嵐電のレビュー・感想・評価
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深い余韻に浸っています
鑑賞後、一週間近く経ちましたが、まだ映画のパンフレットを眺めてぼんやりしてしまいます。 何と言えばいいのか、出演者の方々、スタッフの方々の混じり合い具合が本当に絶妙で、印象的で、ずっと観ていたい気がする映画でした。 そして、「演技っていろんなとらえ方があるんだなぁ」と新しい発見もあって、出会えて良かったと思う作品です。
死ぬほど面白くなかった。世に出せる最低レベルを満たしていない。
学生製作のものも含め沢山の映画をみてきましたが、ここまでひどい映画はみたことがないです。大根役者にもほどがある。セリフも聞き取れないし棒読みで違和感もすごい。いきなり泣き出したりでかい声出したり感情表現も違和感ありまくりで狂ってるのかと怖くなる。 最後のほうの女監督みたいな人と主役の女の子のシーンなんて片方急に泣き出してびっくりしてもう片方笑っちゃってるやん。あんなんでオッケー出すなんて客をナメるのもいい加減にしたほうがいい。 真面目に観ないとしても笑いどころもつっこみどころもない。面白くも深くもアーティスティックでもない。 これにプロが関わってるなんて信じられない。よく世に出そうと思ったものだ。お金払って観るものじゃないです。
狐と狸に化かされた?
一言で言えば不思議テイストの作品 ふと時空が歪み、現実と虚構が混じり合い、知らぬ間に違う世界に連れて行かれるような感覚 作品を見終わって、しばらく経ち、やっと腑に落ちた 私たち観客は映画を見始めた時には既に、あのおかしな狐と狸の電車に乗ってるんだ! 作品の中に連れて行かれて、現実とも幻ともつかぬ世界を眺め、映画館を出る頃には大多数の人は元の世界へ戻ってきてる 戻れず、ずーっとあれこれ嵐電の事を考え続ける人もいるかも… なーんてねw
よく分からない
京都造形芸術大学と出ておりましたが、流石に「芸術大学」見る人を無視した難解な映画です。何を描きたかったのか分かりません。いろいろな映画を見ている人、もしくは京都の人ならば分かるのかも知れませんが。
じっくり見ちゃいました
短い電車区間を題材に三つのストーリーをオムニバス形式で展開するところは「阪急電車」(有川浩原作)を彷彿とさせる。ホラー映画制作の舞台裏を展開軸にしている部分は〜素人っぽい画面構成の多用と合わせて〜「カメラを止めるな」を思わせる。 とはいえ、3組の男女それぞれの行き違い、3組のすれ違いを上手く表現していて、つい画面に引き込まれてしまう。
残念ながら台詞が聞き取れません。映像と前後の関係でなんとか四割ほど...
残念ながら台詞が聞き取れません。映像と前後の関係でなんとか四割ほどが理解出来た感じです。 年間邦画を60本ほど見ているのですが、こうしたことは初めてで、私自身の聴覚の悪さもあるのかなとも思います(劇場の音響の悪さではないと思います)が、皆さんはどうでしたでしょうか? 同録のためでしょうか? ご存じの方、教えて貰えないでしょうか?
何が表現したかったのか?私には難しかった
千年の都、京都の民家の軒先に触れそうな場所を走る嵐電。 千年の都には異世界の「あやかし」的な何かが 今でも闊歩してても決して不思議でない気がするよね〜 でも、この映画、ちょっとそこのところが中途半端な気がする。 で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては 映画の後半、地元の人たちが撮った嵐電の昔の姿を みんなで鑑賞するシーンがある。 あそこに出てきた人達は、リアルにあの映像を撮影した人や 自分の親族が撮影した映像を提供した人達だろうと思う。 そこだけは何となく本物っぽく思えた。 嵐電が街の人々の生活に溶け込んでる感じを描きたいのか? 嵐電と京都の風景が醸し出す異世界感を描きたいのか? その融合なのか? それとも、人の縁の不思議を描きたかったのか? どうもイマイチ、私には掴みきれなかった〜 @もう一度観るなら? 「地上波テレビで良いかも〜」
悠久の歴史を刻む京都のファンタジー
京都市西郊に、開業109年の歴史を持ち、支線を合わせても僅か11kmを走るローカル鉄道線があります。京都でも屈指の景勝地・嵐山に通じているため通称・嵐電(らんでん)と呼ばれる、その鉄道名をタイトルとした映画が本作です。 三つのストーリーが輻輳するオムニバス風の構成ですが、各々芯になる筋立ては茫洋としているために、何だか微熱による浮揚感に包まれたような仄々とした作品です。ただ常にその核にあり、物語の進行を司るのが「嵐電」です。 描かれるのは、悠久の時の滔々とした流れの中で粛々と日常を過ごす市井の人々。1200年の歴史が刻まれた京都の暮らし、掌の上で静かに優しく、そして妖しく見詰めて覆いくるみ尽くし、時に人の心を弄び波立たせる嵐電。 更に男と女の心の機微、仄かに目覚める恋心、大切な人をずっと守ってあげたいと思う慈悲と情愛。人の心が何気なく移ろう日常的風景を、何も語らないが、それゆえに其処に寄り添い、恰も菩薩の如く導いていく嵐電を、一種の“語り部”として描かれた映像抒情詩といえます。 エリック・サティの曲が耳元で寛りと奏でられる、居心地の良い揺り籠で心地良い午睡に微睡む、まるで羊水の中に浮遊するような、実に愉にして快な時間でした。 理論的に作品の内容・構成を紐解くのは、もはや無粋であり、この作品には、流れる時間に唯々身を委ね揺蕩っていれば良いのでしょう。 沿線で主な舞台となる太秦は、嘗て日本のハリウッドと称された映画の都です。日本初の劇映画『本能寺合戦』が京都で制作されたのが1908年。その2年後から一世紀以上に亘り、古今数多の映画人たちの夢と情熱、そして失望と落魄をも乗せて走り続けた嵐電。 太秦では、映画人たちのどす黒い怨念や瑠璃色の栄華が蟠踞し、その妖気が人を誑かし、人を迷わせ、人を悩ませる一方、その熱気が人を慰撫し、人を鼓舞し、人を勇気づけてくれる。これらが交錯して綾なし、嵐電が時空を超えて訥々と人々に送り届けてくれます。 「この電車に乗れば、どこまでだって行けますよ。」 怪奇譚を思わせる、妖しくも、亜麻色の靄がかった魅惑の響きを放ちながら、今日も嵐電は、可憐に且つ威風堂々と京都の街を走り続けています。
御室仁和寺駅のキスシーンが最高!
「嵐電」 京都シネマ、連日満席。最後の1席で観ることができた。 京都の路面電車、嵐電沿線で起こる3組の男女のラブストーリー。 劇中に時間と空間がわからなくなるシーンが何度もあり、現実の世界から突然、空想の世界に連れていかれる体験がとても新鮮で楽しい。絶えず電車がすれ違ったり、走り去っていったりするけど、乗る人、乗らない人、ホームに残る人、人それぞれ好きなようにしたら良いんだと考える。 かこは京女の自尊心を上手に表現していて、普段は控えめな感情表現だけど、読み合わせのシーンでは声も表情も弾んで個性が滲み出る、大西礼芳さんという女優さんの演技がすごい。そして御室仁和寺駅の口論の後のキスシーンは最高に素晴らしい!心を動かされる。 #嵐電 #京福電気鉄道 #路面電車 #鈴木卓爾監督 #妖怪電車 #太秦撮影所 #帷子ノ辻 #広隆寺 #都市伝説 #あがた森魚 #井浦新 #大西礼芳
インディーズ作品ならではの温かみ
舞台挨拶で鈴木監督も仰っていましたが、特にラストの解釈などは、観る側に委ね“複数存在してよい”との通り、ユニークな要素も散りばめた展開で、土着化系ムービー特有の朗らかな要素と、個々の感情の起伏や悔やむ物悲しさとを織り交ぜた、切なさも味わい懐古する作品だ。
摩訶不思議な世界
虚実入り混じり、時間感覚をも奪う演出。歴史情緒ある京都の地も相俟って、摩訶不思議でファンタジックな映画となっている。 起承転結の明確な所謂ドラマを求める人には物足りない?でも、たまにはこういう、掴み所がなくふわっとしているけれど幻想的で心地良い、そういう映画も良いではないですか。
嵐電にまつわる摩訶不思議な物語
この映画を観る前に、NHKBSプレミアムの新日本風土記『京都洛西、嵐電慕情』というドキュメンタリー番組を観ていたので、その番組と比べると、この映画は嵐電自体の魅力に触れた映画とはまた少し趣きが違うなぁとは思いました。 京都市街を走る電車・京福電鉄嵐山線、通称『嵐電』と共に動いていく3組の男女のラブストーリーを描いた映画という設定自体は理解出来たのですが、沿線の日常風景に中に分け入りつつ、映画の中の時間軸が実に混沌としていて、現実と非現実を往来している点が、あたかも演劇チックでもあり、一般的なストーリーを追う映画とは異なり、摩訶不思議なファンタジックな世界観を作り上げており、端的に言うならば「訳が分からない映画」といっても過言ではないかも知れないですね。 おそらく鈴木卓爾監督ご自身も観客に受け容れやすい様な演出や表現を想定することなく、自分自身が撮りたいように撮られたと思います。 ですので、さも解った様な映画評を記す人よりも「摩訶不思議な映画」と感想を述べられている人の方が信用も出来る作品かとも思いますね(苦笑)。 お話しの流れ的には、 物書きの平岡衛星(井浦新さん)は、鎌倉の家に身体の不自由な妻の斗麻子(安部聡子さん)を残し、「嵐電の不思議な話」を探すために沿線の街にやってきました。本を書くためだと言ってはいますが、実のところ何やら別の理由もあるような雰囲気。 一方、太秦の映画撮影所近くで働く小倉嘉子(大西礼芳さん)は、東京から来た、無名ではないが有名でもない俳優の吉田譜雨(金井浩人さん)と知り合うのでした。 ふとした切っ掛けで、譜雨の方言指導とまでは行かないまでも、京都弁の台詞の練習につきあうことになった嘉子は、演技で気持ちをぶつけ合ううちに、譜雨に惹かれていくのでした。 また、8ミリカメラで嵐電の車両を撮影するのに夢中な地元の少年、有村子午線(石田健太さん)は、青森からの修学旅行生の女子高生、北門南天(窪瀬環さん)たちと出会い、彼女は子午線に運命の人を感じるのでしたが・・・。 といったイントロダクションの映画でした。 ドラマチックな音とともに去来する電車や京都の街並み自体も、そもそも魅力的ではありますが、この映画がすごく特別な趣を醸し出すのは、それが三者三様の恋愛物語と不可分になっており、ふとした情景や物音や台詞を介して繋がっている点にもあるでしょうね。 たとえば、帷子ノ辻(かたびらのつじ)の地下通路のゲートがたてる音や、その不思議な地名・駅名の由来。 また、相思相愛の者たちの前に現れるという不思議な車掌の乗る電車。 嵐電沿線の映画撮影所からは、様々なフィクションたる映画が産み出されてきましたが、そんな街の中で、普段、見慣れていたはずの嵐電が妖怪電車と化して、虚実の境を溶かしつつ、人や場所の記憶をも、のみこみながら、摩訶不思議な物語の世界は広がりを見せ、嵐電と共にこの恋愛物語も動いていくのでした。 特に、それらの不思議な世界観の中でも、小倉嘉子役の大西礼芳さんの熱の籠もった圧倒的な演技。 或いは、平岡衛星役の井浦新さんのいつもながらの飄々とした佇まいが画面に映えて良かったでした。 鉄道オタクの有村子午線役の石田健太さんの爽やかな演技も好感が持てて良かったです。 この作品ですが、そもそもが嵐電の駅名や駅周辺の土地の名前の由来が、歴史情緒にも溢れるばかりか、神秘性にも富んでいる点でも、こういった摩訶不思議な設定の映画をも現実味を帯びるかの様なファンタジックな作品へと仕上げてくれているのかなとも思いました。 でも、実際のところ、この映画の解釈は、今作品の主たる製作者の鈴木卓爾監督ではないので私には解りかねますが、私の理解の範疇をも超えた作品でしたが、摩訶不思議な魅力を醸し出す映画であった事はたしかです。 この映画は、観る人の感性を試すようなそんなリトマス試験紙のような作品かも知れないですね。 また、全てを観る人に判断を委ねている映画とも言えるかも知れないです。 ですので、自分の理解の範疇を超えた作品、消化しきれない作品だからと言って一概に否定的な作品の烙印を押すのではなく、何故に鈴木卓爾監督はこの様な演出をしようとしたかと再考することを以て、この作品を通して「芸術とは何ぞや」と考え直す機会になればとも思います。 私も一度観ただけでは理解し難かった作風の映画だったので、もう一度鑑賞したい映画ですね! ※但しながら、地元・京都のミニシアターの京都シネマでは連日超満員の立ち見券を発行するほどの大盛況ぶりですので、なかなか今の時点では容易く鑑賞し辛い環境にありますが、また時季を移してでも、京都シネマにても、新たに追加上映の機会を設定して下さればと願う次第です。 私的な評価と致しましては、 正直なところ、よく解らない、私の理解の範疇をも超えた映画でしたが、嵐電沿線自体の魅力を再認識したり、また、小倉嘉子役の大西礼芳さんの熱量のある演技を目の当たりにして圧倒されたりと、目に見える収穫もあった作品でしたので、五つ星評価的には、高評価に部類する、★★★★(4.0)の四つ星評価とさせて頂きました。
先日鈴木卓爾さんが私の通う大学の講義へゲストスピーカーとして来てく...
先日鈴木卓爾さんが私の通う大学の講義へゲストスピーカーとして来てくださいました。その時の鈴木さんの話でおっしゃっていた、観る側に伝えたいことを考えるよりも自分が撮りたいものを撮る、ということが、よく伝わる作品でした。観る人に伝えたいことを表現しようと必死になって無理に感情を動かすのではなく、ただこうしたいと思った作品にしたほうが、何も考えずに引き込まれるのですね。自然と感情が動きました。
全42件中、21~40件目を表示