判決、ふたつの希望のレビュー・感想・評価
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ちょっとした口ゲンカのはずが…
素晴らしい映画だった! 台風接近という悪天候に、正直、ちょっと面倒だなと思っていたのだけど、行って良かった! 観た甲斐があった映画だった 発端は、どこの国でもある口ゲンカだった しかし、それをきっかけに国を二分する論争へと発展してしまう 私たちが、目の前にいる人と口げんかをしている時、思わず口に出てしまう言葉がある 例えば、小学生だったら「お前の母ちゃんデベソ」のような幼稚な言葉 その言葉を言われた側は「俺の母ちゃん侮辱すんなよ!」と言って激怒する この映画は、その「侮辱」についての物語なのである 中東という地域のイスラエルに隣接しているレバノンという国だからこそ、「つい出てしまう一言」があって、後から冷静になって考えれば、それは相手を酷く侮辱している言葉だったと分かる しかし、そのことに気づいたときには後の祭りで、二人の口げんかは、さらに大きな話に発展してしまっていた 私たちが何気なく、特に意識もせず「お前の母ちゃんデベソ」と言ってしまった時、たいてい、その人のお母さんがどんなパーソナリティなのかを知らずに言ってしまう けれど、こちらも酷いことをされたんだから、それぐらいの侮辱は問題ないだろうと思ってしまう しかし、本当にその「侮辱」は問題がなかったのだろうか と、この映画は考えさせる 「侮辱」された側にもあがらえない人生があり 無意識に「侮辱」してしまった側にも、その理由がある そこで、この映画が訴えるのは「理解」と「対話」であり、その解決方法が素晴らしいと思った もしも、相手のお母さんを侮辱した時に、そのお母さんが寝たきりだったり、病気だったら その事実を知った瞬間に、相手を思う気持ちが大きく変わるはずだ 日頃、私たちは簡単に人を嫌いになったり、平気で悪口を言ってしまう しかし、その多くが、大抵、相手のことを知りもしないで言っているのだ そう思う前に、相手を知り、対話して誤解を解けば、その多くがケンカにならずに済むのに、人間はつい感情的になってしまうのだ そして、この二人の結末は、現在、世界中で起きている数々の紛争やテロを解決する希望にもなっている だから、この映画をたくさんの人が観て 「二人の間に何が起きたのか」 をよく考えて欲しいと思う
社会性&娯楽性→名作
映画試写会「判決、ふたつの希望」。 些細な口論が発端となり、国家を揺るがす法廷闘争へとエスカレートする様を描くレバノン映画。 民族と歴史、誇りと寛容、暴言と暴行、宗教と難民問題...様々な問題の耐えられない重みを感じ、考えさせられる。 一方で、スリリングな法廷ドラマにもなっており、社会性と娯楽性を兼ね備えた名作。 2018年トップ10入り間違いなし!
必見の感動作
この映画を観て、「国家というのは生身の人間の集まりである」とつくづく感じました。それぞれに家族や仲間、喜びや苦痛、歴史や思想があり、ふとしたきっかけでそれらの違いが揺れ動く様を見事に描き出しています。ストーリーも素晴らしかったけれど、主人公2人が「もう争いたくない」オーラを出しながらエスカレートする裁判に巻き込まれていく、その微妙な感情をデリケートに表現した演技が秀逸でした!
是非20代の若者に観てほしい!
こんなにも、心がゆさぶれるとは思いもしませんでした。 想像以上に深く考えさせられた、素晴らしい映画です。 パンフレットには、どんでん返し連続の裁判映画と書かれていましたが、これはただの裁判ではありませんでした。 人と人の尊厳を訴える、人種を超えた社会派なヒューマンドラマです。 きっかけは些細な口論が始まりでした。 雨樋を勝手に工事したことにより、家の主人から暴言を吐かれてしまった事件。 工事の男は激昂されたことにより、つい感情的になって、汚い言葉で男を罵ってしまいます。 それが許せなかった男は、謝れと彼に訴えますが、工事した男には全く謝る気がありません…。 謝れば許してやると訴える男と、頑なに謝らない男。 なぜこんなにも2人は「謝る」ことに固執したのでしょう…。 そこには、紛争、宗教、政治など、複雑で繊細な問題が深く絡んでいました。 難民であるが故の苦労、そして暴かれることのなかった男の人生。 互いの深く辛い過去が法廷で暴かれる時、彼らの「謝罪」という名の本当の意味が見えてきます。 「ただ、謝罪だけが欲しかった」というキャッチフレーズは、この映画を見終わった後でないと良さが分からないかもしれません。 しかし、映画を見終わった後に、この言葉の深い意味を感じ取れれば、この言葉がドンピシャにこの映画にハマっていることがよく分かると思います。 歴史の悲劇には、たくさんの難民が苦しめられているのだと理解すると同時に、何の罪もない人がいかに謝罪という言葉を求めているかを、この映画で知ることができました。 ナチスドイツの加害者とユダヤ人の被害者の問題も同じ事だと思います。 未だに謝りの言葉一つ無いということが、どれだけ相手を苦しめているのか…。 戦争は終わったのかもしれませんが、個人の記憶や想いは全く終わっていないのが現実…。 そのことを忘れないために、もう一度考えてもらうために、この映画は作られたのかもしれません。 自分たちが犯した罪を自覚することができれば、自然と謝罪の言葉は出てくるもの。 そして、被害者はその言葉を今でもずっと待っているのだと考えさせられました。 この映画のもう一つ良かった部分は、最後に喧嘩両成敗とならなかったこと。 裁判という公的な場だからこそ、互いの訴えを吟味し、裁判官が判決を下した部分は感動しました。 こういう映画は、これから先の時代、もっともっと世に輩出してほしいものです! 深い深い考えに苛まれる、体の奥の方がジーンと熱くなる映画を久しぶりに鑑賞したように思います…。 素晴らしい! 感動(o^^o)
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