「I 'd Never Forgive Myself.~パコ」誰もがそれを知っている Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
I 'd Never Forgive Myself.~パコ
最後のシーン(パコがベットの上でひとりで微笑む)をみて、パコなら自分の生活をまた立て直すことができる明るく力強い希望があるとおもった。苦難を乗り越えられることがこの映画の過程で証明された。妻も農園も全財産も失ってしまったパコ。16年間、今まで何もイレネにしてあげられなかった(イレネが自分の子供だとは知らなかったから)。イレネにしてあげることができるだだ一つのこと。それは彼女の命を救うこと。彼女のために何かしてあげられて、それも命が救えたことはパコにとってかえられない喜びのはずだ。イレネの誕生がアレハンドロ(育ての親)の心を救った。今度はパコの番でイレネを救い出すと。そうしなければ、パコは自分を許すことができないと。この二人の会話はカトリックで神が助けてくれると考えて自分はなにも行動に移さないアレハンドロと神を信じてないが自分の行動を信して自分が何をしているかわかっているパコと大きく違うことがよくわかる。
パコに救われたイレネはアルゼンチンに家族と共に戻ってしまうが、彼女も心の中ではパコが自分を生んだ父親だと思っているから、この二人はまた会えるチャンスがあると思わせている。パコは目に見えるもの全て失ったが、『誰もがそれを知っている』というタイトル、イレネとの関係が明白になったことは失なわれていない。パコの人生にプラスになるだろう。
パコの伴侶ベアのことだが、パコはラウラ家族の仕組んだ罠にひかかっていると思っている。彼女はパコの後ろの白髪の塊には気がついたが、喘息が始まったのに気が付いていない。この喘息はイレネと同じなのに。
この監督はイランの監督で、スペインに何年か滞在しスペイン語も学んで製作したらしい。私はスペインの文化を知らないから、この作品がスペインの文化を上手に取り入れていると言われても、ぶどう園を除いては見当がつかない。多分、ペルシア文化よりもっと会話がストレートになっていると思うが。映画の終わり方は彼のスタイルだなと思った。彼の作品は我々に結末を考えさせるチョイスを与えてくれるから。
宗教のことだが、この作品がイランで上映されているかな? この作品で、ラウラの夫アレハンドロ以外は神をまったく信じていないようだ。でも、カトリック教だし、他の人々は神を信じていないし、アラーの神への冒涜になるから、イランで上映許可がおりないと思う???監督にとってこの作品製作はかなりの冒険だったと思う。
書きたいことはたくさんあるが、ここまで。あくまでも私個人の感想