「悔い改めなければ滅びる」存在のない子供たち つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
悔い改めなければ滅びる
12歳(推定)の主人公ゼインが法廷で両親を自分を生んだ罪で訴えるという衝撃的な場面から物語は始まる。
ゼイン本人は誰かを刺した罪で少年刑務所に収監されているという。彼に一体何があったのか?
ゼインは知恵があり機転がきき、悪事も含めて勤勉、そして優しさもある。状況や環境などが違えば真面目で賢い良い子ということになる。
しかし彼を含めて多くの登場人物には身分証がなく、邦題にもなっている「存在のない子供たち」この世にいないはずの人たちということになる。
そんなゼインを中心に子から見た親、親から見た子を3つのステップで描く社会派ドラマだ。
ゼインは自分や兄弟の境遇から、まともに育てられない両親を嫌い、冒頭の法廷につながる。
終盤での言葉になってしまうが、育てられないのなら生むなというわけだ。これが第1ステップ。
途中で知り合う不法労働者のラヒルもまた身分証のない存在。彼女はまだ幼い息子を愛し大切にしている。親から子への愛が描かれる。
しかし、身分証のないラヒルの息子もまた身分証のない存在で、ゼインの両親がゼインに対してしていることと同じだ。
間接的にゼインの両親の愛と仕方のない状況を描く。これが第2ステップ。
ラヒルが拘束されてしまい、彼女の息子ヨナスと二人きりになってしまうゼイン。
お金を作り必死にヨナスの世話をするが自分を守るためヨナスを偽造屋に売ってしまう。
ゼインの両親が妹のサハルを食料品店の男に嫁に出したのと同じなのだ。ヨナスは自分の息子ではないにしても子を手放すというゼインが嫌った親の行為と同じ事を自分もしたのだ。
身分証のない親が身分証のない子を作り、その子がまた身分証のない子を作る連鎖。これが第3ステップ。
原題のカペナウムは、悔い改めなかったためイエスに滅びを予言された地の名前。
監督で脚本のナディーン・ラバキーは普通の人間なので予言ではなく警鐘ということになるだろうが、このままではレバノンが滅びてしまうと言っているように思えた。
ゼインやラヒルが収監されている場所に宗教家が来る。施しや神の言葉も重要だろうが、彼らに本当に必要なのはもっと具体的なものだ。
ゼインの父は言った。身分証のない人間はゴミグズだと。
ゼインは、神は自分たちがゴミグズでいることを望んでいると言った。
身分証がなければ医療も受けられずまともに職も探せない。
ゴミグズからまともな人間としての扱い。彼らに必要なのはそれだけなのだ。
エンディング、身分証の写真を撮るゼインの笑顔。
こんなささいなことで感動してしまうかもしれないことに感動してしまった。
たったこれだけのことが感動的になるってスゴいし、同時に悲しくもある。
内容は文句のつけようがない良いものだったけれど、映画として見た場合、演出とか、印象的なショットとか良いところがなくて、映画的に退屈だったとも感じた。
一緒に観た妻は大層気に入ったようだけれど、私としては当たり前の状況を当たり前に描いただけで新しい視点や発見がなかったのもあり少し減点かな。