ブリグズビー・ベア : 映画評論・批評
2018年6月12日更新
2018年6月23日よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほかにてロードショー
25年間地下に幽閉され“クマのヒーロー”を信奉する青年の驚くべき挑戦
赤ん坊のときに誘拐され、偽りの両親の愛に育まれた主人公ジェームスは、外界と隔絶した地下シェルターで25年間も暮らしてきた。そんな特殊な環境で純粋培養された彼が警察に保護されるまでをわずか10分余りで描いてしまうこの映画は、監禁や洗脳といった犯罪被害からの社会復帰を軸にした物語だ。「ルーム」の後半部分のコメディ・バージョンとも言えるが、あまりにも浮世離れしたジェームスの精神状態は尋常ではない。なぜなら彼は架空の教育番組「ブリグズビー・ベア」だけを観て育ったため、主人公であるクマの被り物ヒーローのことで頭がいっぱいなのだ!
クマのブリグズビーが銀河の危機を救うために大冒険を繰り広げる「ブリグズビー・ベア」は、ニセの父親(マーク・ハミル!)がジェームスのためだけに作り上げた壮大なSFファンタジーだ。特撮はチープだが異様なまでに緻密な世界観に基づき、VHSテープで25巻・全736話にも及ぶその番組は、ジェームスの人生のすべてであり、彼に途方もない夢と想像力を与えた。そして本物の両親や妹との生活をぎこちなくスタートさせたジェームスは、未だ完結していない「ブリグズビー・ベア」の続編を自主制作することを決意する。
強烈なトラウマを負った若者が家族や映画マニアの青年、人情派の刑事らの後押しを得て、無謀な映画作りに奮闘する。これが単なる映画愛を謳い上げた“いい話”にとどまらない迫力を獲得しているのは、その創作のプロセス自体が一種のセラピーであり、ジェームスが新しい世界と自己を発見する通過儀礼になっていることだ。この純朴な若者が初めての他者との出会い、初めてのドラッグやキスを経験していくカルチャーギャップの描写は実にコミカルだが、そのブラックで痛々しい笑いは危なっかしいスリルも喚起する。
そんなこちらの緊張などお構いなしに映画作りに驀進するジェームスと仲間たちを眺めていると、彼らが無邪気にカメラを回す雄大な自然のロケーションが、まるで未知の惑星のように見えてくるから不思議である。シリアスとコメディ、リアルとフィクションの境界を絶妙なさじ加減で映像化してみせた作り手たち(「サタデー・ナイト・ライブ」などで活躍する喜劇ユニット)の奇想と表現力に驚嘆せずにいられない。そのほかにも終盤に再登場するハミルのあっと驚く怪演など見どころは尽きないが、最も筆者の琴線に触れたのは米国インディーズの実力派女優ケイト・リン・シールの登場シーンである。人間の“心のよりどころ”なるものを、こんなにも切なく、はかなく映し出した場面はしばし忘れようがない。
(高橋諭治)