劇場公開日 2018年8月31日

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「世界はほんとうに複雑なのか?」判決、ふたつの希望 ピラルクさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5世界はほんとうに複雑なのか?

2018年9月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

難しい

単一民族で島国にっぽんの私達には難しい主題である。紹介では普遍的な問題を描いているから予備知識なくてもわかります、と書かれてあったが、観客動員のためにはそう宣伝しないとね、と解釈しておく。
「シャロンに殺されてたらよかったのに」と出てきて、『シャロンって何?シャロン・ストーン?あっ、もしかして氷の微笑の足の組み換え、あれじゃね?』と思ってるような輩(自分だというのは内緒)でもわかるのかな。
先の侮蔑を浴びせられてどれぐらい屈辱的なのか想像がつかない。想像がつかないからヤーセルが職を失って苦悶するところで驚いた。クビがそれほど痛手なら感情一切を捨てて謝っておけばいいのに、と思ってしまう。

そういう発想が、すでに単一民族で島国にっぽんなのかもしれない。日常、自尊心を心の奥にしまっておける社会で暮らしている。ところがあちら、民族と国家が混じりあった土地に生きる人たちは、肌と下着のあいだぐらいに自尊心をまとっていそうだ。尊厳と生活は寄り添いあって、ときに反目しあったりするのだ。

世界は複雑である。しかしあえてその複雑さを拭い去って「世界は一家、人類は皆兄弟」の視点でみるとどうだろうか。
トニーは血の気が多い。あの排水溝は問題あり。それを無償で直してくれたのだから、壊さなくてもいいだろう。どんな民族のどんな国家のどんな思想家のどんな宗教をもった人であれ、あの性格はトラブルメーカーだ。
そうかそうか、シンプルにみたら、事はシンプルなんだ。

となると、注目したいのは一審の判決だ。さっと流れた場面だけど、あの判決はものすごくまっとうだ。直感的な判決だけど、あの裁判官は確かな眼を持っていたのではないか。二審から事態は複雑化した、というか、二審が事を複雑化させた。優秀な弁護士らが、問題を解きほぐしていったように見えて、実は問題を積み重ね塗りたくりして、カオスにしてしまったのではないか。

複雑さとはどこにあるのだろう?問題を解くとはどういう行為なんだろう?そこまで思索をひろげるともう収集つかない。たしかに普遍的である。

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ピラルク