。
子供はたくさんいるが誕生日も分からず、出生届もないため戸籍上存在していない。
当然学校にもいったことはなく、主人公ゼインは推定12歳にして家族のために一日中身を粉にして働く。
そして平然と行われる人身売買。
11歳の妹を大家へ嫁に出されることに反発して家をでることになるゼイン。
家を失ったゼインは、乳幼児を連れた不法移民のラヒルと出会い、シッターとして赤ん坊のヨナスの面倒をみることに。
兄弟同然の仲となるゼインとヨナスだが、今度はラヒルが拿捕されてしまい、子供二人きりで生きていなければならないことに。
・・・
作中、ゼインを取り巻く現実は常に残酷で強力。
・親は子供を労働力としてしか見ていない
・IDがないため正規の労働やほか諸々ができない
・お金はない
・闇市では常に弱者を食い物にするような人間であふれている
この状況下でゼインは兄弟を守るために戦い、赤ん坊のヨナスを守るために戦う。
正義を生きていくゼイン。
聞けばキャスティングのほとんどは現地スカウトらしいのだが、中でもゼイン役のゼインくんの演技は図抜けて素晴らしく、生き抜くという人間の本質的な力強さと、理不尽な世の中への悲哀を見事なまでに表現したと思う。
両親を自分を産んだ罪で訴えるというゼイン
この世の地獄ともいうべき状況が生み出したギャップへの皮肉たっぷりな強烈なアンサーは、素晴らしいインパクトだしものすごく悲しい
すべての大人に突きつけられる現実
劇中、さり気なく語られていたけれど、私が一番記憶に残ったのは少年のこの言葉でした。
「親から受けた一番の優しさ、それは『クソガキ!ここから出て行け‼️』と言われたこと」
くどくどと説明することなく、この親子の関係の本質とこの少年の客観的で冷徹な視線(それはすなわち、この監督が意図したであろう、我々鑑賞者に求める視線でもあると思う)が鋭く伝わってきました。感情を揺さぶられた、で終わることなく、何故今このような現実、存在しない子どもたち、が存在するのか。それを情緒的に受け止めるのではなく、冷徹な現実理解から始めて欲しい、ということだと思います。
現実的な想定として、この映画で描かれているほどの環境に置かれた貧困層の方々は倫理観や道徳という概念を含めて、教育機会が限られており、子どもの将来に想いを馳せるなどという余裕も発想もないのが大半だと思います。親の責任、という概念自体、人類史の中でも比較的新しく獲得したものであり、近代の教育の成果だと思います。
そもそも有料で映画を観て、良心や思い遣りや慈しみなどの観点から何がしかの感情の揺らぎを覚える、という機会はかの親たちには訪れないのではないでしょうか。
ということは、この映画が本当に断罪しているのは少年の親たちではなく、この状況を他人事として看過している、或いは認識はあるのに何もできないでいる大人たち。このような映画を観ることのできる側に幸いにも位置できている、私を含めた大人たちなのだと思います。
150万人のシリア難民や数十万人のパレスチナ難民を抱えるレバノンと日本では環境が全く違うように錯覚してしまいますが、被虐待の状況にある女性や子どもたちへのケアが足らないということでは、大した違いはなさそうです。先日の野田市の事件は記憶に新しいし、『万引き家族』が描いた状況も各種報道から推測する限り、殆ど現実に近いようです。
別のレビューでも同じようなことを書いた記憶があるのですが、偉そうなことを言っても自分が今できることは限られています。もし児童虐待やDVが疑われる状況に遭遇したら、見て見ぬ振りだけは絶対にしない!と思っています。
内容も劇映画としての質も凄すぎる
ドキュメンタリー的な要素がたくさんあったけど、ドキュメンタリーを遥かに超える力を持った劇映画だった。
この苛烈な内容が、例えすべてが架空だったとしても、核心を突いているように思わせるだけの演出力が凄まじい。演じているはずの人々の仕草一つ一つが─、台本から放たれているであろう台詞の一つ一つが─、すべて真実味を持っているような気がしてしまい、本当に悲しみの涙が流れてしまう。この作品をつくりあげたすべてのエネルギー、その志が胸に突き刺さる。
確かにある程度社会情勢を知っていなければ難しい作品かもしれないけれど、この作品から広がる視野や知識は計り知れない気がする。迷ったらとにかく見ておいた方がいい作品。
凄すぎる…
全ての大人たちへ
#存在のない子供たち
出生証明書も戸籍もなく、名前だけ与えられ自分の年齢すら分からない、
「子供は金になる!」と学校へもいかせてもらえず朝から晩まで労働させられ年頃になると売られてしまう。
強制労働·人身売買·違法薬物·不法滞在·etc
タイトルも内容も重たいけど、フィクションでも近未来でも日本で有り得ない話ではなく身近にあるかもしれない。
#育てられないなら産むな
#育てられないなら産ませないであげてください
今、同時進行してる世界
子供がひとりで生きていかなければならない現実、妹を必死で守る優しい兄で、世の中を知ってる聡明な男の子だ、栄養が悪いのか、最初は5~6才の子供にみえた。親は貧困で住む場所もないのに、子供だけは増やす、だけど、自分たちもそうして大人になったのだろう。それさえも神のせいにする。
出生の記録さえない、存在していない子供たちが世界中に今現在存在し、日々生きている、その事を知っていなければならない。私に出来ることはそれだけだ。
最後に一度だけ、笑うようにと言われ微笑む。
そう、彼は一度も笑っていなかったのだ。
初潮を迎えた妹をロリコン糞野郎に売られる前に逃がすため、必要なもの...
初潮を迎えた妹をロリコン糞野郎に売られる前に逃がすため、必要なものを準備する中でナプキンを用意できる男性がこの世に何人いるんだろ?
自分の食べるものもない状態で「必要なものは?」と聞かれて真っ先に、粉ミルクとオムツと言える優しさ。
自分の為に泣くんじゃなく、守れなかった人達(妹や赤ちゃん)を思って泣ける男らしさ。
こんな格好いい12歳初めてみた。
その反面、スパイダーマンもどきのゴギブリマンに興味を引かれたり
遊園地の女性マネキンの服を脱がしておっぱいだしたり、子供らしい所だってあるのに、早く大人にならないといけない姿に涙が止まらなかった。
ドスンと重い傑作…
ドスンと重く目を背けたくなるが、目を離せない傑作。
限りなくドキュメンタリー的な手法で撮られたスラムは、それでもなおどこまでも美しい。そうした手法に反して、シナリオは極限まで練られており、決定的な転換も直接描くことよりちょっとした台詞で観客に示される。
主要な登場人物は役に似たような境遇の人たちから選ばれたとのことで、レバノン映画ながらシリア難民が多いが昨今の中東の情勢を映している。
だが映画は中東情勢を描きたいのではない。この世界は出来損ないだが、出来損ないだからこそ排除しあったり憎み合ったりするのでなく愛し合うべきだと教えてくれる。
主人公の少年の演技が信じられないくらい凄いし、ラストシーンが素晴らしすぎる。
火の玉ストレートの問題提起 & 演技がエグい!
久々に2/3埋まってる武蔵野館で鑑賞
子供が生まれるって素晴らしい!赤ちゃんかわいい!
だけじゃ無いよねっていう深い社会の真理を子供目線からえぐる超社会派ムービー
貧困てなんなんだ、なんでなんだ不幸の連鎖ってなんなんだ!ががっつり描かれる
ドキュメンタリーだと見てられない悲惨な救いがない感じかもしれないけどそこはあくまで映画 笑えるところ泣けるところもストーリーにのってちゃんとあってまとまってる
何より子供たち、赤ちゃんの演技がすごすぎる!これ見るだけでも価値があります!是非!
生きる姿勢
レバノンに暮らしていた戸籍を持っていない推定12歳の少年が両親を「僕を産んだ罪」で訴える話。
裁判所で訴えを述べるところから始まり、数ヶ月前にさかのぼってそうなるに至った経緯をみせていく。
両親と6~7人の弟妹と暮らし、雑貨屋の手伝いやジュースの販売や親の怪しい仕事の手伝い等働き者の主人公が、両親が行う口減らしに不満を持ち反発するストーリー。
全ては無戸籍だから…確かにそこに起因するのかも知れないが、主人公の両親、主人公、主人公の面倒をみた移民の清掃員、とそれぞれ意識や行動は異なる訳で、主人公の両親の様に開き直って甘んじられたら同情する気にはなれないなあ…。
そういう意味では身につまされるものはあっても無戸籍問題と直接関係ない気がするところもある。
そうなった理由こそ違えど日本人だって1万人からの無国籍者がいると言われている訳だし。
終始慌ただしく憤り気味に動きまわる主人公の最後の笑顔は堪らないものがあった。
レバノン版「誰も知らない」
①観終わって
世界にはこんな現実もあるんだよ、と監督から言われているかのよう。これを娯楽として「良かった」とか「面白かった」とは言いづらい…。複雑な気持ちになりました。
②役者たちについて
弁護士役の人以外みんな素人で、しかも役の生活とほとんど変わらない人たちらしい。ゼインに至っては本当の難民との事。赤ちゃんも含めて本当に良く撮影したと思います。
③願わくば
この作品に限らず、製作者側が現実を世界に知って欲しいという意図の作品の時、作品を観て実際何か助けになりたいと感じた人の受け皿となる仕掛けまで製作者側が提供して欲しい!
分かりやすい所でいくと水インフラ整備のための寄付。
(純粋に映画として観たいだけの人にも配慮しつつ目立たない仕方で)
視聴者参加型の映画が増えていますし、QR決済などで参加もしやすくなっていますしどうなんでしょう?
根本的な解決にはならないかも知れませんが、お金で解決できる所は解決していけてもいいのではないでしょうか?
浅はかな考えでしょうか?
「万引き家族」に似てるという意見もあるが、子供だけの過酷な営みや世間から存在しないとされている点から、「誰も知らない」に近いかも知れません。
(ただ日本より衛生的にさらに厳しい現実!)
日本でも同様に
フィクションと分かっていても、そんなこと! と思いたくなることが、地球上にあることを実感させられた。
形が少し違っても日本でも、家族間での愛情表しかたが違うんだろうなあ、そして同じような虐待ケースは、見えない壁の内側で行われている恐ろしい現実は、日本でも酷い。
映画の中の2つの親子関係、家族の対比は、国を変えても同様に問題として考える上で、とても説得力ありました。
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