劇場公開日 2019年5月24日

  • 予告編を見る

「悠久の歴史を刻む京都のファンタジー」嵐電 keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0悠久の歴史を刻む京都のファンタジー

2019年6月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

楽しい

幸せ

京都市西郊に、開業109年の歴史を持ち、支線を合わせても僅か11kmを走るローカル鉄道線があります。京都でも屈指の景勝地・嵐山に通じているため通称・嵐電(らんでん)と呼ばれる、その鉄道名をタイトルとした映画が本作です。

三つのストーリーが輻輳するオムニバス風の構成ですが、各々芯になる筋立ては茫洋としているために、何だか微熱による浮揚感に包まれたような仄々とした作品です。ただ常にその核にあり、物語の進行を司るのが「嵐電」です。

描かれるのは、悠久の時の滔々とした流れの中で粛々と日常を過ごす市井の人々。1200年の歴史が刻まれた京都の暮らし、掌の上で静かに優しく、そして妖しく見詰めて覆いくるみ尽くし、時に人の心を弄び波立たせる嵐電。
更に男と女の心の機微、仄かに目覚める恋心、大切な人をずっと守ってあげたいと思う慈悲と情愛。人の心が何気なく移ろう日常的風景を、何も語らないが、それゆえに其処に寄り添い、恰も菩薩の如く導いていく嵐電を、一種の“語り部”として描かれた映像抒情詩といえます。
エリック・サティの曲が耳元で寛りと奏でられる、居心地の良い揺り籠で心地良い午睡に微睡む、まるで羊水の中に浮遊するような、実に愉にして快な時間でした。
理論的に作品の内容・構成を紐解くのは、もはや無粋であり、この作品には、流れる時間に唯々身を委ね揺蕩っていれば良いのでしょう。

沿線で主な舞台となる太秦は、嘗て日本のハリウッドと称された映画の都です。日本初の劇映画『本能寺合戦』が京都で制作されたのが1908年。その2年後から一世紀以上に亘り、古今数多の映画人たちの夢と情熱、そして失望と落魄をも乗せて走り続けた嵐電。
太秦では、映画人たちのどす黒い怨念や瑠璃色の栄華が蟠踞し、その妖気が人を誑かし、人を迷わせ、人を悩ませる一方、その熱気が人を慰撫し、人を鼓舞し、人を勇気づけてくれる。これらが交錯して綾なし、嵐電が時空を超えて訥々と人々に送り届けてくれます。
「この電車に乗れば、どこまでだって行けますよ。」
怪奇譚を思わせる、妖しくも、亜麻色の靄がかった魅惑の響きを放ちながら、今日も嵐電は、可憐に且つ威風堂々と京都の街を走り続けています。

keithKH