劇場公開日 2018年8月3日

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「権力に取り憑かれた者たちの愚かで醜い抗争を風刺したブラックコメディ」スターリンの葬送狂騒曲 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5権力に取り憑かれた者たちの愚かで醜い抗争を風刺したブラックコメディ

2020年11月4日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

1953年の3月5日、ソ連の最高権力者ヨシフ・スターリンの死去に伴い起こった共産党内部の権力闘争を辛辣なブッラク・ユーモアで社会批評したコメディ映画。対立するのは、秘密警察を配下にする内務人民委員部の最高責任者ラヴレンチー・べリヤとモスクワ党委員会第一書記のニキータ・フルシチョフ。ベリヤはスターリンの恐怖政治を支え、多くの粛清を実行していた中心人物と見做されている。スターリンの補佐役ゲオルギー・マレンコフは書記長代理となり当初ベリヤと組むが、国家反逆罪でベリヤの失脚を狙うフルシチョフの圧力に屈して、最後は軍の最高司令官ゲオルギー・ジューコフのクーデターで決着する。少女への性的暴行、反ソビエト行為のスパイ容疑などの罪状で裁判は即決、同年の12月23日にベリヤが処刑されまでの約9か月の党内抗争が描かれる。そこにあるのは、権力の魔物に取り憑かれた人間の愚かさであり、欺瞞と策略の果ての醜い人間の姿が浮き彫りになる。その奔流を場面展開で畳み掛けた、澱みないドタバタ劇の面白さ。
独裁者スターリンは、中国の毛沢東と同じく自国の国民を大量殺戮した歴史に残る悪人だが、ドイツのヒトラーほど映画では扱われない。社会主義国に表現の自由がないことを思い知るが、何故か一般常識でも特に取り上げる事がない。その意味で、このフランス人の原作のイギリス映画の大胆にして勇気ある制作は一定の評価をしなければならない。興味深いのは、そんな独裁者を放置したソビエト連邦崩壊後のロシアが、政治経済停滞の国力低下からスターリンを再評価していて、この作品を上映禁止にしていることだ。確かに、スターリンの死に関してだけでも、暗殺、謀殺、偶発的毒殺、そして見殺し説と、脳卒中の病死以外にも様々な憶測がなされ、生き残りの証言も多岐渡り真実がどこにあるのか判らない。故にこれはその不確実な歴史に対する、あくまで一つの推測に過ぎない。ソ連の歴史自体の曖昧さに社会主義体制の闇がある。はっきりしているのは、そんなソ連時代に制作された優れた映画の伝統は、残念ながら今のロシアには残っていないようである。

Gustav