ジュディ 虹の彼方にのレビュー・感想・評価
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End of the rainbow
ジュディガーランドに想いを寄せる理由はこちらにあまりないが、ラストまでいくとただ一人の一生が尊く、その終末に立ち会うことに心が震える。
レニーの演技に引き込まれた2時間。その痩せこけた身体が、舞台では場を支配する。その説得力たるや。
ハリウッド生まれの歌姫の壮絶な一生
ミュージカル映画「オズの魔法使い」で大ブレイクしたジュディ・ガーランドの伝記的な作品。とてもひどい、いわゆる毒親とパワハラに従うしかない人生で泣けた。
主演のレニー・ゼルヴィガーさんが、演技も歌も素晴らしく、見応えがあった。
もう無くなっていて欲しいが、ひょっとしたら日本でもこれに近いようなエンタメ界への入り方をしている役者さんがいそうな気がした。
子役、越後獅子の哀しみ
【子役哀史】
「おかしいな?
レニー・ゼルヴィガーが出てると聞いたんだが・・
はて、カメオ出演だったかなー?」
腰、抜かしました。
坂本スミ子もびっくりの役者魂、魅せてもらいましたよ。
で、
「エンドロール」。
この曲はオリジナルだろうか、ガブリエル・ヤードとクレジットにあるが。
客席に静かな余韻を許し、永遠のアイドル ドロシーへの悼みと感謝を味わわせてくれる時間。
ありがちな“途中で賑やかな曲相に変わるエンディング”にしてくれないところが、映画界が彼女をどれだけ大切に想っていたか、それを重々解らせてくれる。
【伝記映画の難しさ】
「伝記物」は賭けだ。
往年のアイドル像を傷つけてしまう作品は、それは実像と虚像が膨らむほど難しいチャレンジだ。
(記憶に新しいキリストの伝記映画「最後の誘惑」では、映画館の焼き討ちや、スクリーンに駆け寄っての切り裂き妨害、さらにバチカンの動きも引き起こったゆえ、驚)。
でもこれだけ時を経れば、ドロシーを愛した世代も十分に人生の酸いも甘いも味わっただろうし。
ドロシーファンも、人間ジュディ・ガーランドを直視して、共感の出来るところまで歳をとっただろうし。
・・そのタイミングを見計らっての、満を持しての公開だったのだろう、と想像してみる。
音楽家にとっては将来の進路を決定付けた「オーケストラの少女」(1937/米)が有名。そして
世界中の映画ファンたちにとっては「オズの魔法使」。
彼ら、彼女ら自身の記念碑的な作品として制作されたのだろうと、思いを巡らしてみる。
そしてイギリスで作られた本作をアメリカの映画人たちも、きっと完成のニュースをじっと息をころして待っていたに違いない。
アカデミー賞受賞。
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【ライブ】
ライブステージで、客席から沸き上がる合唱。あれこそがライブならではの呼応ですよね♪
新型コロナウイルスで、生の舞台が総キャンセルの今、アーティストとショービズ界には受難の時代です。
僕はクラッシック畑の人間ですが、録音はやはりライブに限ります。スタジオ録音にはない場の気配に総毛が立ちます。
woman don't cry とか、レゲエのボブ・マーリーを生まれて初めて聴いたときには、あの長い長い前奏の客席のざわめきだけで、なぜかボーカルが始まる前に僕は既に滂沱の涙でした。
ステージに立つジュディに、投げつけられるブーイングも喝采も、舞台が生で生きているからこその絶景です。
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DVDで鑑賞。
特典の「本人インタビュー」では、馴染みのあるブリジット・ジョーンズに戻ってくれていてホッとしますよ(笑)
「1年に1回、家族みんなでテレビで見る『オズの魔法使』と『ジュディ・ガーランド』はアメリカの文化そのものなのです」とインタビューの彼女の弁。
ジュディ・ガーランド・マティーニを作って
映画「ジュディ 虹の彼方に」(ルパート・グールド監督)から。
外国映画の伝記作品って、ほどんどのパターンが
一時「アルコール・麻薬の中毒」に陥って、その後再起を試みるが、
昔の栄光や、周りに評価される環境に流され、また逆戻り。
そんな展開が繰り広げられる気がするのは、私だけだろうか。
男でも女でも、一度吸った甘い汁の味は、忘れられない、
それが、人間の本質なのかもしれない。
さて、気になる一言は、娘のパーティで出会った
「カクテルは好き?」で始まる男性との会話。
「うちの店では器具や材料を並べておいて客にカクテルを作らせる。
新しい味を求めて客はどんどん酒を飲む」との説明に、
映画ながら、ヒントをいただいた。
オリジナル・カクテルのレシピさえあれば、
それを聴いた好奇心旺盛の人々は、一度は、飲んでみたくなる。
だから、彼女が囁いた
「ジュディ・ガーランド・マティーニを作って」は頷けた。
彼女のファンなら、誰もが気になる「カクテル」であるから。
どんなイメージで、どんなこだわりの味なのか、
それが、ファンというものなのかもしれないな。
大ファンが表現した彼女の評価は、
「あなたの声は耳をすり抜け心に届く」だったから、
そんなイメージの味がするんだろうなぁ。
仕事早退、劇場直行。二本立て一本目、スターの苦悩。 レネー?レネー...
仕事早退、劇場直行。二本立て一本目、スターの苦悩。
レネー?レネー・ゼルウィガーなの?後で調べるまで全然わかりませんでした。見事な役作り。
お話の方はまあ予測できる範囲です。竹内結子さんもひょっとしたらこんな感じだったのかな、そんなことも思いました。
レネーもさることながら、私はジュディ(レネー)の世話役の女優さんが素敵に思えた。
ラストステージが見どころなのですが、そこまでの展開が行ったり来たりで、仕事疲れのためか、ややウトウト。
レネーを見る作品と言っていいでしょう。ファンは必見です。
表情やシワまでがオスカーの貫禄
個人評価:3.8
表情や顔のシワまで、ジュディ・ガーランドが憑依したかの様な、オスカーも納得な圧巻の演技。
心を通わした人物が劇中ではほとんどおらず、孤独な人生だったとわかる。まさにショーに生きた人生だったのだろう。
観客と初めて心が通い合ったラストショー。私生活では得られなかった心の交流が描かれ涙を誘う。
ジュディへの賛歌⭐️
ライザ・ミネリの大ファンだったので、ジュディはそのお母さんという位置。
この作品を見てから、いろいろサイトを見ましたが、
その華やかな芸歴に対して、本当に痛ましい状態でした。
映画でも描かれてはいますが、あれでもかなりオブラートに包まれていて、
実際にはもっと酷かったようですね。
実の母親からの虐待といえる薬の供与、セクハラなんて犯罪級。
あれでスクスク成長できるはずもなく、成人してからの彼女の実生活が
次々と破綻していくのも致し方なかったと言えます。
ただただ、舞台、歌に対する愛情が彼女をつなぎ止めていたよう。
レネー・ゼルウィガーの渾身の演技は、ジュディの生涯が
決して惨めなものではなく、その芸歴が輝くものであったことを教えてくれています。
これはジュディへの賛歌なのでしょう。
レネーの歌も一級、見応えのある作品でした。
この女優は凄い・・・
往年のスター「ジュディ・ガーランド」の後半に当たる人生を描いた作品。
オズの魔法使いで世界的に知られる子役になった彼女の苦悩が子役時代を挟み描かれる。
この手の映画が個人的に好きなんだろうか、この年のアカデミー賞受賞作品である某作品より好き。
やはり映画は夢や感動がないとね。(いや、いつも観てる映画は感動は無いけど・・・・)
「この手の映画」と言うのは例えば近年で言えば「ボヘミアン・ラブソティ」とか、もっと古ければオリバー・ストーンの「ドアーズ」辺りだろうか。別に自分は普通のサラリーマンだが、アーチスト、特に音楽系の人生を描いた作品はどーゆー訳だか感情移入できてしまう・・・
まあ、あこは置いても、この女優レニー・ゼルヴィガーは本当凄い女優だと思う。
なにしろ「ブリジット・ジョーンズ」の女優的なイメージが強い為、「シカゴ」でドコに出てたのみたいな錯覚をしてしまう・・・体重を増やしたり、減らしたりって確かにロバート・デ・ニーロを始めいろんんな役者がチャレンジしているんだが・・・・
今回の驚きは、これ、歌唱シーンの吹き替え無いらしい。
ジュディのロンドン公演オープニングの歌唱は鳥肌が立つくらい素晴らしい。
これ評価が割と低い気がするんだけど・・・・
本当個人的には好きです。
歌う彼方に
『オズの魔法使』を見た人なら誰もがドロシーに魅了された筈。
可愛くて、演技も上手くて、何よりその聞き惚れる歌声。
そんな彼女が家に帰った後(=実生活で)、悲劇的な人生を送ろうとは誰が予想出来ただろうか。
ハリウッドの子役スターの代名詞。
子役は大成しない。
華やかなショービジネスの裏で…。
そこから返り咲く。
光も陰も含めて、ハリウッドを代表する“伝説”。
ジュディ・ガーランド。
1968年、死の半年前に焦点を当てた最期の日々。
子役スターとして人気を博した後、長らく不遇だったというのは勿論知っていた。
ショービジネス界からそっぽ向かれ、過去の栄光、幾度の結婚と離婚、夫や子供たちとの複雑な関係、薬物中毒、アルコール依存、精神不安定、果ては自殺未遂…。
それらを何度も繰り返す。
知っていたつもりだったが、改めて知ると、書き並べるだけでも胸が痛いほど。
何が彼女をそうさせた…?
こういう場合、自分自身の弱さもある。
今まさしく日本のエンタメ業界で、売れっ子人気俳優の薬物使用逮捕が激震渦中。(嗚呼、この人もか…とショックだった)
何故何人も何人も、容易く道を外すのか。
業界を知らぬ凡人からすれば理解に苦しむが、業界がその人に与えるプレッシャーとは尋常じゃないのかもしれない。
ジュディの場合、子役時代からのプレッシャー。
勿論演技して歌って、光り輝いていたい。
でもその一方、普通の女の子としていたい。ポテトやハンバーガーを好きなだけ食べて、プールに飛び込んで、同い年の女の子と遊んで、男の子に恋して…。
そんな事は一切許されない! 何故なら、“ジュディ・ガーランド”は“商品”だから。
劇中にも出てきたが、敢えて名は伏せるが、超大物プロデューサーは一応ジュディに選択させる。スターとして光り輝くか、平凡でそれなりに幸せだけど行く行くは惨めな人生を送るか。
これはもう誘導尋問だ。商品になれ、と言ってるようなものだ。今ならパワハラレベル。(劇中では触れられていないが、Wikipediaで調べたら、太り易い体質のジュディを痩せ型にする為、ダイエットとして薬を服用させていたとか。ジュディの薬物中毒の要因はここから…?)
目指す者、憧れる者にとっては夢の世界、ハリウッド。
全体が無論そうじゃない。でも、ある時代やある一部では…。
ハリウッドという箱の中で無情にも翼を割かれた小鳥。
飛べず、価値ナシとなった商品は捨てられる。
ハリウッドに造られ、ハリウッドに消費され、ジュディは身も心もボロボロに…。
『オズの魔法使』の再現セットや娘ライザ・ミネリの登場などは映画ファンとしてお楽しみ。
が、一本の作品としてはちとステレオタイプ。
勿論胸に訴えるものあるが、作品のインパクトがジュディ本人の人生に完全敗北。ま、仕方ないけど。
でも、それを補ったのが…
オスカーでは実在の人物を演じると受賞し易い。
だから当初本作も、そんなジンクスの一つだと思っていた。
今は心底謝ります。
レニー・ゼルウィガー、キャリアベスト級の大熱演!
訛りも歌も完コピ。すでに『シカゴ』で美声を聞かせていたとは言え、吹替ナシの歌声とパフォーマンスはやはり圧巻!
これらは話題と見せ場の一つで、圧倒的だが、個人的には孤独で儚い繊細な内面演技こそ胸に迫った。
一番描きたかったのはここだと感じた。
ジュディは名女優だが、レニーも演技派。ステージ上のジュディ等しく、レニーの土壇場。その一挙一動から目が離せない。
こちらも話題になっているが、レニーがジュディを演じる事に数奇なものを感じた。
ご存知のようにレニーは、90年代後半から2000年代前半にかけて、飛ぶ鳥を落とす快進撃。
キュートな魅力で男女問わず魅了し、演技も上手く、どんな役もジャンルもこなせる。
『ブリジット・ジョーンズの日記』『シカゴ』『コールドマウンテン』で3年連続でオスカーにノミネートされ、『コールドマウンテン』で受賞。
誰もが羨む大絶好調!…だった。
いつの頃からか彼女を見なくなり…。
一生安定と思われていたキャリアがまさかのスランプに。
時々表舞台に出る時は、決まってゴシップ。
かつてのキュートな容姿の面影無く…。顔面崩壊とか見るも無残とか、マスゴミやSNS上のクソどもから誹謗中傷…。
個人的には2016年の『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』で久し振りに好演魅せて良かったが、それほど話題にもならず、興行的にも…。
起死回生に失敗、もうレニーも終わり…と思われた時、本作。
レニー、華麗なるカムバック! 2度目のオスカーというオマケまで付いて。
再びレニーのキャリアが安定かどうかはまだ分からないが、そんな浮き沈みのキャリアが不思議とジュディとリンク。
ジュディも不遇の時代を経て、カムバック。
受賞は逃したものの、『スタア誕生』『ニュールンベルグ裁判』で2度オスカーにノミネートされ、子役から名女優に。
仕事上では返り咲いたと言っていい。
が、私生活では…。
荒れた生活が続く。
依然アルコールに溺れ、時折仕事にも支障をきたし、生活も困窮。
そこで引き受けたロンドン公演。
こんな状態で歌えるのか…?
しかし、いざステージに立つと、その歌声で観客を魅了する。
やはり、プロなのだ。ショービジネス界の明暗をこの身で体験してきたプロなのだ。
孤独や不安に身を襲われる事がしばしば。
私は、誰からも愛されていないの…?
よく、愛されるより愛したいと言う。
が、ジュディは愛を欲していたのだ。
異論はあるかもしれない。でも彼女は、子役の頃から愛を欲していたのだ。
“ジュディ・ガーランド”という世界中で売り出される“商品”としてではなく、一人の人間として。
ゲイが“有罪”だった時代のイギリス、そんな偏見無く、ファンのゲイカップルとの交流は心温まる。あの時のジュディの顔は、心底の素と癒しだった事だろう。
クライマックス、ジュディは歌う。私からの愛を込めて。
ラストの曲は言わずと知れた“虹の彼方に”。
が、歌えない。
そんな時、客席から…。
愛し、愛され、愛され、愛し…。
その愛に応えて、歌い続ける。
歌う彼方に。
余談。
2020年9月13日。今日で、このサイトに登録してレビューを書き始めて、ちょうど丸10年となりました。
まさかこんなにも長く続くとは…! 自分でもびっくりです。
始めて書いたレビューは、『悪人』。今のダラダラ長いだけのレビューとは違って、簡潔に短く、それでもどう書くか頭を悩ましながら書いたのを今でも覚えています。
レビューを書くようになって良かったと思ってます。以前はただボ~ッと見て、ああ面白かったとか、ああつまらなかったとか、時にはすぐ忘れ覚えていない事もよくありましたが、こうやって文章にする事で、記録にもなるし、映画を見て自分が何を感じ、何を考えたか、より深く映画を見るも事が出来ました。それはつまり、より映画を見る楽しみが増えたという事にもなりました。
さてさて、これからもコツコツ頑張ってレビューを書いていこうかなと。
取り敢えず今の目標は、再見真っ只中の007シリーズ全作レビュー制覇と、来年の11年と(笑)、レビュー本数3000本です。
それから、いつも共感やコメントして下さる皆様、ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
これで、アカデミー賞主演女優賞⁇
大本命で受賞したので、すごく期待していた。で歌はそれなりにがんばっているとは思うが、人物的に似せているように思えなかったので、はっきり言ってがっかりした。たとえば、薬物依存の苦悩とか、子どもたちといっしょに暮らせない悲しさとかが、まるっきり伝わってこなかった。演技が表面的だったと思う。私もジュディのことをよく知っている訳ではないし、そういう人だったのかもしれないが、魅力的だと思えなかった。ただわがままなだけのオバさんにしか見えなかった。もっとカリスマ的な魅力がある人だったはずだ。そうでなければ、あれほどの人気を誇るはずがない。確かに、子役時代の扱いはひどいもので、本当に気の毒だと思う。でも、大人になってから、もう少しどうにかならなかったのかなぁと思う。半生を描いている訳ではなく、本当に最晩年を描いているのだが、感動したのは、代表曲「虹の彼方に」を歌った時だけ。残念だ。
走〜る〜♫雲〜の影〜を飛び超〜え〜るわ〜✨
皆んな「Over The Rainbow」を頭に使うから1人ぐらいはボケかましたろ!的に始まりましたレビュー。
残暑も少しはこれで凌げますでしょうか🎐
色んな所から伝記を引っ張り出してくるなぁ✨と感心するアメリカ映画。と思ったらイギリス映画だった💧
今回は「JUDY」で御座います🙇♂️
ジュディ・ガーランド知ってる?
子役の頃「オズの魔法使い」ドロシー役でトップスターに駆け上がったものの、擦ったもんだの人生。
亡くなる間際の話を映画化。
晩年のジュディ役にレニー・ゼルウィガー。
47歳にしては老けて見えるが、事情があったんですかね。調べながら鑑賞するのも面白い。
若い頃から「商用(ビジネス)」として扱われていたジュディ。
薬漬けによる体調管理。制限された生活。
晩年でボロボロになりながらも、その頃の名残りが抜け切れていない。
ショーステージに立つ「スター」ジュディ。
1番最初のステージ、歌っている間の目が逝っちゃってます💦
「楽しみながら歌っているのだろうか?」くらいにゾッとした。
次のステージ、、、やっちゃった。
そして、、、。
ステージ毎に違うジュディが凄い。
喜怒哀楽。それに伴い不器用さが現れ、彷徨い感たっぷり😅
「それでも私はスターなの🌟‼️」
晩年の姿は何であれ、スターを突き通したジュディ。
彼女を支えたのは「希望✨」
最後の皆んなでは、、、、やられました😅
容姿似ている似ていない別にして、まさにレニー・ゼルウィガー自ら勝ち取ったアカデミー賞主演女優賞だと思わせる映画でした。
また、そう考えていく内に他今年度アカデミー賞受賞作品やノミネートした作品は中々面白味があった作品ラインナップだったとも感じました。
俳優と役柄の人生が重なった傑作
よく俳優さんが役が入って抜けないと言ってたりするが、
素人の自分には、そんな事あるか?って
感じで聞いてたけど、
まさにこれはレニーとジュディの人生が重なって、
最近のレニーは整形疑惑やらで昔の人ってイメージだったのが、この作品で再び脚光を浴びるぞ!と言う気持ちと
ロンドン公演を成功させるぞ!と言うジュディが重なって
凄い作品になったように思う。
むしろ整形した事が功を奏してるようにすら思えて、
全くレニーには見えず、これが本物のジュディですと言われ
たら、ああそうなんだって感じで、役柄が乗り移ってるような気がした。
スゴいだけじゃなくて、怖いくらい。
俳優って恐ろしいなと思いました。
オズの魔法使といえば、子供の頃クリスマスに毎年やってた
気がするけど、あの子が!って感じで、
この業界で生きて来て利用されて壊されたはずなのに、
このステージでしか生きられないジュディに、
同情、哀愁だけじゃなく凄みも感じた。
成功させようと言う気持ちとは裏腹に酒やトラブルで
失敗してしまう超人ではない姿も、
戦う舞台は違うけど共感出来た。
LGBTや黒人にも優しい姿に
ジュディの本来の温かい人間性を感じました。
オーバーザレインボウ
歌は知ってたがジュディが歌ってたのは知らなかった。
太りやすい体質だったため、若い時から覚醒剤を使っていたらしいが、歌声が魅力だったのなら太っても良いって言ってもらえなかったのかな。
結局薬漬けで人生をふいにしたように思う。
苦しい作品でした
ジュディ・ガーランドの偉大さを描く伝記映画かと思いきや、終始「挫折」を主題としており少々面食らった。レネー・ゼルウィガーの老いを隠さない姿が目に染みた。特に眠れない日々の繰り返しの描写がとても哀しくて苦しくて悶える。健全な自由を奪われたスターの成れの果て。
良かったよ?レネーオスカーおめでとう。
ジュディの娘ちゃん役の子、ゲームオブスローンズのリアナ・モーモントの中の子ですね。
Eテレでやってる魔法学校ドラマにも出てるし、大活躍やね!
ジュディ・ガーランドをそんなに知らない日本人が観ているので、レネーの再現した姿への感動は薄め。
オズの魔法使を見たことあるけど、オーバーザレインボー以外そんなに好みじゃないって思ったし。
オーバーザレインボーは、多分音楽か英語の教科書に載ってて、学校で歌ったし、いろんなドラマや映画に出てくるし、とくにアリーマイラブで使われていたのがわたしには印象的です。叶わないと知っていることでも、虹の彼方にはあるかしら?と夢みることが、悲しいけど希望、みたいな。
オズの魔法使撮影時のパワハラきつい。児童虐待だし、人権侵害だし。でも過去にはわりとふつーだったってことよね。つか、今だって、この世はたいてい地獄。
でも虹の彼方を思うとき、少し救われる気がする。
ジュディを見て、救われた人が、客席から彼女を救ったラストは、圧巻でした。
レネー、オスカーおめでとう!
身から出た錆の末路と言えなくもない人生
彼女の人生は八方塞がりでこれ以上どうにもならなかったのではないだろうか。虹の彼方にに希望があるからといって、自分が虹の彼方に行くことはなかったのに・・
長生きするには心が弱すぎました。
Reneeの演技がすごい
ジュディガーランド のことをあまり知らずに、見ちゃったせいで、見たときはあまりよくわからなかった。これを映画化した意味はなんなのだろうってね。
しかし、これを見てから、彼女はどういった人なんだろうって気になっちゃって気になっちゃって、今はどハマり中。
オズの魔法使い の人!ってイメージだったけれど今じゃミュージカル界のプリンセスだなって思う。
女性らしい体型で、綺麗な髪の毛、そして、子どもらしい元気らしさ。ギャップのある大人っぽい歌声。
あの若く愛らしかった彼女が、ここまで落ちてしまった理由とは、を表ていた。
映画界の隠れた暗黒世界を直では表されないが察しることができる。ラストタイクーンと合わせてみるとなんか繋がって見えるかもしれない!
最後の最後のラストショーは、すごい圧巻だった。
愛をどう見つけるか。どこを第一優先にするか、、、
ずっと葛藤の中で生き続けていたんだなと。
もっと彼女のことを知りたい。。。
Reneeのジュディがジュディとして生きていた。
アカデミー賞受賞した理由がわかった。
黄昏に架かる虹
今年のオスカーは、この作品のレネー・ゼルウィガーと「ジョーカー」のホアキン・フェニックスが主演賞を制したわけだけれど、私はこの「ジュディ」を観ながらふと、彼女もまたもうひとりの「ジョーカー」なのかもしれないと思った。
ホアキン・フェニックスが演じた「ジョーカー」は日の当たらない所でしか生きられない孤独な人間だったけれど、ジュディ・ガーランドは逆に、光の中でしか生きられない孤独な人間だったのではないかと思う。類稀な歌の才能を持ってしまったばかりに、そして舞台裏でどんな醜態をさらしてもステージに立つと否応なく光り輝いてしまうスタアの星を掴んでしまったばかりに、ステージから降りては生きられなくなってしまった悲しい人間。ショービジネスは汚い業界だと身をもって知っているのに、それ以外の場所で生きる術がないのである。
光と影とでまったく正反対の場所に立つ二人なのに同じように不器用にしか生きられない様子が、まるで背中合わせのジョーカーに思えてなんだか興味深かった。
著名アーティストの伝記映画と言えば、『夢を抱く幼少期→脚光を浴びスター街道を駆け上がる→酒・ドラッグ・セックス(これらのいずれかあるいはすべて)に溺れ凋落→再起を賭け奮起→復活』というのが最早テンプレ化している中、この「ジュディ」は子役時代の回想を挟んではいるものの彼女の最後のツアーとなったロンドン公演の日々に注目しながら、彼女の為人やその人生に思いを馳せるものとして仕上がっており個人的に好感を抱いた。ウィキペディア情報を脚本にまとめたような伝記映画とは違うようだ。
先ほど「光の中でしか生きられない者の孤独」ということを書いたが、私はこの映画を見ながら「黄昏」という言葉も同時に連想した。真昼の強い日差しは弱まり、いずれ訪れる夜に向けて空が薄暗く変わって来るような時制。それは当時のガーランドの人気とも重なるよう。
本来は誤用であるが「黄昏れる」という動詞を私たちが使う時、なんとなく物思いに耽ったようなニュアンスを感じたりするが、そう言えばこの映画のガーランドは感情的になりつつ、いつもどこか「黄昏れて」いるようでもあった。まるでもうすぐその先に「夜」が来るのを覚るかのように。
最後の"Over the Rainbow"はまさに黄昏に架かる虹だった。夜はもうすぐ目の前。「光の中でしか生きられない」ガーランドが最後に浴びた夕暮れのような朱く神々しい光。しかし空は夕暮れが一番美しい。ガーランドが歩んだ人生における「黄昏時」の美しさと切なさをしみじみと感じた。
レネー・ゼルウィガーが歌える女優なのは勿論分かっていたけれど、今回はガーランドの白人離れしたソウルフルな歌声をしっかり掴んで、魂を込めて歌唱しているのに驚いた。「シカゴ」の時とは歌唱法が全く違う。かと言って決して物真似になることなく演じているのが見事だった。
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