「ちょっと登場人物が多すぎるところがネック」誰もがそれを知っている つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
ちょっと登場人物が多すぎるところがネック
アスガー・ファルハディ監督の作品は何となく面白そうで何作か観てしまっている。実際、そんなに好きなわけではないと思うけれど不思議だ。
ファルハディ監督の脚本は、特定の人が抱える後ろめたさを絶妙に切り取ったものが特長かと思う。本作もそのカテゴリといえるだろう。
邦題は「誰もがそれを知っている」だ。とてもストレートで、その意味するところなどという説明もいらない。
しかし、本作が面白いのは、実際は誰もが知っているわけではないところだ。
誘拐される娘についての秘密は村の噂話でしかない。噂話が仮に事実だとしても(事実なんだけども)それを「知っている」とは言わない。
「知っている」わけではないが、ほとんど「知っている」と同義であり、よほど親しい間でもないかぎり当人たちに確認出来ない微妙さが面白いといえる。
そんなに大きくない村で噂が広まりやすいところが問題をややこしくする。
多くの人が問う「どうしてパコが金を出すのか」と。聞かれた相手は分からないとしか言えない。
そこで、一番最初のパコとイレーナが似ているという噂話からピンとくるわけだ。ああそういうことかと。
こうして「知っている」わけではないのに「知っている」状態が出来上がる。
単なる噂話の範囲を出ていないとしても、状況が確信に変える。
ファルハデイ監督らしい内容で、犯人探しというミステリーがある分、娯楽性が高かった気もするけれど、過去作に比べてそんなに面白くはなかった。
登場人物が多く、それぞれの立場と関係性の把握に手間取り物語に没入できなかったのが理由かなと思う。
観終われば重要な人物は数人だったと分かるけれど、観ている最中は誰を覚えていないといけないか分からないからね。主要人物と非主要人物の描きわけに失敗してしまったように思える。