ドッグマンのレビュー・感想・評価
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なんとも後味が悪い…
不条理ドラマ…って何?
思わず、不条理という意味を調べてしまった。事柄の道筋が立たないこと、不合理であること、常識に反していること、などとある。うーん、難しいなぁ。
一言では言えないけど、主人公マルチェロと友人シモーネの関係…でしょうか。町の仲間たちも手を焼いてるシモーネなのに、そんなヤツでも、縁を切ることができない。シモーネには、友人という顔をしながら、都合よく利用される。シモーネの代わりに服役までしたのに、お金は貰えない、暴力を振るわれる。ここまでくると、マルチェロが、バカにしか思えない。
シモーネは、もちろん、何でもありのジャイアンキャラで、ただの薬物依存症で、バカだと思う。こういう人種の存在も理解ができない。でも、こんな男、関わらないのが一番なのに、相手しちゃうあたりは、もっと理解できない。
結局、我慢ができずに殺してしまったけど、だからといって、町の仲間たちと、元どおりになれる訳ではない。なんとも後味が悪い終わり方でした。
何とも言えない余韻
暗い空、閉鎖的な小さな町で、支配する人間としたがう人間。
小心者でやさしくて、犬と娘を愛し友人たちと穏やかに過ごしたいのに、突き放しきれない不思議。
なぜあそこまで彼に従うのか、彼とはなんなのか?
追い詰められて狭窄的な思考が難しく理解しがたいのですが、耐えつつも依存しているような関係は、共感できないがゆえにその奇妙さに妙に引き込まれました。
なんともざらりと残る後味が物悲しく痛々しくて、悩ましくて、じわじわと余韻が広がっていく作品でした。
こーゆーキャラ、いるわ、創作には
と思ったら実際に80年代にあった事件をモチーフにしているのか!
主人公マルチェロ役のマルチェロ・フォンテの怪演がすごい。予告だとマルチェロはハームレスみたいなニュアンスで紹介されていたと思うけど、初っ端からそんなことはないです。精神的にグロテスク。視覚的にもかなりあれですけど。
不穏とユーモアの奇妙な味わいがある
ほとんどの登場人物に感情移入できない。
行き当たりばったり、問題はあるのに、誰もそれをなんとかしようともしないで、破滅的なラストに向かっていく。
経緯にも結末にも、救いはない。
冒頭の吠える猛犬からして不穏。この、クサリにつながれた犬は主人公の悪友シモーネの象徴。
舞台となっているのは、イタリアの荒れた田舎町の風景。そこに、このシモーネという存在がいる、というだけで景色が不穏に見えてくる。
これは主人公の心象風景そのものである。
コンテストに入賞しても不穏。海に入っていても何か起こるんじゃないかと思えてくる。
本作は終始、不穏な雰囲気に覆われ、心休まるときがない。
それにも関わらず、どことなくユーモアがある。
これが、なんとも言えない、奇妙な味わいである。
犬はかわいい。
犬本人(?)は何かに必死だとしても、それを見る人間は、彼らの本心など分からず、いつも見下ろしている。
スクリーンを通して観る僕たちにとっては、主人公もシモーネも町の人々も、犬でしかない。
僕たちは町で見かける犬のように、彼らを見てしまう。
これがユーモアの根源ではないか?
カメラは登場人物のアップか、引いた構図が多い。特に後者の引きの絵が、ザラついた白黒写真にも似て見事。
いやーな映画
シモーネが救いのないやつで、それが唯一の救いかな。足利事件とか埼玉愛犬家殺人とか気が弱いだけで事件に巻き込まれたり犯人になったりするっていうのは何度かニュースやらで見てるけどこういうディテールを見せられると本当に息苦しい。他に方法はいくらでもあったろうにって。
犬は小道具
陰惨なだけの、驚くほど単純なストーリー。
登場人物もきわめて限定されており、短編小説の映画化といった印象だ。
社会の現実に触れているとはいえ、それが主題なら、もっと別のアプローチがあったはず。
陰惨さを楽しみたい観客のための作品と感じられ、自分には合わなかった。
主人公の行動に理解不能なところがあるが、その不可解で人格分裂気味のキャラが、自分にとってはこの映画の唯一の見所だった。けっこうワルであり、決して善良で気が弱い、同情すべき男ではないところが面白い。
風采の上がらない男を演じる演技も素晴らしい。
だが、まさか犬とは、たいして関係のない話だとは思わなかったので、終映後はあ然とした。
犬は、客寄せパンダだったのか・・・。
日本でもありそうなリアリズム
イタリアのさびれた海辺の町。
お世辞にも綺麗といえない砂の広場を中心にして、古びたビルが立ち並んでいる。
小男のマルチェロ(マルチェロ・フォンテ)が営むドッグサロンもその一隅にあった。
離婚したものの妻やひとり娘とは良好な関係で、周囲とも良好な関係であるが、ただひとつ、切っても切れない腐れ縁が続いていた。
それは町の乱暴者シモーネ(エドアルド・ペッシェ)との関係。
日々騒ぎを起こすシモーネとは古くからの友人関係で、無下に関係を断ち切ることが出来ずにいた・・・
というところから始まる物語で、映画はふたりの関係、町の様子を丁寧に描いていきます。
丁寧すぎて、まだるっこしい感もあるのですが・・・
くすんだ色調で撮られた画面を観続けていくと、どんどんと憂鬱・陰鬱になっていきます。
外国イタリアのハナシではあるものの、この手の物語は、最近の日本映画でも地方都市を舞台にしてしばしば描かれているので、遠い外国のハナシとは思えず、遣り切れなくなってきます。
マルチェロはシモーネのことを友人と思っているが、シモーネはさにあらず。
シモーネが主人で、マルチェロは飼い犬、忠実な下僕。
虐待された犬が主人に反撃する・・・という展開になるのは早々に予想がつくが、明確に反撃し始めるのは映画も終盤になってから。
しかし、その反撃も、「怒り心頭に達し、暴力には暴力だ!」という、わかりやすい、カタルシスが伴うものではなく、空しく虚しいもの・・・・
マルチェロが手入れしている犬たちが、マルチェロの心情を察して、シモーネを集団で襲って食い殺す・・・ぐらいの展開だったら、もう少しスッキリしたと思うのですが、そんな展開だったら別の作品になっちゃったでしょうね。
主役のマルチェロ・フォンテ、誰かに似ていると思っていましたが・・・あ、藤原釜足!
古くて申し訳ない・・・
犬好きだからこそ観たかった映画
主人公マルチェロと同じく犬大好きな僕。彼の犬への愛が各シーンで伝わってきて微笑んでしまうシーンも。しかしシモーネに従属的なマルチェロには感情移入できないなあと思ってたらラストで彼の思いが理解出来ました。無駄なシーンはなく、最後までどっぷりと映画の世界に浸ることができ、観てよかったです。
あーマルチェロ〜
あーマルチェロ〜と何度も思ってしまう。なんでそうなるの。なんで断らないの。なんで言わないの!
若い頃からのシモーネとの関係を見せて欲しかった。
そうすればなシモーネに対するマルチェロの心理にもっと共感できて、もっとリアリティを感じられたと思う。
もっともそこを鑑賞者の想像に委ねたのかもしれない。
ラストも何でそうなると考えさせらせれる。
なぜ一言謝って欲しかったのか。それだけのために、こうなっちゃったわけは。
過去があるんだろうなあ。昔、虐められていたマルチェロをたった一人かばってくれた頼り甲斐のあるシモーネ。一生ついていこうみたいな。
犬はみんな個性があって良かった。マルチェロの職業はなぜドッグマンなのか。
ここも想像が膨らむ。
面白かった。
そして誰もいなくなった
主人公のマルチェロは別に良い奴じゃないんだよね。コカインの仲買人っぽいことやってるし。
むしろ悪に対する憧れがあるんじゃないかな。でも腕っぷしも強くないし、せいぜいコカインの仲買人ぐらいしかできないんじゃ。
だからマルチェロは副主人公のシモーネに憧れてるところがあると思うんだよね。
疎ましいと思いながらも憧れて、自分が憧れている世界を見せてくれる存在なんじゃないかな。
シモーネも、他の人は疎んじてるだけだけど、マルチェロは自分を羨望の目で見てることも知っていて、マルチェロに甘えてるような気もする。
マルチェロは皆と仲良くしたかったんだろうけど、一番仲良くしたかったのはシモーネなんだろうな。だから、隣の家に盗みに入るときも反対しきれない。皆を失ってもシモーネが残れば良いという決断をしてしまう。そして憧れの存在と親友になるために、自ら刑務所に入る決断をする。
でも出所してきたらさ、憧れの存在は自分なんか鼻にかけてもくれないし、チクショーと思うよね。じゃあって、他の人と仲良くしようと思っても、いまさら無理。
そして最後はシモーネを自らの手にかける。これは、殺したいほど仲が良いってことでもあると思うし、他の奴に殺られるくらいなら俺がってことでもあるんじゃないかな。
しかしそれで、他の人と仲良くなれるかというと、そんなことはない。結局、マルチェロの友達は、誰もいなくなった。
暗い
気の優しい主人公のマルチェロ。
傍若無人な友達のシモーネにやりたい放題やられてばかりで彼が不憫でならなかったが、
なんだかだんだん、おや?これってただの優柔不断か?
なんて思うように。
もっとましな賢い対処法があっただろうに。
友達だと思ってるなら尚更に。
そして
町中の嫌われ者のシモーネにも苦手なものがひとつ。
母親だ。
母ちゃん、もっと息子の首根っこを捕まえとかんと!
しかし最後あんなホラーな展開になるとは思ってなかったので、ちょっとびっくり。
ストレスたっぷり、存分に召し上がれ
従順な犬に成り下がるな!信じて徹するな!ヘラヘラすんな!牙を剝け!大口開けて嚙みつけ!ああほらもう言わんこっちゃない…。
溜まるストレス積もるフラストレーションを楽しみ、やるせなさのどん底に舌を這わせて味わう映画。
ドッグマンことマルチェロ、彼のビジュアルや話し方動き方からして、とにかく小物感が半端じゃない。(失礼で申し訳ない)
とにかくお人好しでうだつの上がらない人。
普通にしてても不幸や不運を招きそうなオーラというか、疫病神的な雰囲気というか。
小さい娘に犬を任せて外へ出たとたんに娘が噛まれて大怪我を負うんじゃないか、チワワの為に引き帰った先で見つかるんじゃないか、目を逸らした瞬間に殺されてしまうんじゃないか。
いつどこで何が起こることかと常にハラハラしながら観ていた。
シモーネの理不尽な言い分、圧倒的な暴力には恐怖しかない。
俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの。なぁ俺たち、友達だよな?
シモーネのような人に絡まれた場合の正しい対応法をずっと考えているけど、本当に全然わからない。
ただでさえ少ない彼の隙を突いて脳天に銃弾ブチ込むくらいしか思いつかない。
細かい「嫌なこと」がどんどん重なり、選択がヌルく詰めの甘いマルチェロにイライラし、慈悲のカケラも無い仕打ちに唖然とする。
終盤、大きな一歩を踏み出してみるマルチェロのとある行動に大興奮。
その先の更に数段階の展開にまた顔をしかめたり拳を握ったりほんのり涙してみたり。
正直、あのまま飼い殺しのほうが一気にホラー的になって最高だったんだけど。
強靭な設備だったらな〜と惜しく思う。
この映画の狙いがそこにないことは承知の上。
容易に想像できるこの後。
虚構に向かって叫びかける姿が痛々しく、長回しどアップで見せられる、達観にも近い表情が悲しい。
何を思ったんだろう、何を考えていたんだろう。
どこから何を後悔すればいいのだろう。
しんどい。
犬や娘に見せるパッとした笑顔がとても可愛くて、故に降りかかる不条理に本気で鬱々とする。
離婚したママからのよそよそしい態度がまた悲しい。挟まれる娘の身にもなってよ。
犬とパスタを分け合い食べ合うシーンが印象的。
フォークやお皿をシェアしてることに少し驚いたのは私だけ?
犬のヨダレが付いた食べ物を私は口にしたくはないけど、そこに全く抵抗のないマルチェロは本当に犬が好きで愛があるんだろうな。
映画の端々から自分の犬にも他人の犬にも向ける親愛の情が感じ取れる。
バイクの轟音がトラウマ。
大人のジャイアンとのび太の話
映画の日が休日だっなので、kino シネマみなとみらいに行ってきました。
イタリアの田舎に住む 犬のトリミングをする気弱な男が、街にいるジャイアンのような男に取り込まれて、人生が崩壊してしまう話。
ドラえもんにおける ジャイアンとのび太は、物を取られたり、殴られて泣かさせるだけだが、大人のジャイアンとのび太は、もっと悲惨。
ストーリーテリングがうまくて、ぐいぐい引き込まれてますが、ラストの意味が分からなかった。
中盤までは精度の高いよくできた映画だったので残念。
世界共通なのね。
暴力と近所の感じが、何か日本の地方都市のヤンキー社会みたい。世界共通なんだね。終盤の入り口での俺は変わった変わってないみたいな所以降、主人公の小物感が半端なく、何ともいえない感じになりました。
切なく悲しいマルチェロさん
ほとんどのシーンがDOGMANという店名の主人公のマルチェロのお店の周りで、登場人物もマルチェロと悪い友達シモーネと別れた嫁と娘、近所の人達だけで起こる出来事。まさにシモーネの犬のようなマルチェロ!お店で預かる犬たちも何故か悲しく見えてくる!マジメでいい人なのに悪い友達につけ込まれて利用されて、いろいろ巻き込まれる、悲しくて切ないマルチェロ役の演技に引き込まれました。
群れる媚びる流される
何故、マルチェロがシモーネをあそこまで助け庇うのか。マルチェロはシモーネに何か特別な弱みを握られているのか、あるいはシモーネに恩があるのか。途中まではそう思わずにいられないほどマルチェロのシモーネへの忠誠心が異様に映りました。これは虐げられた人間がブチ切れる復讐話かと。
ところが、後半マルチェロがシモーネをゲージに閉じこめた時に私の考えは変わりました。マルチェロは、シモーネを殺す気などさらさらなく、シモーネを落ち着かせもっと自分を慕って仲良くして欲しいだけなのではないか。例えば、マルチェロと犬みたいに。
そして、シモーネの遺体を表に出し見せびらかそうとしたのは、周囲の人間に認められてもっと仲良くなりたかっただけなのではないか。
実はマルチェロにとっても、シモーネは友人ではありませんでした。友人の遺体を誇らしげに見せびらかす人間なんていません。シモーネは、マルチェロを利用はしていたけれども必要ともしていた数少ない人間で、犬以外にマルチェロの承認欲求を満たしてくれる相手でした。つまり、マルチェロは非常に孤独だったわけです。
マルチェロは、孤独を避ける為「群れる、媚びる、流される」人間の悲しい性の象徴なのではないでしょうか。その習性が行き過ぎて小さな諍いになったり、極端になると国家レベルの大きな悲劇を生む。これは、歴史が証明しています。
個人主義のヨーロッパ諸国の中でもイタリアは未だに家族や地域との関係が強い国ですし、日本は現代になっても村社会の文化が残っていて相手の顔色を伺う民族なので、今作は日本人にこそ共感と理解ができるのではないでしょうか。
ドラえもんのいない世界
初めてやってしまった・・・(泣 あるある話だが、日にちを間違えて予約してしまい、結局二重払いに・・・ダメージが大きすぎて、ヘナヘナ(泣 二食分断食しないといけないなこりゃ。
主人公であるイタリア人が、滝藤賢一にしかみえなくなり、多分邦画ならば演じるのだろうと思ったのが第一印象。
冒頭でいきなり大型犬の凶暴さを先制パンチのように観客に攻撃してくる。それが恐いの何のって、観ていてビクつきながら、顔を背けながらの心持ちであった。とにかく今作品は、ストーリー自体は複雑さは余り無いのだが、始終その怖さや苛立ち、そして共感性羞恥を誘発されて、その居たたまれなさ、情けなさに何度も途中退席したくなる程の引き込み力である。と同時に、その主人公を追い詰める“ジャイアン”であるシモーネの迫力と理不尽、そして幼稚さがの際立ちが凄い。勿論フィクションであるが、元々実際の殺人事件をモチーフにしているらしい題材である。そしてずっと疑問が湧き続けているのが、何故一人で生きていこうと思わないのか?という点。しかしネット情報によると、イタリア人における家族との連帯感というのは非常に強い事で有名だが、同時に近所付き合いや地域の仲間との結びつきも強く、村八分にされることを非常に怖れるという基本情報が重要なファクターであるらしく、今作品の解釈の中でど真ん中の知識ということである。本来ならば人間社会に於いて対等での付き合いの仲が求められるが、現実は様々な要素の中で残念ながら上下関係という歪な関係に強いられる事が多い。理性があってもやはり人間も動物ということだ。その中で今作はその人の弱さを余すところ無く極限まで表現されている。それはクライム映画というよりはもうホラーそのものなのではないだろうか。主人公が付き従う理由は娘とのダイビング費用という尤もらしさを前面に押し出しているのも皮肉的演出である。何度も出てくる海中散歩シーンと遊泳後の船上での娘との微睡みのシーンの平和演出を施しながらも、実は主人公自体が“犬”化してしまっている事を観客は気付く筈である。シモーネのペット、地域の仲間のペット、そして娘のペット。だからこそ関係性が切れず、益々奈落へと堕ちてゆく。本人にその自覚がないから、幾ら周りが忠言しても耳に響かない。身代わりで刑務所へ入るなぞ、普通の人間ならば決して判断しないことを躊躇いもせずに受容れる。だが、前述の通りの無自覚さ故、自分が犬を支配してる人間側だと思い込んでいるから、慣れない復讐らしきことをして恨みを晴らすというより、手なずけようとしてしまう過ちをしでかす。今作のシーンのクライマックスである、シモーネのネックハンギングのシーンは、明らかに冒頭の凶暴な犬をトリミングしようとするシーンのそれとの対比演出であり、そのアイデアは凝っている。そしてラストの長回しは、まるで猟犬が獲物を飼主の元へ運び、喜んで貰えることを期待するかの如く、中心部の遊戯場にシモーネを持ってくるその哀しさと情けなさに、最後まで心の落ち着きどころのない不快感を醸し出す効果として充分の訴え方ができた作りであった。一貫してブレないそのテーマ性にどす黒い闇を叩き込んでくる制作陣に称賛を贈りたい。
人と犬と人と犬
いやぁ、良い意味で終始胸くそ悪かった。お互いが「人と犬」の様な関係の二人が、寂れた片田舎で静かに壊れていく。
途中から頭のなかで「フォーリングダウン」をシンクロさせつつ観てしまいました。その見方は全くオススメ出来ませんが(笑)、生活の片隅に誰にでもあり得る物語。体験するのも一興ですよ。
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