母さんがどんなに僕を嫌いでものレビュー・感想・評価
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「ハートフル」の枠に閉じ込められてしまった映画
虐待を受けて育った子供と、虐待する母親の間にある、簡単には説明のしようもなさそうな愛憎。社会問題としてというよりも、親であったり子であったりする一人の人間として興味を抱かせるテーマだと思った。
ただ実際に作品を見た印象では、虐待のある家庭の中にいる「親」と「子」という関係性において極めて頻繁に語られる要素が改めておさらいされているだけのような感じがあり、この映画でしか表現しきれなかった部分というか、またこの親子でなければ生まれなかった感情のようなものに気づかされるには至らず、虐待をあくまで「事例」として見聞きしているような感覚に近いものがあった。そういう意味では原田美枝子さん主演の「愛を乞う人」など、虐待をする母と虐待を受けて大人になった娘とを、双方を凄まじいまでに描写して見せ切った作品が存在することを思うと、この映画はその考察がやや弱い気がしないでもない。というか明らかに弱い。なんかいくらでも深く掘り下げられるテーマでありながら、所詮ハートフル映画の枠の中に封じ込めてしまったんだな、と言う印象。
そうはいっても、この映画には何度も泣かされた。虐待を受けながらも健気に作り笑いで生きるタイジくんの素朴さと素直さとひたむきさに何度も胸を打たれ、なんども心が痛み、その都度涙があふれた。
それでも。
それでもこの映画を手放しに「良かった」と言える気がしないのは、この映画が完全に主人公タイジへのカウンセリングでしかなく、映画としての物語性に乏しいせいだと思う。タイジくん以外の登場人物がことごとくタイジをカウンセリングするために登場しており、まるでタイジのために神が使わせた天使か何かであるかのようにそれぞれの役割を果たすだけの存在でしかない。タイジ以外の登場人物にまったくの人間味がないのである(ふと思い出したのは、ウィル・スミスが主演したクリスマス映画「素晴らしきかな、人生」だ―ちなみにフランク・キャプラの名作映画ではない―)。
森崎ウィンさん演じる劇団の花形俳優の立ち回りなどまさしくそれで、この人は神様か何かなのか?というほどにすべてをお見通しでタイジくんを導くようなことを言い放ち、絶好のタイミングでレンジローバーで登場してはまた彼に天啓を告げるという役回り。
それ以外においても、タイジを産んだときの母の気持ちに気づかせたいときには友人カップルがタイミングよく妊娠し、「おばあちゃん」と慕っていた女性の弟からは「ぞうさん」の歌を使って母への愛情を再確認させ・・・と、もう全登場人物が神の使いであり、神の思し召しであり、全宇宙がタイジをカウンセリングしているようなそんな世界のお話。本来、登場人物がしっかりと役割をもって登場することは物語においては望ましいことだけれど、ここまでわざとらしいというか強引になるとちょっと白々しく感じられてしまって良くなかった。
ただタイジ役の太賀さんはとっても良かった。泣きの演技も生き抜く知恵としての作り笑いも心の葛藤もすごく自然に演じていて思わず心を寄り添わせたくなったし、美青年ではないのだけれどなんだか可愛く思えてくる雰囲気も含め、この映画の鍵をしっかりと掴んで体現してくれたなぁとこの一作だけでもファンになれそうなほどだった。
泣けませんでした
太賀さんのファンなので、この映画を観ることをずっと楽しみにしていましたが、期待外れの結果になり、残念です。
私が鑑賞した日は、レディースデイだった事もあり、平日なのにほぼ満席に近い状態で、周りには号泣している方がたくさんいました。
そのような中で私は、ウルッとする場面はありましたが、物語が核心に触れていないもどかしさと、全体の演出が思い切りに欠ける感覚があり、感情移入出来ず、全く泣けませんでした。
特に虐待シーンは母親役の吉田羊さんのイメージを崩さない配慮が感じられ、嘘っぽくて、その後の展開への説得力が弱かったように感じます。
私は虐待シーンを露骨に表現するべきと言っているのではなく、説得力のあるストーリー展開、映像表現が欲しかったと言いたいのです。
演出と構成次第では、号泣必至だった内容だけに残念でした。
ゾウさんゾウさん
久々に映画でこんなに泣きました。
大好きな母に虐待され続ける描写は、感情移入してしまって本気で辛かったです。海辺で過去を打ち明けるシーンでのたいじの「今まででこんなに楽しかったことはないから笑いかたがわからない」というセリフがとても胸に刺さりました。今までの作り笑いや不気味な笑いではなく、"ばあちゃん"の言った心からの笑いが込み上げてきた瞬間、逆に笑えなくなってしまうなんて。
太賀さんの涙の演技が良かった。悲しみ、絶望の涙だけでなく喜びから出る涙や安堵からくる涙など、ただ泣いているだけではなく、高い表現力だなあと思いました。
また、吉田羊演じる母さんが、たいじの話を聞いて表情を変えずに静かに目からこぼす涙にもまた、感動しました。とにかく2人の演技力に脱帽です。
小劇場でのミュージカルのシーンは、小劇場で演劇をかじっているものとして、少し恥ずかしくなる作り方でした。笑
母の愛を当たり前に感じて、時に邪険に扱ってしまう自分を少し反省する機会にもなりました。
今まで観た映画の中で一番泣けた
僕はブタじゃない!僕はブタじゃない!
原作漫画は既読。
幼いころからずっと母親から冷たい仕打ちを受け続け、そんな母をずっと嫌いだったタイジ。虐待されっぱなしだった彼は、グレるほどの気骨もなく、卑屈でいじけっ放しの人生だった。
そんな彼にできた友達は、これまた絵に描いたような好青年たちだ。
さあ、それを観た皆さん、都合がいいとかたまたまの幸運とか思っていませんか?
ぜんぜんそんなことないですよ。よく見てあげて、タイジという人間を。心の声で毒は吐くけれども、とても心根が優しいじゃないですか。友達が寄ってきたのも、初めはタイジ自身が演劇に顔を出して自分を表現したからじゃないですか。大検受けて優良企業に努力で就職してるじゃないですか。人生の負け組側にいることにめげず、自分の道を開こうとした結果じゃないですか。
けして運命に流されるわけじゃないし、受け身なんかじゃない。だから、彼らのような好い奴らが寄って来たんじゃないですか。それでも時にへこたれようとするタイジに、ありがたいことに彼らは寄り添ってくれる。キミツの言う「理解は気付いた方からすべし。ていうか、理解する力のある方が先に気付いてあげるんだよ」なんて、とても勇気をくれる言葉じゃないか。
そしてばあちゃんが「タイちゃん、僕はブタじゃない!って言って。大きな声で言って。」と、目を覚まさせてくれるんじゃないか。
大将だって「親に変ってほしいなら、まず自分が変わろうよ」て背中を押してくれるんじゃないか。
キャストは、キミツ役のウィンのはまりっぷりが抜群。チャラさも、ハイテンションぶりも、時たま見せる憂いも。彼はこの先、伸びるだろう。
そもそも目当ては太賀で、当然うまいんだけど、彼の容姿にブタであった形跡が見えない時点で、「ブタじゃない」と叫んでもちょっと違和感があった。加藤諒あたりがベストキャスティングのような気がした。
吉田羊としては、やや貧乏くじか。演技の上手下手の前に、この役に共感がわいてこない。むしろバリバリのヒールになってくれた方が清々しいのだが、脆さやみすぼらしさを見せる役のせいで残念ながら嫌悪感を覚えてしまう。でも、この人の生い立ちを追えば、結局、虐待の連鎖から抜けられない人の弱さが見えてくるから、気の毒ではある。
一寸,映画という物にする事が…⁉︎
僕がどんなにこの映画が嫌いでも…😞💨
一瞬 味の素かなんかのCMが始まったかと思った。 もう そこから「なんだこりゃ」となってしまった。
ひどくないか あまりに雑な設定 扱うテーマは深刻なのに… これは原作がひどいのか 監督か 脚本か 撮影か
ストーリーを役者に語らせ過ぎ 全部説明しちゃってるので じゃあ映像は何のためにあるの? しかも どアップばかり
あの劇団の設定は?何故一人金持ちがいる?
同僚の女子 その彼氏図々しいほどフレンドリーで積極的とても主人公思いのいい奴 何故この三人は主人公に惹かれる?
最もひどいのはこの友人たちの「理解してあげろ」の言葉で主人公が変わる そんな簡単なトラウマじゃないだろう!
だいたい年月は10年は経てるのに ばあちゃんも母も老いてないって…
母も後遺症などみじんも感じられないほどきちんとした吉田羊がいる
観ながら一人で「そりゃないよ」と何度も呟いた。
22時からの回の見終わって うんざりげんねりしながら家路についた
この監督は映画好きなのだろうか?
リアリティーもなく ファンタジーで酔わすでもなく アイロニーで笑わすでもなく
何を撮りたかったのか 何を伝えたかったのか?
酷すぎやしないか? 自分の見た中で今年最低の映画か…
星はマイナス★★
自分には合わなかった
泣きどころ多数。⚠︎ネタバレあり⚠︎
中盤までは少し重い展開。その中でも随所に泣きどころがあり。実話を元にしたフィクションとは言え人物それぞれの心理の流れがとてもリアルで丁寧に描かれている。ラストに己れの過ちを悔いて改心するハッピーエンド…という作品は多いが、人間それほど単純に改心なんてできない。この作品にはその点において生々しさがあり生身の人間を深く描いている。
他人には見えない判らない母と子の関係
1978年『鬼畜』という映画作品のラストシーンを思い出した。どんなに親からの
ネグレクトを受けても肉親の所へ戻ってくる。この作品は父と子の切っても
切れない関係が描かれている。どんなに酷いことされても子が父の「罪」を赦す
作品だ。今回の作品と比較するのはどうかと思ったが、子と肉親は切っても切れない血が流れている。
これは、光子の妹から母親である光子が18歳までタイジと同じ境遇であったことと重なる。それから、タイジが母親の接し方は大きく変わる。
光子も虐待にあっていた、だからか本音を語れない、つい人前で見栄を張ってしまう人間になってしまったのか?。タイジの言動が光子にとって、昔の自分を見ているようで彼を自分から遠ざけた。
此処で、母の味「混ぜご飯」が大きなポイントとなる。自分を変えたいとタイジは
ある劇団の活動に入ることとなる。キミツとタイジは同類?
キミツが、タイジに急接近してくるが、外車を乗り回すキミツという人間というものが、全く描かれていない点は、この作品が、実話を基にしているからか、深くは描かれていない所は惜しい。タイジを大好きであった婆ちゃんの死の場面があってもよかったのに。タイジと唯一自分の味方婆ちゃんの場面に泣けたし、タイジの「ニワトリ踊り」には、号泣でした。
ひどい映画だった
今回のこの映画「母さんがどんなに僕を嫌いでも」に対する一番の違和感は、30年以上前の話を現代に持ってきたこと、歌川たいじのキャラクターから、ゲイでおネエであることを払拭してしまったこと。
歌川たいじは、ゲイでおネエだから成立しているのに、何故に一掃してしまったのか?
それならば映画化する意味なんてゼロ。
なおかつ、今やハリウッド俳優の森崎ウィンに演じさせるキミツ役は、おネエ丸出し!
歌川たいじとキミツは、お互いにおネエだから成立していたのに、たいじをノーマルにするとただの失礼な人でしかない。
「母さんがどんなに僕を嫌いでも」の脚本には、感情というか登場人物の心が全く描かれていない。
会社の営業で、不正をして一位になるエピソードには驚いた。
結局、異常な両親二人の遺伝子を色濃く受け継いだ歌川たいじは、自分で自分を異常なサイコパスと告白しているのだ。
とにかく、脚本も構成もひどすぎる。
会社の営業で一位になって、同僚に不正を指摘されて、胸ぐらつかんで脅して、キミツに車に乗せられて、ホテル三日月に行って、母親から数年ぶりに電話があって、風呂場で大将になぐさめられて、海岸のシーンがあって、キミツに車で送ってもらって、そしたら婆ちゃんが死んで遺品整理をしたって弟さんが缶を持ってきて、、、etc.が、土日に一度に起きるとか、あり得ないと思う。
盛り込み過ぎでは?
実話だからって言われても、全く共感出来ない。
木野花の名演技は唯一の救い。
だが、歌川たいじは「婆ちゃん、婆ちゃん」と言っておいて、引っ越してからはほったらかし。
数年後に会いに行ったら「もう死にます」と言われて、次はもう死んで遺品を弟さんが持ってくるって!
婆ちゃんの葬式には行かないのか!
歌川たいじって、本当に薄情な人なんだなって思う。
ぞうさんの歌を歌う意味も、全くわからない。
全身タイツで病院の駐車場で歌って踊るのも、意味不明。
コメディにしたいのか、ミュージカル風にしたいのか、なんなのか?
この映画を見て泣ける人、「今年一番泣いた」「泣ける映画」ってSNSで拡散する人に問いたい。
一体、この映画のどのシーンで泣けるのか?泣いたのか?
本当にひどい映画だった。
何か泣けない。
涙なしでは観られません
こんなに映画を観て泣いたのは久しぶりでした。それも映画館で…
最初からたいじさんの気持ちを考えると自然と涙が出てしまいます。でも生きていてくれて、今が幸せと思えて本当に良かった。
運命は残酷なだけではなかったですね、たいじさんの隣にはばぁちゃんがいてくれた。そして大切な友達を与えてくれた。
お母さんもずっと虐待をされて育って、たいじさんと同じ気持ちを抱えて生きてきたってことを考えると愛されたかった、誰かに必要としてほしかった、認めてもらいたかったんだと思います。
最後に「ありがとう。たいじかいてくれてよかった」ってお母さんが言ってくれた時、今までの胸のつかえが取れて、本当に嬉しかったことでしょう。
実話を元にした作品なので、本当にリアリティがあって、でも虐待だけのテーマではなく、親子の愛、友情も考えさせられました。
もう一度観たいと思いました。
五七五にうまくまとめている川柳的タイトル
虐待をどんなに受けてる子供でも、やっぱりお母さんは好き。これがまた華のある綺麗なお母さんであれば尚更だ。主人公タイジが小学生になり、さすがにスープをかけられるくらいにまで壮絶な仕打ちを食らうと、ちょっと距離を置いてしまうところがリアル。肥満児だからと言って施設に1年間入れられるとなると、さすがにお母さんだって子供が愛おしくなるはずだ・・・と思っていたら、帰ってみるとお母さんは旦那と離婚していた!
児童虐待などの社会問題を取り上げているようでもあり、それ以上に精神的な虐待、母子愛の欠如、身勝手な母親役をこれでもかこれでもかと観客に投げかけてくる。17歳になると、勝手に精神科を受診して、それすらも母親から詰られた上に包丁を突き付けられたタイジ。ようやく家を出る決意をすることとなる。
血の繋がった親子の究極の愛とでもいうべきか。この軸だけで考えると、『万引き家族』なんかとは真逆の家族愛。会社や劇団を通じて知り合った友達が皆いいやつなので、このまま楽しく過ごすという手もあったのに、キミツ(森崎ウィン)の家訓を聞かされ、見返りを求めない無償の愛を貫く道を選択するのだ。いや、これはなかなかできることじゃない!
終盤は再婚した母が莫大な借金まで相続してしまったことから、彼女に自己破産宣告をさせようと努力するタイジ。料理という絆で結ばれていた母子だったから、「一緒に小料理屋をやろう」と誘うのだ。仕事で不正をしたことも、DNAを受け継いでるのだと納得する様子。自分と同じ深層の性格を持つのなら、「生まなきゃよかった」ことも何か理由があるはずだ。何度も堕胎しようと思った事実を告げられたときには、「生んでくれてありがとう」という気持ちになっていく。
何か所も泣けるポイントがあったのですが、キミツ、大将(白石隼也)、カナ(秋月三佳)に虐待の事実がバレてしまったときの彼らの優しさには泣けた。人の痛みを知ることが相手を理解する近道なのでしょうね。
ほぼ実話?
惜しい映画
重い話だが目を背けてはならない
予備知識はほぼなしで予告の印象のみで鑑賞を決める。公開翌日の土曜日のレイトショーに行ったが、ほぼ貸切状態。
まぁ虐待の記憶を乗り越えて家族を再建する非常に重い話だし、子供が虐待される場面を見たい人がいるわけないだろうから、客が入らないのも宜なるかなではある。
それでもなお母を愛する主人公、主人公を愛する血の繋がらない「祖母」、お前の闇の部分も含めて好きだと言ってくれる素晴らしい友人たち、そして遂に望む結末を手に入れる姿に、何度も涙が出そうになった。
しかし最も衝撃を受けたのは、映画の最後に「本作は事実を元にしたフィクションです」と表示された瞬間である。こんな努力ができる人が本当にいるのか。自分の家庭にも色々な問題があるけど、自分にはとてもこんなことは出来ない。一生逃げ続けるだけだ。
毒親を熱演した吉田羊さん、虐待される幼少期を演じた子役の小山春朋君には、お疲れさまでしたと言いたい。
※本作には熱心なアンチが付いているようなので、自分としては珍しくコメント不可とさせて頂く。
走り回る子供を蹴りたくなった
混ぜご飯
幼い頃より母親から愛されず、自身の身を案じると共に恨みを抱き、17歳で家を離れ一人で暮らす23歳のサラリーマンの話。
外面は良いけれど家出は主人公を虐待し、自身のことと世間体ばかりを気にしている母親。
ただ、主人公が幼い頃は歪んでいるものの愛情が皆無ではないようにみえる。
23歳になって知り合った友人達との交流の中、本心をさらけ出し、背中を押されて自分と向き合い母親にぶつかって行く様子はなかなか良かった。
ただ、こればっかりは同じ経験と感性を持っていないと共感は難しいからね…。
自分的には母親との件よりばあちゃんとの件の方が好みだし、自分自身だったらと考えた時に感情が被るところはこれっぽっちもなかったけれど、物語として面白かった。
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