判決、ふたつの希望のレビュー・感想・評価
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最も困難な、三つ目の希望はあるか
観客は、レイシズム丸出しでパレスティナ難民のヤーセルを侮辱するレバノン人のトニーに、初めは反感を抱くだろう。しかし、トニーのパレスティナ人への憎悪には理由があることを見せられることになる。
トニーの出身地の村で起きた虐殺が、パレスティナ民兵の仕業ではないかとの疑いがあるからなのだ。イスラエルの迫害により難民となったパレスティナ人のヤーセル。生まれ故郷で忌まわしき虐殺が起こったトニー。そんなふたりだからこそ、法廷闘争の原告と被告でありながら、ミメーシスが生じる。ヤーセルの車のエンジンの調子を直してやるトニー。トニーに向かってわざと憎まれ口をたたいて、自分がやったのと同じように殴らせるヤーセル。立場の違い、民族の違い、宗教の違いを越えてミメーシス(感染的模倣)が起こったのだ。
トニーの弁護士は、虐殺に関する記録映像を法廷で見せ、こう言う。「私たちは、こうした映像に慣れてしまっている。何の衝撃もありません。普通のことです。しかし、被害者や家族にそう言えますか?」と。
そう、私たちは悲惨な報道に慣れきっている。残虐な映像に無感覚になっている。本作は、そんな観客である私たちに問いを発するのだ。判決は下り、トニーにもヤーセルにもそれぞれの希望が生まれた。ところで、傍観者であるあなたたちを誰がジャッジするのか、と。
ほんのちょっとの気づき
レバノン社会は複雑だ。18もの宗派が存在し多くの紛争を経て、多様な人種が暮らしている。普段は「配慮」して口にしない感情は、だれの心の中にもある。
きっかけはささいな口論に過ぎなくても、それが人種対立というフィルターを通して拡大されれば、国を揺るがす大事態になる。それほどまでにレバノン人の心の底にくすぶる何かを呼び起こしてしまうものが、映画の中に描かれている。
人間だから誰もが許せないことはある。しかし、重要なのは相手もまた自分と同じ感情を抱いていることに気がつくこと。手を取り合ったり、抱き合って和解する必要はない、ただ、相手を自分と変わらない人間だと認識することで、不毛な対立はずいぶん解消されるものだとこの映画は言っている。対立した2人の男の間に友情が芽生えたわけでもない。ただ「ああ、あいつも俺と同じなんだな」と互いに思えるようになっただけだ。
今日、世界中の対立で欠けているのはこの小さな認識ではないか。それに気づくだけで世界は随分よくなる気がする。
舞台はレバノンでも、こういうことってよくある。
配水管工事の際に起きたちょっとした暴力と差別発言のせいで、当事者である2人の男の意思に反して、事が大袈裟に膨れ上がっていく。たとえそれが、レバノンとパレスチナ、キリスト教とイスラム教の対立というとても複雑な事情を孕んでいたとしても、こういうことってよくあると思う。些細な喧嘩が、双方の意地と、そこに群がる第三者たちの"煽り"によって、取り返しがつかない事態に発展するということは。この映画が日本からは遠く離れた地域を舞台にしていながら、気がつくと誰もが法廷の傍聴席に座ったようなある種の興奮と共感を覚えるのは、そのためだ。人と人とは必ず分かり合えるはずなのに、それを邪魔する不幸で愚かな憎悪の繰り返しを、いい加減止めようじゃないか!?心が安らぐエンディングからは、そんな呼びかけが聞こえてくるようだ。
法廷で争う弁護士父娘が新鮮なアクセント
ジアド・ドゥエイリ監督は、西側や東洋の私たちがなかなかうかがい知れないレバノンやアラブ文化圏の事情を、ごく普通の人々の暮らしや体験にからめてわかりやすく伝える才人だ。フランスのアラブ人ゲットーで暮らす若者を描く2作目「Lila Says」、妻に自爆テロの嫌疑がかかるイスラエル在住の医師の苦悩を描く第3作「The Attack」は小説の映画化だが、それでもアラブの人々が決してイージーではない環境の中で、どんな風に世の中を見て、どう感じているかをいきいきと伝えている点は変わらない。
主演2人の名演は見応え十分。多くは語らず、深い怒りや憎しみを表情で伝える。2人の対立が周囲を巻き込みどんどんおおごとになっていく展開も興味をそそる。原告側と被告側それぞれにつく初老の父とその娘、弁護士親子の対決もちょっぴりユーモアがあって楽しませる。暗く重い歴史を扱っているが、後味はさわやかだ。
怒りと優しさと謝罪についてのイイ映画
二人の男がちょっとしたことでトラブルになり法廷で争うことに。
初めは少々退屈かもしれない。そんなことでそこまで怒らなくても、とか思ったりね。だけど、その理由は徐々に明らかになっていくし、始まりの些細さからは想像できないほどの大きな物語に発展していくから大丈夫。
なんてったって、一番最初に、本作品はレバノン政府の見解を示すものではありませんと注意書きが出るくらいだからね。
お互いに弁護士がついたあたりから、トニーとヤーセルの思惑を超えた問題に発展していく。
内戦、難民、宗教対立、要するにレバノン国内におけるパレスチナ問題。ほじくり返せばかなり昔に端を発するこの問題は長い時間をかけてあらゆるところに分岐し、小さな問題も生み出してきた。
映画の中ではパレスチナ問題を色々な角度から取り込み、二人の些細な論争を、国を揺るがすほどにまで自然な感じで大きくした手法は素晴らしかったね。
パレスチナ問題とかよくわかんねーよ、レバノンとかほとんど知らないよ、とかいう人でも大丈夫。まあ、詳しければより楽しめるだろうし、ほんの少しの知識はあるべきだが、身構える必要はない。
なぜなら、この映画が真に素晴らしい理由なんだけど、あくまで二人の男の対立の物語であって、トニーとヤーセルがどうなるのか、この法廷劇によってどうモミクチャにされたか、そしてどのように変わり、変わらなかったのか、が観るべきポイントだからだ。
トニーとヤーセルの対立は、お互いに触れられたくない、触れてはならないものを刺激したために起きた。
それは、俺のアイデンティティーを踏み荒らすな!だったと思う。二人ともね。
理解し合えれば変化は訪れる。だって、基本的に人間は優しいものだろ?何度かホロッとさせられたからね。
非難し合った結果が戦争になってもいいのか
「シャロンに叩きのめされていたらよかったんだ!」レバノンの男性がパレスチナ難民労働者を罵倒するところから始まる、レバノン出身のジアド・ドゥエイリが民族宗教対立の裏にある歴史や差別に踏み込みながら密度の高い人間ドラマを創った。これは日本の移民政策(入管法改正)にも密接に関係する。
近年世の中は偏見による罵倒と憎悪にあふれており、移民難民問題が絡むと理性が吹っ飛んでしまうのが現状だ。
レバノンは地中海の東に面し、隣国イスラエルとシリアに再三侵攻されており、イスラム・キリストの宗教対立が激しい国であり、流入したパレスチナ難民が国を支えている面もある複雑な事情を抱えている。
ここで言うシャロンはイスラエル史上、最もパレスチナに強硬姿勢を貫いたシオニストの首相であったことを頭において見れば理解しやすい。
シリアスなテーマを上手く作品に仕上げている
民族及び宗教紛争をベースに、男2人の揉め事が世論までも巻き込む大事件になる話。
島国で、しかも平和ボケとも言われる日本に育った身にはあまりにも重く、理解したくても出来ないであろうテーマだった。しかし、そこを上手く人間の本質に刺さってくる脚色は見事。素晴らしい作品だった。
これまででNo.1かも
Amazonプライムで観ました。劇場公開を逃したのを後悔。
これまでそこそこの数の作品を観てきましたが、これが1番かも。何回観ても飽きません。
映像や脚本、演出がどうかではなく、何というか作品全体のつくりが素晴らしい。
局面で言えば、ラストで主演2人の目が合うシーン。
日本人としては、某国製品にダメ出しするとか。
そしてラストが近づくにつけての音楽。
全く知らないレバノンのことも勉強になりました。世界中単純に解決できない色々なことがありますが、平和に代わるものはないと痛感。
人間性の問題が民族性・格差の問題と膨らみ、政治を絡ませる
性格正反対の様なレバノン人男性とパレスチナ難民の男性が喧嘩になり、更に裁判沙汰になり、また更に裁判がレバノン全国的事件に発展して行ってしまう話。
国に難民を招き入れた事すら無い、隣国が陸続きでは無い島国の日本にとってはレバノン事情は分かりづらいものが有る。
徐々に民族や紛争問題が展開に交わり大袈裟・出来過ぎに見えてしまうのはしょうがない所。
性格正反対の様な主人公2人のうち1人は当初嫌いであったが、映画を観ていくうちに何故か段々と憎めなくなる。人間なんだから結局は同じなんだよ的に。
映画にしてやられた感はあった。
裁判員もホント公平的な立場で理不尽な所無く進み、こういう裁判所なら是非行きたいww
言ったもん勝ちの裁判所って嫌いなんですよね💦
それが無い。性格なども考慮しているのは偉い。
「判断する冷静さとはこの様なものだ」と思う見本でした。
裁判ネタは悪くは無いが、長いかな。短くして別にもっと主人公2人に焦点を合わせて貰いたかった。民族性の違いとして。
うーん
冒頭の設定はすごい面白くなりそうだなと思いますよね。政治的宗教的乖離が明確でない日本でもご近所トラブルで人が死んだりする事件もあるし。どうなんのーと見てたら、あれ、なんだ?後半の昼メロドラマ感、観客泣かせれば勝ちみたいなここ数年の日本映画か?と思うような展開。中東の多民族間、しかも日本メディアで取り上げられることのないレバノン生まれのキリスト教徒とパレスチナ難民の間に横たわる事情を肌で知らないと、この映画の中の説明くらいで、おーそうなのかーとはちょっとなれない。
事実として知れたことはありがとうと思うけど映画の出来としては好きではありません。
謝罪は弱さじゃない
どこにでもありそうな諍いが、やがて国を揺るがすような大騒動に…。
紛争で傷ついた人たちをどうこう言うわけじゃないけど、僕はカテゴライズして何か分かったような気になることの恐ろしさを見たような気がした。
結局は、人と人。「ごめんなさい」と「ありがとう」をしっかり言える人間になりたいと思った。
思いやり
些細な喧嘩から始まったが、その背景にある大きな問題が複雑に絡み合っている。
小さな事が火蓋になり、それぞれが抱えていた不満が爆発する。
自分だけではなく、相手も同じように苦しんでいると思う事ができれば、いつか手を取り合う事ができると思いたい。
1人の人間。同じように家族がいて大切な人がいる。
静かな感動
レバノンの街並みや暮らしぶりがわかる貴重な映像、美しい海岸沿いの村や農園戦火のあとそのままのベイルートの街並み。些細な出来事だが偶然のアクシデントではない、不条理で複雑なレバノンの歴史の中で自然に出てしまう小さな行動や一言が大きな騒動になるが、当事者たちは自身の立場を騒動に乗じて誇張したり肥大化させることなく、自身の生き方や考え方の中で解決をはかる、内面の葛藤が社会情勢に左右されないところが、すごい。、法定シーン、立場が違う親子の弁護士、的確な裁判官の発言、ニュース番組で党首が冷静に真摯に、党の喧伝や偏りある主張とは全く異なる立場、目線でトニに語りかける言葉、複雑な政治情勢の中様々な立場の人が暮らありえない虐殺や内戦を経験記憶しているレバノンならではの強いメッセージ。個人の信念。裁判官党首のリーダシップ、今の日本では想像できない。二人の問題が法廷ではないところで二人で解決されていくところも深く人間味を感じる。レバノンで生きるということ。感動。
ツンデレの二人
個人間の些細なトラブルから、人権、差別、宗教を巻き込んだ大騒動に発展。当事者、双方はとことん頑固で意地っ張り。トラブル当初は決してお互い譲歩せず、一歩も譲らない。それが次第に互いの立場を理解し、態度を軟化させていく。最後は和解しあい、和やかなムードで幕が閉じる。自分を殴らせるために、わざと相手を挑発するシーンなんかは素直になれない不器用な気持ちが伝わる。自分の気持ちをストレートに伝えられない大人をリアルに表現している。
歴史的背景を勉強してから
世界史に詳しい人には簡単かもしれない。パレスチナ問題を勉強してから観ればもっと理解が早く感動しただろう。個々人は良い人同士なのにね。歴史がそうさせてくれない。事態は出産にまで影響し難しくなる一方。
宗教もからみ複雑
住民と現場監督の雨樋をめぐる些細な口論が発端、どっちもどっちな口論で、2人とも謝ることが出来ない。どちらかが先に謝ればこんな国中を巻き込んだ騒動にならずに済んだのに。裁判になったらどんどん話が複雑になっていく。
レバノン、パレスチナ、イスラエル、イスラム、難民、宗教、こういうワードが出てくると難しくて複雑でなかなか理解出来ない。紀元前からずっと続く問題だから日本人にはなかなか理解しようとしても無理なのかも。
もともとは些細なことでも、お互いの民族としての憎しみが根底にあるから国やメディアを巻き込んで大騒動になってしまう。当事者2人も引くに引けない。けれど、帰り際に相手の車がエンストしたら直してあげたり、夜謝りに行ったり、少しずつ軟化していく。判決が出た後、帰り際の2人の穏やかな表情で救われた気がする。
中東に平和が訪れる日は来るのだろうか。
中国製品は信用でき無いw
「中国製品は信用でき無い」
この魔法の言葉を唱えるだけで世界中の人が笑顔になり、争いが無くなる、、、
冗談はさておき、今作の舞台は日産のゴーンが逃げ込んだ国で一躍有名になったレバノンw(何で有名になってんだw)
レバノンの歴史を全く理解しておらず鑑賞したが、ある程度の流れは理解できた。
一般の日本人にはなかなか周知されていない宗教観や人種問題、それはレバノンに限った事では無く中国・台湾・香港等でも今この時に争いは行われている。
この作品を観てどう感じるのかは本当に生きてきた中での感じ方が違ってくるだろう。
しかし僕は人間の持つ本質が描かれていたと感じた。
スタートから争いたいと思っている人はほぼいない。しかし自分の安全や家族の幸せを侵害される場合には戦わざるを得ない状況もある。
今作の主人公もレバノン人だが、パレスチナ人を憎んでいる。しかしささいな衝突の末に裁判を起こすが、求めているのは謝罪だけ。
文化や思想等もあるであろうが、個人的には衝撃であった。自分が見ず知らずの嫌いな韓国人と争って裁判を起こすなら謝罪はもちろん賠償金も請求する。
しかし主人公のレバノン人はただ非を認め、本人からの謝罪をしてほしい。とのこと。
まあこの後も徐々に内容は二転三転していくのだが、テンポや展開が非常に面白く、背景がわかりにくい自分にもなかなかわかりやすい内容であった。
弁護士の設定も親子(ありえるの?w)であり、ユーモアを混ぜ込んだ法廷モノとなっており、楽しかった。それぞれの当事者をのけ者にして進んでいく内容は「どうなのよ?」とも思ったけど。
ラストも希望に満ちた感覚が溢れてきて非常にすっきりとしました。
また主役の2人の寡黙であり、哀しみを含んだ表情はグッとくるものがあり。
「中国製品は信用でき無い」
このフレーズ非常に好きだわーww
レバノン/フランス映画。 弁護士が糞に見える映画
ベイルートからダムールへ移りたい若妻妊婦。旦那は車の修理工場
しょうもない事で建築業者ともめる。
「 パレスチナ人は平和交渉する気がない。謝る事も出来ない。」
見た目でレバノン人とパレスチナ人の区別がつかない。
パンチ一発で肋骨二本行かれた。
旦那のお父さんはまともだ。
レバノン人原告パレスチナ人被告の裁判。
代理人無し。裁判官は大岡越前的に進める。刑法554条加重暴行を訴えるも裁判官の静止に従わず裁判自体を 証拠不十分で却下。 レバノンの 警察官が何人かわからないが迷彩柄 が独特。
パレスチナ人が償うのは当然だろ!
70年生まれのレバノン人と55年生まれのパレスチナ人
判決に不満な地元住人たち
施主に口答えしてパレスチナ人現場監督はクビになっちゃう。
レバノン人は 夜中の力仕事がたたって 倒れた挙句 若い嫁の急な出産に立ち会えず。 弁護士つけて 控訴審。
公正な裁判がしたい同情などいりません、という 客の意向を無視して 賠償金を分捕ろうとする弁護人。
シャロに抹殺されていればな!
を無かったことにする気。
パレスチナ人にはこんな弁護士。 非は自分にあるというパレスチナ人に対してヘイトクライム を持ち出そうとする。
難民の権利を守るため弁護を引き受けるという女弁護士。
赤ちゃんに併発症があるみたい。
旦那は気胸で 嫁は早産で帝王切開。
本人たちはこの裁判おかしいと思い始めているのに 勝手に裁判は進む。
まさか弁護人同士が親子だと発覚。
レバノン人はキリスト教徒が多いみたい
パレスチナの屈辱はレバノンの災厄と同じ。荒れる傍聴席。
煽るマスコミ。
1971年ヨルダン でPLO が。 黒い九月事件。
昔の事件を掘り出してきた。
この事件がきっかけで レバノン難民が流入してくることになった。
刑法228条 過剰暴行の免責事項。
パレスチナ人は裁判途中にクビ
弁護士が雄弁に語るほど 寒々しい。
政治問題に利用され出した
大統領まで出てきて2人の前で和解勧告、引かない。エンストする パレスチナ人の車を見てあるレバノン人。この演出が肝か。
レバノン軍団 党員の車屋。
ダムールのバナナ栽培農家出身、 1976年1月21日 海の花嫁と呼ばれる海辺の町。 民兵によるキリスト教系の村の虐殺事件。
あまり大きく報道されてない 特別な事件でもない
裁判のために原告家族まで傷つく。
当時の回想シーン
わざと怒らせて殴らせた
謝った!
ずっと行けなかった故郷へ戻る
当時の線路跡を歩く。 バナナ園で 東京思い返す。
よかった赤ん坊元気になったみたい
雨樋が修繕されてた
物々しい 最終弁論
判決は、
暴言に対する暴力の行使
多数決の結果 被告は無罪。
まあ判決の前に当人同士は和解しているよ ていう 顔のラスト
あなたの非寛容について語ろう
「判決、ふたつの希望」、二転三転、驚愕の事実という展開の、王道法廷劇として優れていて楽しめる。物語の主軸の内戦によって生まれた憎しみと人はどう向き合うのかという部分では、少しモヤモヤしたものが残った。この感覚は「スリービルボード」を観た時と同じだな。自身の非寛容について考える。
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