劇場公開日 2019年2月22日

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「差別娯楽映画の金字塔」翔んで埼玉 ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0差別娯楽映画の金字塔

2025年3月12日
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鑑賞方法:VOD

笑える

楽しい

話題にしてはいけない三大禁忌といえば「野球」「宗教」「政治」が有名だが、
この3つに匹敵する禁忌話題を、もう1つ提示するならば
「お国自慢」が挙げられよう。

お国自慢が話題にふさわしくない理由は、
その人のアイデンティティやイデオロギーを刺激するからであり、
もう一方では、その人の劣性コンプレックスに関わるものだから。

コンプレックスは、優劣を刺激するもので、優劣は差別を助長しやすい。
つまり「翔んで埼玉」という作品は、
「差別」を題材にした映画でもある。
もっと言えば、土地柄を題材にした「新種の部落映画」とも言えよう。

実際、この作品には、埼玉解放戦線や千葉解放戦線といった、
闘争の色合いが強い組織が登場する。
たまたま埼玉を題材にしているから、コメディとして許容されるし、
茶番劇として成立しているものの、
この埼玉の部分をひとたび「被差別部落」に書き換えれば、
物語として成立してしまう一方で、
コメディや茶番劇としては、大炎上しそうな色合いが強くなる。

しかし扱っていることは、埼玉であろうと被差別部落であろうと、
迫害や蔑視という意味では大して変わらない。
このギリギリのラインを突いているのが、たいへん良い着眼点だと思うし、
これだけ面白おかしく成立させている事から、
「差別娯楽映画の金字塔」とでも言うべき、傑作コメディだと思うのだ。

また、迫害される埼玉県人を笑い飛ばせる要素も、何かがずばぬけていると感じる。
これが黒人だったら、黄色人種だったら、やっぱり表現が難しい映画になるし、
素直に笑っていいものか、周りの目が気になってしまう。

冷静に考えると、ダサイタマで笑っている事は、
もしかしたら50年後には「いけない事」になっているかもしれない。
なぜなら、私が子供の頃、つまり40年前は、
電車内や病院内でタバコを吸う事は「普通のこと」だったからだ。
たった40年で「あり得ない事」として禁忌行為になるのだから、
50年後に「ダサイタマ」で笑う事が、非常識になっていても不思議ではないのだ。

印象的なシーンとして、冒頭にだけ触れるならば、
クラブ会場にいる間宮祥太朗が、「埼玉県人の侵入者」として捕縛されるシーンがある。
たった3年後に間宮は映画「破戒」で、
被差別部落民の主人公の丑松役を演じる。
これは本当に偶然なんだろうか。運命めいたものも感じる。

このお国自慢的な感情というのは、人間なら濃淡あれど、
ほぼ全員に後天的に意識の中に生まれる感情だと思う。

個人的な話で言えば、私は元千葉県民だから、わかる。
ただ私の場合は、映画の千葉県人とは違い、
「房州人」としてのアイデンティティが強く、
同じ千葉でも上総や下総の「総州人」に対する内ゲバ的反発心がある。
「房州人」から見て「総州人」は、東京の属国意識が強く見えるから、
軽蔑の対象なのだ。

ちなみに今は神奈川県に「移民」として移り住む「相州人」になったのだが、
自分は千葉県の出自だとカミングアウトすると、
他の相州人はすぐ「落花生」の話題を振るのだが、落花生は「総州人」の名産であるから、
元房州人としては、落花生の名を聞くとイラッとしてしまう。

そこは「房州びわ」か「鯨のたれ」か「ひじき」か「あわび」か「さざえ」にしないと、
房州人のアイデンティティを傷つけしまう。是非、知っておいて欲しい豆知識だ。
逆に「すいか」や「梨」や「醤油」がダメなのも、追加して押さえて欲しい。

こうしたお国自慢的な、アイデンティティやイデオロギーをジャンルにした、
差別娯楽映画を発見した功績は素晴らしく、
また、これは全国に通じるジャンルだなと思い、早いうちから続編を期待していたが、
やっぱり続編が公開された。きっと、東北編や九州編など、
さらなる続編が誕生することだろう。

追記
個人的に好きなシーンは、伊勢谷友介の親父の写真にジャガーさんが出てた所かな。

良かった演者
GACKT
加藤諒

ソビエト蓮舫