「フィクションとリアル」存在のない子供たち いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
フィクションとリアル
この作品に言える事は大袈裟であって真実であること。そしてリアルではあるが観客に耐えうるべくリアリティに矮小化したこと。即ち
、ファンタジーとノンフィクションがカオスとして表現された作品なのであろう。だからどこまでが本当のことなのかを考える事自体意味がない。あくまでも映画であり、レンズを通して画角に収められた映像はそれ以上でもそれ以下でもないからだ(レンズに映り込む蛍光灯の反射の光も含めてこれも現実であり幻想的とも言える)。勿論観客は翻弄される。今の時代に、江戸時代に行なわれた、娘を吉原に売るようなマネが行なわれているのだろうか、そもそもあの発育不良の主人公はそれ程頭が切れるほど知能は高いのか、レバノンの現実はあの家族に集約されていてそれが須くどの家族にも共通なのだろうか等々…勿論、YESでもありNOなのだ。それは対象となる人によって異なるし、又心持ちによっても違う意見が噴出する。そしてこの作品の白眉は正にその捉えどころのない映像を収められた“事実”なのである。どんな意図があるにせよ、実際にスクリーンに映し出される映像自体は紛れもない“リアル”だ。疑ったり、解釈したり、信じたりと人間はなんて愚かで素晴らしい生き物なのだろうかと思わざるを得ないのである。
ストーリー展開も上手に作り込まれていて、年子の妹の行く末の心配が現実になってしまいその怒りで家出をすることが第一章、家出先の遊園地で働く掃除婦の家に転がり込み女の子供を世話しながら、世間の世知辛さを充分味わうのが第二章、そして北欧へ渡航するために自分の身分証明を探しに家に戻るのだがそこで妹の死を図らずも発覚してしまい復讐で妹を連れて行った男を刺すのが第三章となっている。それを捕まった後の裁判中の時間軸、振り返るような過去の時間軸を交互に往復しながら比較的易しい構造で進んでいく。そして慟哭にも似たクライマックスの両親への訴えは、この国の現実をまざまざと観客に突きつけてくる。「愛さないなら産むな 育てられないなら産むな」は、子供にとっての切実な願いであり、最後通告でもあるのだ。その言葉を発する子供も又、自分が家族とこれで縁を切る辛さを覚悟させてしまう哀しさは余りにも胸が締め付けられ言葉も出ない。やっと手に入れようとする自己証明書の写真の笑顔は、決して自然と溢れ出る笑いではなく、まるで無感情の何の思考もない“惚け”そのものである。それでもあの両親は悔い改めず相変わらず兎のようにポカスカ子供を作るであろう。そして相変わらず世界はこの問題を解決せず放置し続ける。地獄そのものがこの世に存在している・・・