ウトヤ島、7月22日のレビュー・感想・評価
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テロの恐怖、長回し撮影の難しさ
いきなりの銃声は、やっぱり怖いものです。しかも犯人の服装が警察官と知れば… 。
NZの政府の移民政策への不満からの無差別銃乱射事件のテロが実際起こってから翌日。
観にいくのを躊躇した。銃声の音が腹の底からズンズンきた。この事件を事実に近いものとして知らしめる方法として、一被害者一目撃者である彼女の視点から描くには長回しの方法しかないだろう。しかし、カヤと母親の実際の会話を撮る点は、イラついた。非常に聞き取りづらい。最後に妹である「スマホを捨てたエミリエ」の出現。ボートに乗ってんじゃんという場面に少し拍子抜けした。警察が来るのも遅い。初動捜査にいらついた。命尽きる少女とカヤの別れ。カヤが、以前より強い女になったような気がした。この場面はさすがにウルッとさせられたのに。ラストのカヤがボートに乗り込む場面。もうすこし撮影をしっかりして欲しかった所。エンドロール前の説明が長~い。ここも「長回しワンカット」映像に入れるべき。
死者が77人ってそんなに映像にいなかったけど。テントの中で耳栓をしてスマホでゲームに興じていた方が助かったのではなかろうか。自殺した被害者はいなかったのだろうか。不定期に聞こえる銃声は、やっぱり怖い。ウトヤの惨劇を映画という形以外どんな形で残したのだろうか。この惨劇から何を得て欲しかったのか。これが非常に薄い。テロは実際に世界のどこかで起きている。このような極限状態で人が何が出来るのか。どうすればよいのか。
ノンフィクションを克明に描くことはフィクションを描くことよりかなり難しいことを知った。
NZ銃乱射事件
又しても同じ愚行が繰り返された。場所だけが代わり、蛮行は同じ。単独犯ということやアダルトチルドレンという共通点。なぜにこういうどうしようもない動物が育ってしまうのか、世界各国は真剣に究明すべきと強く感じる。
今作は実際に起きた事件に対し、被害者側からの視点でのモキュメンタリーの形式を取りつつ、ワンカット長回し撮影で進んでゆく。
或る意味パニック映画であり、カメラも撮される対象者の心情に寄り添ったような演出を施している。それは発砲音でカメラの揺れ でびくつく演出や、BGM効果音一切無いこと、あくまで主人公の視点のヨリの画角なので回りの出来事を俯瞰で観客に見せないことで、より緊迫感と焦燥感、不安と恐怖を共有させてゆく。
ターゲットにされた団体の特徴もさりげなく観客にアナウンスするように、リベラルの子息や、他人種構成、そして理論的な振る舞いや討論好きといった具合に、確かに白人至上主義達側が思うであろう『鼻持ちならない』グループとして特徴つけられている。
主人公の女の子の当初の落ち着きや銃撃をかわしながらの妹捜索は、その緊迫感と相俟って感情移入がしやすい。但し、時間が経つことによる冗長感、犯人はハッキリでて来ない(※全体通して、遠目で2回程登場のみ)ことへの苛立ち、何処に逃げているのか分らない迷走感で支配されてゆく。そしてラスト前のナンパ目的で参加したトルコの若者のよく言えば緊張感を解すユーモア、悪く言えば不謹慎な言動で観客の緊張感が緩和したところで、またもや乱射される銃声が響く。この銃声は鳴り響いている時間の方が圧倒的に多い。どれだけ銃弾を所持していたかがはっきりと理解出来る。初めには見えなかった死体が徐々に転がっていく風景も又リアルを感じさせる演出であり風景描写であろう。そして殺された妹を発見して、主人公の緊張は一気に弾け、同時に崖上からの射撃で殺されてしまう。ただ、疑問が消えないのは、あの死体は冒頭に喧嘩していた妹の顔だったのか?と・・・
そして、トルコ人が運良く逃げおおせたボート上で、懸命に看護する妹を目の当たりにして、その運命の皮肉さに深いため息をつくばかりのスタッフロールであった。“あなたの本当の色”を見せれば理解し合えるのか、それとも唯々、粛清なのか。あくまでも被害者の立場からの視点であり、監督の言葉である『真実は一つにあらず』ということならば、是非とも、加害者の背景も又題材にして欲しいと思うばかりである。そしてこの犯人は声明でも次々と自分の跡継ぎが現われると予言し挑発し続けている・・・
長回しが活かされてない駄作
映画の冒頭、主人公カヤがカメラに向かって話しかける。そこからワンカット撮影がスタートするのだが、カメラに向かい観客に話しかけたと思いきや母親との電話。
その後カヤを追いかける形でカメラマンも追従するのだが、この長時間の長回しの中で常に自分の中でモヤモヤがあった。
それは、どういう視点で自分達はこの場所に立たされているのかと言う事。
分かりやすい所で言うと、犯人が銃を乱射し始めて仲間と数人で木の陰に隠れるシーンがある。
様子を探ろうと少し顔を出しては銃声がするとビビってまた隠れる。
これを役者達がやってる分には良いのだが、カメラマンまで銃声にビビって咄嗟に隠れる。
自分なりに考えを巡らせて、
「これはカメラマンの視点かと思いきや実はある登場人物の視点であり、最後に何かトリックがあるのでは?」と思い我慢して観ていたがもちろんそんな訳もなく。
それでもって、1番最後にはこれはドキュメンタリーではなくフィクションである?
フィクションだと言い切るので有ればもっと振り切って違う脚色出来ただろ。と思ってしまった。
そしてこの主人公であろうカヤ。
この子にフォーカスを当てた意味が全くもって分からない。
何故、数多く居た中から彼女だったのか。
このカメラマンの視点は我々観客であり、
一緒に逃げ惑っていると考えればまだ幾らか救われるがそれにしてもあのラストじゃあ自分には刺激が足りなかった。
最後にカメラマンが撃たれて、這いずり回りながら生存者だけがボートで離れていくのを只々観てるみたいなラストならこの映画の評価は大きく変わったかもしれない。
この凄惨な事件を題材に選び世の中に広めようとした事には頭が上がらないが、結局多くの人に観て貰えなければ意味が無い。
最近はノンフィクション(多少は脚色してるが)物の映画は多く作られてるが、ここまで出来が悪い作品は久々に観た。
史実をテーマにした作品としても、また単純に映画としても全くもって面白味のない作品だと感じた。
(基本的に褒める事しかしないですが、長時間の長回しの野心作と言うこともあり期待し過ぎただけかも知れませんが...)
事実を残すという事
個人評価:3.8
エリック・ポッペの他作品とは撮影手法があまりにも違いすぎるが、事実を残したい、伝えたいというテーマや、重さは変わらない。
やりたい事もまだ見つけれていない若者が無残に殺戮に合う。日本ではほとんど報道されなかった事件を世界に伝え、映画というカタチに変え、記録に残している。
ワンカット長回しは、事件のリアリティを増してくれるが、周りの人物の演技などやり直しも出来ない為、ややリアルに撮れていないシーンは目につく。ただ主役の女性の演技はとても上手く、緊迫感は伝わってくる。
72分全て手持ちカメラ撮影の為、やや酔ってしまう手法は、やはり観る人がいる前提の映画作品としては、マイナス点であると感じる。
しかしながら本作品も含め、興味深い題材を常に扱う監督だ。
私も狙われて逃げ惑い、生き残った
世界一安全な島が一瞬のうちに地獄に変わってしまった72分間。
冒頭でオスロの官庁爆破が少し触れられ、序盤でウトヤ島でのサマーキャンプの模様が少し描かれ、唐突に鳴り響く銃声から後はただひたすらに逃げ惑うだけの映画。
重く響く銃声におののいた。
分かってはいたけど、突然凄惨な状況になるショックが大きい。
緊張と恐怖と苦しみと悲しみと混乱と画面酔いでずっと吐きそうだった。
鑑賞後はリアルに体調不良になりかけて、帰りの電車にすぐ乗れなかったしなぜか次の日筋肉痛で脚が痛かった。
カヤと妹や友人たちの些細な交流が後で響く。
「妹を探す」という無謀で無希望な目的のために飛んで火に入る単独行動には正直イラつく。
やめたほうが良いのはカヤ自身十分わかっているはずなのに。
兄を待つ黄色いコートの少年にかけた言葉はそのまま自分自身にも帰ってきて、それでもなお妹の安否をたしかめたい気持ちが勝ってどうしようもなかったんだと思う。
姉としての責任もあるし、小競り合いをしたままの永遠の別れなんて悲しすぎるから。
終始恐怖がつきまとう。
肩を打たれた少女とのやりとりには暗く沈む気持ちも大きい。
身体を起こして判明するエグい重傷と流血に焦る。
ジワジワと彼女の肉体から生気が失われていくのが手に取るように伝わってきて、命が消えた瞬間が本当に怖かった。
喪失感でいっぱいになり泣き叫びたくなる。
名前もまだ聞いていなかったのに。
海岸で再会できた軟派なマグヌスの会話が少し心に沁みて良かった。
猫の動画観たい。帰ったらケバブ一緒に食べたい。
この状況でそんなこと言われて、場違いでもちょっと笑っちゃって、カヤの知らなかった一面が知れて、ほんの少しホッとできる時間だった。
あっけないラストに鳥肌が立つ。
海岸に無数の遺体が転がっていて、パニックになりあっさり打たれるカヤと、僅差で船に助けられたマグヌスと妹エミリエ。
すっかりもうダメだと思い込んでいたエミリエの生存に喜びつつ、尚更あの時冷静になれなかったカヤが悲しくて悲しくて茫然自失としてしまう。
しかし、この上なく完璧なラストだったと思う。
カメラが最後にカヤを離れて船に乗ったとき、私がずっとカヤと共に行動していたことに気付いた。
これは疑似体験の映画だと思った。
「テロについて考えさせられました」なんてそんなもんじゃ済まされない。
私も共に狙われ、逃げ、人と出会い、生き残ったんだと思い知らされる。
分かった気になって安全圏でペラペラと話し続ける我々への警鐘なのかもしれない。
おいおいお前、そこのお前だよ!と指されている気分になった。
「分かりっこない。」と始めにカヤに言われたのが忘れられない。
どの立場でも当事者の気持ちなんて100%の実感は出来ないけど、この映画で体感したことは無駄にならないと思いたい。
真面目に考える反面、不謹慎な言い方だけどこの映画はホラー的な面白さがあった。
一人称の目線、姿はしっかり見えないけど確実にいる無差別殺人犯、突然命を奪われる恐怖はかなり大きくスリリング。
ドキュメンタリー的な学びの部分ももちろん多いが、スリラーとしてもしっかり味わえると思う。
Netflix限定配信中の「7月22日」も関連で観た。
この事件で何が起こっていたのか、なぜ起こしたのか、被害者の受けた傷など「ウトヤ島~」ではあまり触れられなかったことについてこちらではよくわかる。
「一番弱いところを突きたかった」か…。
事件後の被害者と家族の苦悩と再生の物語でもあり、学びとヒューマンドラマの要素の大きい深く胸打つ良い作品だった。
「ウトヤ島~」は当事者として、「7月22日」は傍観者として描かれているように思う。
二作併せて観るといいかもしれない。
2019年3月15日にニュージーランドのクライストチャーチで銃の乱射事件があった。
このテロ事件の犯人はウトヤ島の犯人に大きく影響を受けていたらしい。
鑑賞してからすぐ起きたこのニュースを見てひたすら苦しく絶望的な気持ちになった。
映画の最後の一文、過激な思想は広まっているらしいことをこんなことで実感する羽目になるなんて。
もっと怖いのが、私はこの映画を観なかったらこのニュースに対して「フーン」で片づけていただろうこと。
どこからが他人事でどこからが自分事になるのか、その境界ってなんなのか。
一度二度と前例が作られると三度目四度目を起こそうとする人が現れる。
撲滅なんてできるだろうか。怖い。日本だって安全圏ではない。
もはや世界中が当事者の状態にズブズブと嵌ってしまっているんだと思う。
知ったところで何か出来ることがあるのか、あったとして自分は行動できるか、全然わからない。
最近色々考えて苦しくなるけど、それでも趣味嗜好は趣味嗜好として、社会的倫理は社会的倫理として、別枠でしっかり持って生きていこうかなとはふんわり思っているけれど。
長すぎるうえに映画の感想じゃなくなってしまったな…。
明確な意図を持った長まわし
事件の恐怖が非常によく伝わってくる。事件に遭遇した者のパニック状態がよく表現されているように思えたし、それぞれのパフォーマンスが物凄くて、リアリティーを追求した意志を感じた。
ところどころ間延びしていると感じてしまうところあったけれど、それもリアリティーの一つとして捉えることができなくもない。
視点を絞っているため、状況が見えてこないストレスもやや感じる。その苦痛は、やはり、あの場の苦痛なのだろう。
それにしても、この殺戮の意味がわからないが故、その衝撃度は計り知れないものがある。視点を変えてこれとは違った映像作品を見たいと思ったし、できてくるような予感がする。
とにかく、この映画で事件の恐怖の凄まじさを認識しておくに限る。
主人公の行動が理解できない
悲しい事件の実話を基にした作品なので、つまらないとか言っちゃダメな気もするけど、映画としては残念な作品になってしまっていました。序盤から緊張感が続く状況なはずなのに、作りがのっぺりし過ぎてダラけてしまう。同じ描写の繰り返しなので飽きてしまい、ただただ銃声の大きな音にビクつく映画といった印象。ワンカット撮影は凄いと思いますが、手ブレガッシガシなので酔ってしまいました・・・。
また、とにかく登場人物の行動が中盤から理解不能なので、本当にこれは生存者の証言をベースにしたのか・・?と思ってしまいます。生きるか死ぬかの状況で名前も知らないキャンプ参加者の死に物凄い感情移入して自分の身を守ろうとしない、同じく初めて会った少年の身を守ろうとしまくる(そんな余裕はないのでは・・・)、隠れてるのに歌う、隠れてるのに雑談しまくる・・・。
全編渡って理解できなかった点が目立ち、且つエンドロール後の判決結果も結構ズンとくるものがあり、なんとも言えない気持ちで終わりました・・・。
ワンカットでよく撮ったなぁ〜、というのが素直な感想です。 ただし、...
ワンカットでよく撮ったなぁ〜、というのが素直な感想です。
ただし、映画としてはそのせいで緊迫感や面白さが犠牲にされた感じ。
ただただ遠くで銃声がなってるだけですし。
せめて最初に地図などで島の大きさや地形を教えてくれてたら、もう少し臨場感出たのではないでしょうか。
死の直後に、生きざまを見せる一匹の蚊
二度は見たくないが、一度は見るべき。まるでドキュメンタリーのような、これほど強烈なリアリズムはあるだろうか。
ノルウェーのウトヤ島で2011年7月22日に起きた無差別銃乱射事件を映画化したものである。日本人にとって2011年は東日本大震災があった年なので、記憶が薄いかもしれない。
たった一人の極右思想者が、同日に2つのテロを起こし77人を殺害したという、史上最悪の単独・短時間殺人事件である。
2011年7月22日、ノルウェーで2つのテロ事件が連続して起きた。ひとつは首都オスロの政府庁舎前での車爆弾で8名が死亡。続いて、オスロから40キロ離れたウトヤ島での銃乱射事件で69人が殺された。
本作は特にウトヤ島事件にフォーカスしている。ウトヤ島では、ノルウェー労働党青年部のサマーキャンプが開催されていた。
事件の発生から収束までの72分間を実時間でワンカット撮影、主人公を追いかけながら描き切っている。茶化すつもりはないが、"カメ止め"方式である。
我々は事件事故をニュースで知るとき、自身の体験や見聞で、その現場を推し量る。しかしテロの惨状や自然災害の規模を、伝聞で捉えるには限界がある。
"百聞は一見にしかず"は、映像の本質である。事実を記録し、世界に伝えるということは、映画作品の重要な役割のひとつだ。
ウトヤ島のキャンプ参加者は10代~20代の若者たち。島という、ある意味で"密室"に閉じ込められた状態。連続する銃声と叫び声、逃げ惑い、いま何が起きているのかわからない混乱と不安が延々と続く。
逃げる主人公たちとともに、ときにカメラも転び、泥だらけの顔をとらえる。
さらに偶然に起きた奇跡的なカットがある。目の前で命を落とした少女を抱えていた主人公の腕に、一匹の蚊がとまる。
普通なら蚊を叩くところだ。しかしレンズは、蚊が血を吸う瞬間をクローズアップする。いま目の前で人が死んだ。主人公はここで蚊を殺すかどうかをためらうかのように、なすがまま見つめる。生きざまを見せる一匹の蚊。まさに神が降りてきたカットだ。
本作のように、甚大な被害をもたらした事件を映画化するタイミングは実に難しい。早すぎても遅すぎても意味が変わる。
例えば、2001年の"9.11アメリカ同時多発テロ事件"が映画化されたのは、5年後の「ユナイテッド93」(2006)と、「ワールド・トレード・センター」(2006)である。
また、2013年の"ボストンマラソン爆弾テロ事件"は、3年後の「パトリオット・デイ」(2016)、5年後の「ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた」(2018)で描かれた。
本作は事件から7年後の映画化である。さらにもうひとつ、"ウトヤ島事件"を別の角度から取り上げた、ポール・グリーングラス監督の「7月22日」もNETFLIX映画として配信されている。こちらは犯人像に迫る事件後の視点で描かれた。あわせて観ると事件の実像への理解が進む。
映像がリアルであればあるほど、被害者やその家族にとってつらく、公開には少なからず反対の声も出る。本作のノルウェーでも反対運動があったという。
日本でも、佐藤浩市と渡辺謙が主演する映画「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」の製作がすすんでいる(来年公開)。これは東日本大震災時の福島第一原発事故を描いているが、映画化への英断を感じるとともに、きっと話題作となるだろう。
(2019/3/12/ヒューマントラストシネマ有楽町/ビスタ/字幕:北村広子)
2011年7月22日
鑑賞後、精神も肉体もとことん疲れる。
冒頭の正面に向かい放った彼女の言葉が心に突き刺さってきます。
日本では東日本大震災があった年… ノルウェーでこんな事件があったなんて知りませんでした。
「1人の男が(犯人)これほどの憎しみを見せるのなら、私たちはどれほど人を愛せるかを示しましょう」
実際にこの事件を体験し生き残った少女の言葉です。
臨場感ありまくり
ノルウェーのウトヤ島の銃乱射事件の実際の72分間をワンカットで再現した映画。
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恥ずかしながら私この事件全く知らなかったんだけど、犯人はノルウェーの移民受け入れ政策が嫌でテロを起こしたらしい。なんと死者は69人(爆発テロと合わせたら77人)。
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ワンカットで撮ってるからカメラはずっと主人公の女の子に寄り添ってるから何が起こってるか分からないまま銃声が聞こえる中一緒に逃げ回ることになる。
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視点も女の子が見えてる物しか見えないから犯人の姿が映るのも遠目でうっすら。その状況が理解できない感じのが1番怖いんだよね。
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まぁ個人的には主人公が妹を探すために暴走するくだりは見ててイラッとするけど。テントのところ戻っても絶対いないよ、逃げてるだろみたいなね(笑).
あまり面白くないです。
3/12火曜日に観ました。
結論から言うと、あまり面白くないです。カメラワークも悪いし、主演の女学生が聞き分けのない妹を叱るところもしっくりこないです。
銃乱射無差別テロに遭遇してみんながパニックに成るのは分かるのですが、あまりにも騒ぎ過ぎ(大きな声を出し過ぎ)なように感じました。
同日、政府ビルでも爆破テロがありましたが、死亡者数をあわせて表現するのはどうかと思いました。
辛口の評価ですが、55点ぐらいでしょうか。
混乱の中で…
この映画は映画的な映画ではないかもしれない。
事件を克明に描き出すドキュメンタリーではなく。当事者達の混乱や疑念、恐怖を追体験する作品である。
逃げ惑いながら、恐怖がつのり、疑念ばかりが頭に浮かび、どこに逃げればよいかもわからない。走り回る音、銃声、悲鳴の中で、ジリジリと追い詰められていく焦燥感、何を選択したとしてもそれが正解かもわからない。
多く語らなくてもこの状況を追体験できるものとしてだけでも一見の価値はあるのではないかと思う。
世界やら社会というものには正解はなく、ただ人それぞれの体験や思想があるだけではないのだろうか。そんなことを見終わった後漠然と考えていた。そんな体験だった。
銃声だけが・・・
政府庁舎前の爆弾で8人、ウトヤ島の銃乱射で69人と、単独犯としては史上最多となる77人の命を奪ったウトヤ島での惨劇に焦点を当てた作品。
77人に人命を奪ったテロ事件でありながら、作品で描写されるのは、逃げ惑う一人の女性の会話が殆どで、惨劇には焦点が当てられていないので観ていても残念ながら恐怖感が伝わってこない。
銃撃シーンと彼女の怯える会話の双方を織り交ぜて撮影すれば緊迫感のある良い作品になったと感じる作品でした。
乱射テロのリアル
2011年7月22日に発生した、ノルウェーの連続テロ事件のうち、ウトヤ島銃乱射事件を題材にした作品。
生き残った人々の証言を基に、ドキュメンタリータッチで描いているが、登場人物やストーリー展開はフィクション。
で、この映画の主人公は、ポスターメインビジュアルのカヤという女の子。
大学生くらいかな?
面倒見がよく、責任感の強いお姉ちゃんタイプ。
彼女をカメラが追うのだが、約90分中72分がワンカット撮影。
母や姉に反抗的な妹を説教するところから始まり、乱射が突然発生して、そこから逃げまどう様を描いている。
そもそも何が起きているかわからないところから、逃げようにも犯人がどこにいるかわからないあたり、すごくリアル。
音楽を乗せず、草を踏む小さな音などを拾う作りに、緊張感が高まる。
主人公の視点で追体験する感覚。
だから最初の方は観ていて、
テロこわい!
カヤは無事に生き残れるのか心配だ。
自分が同じ状況に置かれたらどうしよう。
みたいな気持ちが大きかったんだけど。
カヤの性格がめんどくさ過ぎて、イライラ。
実は人一倍精神が脆く、状況把握能力が低くて、感情に走って正確な判断ができないくせに、やたら理屈っぽくて口が達者、パニックに陥って支離滅裂な行動をしちゃう子で……
追い詰められて、「妹や友達を守る」って事で、自分はしっかりした人間と自己暗示でセルフコントロールするものの、精神の均衡をかろうじて保っているだけだったと判明。
ホラー映画だったら、真っ先に被害者となる隠れてセックスしてるカップルの、次に殺されるタイプ、といえばわかるかしら?
(ラブコメ漫画なら、「無理すんなよ」みたいな男の子にコロっと騙されて付き合っちゃうタイプ)
途中で「早く撃たれて死なないかな、こいつ」と期待するようになってしまったので、ちょっと違う趣旨の受け方になってしまった部分もあった。
とはいえ、自分は安全な場所で見て、そこそこの経験積んだ立場で他人事だから言えるだけ。
実際にその場にいたら、生き残れる自信はない。
極限において、大事なのは冷静さと客観性と分析判断能力だと、しみじみ思った。
緊迫感は半端ない。
実際に起きたテロに元づいた映画。
銃声って、日本に住んでる私達は、実際にどう聞こえるか知らない。ハワイで実弾を撃った事はあるけど防御ヘッドホン付けてたしね。
パンパン軽めの音から始まって、徐々に大きく、そして何かに当たった重い感じの音がしたり…何が起きているのか判らない中、何かが迫ってくる、緊迫感が凄い。
ドキュメンタリーではないから、反ってそこに恐怖感とか現実味が生まれるのでは?と感じました。
自分の腕の中で人が死んでしまったり、生きて帰れたら何をしたいか?10個言うとか…実際に体験した人達から取材するのは、大変だったでしょう。思い出したくもない人も多かったのでは?
それを乗り越えてをも、この映画を撮りたいと思った情熱は素晴らしい。
終盤に主人公のカヤが撃たれるとは、まさかの展開でしたが、救出のボートに黄色いセーターが見られたのが、微かな希望かな?
もしかしたら、明日は我が身かもしれませんよ。そのくらい極右勢力が台頭しています、と言うメッセージも。
ただ、最後は放送事故?みたいに何も映らない状態が続くのが…残念。色々考えなさいという意味なのかな?
怖くない理由
有名なビデオゲームに「バイオハザード」(英題「Resident Evil」) というタイトルがある。最近の3Dになってからのバイオハザードはあまり怖くないが、最初にプレイステーション1で始めたときのバイオハザードは恐ろしく怖かった。その一番の理由が、見えないところからいきなり敵が襲ってくるシチュエーションである。
本作品も同様で、銃声はすれども銃を持っている襲撃者の姿が見えない。しかもバイオハザードの主人公は武器を持っているのに対し、本作品の登場人物はみんな丸腰だ。兎に角逃げるしかない。しかしそれにしては本作品にあまり恐怖を感じることはなく、バイオハザードのほうがよほど怖かった。その理由はどこにあるのだろうか。
ノルウェーのパラダイムはアメリカと同様、家族第一主義のようで、登場人物の電話の向こうは大抵母親だ。娘から母親に「ママ愛してる」というのがお決まりの台詞で、そのシーンが何度か登場したが、家族第一主義のパラダイムを共有していないと、いまひとつピンとこない。日本だと「おかあさん、ありがとう」という感じになるのだろうか。いや、殺人者から逃げ回っているときに「おかあさんありがとう」は多分ない。
本作品では、千々に逃げ回る若者たちのうち、ひとりの女性カヤにピントを合わせて、恐怖と回避行動の様子が長回しで描かれる。カメラの揺れに合わせて画面も揺れるので、船酔いなどに弱い人は観ないほうがいいかもしれない。
妹を探しつつ逃げるカヤは、恐怖や焦りを募らせるのではなく、ときにはどこにそんな気持ちの余裕があるのかという行動をする。そして何故かときどき家族第一主義が顔を出す。追い詰められている感じがあまりしない。そこに違和感があるので、恐怖感を共有できなかったのだ。無意味な饒舌は緊迫感をなくしてしまう。
かなり期待した本作品だが、テロに反対するために家族第一主義を持ち出したことで、恐怖心が観客に伝わらなくなってしまった。製作者の正義感は理解できるが、この作品にはテロと家族という頭でっかちな対比は不要であった。無言の行動と遠かったり近かったりする間欠的な銃声だけでシーンを進めれば、まさに初期のバイオハザードと同じで、圧倒的な恐怖を表現できただろう。少し残念である。
全99件中、61~80件目を表示