誰もがそれを知っているのレビュー・感想・評価
全45件中、21~40件目を表示
誘拐は悲劇しかもたらさない
予告編以外の情報なしで鑑賞したが、ストーリーは解りやすくて戸惑うことはない。家族と親戚が集まってくる長閑なシーンからはじまり、G線上のアリアが印象的な結婚式とそれに続く宴会はトラディショナルで楽しそうだが、記念のビデオをドローンで撮影するところは現代的で、スペインの田舎にもハイテクが入り込んでいる様子が窺える。
事件発生以降はホームドラマが急にサスペンスに変わった感じで、観ている側も少し緊張する。起承転結のお手本のような作品で、登場人物同士の関係性はタイトルの意味も含めて徐々に明らかになる。このあたりの作り方は実にうまい。
登場人物それぞれが何を考えているのか、どういう性格なのかが解ってくると、この村の人間関係がどのようであるかが浮かび上がる。結婚式に招かれた人々、そして来なかった人々。家族と友人の間に金が絡んできて、愛憎だけでなく損得の感情も生まれ、人間関係はさらに複雑になる。
役者陣は喜怒哀楽の表情豊かなラテン人を自然に演じていて、ドラマの世界にスッと浸ることができた。誰がどのような決断をするのか。葛藤と相克でドラマは立体的に構成されていく。そのへんがとても面白くて、飽きることがない。登場人物が決断を迫られる場面が何度かあり、違う決断をしていればどうなったのかと考えてみたりする。登場人物と一緒になって観客も迷う。
誘拐は悲劇しかもたらさない。邦画「64(ロクヨン)」でもそうだった。人間の欲望は他人を陥れてまで自分が楽をしようとする。その結果人間関係は破綻し、自分も他人も不幸になるだけだ。それでも誘拐は起きる。中には国家による誘拐もある。人間はどこまでいっても救いようがないのだ。
サスペンスをもう少し
妹の結婚式に出席するために、娘のイレーネたちと故郷の村に帰ってきたラウラ。父、姉、義兄、その娘、幼なじみのパコなどが、次々に登場し、抱き合い、おしゃべりする様は、いかにもヨーロッパ映画(特に地中海側の)。
しかし、ラウラの娘が誘拐されてからは、親しい者どうしの疑い、詮索、因縁など、互いの心の底を抉るような展開へとぐいぐい進んでいく。まずい方向に行っていると思いつつ、話に引き込まれる。
ただし、誘拐サスペンスとして見ると、ずいぶんのんびりしていると感じられる面も。描きたいのは、あくまで人間の葛藤のドラマなのだろうが、娘の捜索や犯人との接触を試みないことが物足りなかった。
誰もが知っている「それ」が真実であることが明らかになり、パコはある種清々しいようだが、娘のイレーネにとってはどうなのだろうかと、見終わった後にふと思った。
こども
たしかにサスペンスかな?
I 'd Never Forgive Myself.~パコ
最後のシーン(パコがベットの上でひとりで微笑む)をみて、パコなら自分の生活をまた立て直すことができる明るく力強い希望があるとおもった。苦難を乗り越えられることがこの映画の過程で証明された。妻も農園も全財産も失ってしまったパコ。16年間、今まで何もイレネにしてあげられなかった(イレネが自分の子供だとは知らなかったから)。イレネにしてあげることができるだだ一つのこと。それは彼女の命を救うこと。彼女のために何かしてあげられて、それも命が救えたことはパコにとってかえられない喜びのはずだ。イレネの誕生がアレハンドロ(育ての親)の心を救った。今度はパコの番でイレネを救い出すと。そうしなければ、パコは自分を許すことができないと。この二人の会話はカトリックで神が助けてくれると考えて自分はなにも行動に移さないアレハンドロと神を信じてないが自分の行動を信して自分が何をしているかわかっているパコと大きく違うことがよくわかる。
パコに救われたイレネはアルゼンチンに家族と共に戻ってしまうが、彼女も心の中ではパコが自分を生んだ父親だと思っているから、この二人はまた会えるチャンスがあると思わせている。パコは目に見えるもの全て失ったが、『誰もがそれを知っている』というタイトル、イレネとの関係が明白になったことは失なわれていない。パコの人生にプラスになるだろう。
パコの伴侶ベアのことだが、パコはラウラ家族の仕組んだ罠にひかかっていると思っている。彼女はパコの後ろの白髪の塊には気がついたが、喘息が始まったのに気が付いていない。この喘息はイレネと同じなのに。
この監督はイランの監督で、スペインに何年か滞在しスペイン語も学んで製作したらしい。私はスペインの文化を知らないから、この作品がスペインの文化を上手に取り入れていると言われても、ぶどう園を除いては見当がつかない。多分、ペルシア文化よりもっと会話がストレートになっていると思うが。映画の終わり方は彼のスタイルだなと思った。彼の作品は我々に結末を考えさせるチョイスを与えてくれるから。
宗教のことだが、この作品がイランで上映されているかな? この作品で、ラウラの夫アレハンドロ以外は神をまったく信じていないようだ。でも、カトリック教だし、他の人々は神を信じていないし、アラーの神への冒涜になるから、イランで上映許可がおりないと思う???監督にとってこの作品製作はかなりの冒険だったと思う。
書きたいことはたくさんあるが、ここまで。あくまでも私個人の感想
表層的な家族関係が誘拐事件を発端に崩壊していく恐ろしさを巧みなストーリーテリングで描く秀作
この映画の秀逸な所はスペインの長閑な田舎の風景を背景にしながら、家族の表層的な幸せが壊れる過程を執拗なまでに人間性の暗部(猜疑心・金への執着etc.)にスポットライトを当てながら描いている部分だと思う。
ラウラ(ペネロペ・クルス)の娘が解放されても、事の全てを見抜いたラウラの姉が夫に深刻な表情で話す場面で映画は終わる。家族の崩壊を予想させるアンハッピーな終わり方だ。
それにしても、やっと手に入れた自らの農場を手放し、(妻にも愛想を尽かされ)ラウラの娘の身代金を払ったラウラの元恋人(ハビエル・バルデム)のベッドの上に寝転がって浮かべる笑顔の意味するモノは何だったのだろうか?
解を観客に委ねるアスガー・ファルハディ監督の書き下ろした脚本の秀逸さには驚くばかりである。重厚な作品を堪能させていただいた。感謝である。
ミステリーの衣をまとった珠玉の人間ドラマ
これは素晴らしい。よく練られた脚本でグイグイ引き込まれた。
アルゼンチンで暮らすラウラ(ペネロペ・クルス)が、妹の結婚式のため、スペインの田舎にある故郷の村に子供たちと帰ってきた。ワイン農園を営むパコ(ハビエル・バルデム)はむかし恋人だったようだ。
家族との再会、結婚式、アフターパーティと歓喜の時を過ごすが、パーティの最中にラウラの娘イレーネが誘拐された。
彼らの「秘密」を知る近親者すべてが疑わしく、ドキドキしながら観た。「疑心暗鬼」がラウラの家族、ラウラ夫婦、パコ夫婦の関係を軋ませバランスが失われていく。後半の緊張感がたまらん。
はやくも巨匠と呼ばれるようになったイランのアスガー・ファルハディが、アウェイのスペインで、そしてスペイン語で撮った秀逸なミステリーであり人間ドラマだ。
クルスとバルデムは本物の夫婦だが、この2人の存在感は格別。思わず実生活を覗いてみたくなる。
それを知ったとき
誰もが何を知っているんだろうと気になって鑑賞
それの中身が見えたとき、私はそれを知りたくなかったし誰にも知って欲しくなかった、特にこの子には知って欲しくない、と思った。
妹の結婚式、再会の喜びと楽しさと幸せの溢れるテンションの高い場で、唐突に訪れる悲劇。
いつか事が起こると分かりながら観ていたので、はしゃぎまくる大人達に若干ハラハラしていたものの、いざイレーネが消えてしまうと悲しみと焦燥が胸にのしかかって苦しかった。
明るく情熱的で開放的な印象のスペインでも村はムラ。
長く続く狭い世界で、芋づる式に解かれる数々の秘密と人間の嫌な部分が露呈していく様がスリリング。
疑心暗鬼と過去のしがらみや心の端っこに座っていた負の感情が連鎖して、どんどん拗れていく人と人の間をまざまざと見せられるのが本当にキツい。
娘のために全てさらけ非情な懇願も厭わない母ラウラを鬱々とした気分で観ていた。
でももし自分の子供が同じ目に遭ったらと思うと、冷静な判断なんてしていられない。
心を鬼にしてでも使えるものはなんでも使って娘を取り戻そうともがくだろう。
ラウラとパコの、全て水に流したとも流してないとも言える絶妙な関係が面白い。
しかし確かに在る愛とも情とも未練とも縁とも言い難いそれの最終的な決断にはだいぶショックを受けた。
誰の立場になって誰を思えば良いのかわからないつくりがいやらしい。
色々な人が出てくるけど、わりと平等にそれぞれの心の内を描写するので、何が正しいのか、何が最善なのか選べなくなる。
一つ一つの事の判明は事件の始まりと同じく唐突に繰り返され、その戸惑いも新鮮に思えた。
戻るものと離れたもの、今後その天秤はどちらに傾くのか。とても気になる。
決して後味が良いとは言えない終わり方にまた呻いた。
本当やらしい、やらしいな。
見た目麗しい人ばかりで眼福であった。
ラウラとパコがペネロペ・クルスとハビエル・バルデムという配役なのも秀逸。
観るまで夫役がハビエルだと思っていたら!
全くいやらしいわぁ…。ゾクゾクして堪らないわぁ…。
イレーネのわんぱく過ぎるはしゃぎっぷりは地味に苦手だった。充血した目が忘れられない。
人間関係の機微は強烈だが、道具立てが弱い
2018年カンヌ国際映画祭オープニング作品であり、アスガー・ファルハディ監督の作品であり、ペネロペ・クルスとハビエル・バルデムの夫婦共演。全ての牌は揃った、という感じではある。
物語は...正直ミステリーものとして観ると雑すぎる。犯人に繋がる伏線が(見逃しているのかもしれないが)決定的なのはワンシーンしかないし、あの展開はミステリーの常道に反している。
だがしかし、アスガー・ファルハディ監督が描こうとしたのはそこではなくて、人間のエゴや、噂や、秘密。究極の人間関係なのではないかと思う。
誰も知らない(が誰もが知っているともいえる)秘密を娘救出のためにある種「利用」するペネロペ・クルスの強かさ。結局過去を清算しきれぬまま、全てを失うハビエル・バルデム。彼は哀れだと思ってしまった。全てに翻弄される役回りが割り振られている。そして全てを受け容れているようで、泰然としているようで、全く無力なリカルド・ダリン。
結局周りの家族も全てにおいて負の感情や実際の負債を抱えており、それが極限で噴出してしまう様がある種冷酷に描かれる。
前半は楽しいスペイン映画みたいなので、後半のあの陰鬱さ、幸せそうだった人びとが探り合う様、負の人間関係をひたすら観せられる感じ。
ファルハディ監督は「負の人間関係」を巧みに描くことには成功していると思う。ただ、ミステリーとしての道具立てがやや単調な所為で、映画自体に緊迫感がやや足りなかった気がする。分かりやすくはあるのだが、分かりやすすぎるというか...その点においては「セールスマン」の方がある種極限の緊張状態を示している気がした。
誘拐されてからのあーでもない、こーでもないが何の進展もないのに長す...
皆が知っているという怖さ
ミステリーにとらわれ過ぎないように観て欲しい。
誰も知る由はないと思っていたはずが、知らなかったのは、当事者の相手だけで、他のみんなは知っていた。実は、その状況こそが、本当に怖いなと考えさせられる。
きっと、映画の誘拐に絡むストーリーはフレーバーで、物語の裏にひそむテーマは、いざ事件に向き合っても、知ってることについて、知らぬふりを押し通そうするコミュニティの性質や精神性のように感じる。
なにも、これはスペインの田舎だからということじゃないようにも思う。
日本の東京の、例えば、とある企業の中にもありそうな話だ。
学校で無くならないイジメも、こんな状況が背景にあったりしないだろうか。
まあ、よくあることだからと、見過ごしがちで、事が起こっても、可能な対応もとらず、罪悪感もない。
どこかの国で人権を無視した侵害があっても、他国の事だからと知らぬ存ぜぬが先に来て、ハッキリ具申も出来ないのも似たようなことかもしれない。
イラン人の監督ならではの視点だろうか。
誘拐に絡む登場人物の心の動きや、サスペンスの行方に注目し過ぎると、逆に置き去りにされてしまいそうなポイントだ。
視点を変えたら、身近にもありそうな話で、ああ、怖いなと思った。
この世に隠し通せる秘密などない
これはとても面白い映画だった!!
アルゼンチンで暮らす主人公ラウラ(ペネロペ・クルス)が、妹の結婚式のために帰省したスペインの小さな村で起きた誘拐事件を描くサスペンス
結婚式という晴れの日を迎え、幸せそうに見えた家族
しかし、誘拐事件が起きた途端、彼らの日頃の思いが噴出する
その家族には、誰にも明かされたことのないある秘密があった
しかし、その秘密について、人々はいろいろと噂話をしていた
その噂話には、恨みや妬みが盛られ、その思いが積もり積もって、ついに誘拐事件を引き起こしてしまう
そこから見られる「村人たちの素の人間性」がとても面白い作品だった
それは、私たちの身近でも、よく起きる話だ
「○○さんの家には遺産があるらしい」とか
「あの人は派手な暮らしをしているから金持ちに違いない」とか
近所で、そんな噂話がされるのはよくある話だ
そんな噂話をどこからか聞きつけたのか、泥棒に入られてしまうことだってある
この映画を観ていると、そんな「噂話好き」は日本だけでなく万国共通だということがよくわかる
つまり、この映画は田舎の小さな村というミニマムな社会を舞台に、ある秘密と、それにまつわる噂話と、その思い込みに踊らされる人々を描いている
その様子を観ていると、この世には隠し通せる秘密などないことがよくわかるのだ
人を妬むのも、噂話が事件を引き起こすも、そして秘密を隠し通すことができないのも、人間の闇が引き起こすことなのだと思うと、なんだか切なく悲しくなる作品だった
考える余地を残すの嫌いじゃないです
サスペンス…?
今一つ
全45件中、21~40件目を表示